――― #8
目が覚めたら、見慣れない部屋にいた。
いや、違う。そこは、私がよく知る部屋の様相だった。
「もど、った…」
声が出て、喉を押さえる。私の、みょうじなまえの声だ。あまりのことに混乱して次から次に涙が溢れる。あれは、夢だったのだろうか。手探りでスマホを探し当てて確認すると、私が松野おそ松として過ごした期間がきっかり過ぎ去っている。驚きと混乱はあったが、それよりも私は現状の確認に努めた。わたわたしていても仕方ないというのは、おそ松になった初日で経験済みだ。
起き上がって部屋を見回すと、カップ麺や袋菓子、酒瓶なんかがそこらに転がっていて、私がただ眠っていたわけではないことが分かった。ていうか、なんだこの荒れ様。え、なに、これ私が無意識に飲んで食べてたってこと?なにそれ怖い。ふと時計を見上げると、出勤時間を大幅に過ぎていて飛び上がる。とりあえず、現状の把握も大事だが仕事も大事だ。せっかく勝ち取った公務員という立ち位置を無碍には出来ない。
すぐさま職場である区役所に電話をして、遅れて出勤する旨を伝えようとしたら
「………え、」
『だから、君、もうこっち来なくていいことになっちゃったのよ』
「…あ、…えっ?ちょ、あの、すみません、状況が掴めないんですが…」
『いやぁ、そんなこと言われてもね。あんなに色々しちゃしょうがないと思うよ?あでもね、君にその気があるなら一応転勤先は用意してるの。このまま退職しちゃうより良いと思うけど、どう?』
「………よ、よろしくお願いいたします…」
『ん、じゃあ転勤先のこととか諸々の書類は家に送るから。いやぁ、ごめんねうちの職場忙しいから、つい気が触れちゃうこともあるよね。次の職場はうちより楽だと思うから、頑張ってね』
優しかった部長との電話が終話音を残して切れ、膝から崩れ落ちる。スマホを持つ手が床に落ちて、頭を抱えた。
「あんなに色々しちゃ」ってなんだ…!!?私なにかしちゃったの!?これって左遷ってやつだよね!?え、なに、なんなの!?なにが起こってるの!?
私が松野おそ松になっている期間の記憶がすっぽりと無い私には、その色々とやらを知る由も無く。まさか職場の人に「なにしたんですか私」とも聞けず、数日後には職場から転勤に関する書類が届いていた。
そして、転勤初日。
私は、信じられない気持ちを抱えたまま転勤先である区役所の前に立っていた。いや、元より書類にその記載もあったし、転勤に際して近場に引越しもしたから知ってはいたのだ。知ってはいたのだけど。
「まさか…赤塚区役所なんて…」
あるはずのない地名。ありえないことに見覚えのある街並み。私は痛む頭を抱えて、これから働く職場へと赴いた。
「あ、みょうじさんだね。聞いてるよー、赤塚区役所にようこそ」
「はあ、どうも…」
「君の席はあそこ。でも、今日は初日だし、君には街を歩いて来てほしいんだよね」
「…えっ?」
「大丈夫!そんなに広くないし、それに外回りとかもしてもらうことになるから、この赤塚を覚えるつもりで二時間くらいは散策して来てほしいんだよ」
「そ、そんな緩くて良いんですか…?」
「え?あはは、いいのいいの!これも仕事だから!ね、頑張って!」
そう笑顔の上司に押し切られるまま、私は赤塚の街に放り出された。こんな職場で大丈夫だろうか。職員の人柄が良さそうなのは有り難いけど、仕事まで緩いのはちょっとやり難いかもしれない。
今後の不安や、私自身の記憶がすっぽり無いあの期間に悩みながら、穏やかな空気が住まう赤塚の街を歩く。おそ松の時も思ったけれど、この街はどこか優しい空気に包まれていて、街並みはそれほどでもないのに、どこか昭和のような人や街の温かみを感じるのだ。いや、昭和の空気感を知らないんだけどね、想像の話だけど。
特になにも考えず、本当になんとは無しに歩いていたら、随分と見知った街並みに辿り着いた。此処は、私がいつも二階の窓から眺めていた景色だ。
「なぁーチョロちゃーん、良いじゃん!お兄ちゃん怪我人だよぉ!?」
「うるさい!怪我人ならそれらしく寝てろよ!」
「だからもう飽きたんだって!構ってよー暇すぎてお兄ちゃん死んじゃう!」
「死ね!!」
聞こえてきた会話に、つい聞き耳を立ててしまう。歩いていた足が立ち止まった。
「つーか、本当なんで戻ったんだよお前」
「あ、またそういうこと言う?俺も色々大変だったんだって!起きたら知らない女の子になってるし」
「意味分かんない。あー、前のおそ松兄さんに戻ってくんないかなぁ」
「お前らみんなして!!泣くよ!?そろそろ俺も泣くよ!?」
大声で口論する男性が二人、見覚えのある道で、見覚えのある家の前、そして見覚えのある同じ顔。
「ん?」
足が震えて動けないでいたら、緑のパーカーに縋っていた赤いパーカーの男と目が合ってしまった。
「…っあーーー!!俺がなってた女の子!!」
「はあ?」
二人の視線を一身に受け、肩が縮こまる。
ん?というか、私に、なってた…?
「ま、まさか…あ、あなた!!このおそ松!!私の職場でいったいなにしたの!?」
「あっ…、あちゃー」
「は、え?なに、どういうこと?」
きょろきょろするチョロ松には悪いが、私は今すぐにでもおそ松に真意を確かめなければいけないのだ。眉を吊り上げておそ松に詰め寄る私と、へらへらと悪びれも無く笑うおそ松、状況を把握出来ていないチョロ松の三人は、おそ松の提案で一旦松野家の中で話し合うことになった。
・
・
・
「つーわけで、俺がなまえちゃんになってて、なまえちゃんが俺になってたわけ」
いつの間にか六つ子全員が集合した居間で、私は肩身の狭い思いをしながら正座していた。どうやらおそ松の言う通り、私たちはあの不思議な体験をした期間、お互いの中身が入れ替わっていたらしいのだ。それにしたって説明つかないことは多いけれど、今はそれを割愛しよう。問題なのは、このおそ松が私になっていた期間、なにをしていたかってことだ。
「俄かには信じられないけど…、確かにあの時のおそ松兄さんは記憶喪失ってだけじゃ説明つかないしな…」
「そうだね、それにあの時のおそ松兄さんってちょっと女の子っぽかったし、納得〜って感じ」
さすがと言うべきか、六つ子の理解力は凄い。私ならこんな話、当事者じゃなかったら絶対信じてないよ。
「その節は、皆さんに色々ご迷惑をお掛けいたしまして…」
「え!迷惑なんてとんでもないよ!料理も美味しかったし、ぼくたちを合コンまで導いてくれたわけだし!」
「え!?合コン!?なにそれ聞いてねぇんだけど!?」
「おそ松兄さんはちょっと黙ってて」
「はあ!?」
「それにオレたちのために君は色々悩んだり考えたりしてくれてただろう?あの時の君は、立派にオレたちの兄になろうとしてくれていた。それはとても凄いことだぞ」
「…おれも、あの時は八つ当たりして悪かったと思ってる…」
「一緒にお風呂入ったのも楽しかったし!!」
「「「…………あ、」」」
その話には、触れたくなかったよ十四松。
「あの…、その話は、したくないです…」
「…っそ、そうだよね!十四松兄さん、駄目だよ女の子にお風呂の話とか」
「え〜?でもぼくおそ松兄さんと二人でお風呂入ったとき楽しかったよ!」
「じゅうしまぁ〜つ?いいかぁ、もう風呂の話はやめような?んー?」
「まあまあ、べつに裸見られたくらい良いじゃん。俺はなまえちゃんの体ばっちり見たけど」
「「「な…ッ!?」」」
「え?いや、だってお相子じゃん。なまえちゃんも俺の全裸見てんだし、俺だってなまえちゃんの全裸見てても変じゃなくない?」
「…っ私は!極力見ないように頑張ったよ!!」
「マジで!?え、シコったりとかしても良かったんだよ!?」
「そんなことするわけ…え、あ、え、もしかして、あ、あな、た…?してない、よね?してないよね!?」
「………………………てへ!」
「わあああああああ!!!!」
卓袱台を引っくり返した。必死に宥めようとしてくれる五人には悪いけれど、それどころではない!!本当におそ松はクズ松だった!!ありえない!ありえないくらいのクズだよ!!
「おそ松兄さん!!冗談言う場面じゃないから!!訂正して!!」
「えー、でもあんまり気持ちよくはなかったよ?」
「きゃあああああ!!!!」
「「「おそ松(兄さん)!!!」」」
泣き崩れる私をおそ松以外のみんなが慰めてくれる。もういい、終わったことは仕方ないし、おそ松がクズなのはよぉく分かった。
「お、おそ松…っ、あ、あなた、その調子で私の体使って私の職場でなにしたわけ…」
「え?職場?」
「アンタのせいで!私は実質左遷されたの!転勤を言い渡されたの!!」
「うわ、おそ松兄さんなにしたの!?」
「本物のドクズ松兄さん、本当マジでこれ以上家族の恥を増やすのやめてくれる!?」
「いや、なにしたって言われてもなぁ…。あー…あっ!仕事とかよく分かんないから、うるさいハゲの髪を毟ったかな」
「係長おおおお…ッ!!!」
「それから面倒だしずっと休んでたけど」
「わああああ!!もう!クズ!!クズ松!!もうやだ!!この人嫌い!大嫌い!!」
「えー、でも転勤したから今此処に居るんだろ?なら結果オーライじゃん?」
「なにがオーライなのバカ!!バカ松!!も、も、うわああああん」
成人して初めてギャン泣きした。
それから私が泣き止むまで、おそ松は自分だって起きたら交通事故に遭ってて体中痛かっただとか、勝手にバイトなんか始めるし、親の手伝いなんかするからそれらを突っぱねるのに大変だったとか、どうでもいい話をしていた。なんとか慰めてくれようとしている五人が味方になってくれることで、心の均衡はギリギリ保たれていたけれど、もしおそ松と一対一だったら多分私はこいつを殺している。
「…落ち着いたか?」
暫くして、やっと嗚咽が落ち着いた私は今更恥ずかしくなって五人に頭を下げた。成人した大人が泣き喚いてしまってすみません。五人は気にしていないようで、しきりに「おそ松が悪い」と言ってくれた。おそ松はそれにぶうぶうと文句を垂らしていたけれど、もうコイツとは関わりたくないから無視を決め込む。
「ごめんね、みんな…」
「いいよ、全然なまえちゃんのせいじゃないし!」
「こっちこそ、うちのクソ長男が本当にごめんね…」
「オレたちからキツく言っておくから」
「…あの、だからさ…なまえちゃんさえよければなんだけど…」
「またぼくらと一緒に遊んだりしてくれませんか!やきう!野球しようよ!」
有り難いくらい私のことを良く思ってくれているらしい五人が、私を囲んで笑顔を見せてくれる。とても嬉しいことだし、私はみんなのことを騙していたのに、まさかこんなことを言ってくれるなんてと、また目頭が熱くなった。でも、
「…ごめんなさい、私みんなのことは本当に好きなんだけど…やっぱり、もうこれ以上そこの赤い人と関わるのはつらすぎて無理…っ」
「じゃあコイツは殺すから!!」
「一人くらい居なくなっても変わらないし」
「うん!おそ松兄さんよりなまえちゃんのほうが大事!!」
「なんならなまえが今後、オレたちの姉になってくれても良いくらいだ!!」
「野球いつやろっかなまえ姉さん!!」
「みんな…」
「ちょっちょっちょっちょっ!待て待て待て!!なに言っちゃってんの!?ここの長男は俺だから!!意味分かんないんだけど!?」
「いや、意味分かんなくないでしょクズ松」
「え?どちらさまですか?」
「往生際が悪いぞ、おそ松」
「そりゃまぁ、なまえちゃんのがいいよね…ご飯も美味しいし…」
「チェーーンジッ!!」
「やめてぇ!お兄ちゃんの心臓がギュッてなるから!!」
「…確かに、私もちょうど弟が五人ほど欲しいと思ってたところなの」
「はあ!?ちょ、なに言ってんのなまえちゃん!!」
「アッ、名前呼ばないでください耳が腐りそう」
松野おそ松に成り代わりまして
これからよろしくね、みんな
フッ、よろしくななまえ
よ、よろしく!なまえちゃん
フヒッ、新しい姉さんか…いいね…
なまえ姉さん!野球しよー!!
ボクお姉ちゃんがほしかったんだよねー
お前らのお兄ちゃんのこと忘れないで!?
(2017.10.09)