気怠さに目を開けると、辺りは暗い。手探りでスマホを探し当てて時間を確認すると、そろそろ十九時になると画面が告げていた。
…かなり寝てしまったようだ。
なんだっけ、確か夕食は二十時までに食事会場で摂らないといけないんだっけ…、ああもう動かないとやばい。食いっぱぐれる。
腕の中に収まる温もりを見下ろして、すやすや眠る顔を覗き込む。こんなに気持ちよさそうに寝ているところを起こすのは申し訳ないし、正直この可愛い寝顔を見ていたい気持ちもあるけれど、起こさなかったら起こさなかったで怒られそうでもある。
「なまえ、…なまえ、起きて」
「…んぅ…うんん…」
「起きないと、夕飯食べられなくなるよ」
「んー………」
「こら、起きてってば」
唸りながら、僕に擦り寄ってくれるのは大変可愛くて嬉しいのだけど、僕だってお腹も空いてるし、ここは起きてもらわないと困る。
「ほら、なまえ…起きてって」
「んぅ、ん…、わかっ、たって、おきる…」
「お前はそう言ってからがいつも長いだろ?」
「ふぁい…ごめんなさい…、起きる、起きるよ」
乱れた髪を掻き揚げて起き上がるなまえに合わせて、僕も起き上がる。寝惚けて裸のまま布団から出ようとするなまえに、その場に落ちてた浴衣を投げつけた。一瞬怒った顔をしたなまえだったが、それで頭が起きたのか、現状を理解するとすぐに浴衣を掻き抱いて着始める。僕も落ちてた浴衣を羽織って、とりあえず明かりをつけて着替えねばと立ち上がった。
「チョロ松、」
「んー?」
明かりのスイッチを手探りで探しながら、背中から掛かった声に返事を返す。やっと見つけたスイッチを入れると、蛍光灯がパッと室内を照らし出した。振り返ると、僕を見上げて正座なんかしてるなまえの姿。
「?なに、どうしたの?」
「ご卒業、おめでとうございます」
「……は、」
「あ、あと就職おめでとう!」
力が抜けて、その場にへたり込む。心配して駆け寄ってくれたなまえの腕を掴んで、少々乱暴にキスをした。
「お前ってさ、ムードの無い性格してるよね…」
「えっ!?どういう意味?!」
「はいはい、とりあえず着替えて飯食いに行こう」
「いや、ちょっと!気になるんだけど!」
着替えた浴衣姿で僕たちは夕食を済ませ、その足で大浴場へと向かった。久しぶりの温泉はめちゃくちゃ気持ちいい。まぁいつも大浴場には入ってるんだけど。やはり銭湯と温泉は違う気がする。
大浴場前のソファで待ち合わせをして、部屋へと帰る前に土産物を見ることになった。
「あー、やっぱりどこで買っても値段変わらないかぁー」
「でもほら、この旅館の温泉饅頭はここでしか買えないんじゃない?」
「部屋にあったよね?食べて美味しかったら買って帰ろうかなぁ」
結局話し合って、土産は帰る前に温泉街の土産物屋で買うことになった。昼間の内にいくつか見繕っていたもののほうが、値段と見栄えのバランスが良さそうだという理由らしい。僕はまぁ、両親に酒か日用品かを土産にするつもりだけど、それもある程度温泉街で見繕っていたから、その提案は有難かった。
じゃあさて部屋に戻ろう、と歩き始めたら、なまえが土産物のひとつに気を取られていて少し遅れて僕を追ってきた。だからか、周りに注意を払っていなかったのだろう。なまえは背の高い男とぶつかって、よろめいた。急いで駆け寄って、よろめくなまえの肩を抱き寄せる。
「なにやってんの、大丈夫?すみません、こいつが余所見してたみたいで…」
「ご、ごめんなさい!お怪我はありませんでしたか?!」
二人して目の前の男に謝ると、男はそれに答える前になにかを見つけてそれを拾い上げた。差し出されたのは、なまえの定期入れだ。
「俺は大丈夫です。これ、落としましたよ」
「あっ!すみません!ありがとうございます!」
「なんで定期入れなんか持ってるんだよ」
「御守りみたいなもんなの。ほっといてよ」
べ。と舌を出したなまえが超絶可愛くて、五体投地したかったが、人目があるのでぐっと我慢する。目の前の男は可笑しそうに小さく笑っていた。それにしてもこの男、背は高いし顔もなかなかだし、出来ればあまり交流を持たず早く別れたい。
「じゃあ、ほんとにすみませんでした。ほら、なまえ行くよ」
「あ、うん。すみません、ありがとうございました」
軽い会釈をして、その場を去る。いや、去ろうとした。
「もしかして、チョロ松さんと、なまえさん…?」
驚いて、振り返る。男の顔をまじまじ見てみても、見覚えのない完全に初対面の相手だ。人当たりよく細められた目に、少しニヒルな笑み。浴衣姿で立つその男と、僕は、いや隣の様子からなまえも、面識があるとは思えなかった。
「あ、すみません。えっと、俺はトド松くんの友達であつしっていいます」
「えっ、トド松の友達?」
「二人のことはトド松くんから聞いてて、それにチョロ松さんはトド松くんと瓜二つなんで、そうかなーって」
ニコニコと笑う男に、僕は警戒心全開。なまえは逆に、知り合いの友人ってだけで警戒心を解いてしまったらしい。本当に、こいつの危機管理能力の低さじゃ、いつか犯罪に巻き込まれたりしないか心配になる。ここは、僕が早めに話を切り上げなくては。
「それで、ぼくらになにか用ですか?」
「え?いえ、特に用は」
「じゃあ、ぼくらはこれで。なまえ、行こう」
「それじゃあ、あつしさん、トド松に会ったらよろしく言っておいてください」
笑顔で対応するなまえの腕を引いて、僕らはその場をあとにした。
つーか、トド松によろしくってなんだよ。あいつより兄弟の僕に言うべき言葉なんじゃねぇの?
はっきり言って、僕はああいうタイプの輩が苦手だ。良い職に就いて車なんか持ってて、合コンで女の子に「今度ドライブに連れてってよぉ〜」なんて言われていい気になっているような奴に違いない。僕とは相容れない。
「お茶淹れるけど、チョロ松も飲む?」
「ああうん、ありがとう」
部屋に戻ってくると、なまえはすぐさまお茶の準備を始めた。喉でも渇いてたのか?と思ったが、どうやら温泉饅頭を食べるお供を準備していただけらしい。
「あ、お饅頭美味しい。温泉饅頭だけはここの買って行こうかな…」
「さっき夕飯食べて、もう食べられなーいって言ってなかった?」
「味見だから平気なんです」
甘いものは別腹ってやつとは違うらしい。さっき会った奴のことなんかまったく気にした様子もなく、部屋に置かれた温泉饅頭にかぶりつくなまえは、まったくこいつらしくて笑えてくる。
「なに笑ってんの?」
「いや、べつに。あんまり食べると太るよ?」
「お饅頭一個くらいじゃ太りませんー」
「太っても可愛いと思うから、べつに良いけどね」
「チョロ松が太ってハゲ始めたらちょっと考えるかも」
「エッ、やめてよ、太るのはあれだけど、ハゲるのは…保証出来ないんだけど」
「え、なになに、もうそんな気になるほどなの?え?ちょっと見せてよ」
「面白がるな!今は、大丈夫だよ!」
楽しそうに近寄ってきたなまえの手から逃れて、腰を抱き上げ放り投げるように布団の上に転がしてやった。
「うきゃあ!」
「うきゃあって、もっと可愛い悲鳴とか出ないの?猿みたいだったよ」
「うるさい、暴力反対」
「暴力じゃないよ、ちょっと力自慢しようかと思って」
「このタイミングで!?」
声を荒げるなまえに覆い被さってキスをすると、途端に大人しくなった。可愛いやつめ。
「ぼくは、なまえが太っても老けても愛してるよ」
「…ぶっ!!」
「はあ!?真面目に言ってんだけど!?」
「あはははッ!ご、ごめん…っ、いやもうだって、似合わないなぁって…」
「その似合わないこと言わせてんのはお前なんだけど」
「ひぃーっ、あー、もうごめんって、拗ねないでチョロちゃん」
「拗ねてない」
「ふふ、私もチョロ松が太ってもハゲてもおじさんになってもお爺ちゃんになっても、愛してる」
そう笑って僕にキスをするなまえに、僕はこの先一生敵わないんだろうなぁと痛感した。
ごろり、
なまえの隣に転がって天井を見上げ、ぼんやりと照明器を眺める。静かで、穏やかな時間の流れを感じながら目を閉じた。眠気は、あまりない。でも、穏やかな気分だ。
「明かり消そうか?」
「いや、眠いわけじゃないんだ」
「じゃあ、眠くなるまで話でもする?」
「んー…」
隣を見ると、同じようにこちらに顔を倒したなまえと目が合った。頬を撫でて、髪を梳く。くすぐったそうに笑う仕草が可愛くて、その体を抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。あったかい。
あー、そういえばまだ枕の下とか布団の下のそれらを片付けてなかったな。というか、…ローションって使わなくても大丈夫なもんなんだなぁ…。思い出すと途端に恥ずかしくなって、照れ隠しになまえの体をぎゅうぎゅうと意味もなく抱き締める。
「チョロ松、苦しい…」
「アッ!ごめん!!」
「ううん、嘘」
「え、嘘?」
「ちゅーしたいなと思って」
僕から少し距離を取って、なまえはすぐにそれをゼロにした。
「…ん、」
抱き寄せた手で、なまえの背中からお尻までを撫でる。よくなまえにお尻好きがどうのと言われていたけど、確かに、僕はなまえのお尻が好きかもしれない。僕の手のひらにフィットする大きさと形、それから弾力と柔らかさ。気持ちよくて、おかしくなりそう。密着した熱い体。なまえは、僕の下半身の変化に気づいているに違いない。もぞりと逃げる腰を捕らえて、転がるように覆い被さる。至近距離で見つめ合うなまえは、潤んだ目で僕を睨んでいた。
「……明るいのは、やだ」
「…………」
本当に、くそ可愛いなこいつ。
共に更けゆく夜。
言われるまま、部屋の明かりを消した。
(2017.07.14)