――― #1


ある朝目が覚めると、私は六つ子の長男になっていた。

なぜそうなったか?そんなのは私が聞きたい。私が語れるのは私自身のことだけなので、自分の頭を整理するためにも少し状況を振り返ろうじゃあないか。

これまで、私は平凡な人生を歩んできた。学生時代はいじめる側にもいじめられる側にもならない、どちらでもないポジション。クラス内の班分けでは、残り物の集まりに入るような立ち位置。群れるのが苦手で、他人に特別興味もないがそれなりに友達も居たし彼氏が居たこともある。短大卒業後は区役所に就職して、安定した老後のために仕事をする日々。趣味は貯金と、給料日に一人でスイパラに行くこと。
特別なところなんかなにひとつ無くて、なにも無い日常に満足もしていた。

いつものように仕事をして、いつものように一人の家に帰宅、そしていつものように床に就いた。そして、いつものように目覚めたのだけれど、そこからはどうにも“いつものように”とは行かなかった。

男臭さが充満した部屋で目覚め、瞬時に異変を察知して飛び起きると、八畳ほどの広さの部屋に五人の人間が私の両側に並んで転がっていた。締め切られたカーテンで朝日は遮られ、室内は薄暗い。
そこでまず頭に浮かんだのは「誘拐」の二文字だ。なぜかは分からないが、私は誰かに誘拐されてこの場に居る。もしかしたら周りに寝ている人たちも誘拐された人たちなのかもしれない。唯一救いだったのは、聞こえる寝息や室内に満ちる熱気から、この中の誰も死体ではないということだ。

震える足を無理やり立たせ、閉められたカーテンへと飛びつく。勢いよく開くと、すぐに朝日が室内へ飛び込んできた。そのまま窓を開けようと手を掛け、想像していた鉄格子や施錠などが無いことに気がつく。いい加減、充満する男臭さに頭が痛くなりそうだったので、遠慮無く目の前の窓を全開にした。

見える景色は、普通の街並み。けれど、知らない街だ。どうやらここは一般的な民家の二階の窓らしいことが分かり、少しだけ安堵した。人通りもあるし、これなら簡単に逃げ出せる、すぐにでも警察に駆け込める。ほっと胸を撫で下ろそうとして、ふと首を傾げる。
なんか、胸元が心許ない。

「んんぅ〜…ちょ…今何時ぃ…?」
「…え、嘘…おそ松兄さんが起きてんの…?」
「さむ…窓閉めて…」
「おい、おそ松、なにしてるんだ…?」

後ろから寝惚けた男の声が四人分、一人は変わらずいびきを掻いているが、それぞれみんないやに良い声だ。恐る恐る振り返ると、起き上がってこちらを見ている三人と目が合った。
喉元まで出掛かった悲鳴を、咄嗟に呑み込む。同じ顔だ。同じ顔の男が三人も居る。いや、よく見渡せば、この場に居る五人全員が同じ顔なのだ。怖すぎて声が出ない。

「おそ松兄さん…?」

一人が近づいてきたので、飛び上がって逃げた。出口だろう襖を開けると、短い廊下に階段。ビリビリする背筋が足をもつれさせるが、どうにかして階段を駆け下りた。

「ちょ、おそ松兄さん!?」
「え、なに、どしたの!?」

後方からあの男たちの声が聞こえるが、そんなものは無視だ。とにかく逃げねば。急ぐ心とは裏腹に、どうにも足が上手く動かない。心と体が連動しない弊害で、私は玄関と思われる扉の前で盛大にすっ転んでしまった。

「いっっったァ…!!」

聞こえた声に驚いて起き上がり、今度は靴箱に頭をぶつけた。

「だッッ!!」

まただ!どこから聞こえる声なのだろう!?とても近くて、まるで私が

「……わたし、が…?」

聞こえた声は、私の声だった。正確には、私から発せられる知らない男の声だった。
呆然と座り込んだまま、立ち上がることも出来ず自分を見下ろす。知らないパジャマ姿で、よく見てみれば胸も無ければ体つきも全然違う。触った感覚はあるのに、現実感はまるで無い。

「ちょっと、おそ松兄さんどうしたの?」
「寝惚けるにしても、もっとマシな寝惚け方してよぉ。ビックリするからさぁ」
「おいおそ松、いったいどうしたんだ?」
「なに…ついに頭イっちゃったの?」

こちらを見下ろす四人は、やっぱり同じ顔だった。

「…か、鏡、」
「へ?」
「鏡、見たい…んですけど…」
「「「ですけど!?」」」

それから、表情を引き攣らせた四人に案内してもらい洗面所の鏡を見た。人生の内で一番当たってほしくなかった予想が、鏡に映る男の顔によって確信に変わってしまう。困惑と混乱で涙が出ると、一緒に居た四人が口々に悲鳴を上げ始めた。悲鳴を上げたいのは私だ。どうして、なんで、平凡で慎ましやかに悪いこともせず生きてきた私が、こんなクローンみたいな男の一人にならなきゃいけないんだ。





いつまでも泣き止まない私を、男たちは遠巻きに見ているようだった。いつの間にか、ぐーすか眠っていたもう一人も加わって五人の顔が揃っている。私はソファの端に両足を抱えて座り、現状把握をしようと必死だ。遠巻きに話す男たちの会話を盗み聞きしながら、私なりにこの状況を打破する方法を考えていた。
男たちの話では、私はこの男たちの兄なのだと言う。同じ顔なのは六つ子だからで、私はその六つ子の中の長男、おそ松だと言うのだ。身に覚えの無いことだらけで、困惑も混乱も一切解消されない。
こんなに泣くことなんて成人してから一度も無かったから、泣きすぎて頭が痛くなってきた。涙も涸れたのか、顔ばかり熱くてもう目からはなにも出てこない。パジャマの袖で顔を拭っていると、恐々と男の一人が近づいてきて、肩が飛び上がる。

「えっと…あの、少しは落ち着いた…?」
「……は、い…」

返事をしただけなのに男の顔は青褪め、今にも吐きそうだと言いたげな表情になった。そんな顔されても困る。

「…おそ松、兄さん、ではあるんだよね…?」
「……………」

違います。とも言えない。そんなこと聞かれても分からないし、ていうかおそ松って誰なんだよ。ああ、私のことか。
ここで「私はおそ松ではなくなまえという都内に住む女で、どういう訳か今は貴方たちのお兄さんの中に入っています」なんて言ったら、状況は更に悪化するだろうことが目に見えて分かる。私が混乱しているように、彼らも混乱しているのだ。それを思うと、少しでも私が落ち着かなければと思った。理解し難い状況ではあるが、理解しようとするのではなく、少しでも現状を受け止めてみよう。

「…憶えて、ません」

そこで私は、記憶喪失を装う選択をした。
それなら私が彼らを知らない説明もつくし、私も彼らから情報を得られる。我ながら最良の選択だと思った。
私の発言が余程ショックだったのだろう、五人はそれぞれに驚愕と困惑の表情を浮かべて見せる。なんとも表情豊かな人たちだ。よくよく見れば、同じように見えていた顔も僅かながら違いがあるようだった。いや、それでも私には僅かすぎて区別がつかないのだけど。

「やばいよ、おそ松兄さんが記憶喪失!?」
「やばい、やばいよね?あのクソ長男がなんも憶えて無いって…っ」
「やばいよー!!おそ松兄さんがおそ松兄さんじゃなくなっちゃった!」
「ああ、やばいな…おそ松がおそ松でないのなら、オレたちはこれからいったいどうすればいいんだ…!!」
「………ねぇ、ちょっと待ってみんな」
「「「どうした一松」」」
「これって、やばいのかな…?」
「……………やばい、よね?」
「………そうでもなくない…?」
「……そうでもないか…?」
「「「………………」」」
「むしろ…このままのが、いくない?」
「見たところ、前のおそ松より大人しそうだしな」
「なんかおどおどしてて新鮮だし、これが前よりクソってことはないんじゃない?」
「おそ松兄さんは一回脳みそリセットしたほうが良かったところあるよね」
「おそ松兄さんはおそ松兄さんだもんね!べつに中身がどうとかは関係ないよー!」
「じゃあ、満場一致ってことで」
「「「そうだな」」」

丸くなって話し合いをしていた五人が、ぐるりと揃ってこちらを見る。未だにその同じ顔に慣れない私は、短く悲鳴を上げてしまった。

「ぼくら、おそ松兄さんの記憶喪失を受け入れることにしたよ」

初対面の私でも分かるほど、作られた爽やかな笑みを向けてきた目の前の男に、どうしたって不信感が募る。いったいどんな相談がなされたのかは分からないが、あまりいい話ではなかったのではないだろうか。

「えっと、ぼくらの名前も分からないんだよね?」
「…あ、はい…そうですね」

申し訳なく思いながらそう言うと、五人全員がぶるりと身を震わせる。なんだろうかと首を傾げると、無駄にオーバージェスチャーをする男が私の前に躍り出た。

「まず、その敬語をやめてくれないか?ブラザー」
「ぶらざぁ…?」

なんだこの人、帰国子女なのか?

「おそ松兄さんはね、もっと適当な話し方でいいよ!敬語で話されると気持ち悪いかなぁって」
「あ、うん…そっか…」

次いで私の前に出てきた男は、なんだか女のようになよっとした仕草だ。顔は同じだが、これでそれぞれ個性はあるらしい。

「んじゃあ、とりあえず着替えようか。そのほうが名前も覚えやすくなるから」

そう提案した男は、さっさと私に背を向けて簾の向こうから緑の服を引っ張り出していた。続々と目の前で着替えを始めるのを呆けて眺めていたが、ハッとして膝に顔を埋める。忘れていたが、私は今男なのだ。そりゃ兄弟だと言う彼らは恥ずかしげもなく目の前で着替えを始めるだろう。けれど中身の私は、男性経験があるとは言え恥じらいを持ちうる一般的な女なのだ。正直この状況に耐えられない。

「ほら、これおそ松兄さんの」

そう言って頭に乗せられたものを手に取る。顔を上げると、彼らの中でも一段とだるそうな顔をした男が私に赤いパーカーを差し出していた。見ると彼は、同じデザインの紫のパーカーを身に着けている。彼の奥に目をやると、彼らはそれぞれ同じデザインの色違いのパーカーを着ていた。先程緑のパーカーの男が言っていた「そのほうが名前を覚えやすい」と言うのは、こういうことらしい。つまり、顔が同じがゆえに色分けがなされていると。そして長男の私が赤。なんだか戦隊物のそれみたいだ。

「…着替えないの?」
「あー…いや、私はあとでいいよ…」
「おそ松兄さん、その私ってのもやめてよ…鳥肌立つから…」
「ご、ごめん…っ!そ、か、…えと、僕はあとで着替えるから…」
「ぼ、く…ッぅ!!」
「一松ぅ!!気をしっかり持つんだ!!息をしろォ!!」

突然吐血して倒れた男に、私は青褪めた。よく分からないが、おそ松という人物はもっと男らしい話し方のようだ。そんな、男になった経験の無い私には難しすぎる。

「コホン、もう話が進まないから、とりあえず今のおそ松兄さんにぼくらのこと紹介するね」
「あ、お願い、…するぜ?」
「もういいよ自然に喋って」
「ごめんなさい…」

なんかよく分からないけど、緑の彼に睨まれた。怖い。

「色と一緒に名前を覚えてもらえばいいから」

そう言って紹介されたのは、青が次男でカラ松くん、次いで緑が三男のチョロ松くん、紫が四男一松くん、黄色が五男十四松くん、ピンクが末っ子トド松くん、というらしい。

「あ、言っとくけど呼び捨てでいいから」

ですよね。先回りして注意をしてくれるチョロ松に、なにも返せず苦笑する。


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