惚け者、始まりし恋
「いつも兄がお世話になっております」
そう言われて、目の前の少年から団子の包みを差し出された。
鍛錬に行こうとしたら小松田さんに呼び止められて、なんの気なしに客人の応対を変わったのだ。事務員の小松田さんはよく誰かに呼び出されているのでそれはよくある話だが、開口一番に、しかも男に世話になっていると頭を下げられた経験は多くない。
渋い茶の着物を着たそいつは、三年生くらいの体格に見える。髪は同室である仙蔵くらい長くて、武家の子息のような出で立ちだった。こんな丁寧なやつは誰の弟だろうか?全く想像がつかないでいる。
「あ、あー……名前は?」
とにかく名を聞いてしまえば早い。俺は躊躇することなく聞く。
「そよと申します」
そっちじゃあない、こんなことならば小松田さんの入門届を盗み見ておくのだったと後悔する。まあ、観察眼の練習には持って来いだとじっくりそいつを見ることにした。
顔立ちは涼しげで男前だが、どこかあどけなくも見える。
同じ委員会の田村の弟、と言われれば納得も出来る。しかし奴には弟がいないと前に聞いたことがあったのだ。
ならば、神崎かとも思ったが年齢的に見ても同じくらいに見える。むしろ年上かもしれない。一年どもはもちろん除外だ。
「誰の弟なんだ?」
もういっそ、観察眼の練習なんかしていないで単刀直入に聞いてしまう。そうすれば、あっさりわかることだ。
「え、ええと……」
口ごもったものだから怪しいな、と再び奴をよく見た。見たところ腰に下がっている刀以外武器を持ってはいなさそうだ。たとえ曲者だとしてもこの体格差だ。それに鍛錬に行くからと袋槍も持っている。これならすぐに抑えられると確信した。
そういえば同輩たちの弟の可能性もあるのか……と眺めれば、そのすっきりとした顔立ちにはなんだか見覚えのある気がしてきた。
「おー!そよ、来ていたのか」
門の向こうから、まあ呑気な声が聞こえる。
後ろにひとり後輩を連れて、そいつはうんと荷物を抱えていた。
丁度脳裏に浮かんだ奴だった。
「に、兄さん!」
目の前の“誰かの弟”は頭を下げる。なにか微かな違和感があったが、俺はそれよりも兄の正体に驚いた。
「留三郎!お前、弟がいたのか?」
「ま、まあな」
同輩である食満留三郎は街に用具委員会の買い出しに行っていたようだった。それを証拠に後ろの富松作兵衛が木だの竹だのが飛び出た風呂敷を背負っている。それを突っ込めばまた予算を渡せと言いだしかねないので無視を決め込むことにした。
「いくつ下だ?」
「あー……三つだよ」
面倒そうに答える。三つ下となれば神崎や目の前の富松と同じだ。やはり自分の観察眼は間違えていなかったのだと安堵する。
「そよさんは器用でいらっしゃるから、度々用具委員会を手伝っていただいているのです」
どうやら、留三郎の手伝いで忍術学園を訪れたようだった。富松が言うにはそよがこうして来ているのは片手じゃあ足りない程だと言う。
「お前が予算を寄越さないから、弟にまで苦労かけてんだ。どうにかしろ」
「うるせえ。会計委員だってぎりぎりでやってんだよ」
「んだと!?……まあ、今日はそよの前だからな。免じてやろう。……さあ、文次郎なんか放っておいて行くぞ」
そう言ってすたすたと歩いて行く。そよは頭を下げ、それから兄である留三郎の姿を追っていった。
まったく不愉快なやつだ。俺はやり場のない憤りに溜息を吐く。
まさか、あいつの弟だったとはな……俺は渡された団子の包みを目線の高さまで持ち上げる。兄があれなのに弟はなんて気の利くやつなんだ、とあまり似ていない食満兄弟を思い浮かべた。いや、もしかしてこれは袖の下か、もしくは罠か?と疑いながらも結局はただの団子でありがたくいただくのだった。
「兄がお世話になっています」
俺は何度目かになった台詞を本日も門の前で聞いていた。留三郎の弟であるそよと邂逅してからひと月が経った。
それからというもの兄を訪ねて学園へ来るそよに会うことが増えた。その時に決まって何かを差し出されるのだった。
「別に世話しちゃいねーよ。今度からはこういうのいいからな」
毎回言うのだが、それでも奴はこうして団子や饅頭を差し出す。受け取ってしまう俺も俺なのだが、なんとなく強く言えないでいた。
……というのもこの留三郎の弟には会うたびに微かな違和感を覚えるのだ。それを調査するためにこうして話す機会を作っているとも過言ではない。
「あ、兄は……どこへいるのでしょうか?」
「ああ、街へ出ている。少し待てば帰って来るだろうな。まあ、座って待ってろ」
俺はそよを木陰の方へ促した。一応客人なのでひとりにさせる訳にもいかない。彼が座ったのを確認して自分も横へ腰かけた。
まず、ひとつの違和感は留三郎への呼び方だった。“兄”と呼ぶのだが、そこにいささか突っかかりを感じる。呼び慣れてないような、そんな感じだ。
「そう言えば、あいつとは歳は幾つ違うんだっけか?」
「えっと、二つ……いや、三つです」
これが一番の違和感だ。何度か兄である留三郎にも、そしてこの弟にも年齢差を聞く機会があった。それなのに、どちらも一瞬迷ったような口ぶりをするのだ。普通の兄弟ならすんなりと年齢差を言えるものだろう。それなのに思い出すように答えるのだ。
俺はあるひとつの仮説に辿りついていた。そよと留三郎は兄弟ではなく他人ではないかとういう説だった。そしてその関係は、あまり考えたくもないが恋仲なのだろうと言うことだ。
この時代、衆道……つまり男色は珍しい話ではなかった。一般庶民にこそ浸透していないが武家なんかでは盛んだと言う。生憎俺にそのような趣味はないが、同輩の中にそいう嗜みがある奴がいてもおかしくはない。
俺はじっとそよの顔を見た。しかし、他人と言うには面影に留三郎がある。立てた仮説が揺らいだ。
すっと通った鼻や、輪郭の造りがあまりに似ている。今まで好敵手の顔立ちなんてまじまじと見たことがなかったが、そよと会った後は気になるようになったのだ。
「んん?」
俺は新たな違和感に気が付いて思わず声が出てしまった。そよは喋らずに目の前を行く忍たまたちを眺めていたのだが、俺の声で顔を上げる。
それを見て、やっぱり……と確信に変わった。俺は思わず、そよの頬を両手で掴んだ。
「も、文次郎さん?ななな何するんですか!」
頬を圧迫されて少しくぐもった声が聞こえる。声変わりする前の少年の声だ。
「お前。……なんで化粧なんかしているんだ?」
なぜ今まで気が付かなかったのだろうか。一般的に言えば化粧は唇へ紅を引いたり、顔を白く塗ったり、色を使うことが多い。だから気が付かなかったのだ。
そよの顔には茶や黒の地味な色で輪郭を濃く修正するように施されていた。忍者が変装などで使う技術だ。
「……化粧なんかしてないです!」
俺に潰された顔は真っ赤で今にも泣きだしそうだ。徹夜続きの時に団蔵がこんな顔をするな、と呑気なことを思い出す。
随分下手な嘘だ。俺も忍者の端くれ、こんなことも見抜けないと思っているのか。
「だったら手拭で拭いてやってもいいんだがなあ」
そう言って懐から手拭を出そうとした時だった。
「文次郎、てめえ!何してやがる」
物凄い剣幕で走ってきたのは兄の留三郎だった。随分と都合の悪い時に見つかった。今日はひとりのようで、また大きな荷物を担いでいる。しかしそれを感じさせない速度で向かってくる。
ただならぬ殺気に俺は思わず手を離した。
「俺は、ただ……お前の弟が化粧をしていたから何故かと聞いただけだ」
「そんな筈ねえだろ!うちのそよを泣かせやがって、ただじゃあすまねえぞ!」
「嘘じゃねえ!俺はなにもしてねえよ」
何もしていない……というのは明らかに嘘なのだが、売り言葉に買い言葉、思わず怒鳴ってしまう。
いつものように言い争いが続く。かんかん照りの太陽が暑い。
いつの間に予算を寄越せだ、やれないだの言い争いに発展した時だった。
「留三郎!やめてください!もう、隠せません!」
そよの声が聞こえる。
留三郎に掴みかかろうとした俺ははっとそれが止まった。奴もまた止まっていて、しまったという顔をしている。
今、確かに留三郎と言った。そして聞こえた声はいつもより高く感じる。
「そよ、しかし……俺はお前を護りたくって……」
「もう生まれを嘆いても仕方ないことです。ここにいるときだけはわたし、もう嘘をつきたくないんです」
喋っているのはたしかに留三郎の弟だ。しかし、その兄弟図は逆転しているように見える。
「文次郎さん。すべてお話します。……留三郎、いいですか?」
「……そよに任せる」
「ありがとう」
留三郎は悲しげな顔をして、先に用具倉庫へ行っていると荷物を持って行ってしまった。
呆気にとられていた俺だったが、座ってくださいと言われるので大人しく従う。嵐の前の静けさのような雰囲気がそうさせた。
そよが手拭を取り出して、竹筒から水を溢す。丁寧に顔を拭ってから表を上げた。高い位置で結ばれていた長い髪を解くと、そこにはもう“弟”の姿はなかった。
「わたし、留三郎の弟じゃなくて、妹なんです」
「い……妹……?」
情けない声が口から出ていく。そよ、思えば確かに女性的な名前ではある。目の前にいたのは、楚々と微笑む年頃の娘だった。化粧を落として眉が薄くなって随分と柔らかい雰囲気になったが、やはり輪郭だけは留三郎に似ていた。
「わたしたちは同じ日、同じ刻に生まれました。いわゆる双子、というやつです」
双子、巷でそれは良いことだと受け入れられていない。忌み子とされ、殺されたり捨てられたりすることがあると聞いたことがあった。
そよが言うには食満家では殺すのも、捨てるのもどちらも出来なかったのだと言う。しかし世の目もある。女であったそよだけが隠されるように育って、十の時に三つ年下の遠縁の養子ということになったらしい。
「つまり、里では留三郎とお前は親戚で義理の弟ということになっているのか」
「はい。体格的に女だと年が同じだと気づかれてしまいますから。わたしは産湯につかる前に死んだことになっているのです。……なので普段は男の格好で過ごしています。ちょうど三つ下の弟に見えるように化粧をして」
だんだん無理が出てきてしまっているのですが、とそよは目を伏せた。
「留三郎はいつもわたしに対等に接してくれました。学校へも行けないわたしに読み書き、計算を教えてくれて、この間なんか女装用の着物を貸してくれて初めて娘姿で街へ連れて行ってくれました」
……そう言えば、と俺は少し前、休み後に起きた学園での騒動を思い出した。食満先輩がきれいな女の人と歩いていた、と噂が回ったのだ。興味もなかった俺は忍者の三禁に気を付けろ、なんて言ってそのまま傷だらけになるまで喧嘩をした。
思えば大切にしている妹を初めて“妹”として街へ連れて行った日だったんだろう。そう思うと少しだけ申し訳なくなる。
「なるべく両親や留三郎に迷惑を掛けたくなくて。誰かに気が付かれて食満の名が穢れる前に里を出て行った方がいいのはわかっているんですが……」
彼女は目を伏せて色素の薄い唇を噛んだ。つんと触れば泣き出してしまいそうだ。俺は言葉を選ぼうとした。だが正解がわからず思ったことを言う。
「娘の姿になれば見目は悪くねえんだ。気遣いも出来るし、嫁の貰い宛ては山ほどあるだろう」
「……気遣い、ですか?」
「ああ、いつも世話になってると団子やら饅頭やら持ってきてくれるだろう」
「あれは……!」
少し大きくなった“彼女”の声。目は見開かれ、頬を赤く染めている。なにか悪いことでも言ったかとびくりとすれば、恥ずかしげに眼を逸らしたのだった。
「文次郎さんだけに、買ってきたのです」
「何故だ?」
聞くとやはりそよは目を逸らした。
何故、目を逸らす?何故、俺だけに買ってきた?やはり後ろめたいことがあるのか、と恨まれても無理はない兄である留三郎の顔が浮かんだ。
「文次郎さんに、ほ、惚れていたから……です」
「は、はああああ?」
思わず頓狂な声が出た。いきなり何を言いだすのだろうか。
まさか、よもや、今まで同輩の、しかも弟だと思っていた娘にそんなことを言われると思うだろうか。何かの謀かと思っても、赤く染まりすぎた顔からそれを感じられない。
「……留三郎からお話は聞いていていました。それで学園に来た時に姿をお見かけして……何度かお話をしているうちにやはり、あなたに惚れていたのです」
とりとめのない、そして途切れ途切れの言葉。くのいちだったらわからないが、素人がこれをやったらたいしたものである。つまり、これは彼女の本心であった。
輪郭を除けば、双子にもかかわらず全く似ていないそよを眺める。自分の為にこんな表情になってしまって、なんだか愛らしく見えてくるのだ。
嗚呼、忍者の三禁がどうのと言っていた身が情けない。
「文次郎さん……?」
俺は芝の上に置かれた彼女の手に自分のを重ねる。何故気が付かなかったのか。十二の男の手がこんな細い筈がないじゃないか。
「ならば次は娘の格好でこい。そっちの趣味はねえんだ。それで俺が卒業するまで留三郎の弟であることを通せ、いいな」
「はい……!」
ふわりと花が咲いたように笑うそよに、俺もつられてしまうのだ。
後で聞いた話だが、用具委員会および同輩たちはそよの男装に気付き始めていたという。
仙蔵には何故気が付かない、と鼻で笑われ、伊作にはまあ骨格がねえ、と解説される。ろ組の連中はまあ、主に小平太からだが留三郎に妹がいたのか、可愛いのか、どんな子だと質問攻めにされ、あげくの果てには。
「潮江せんぱい、そよさんのこと気が付かなかったんですかあ?」
「あんなに好き好き光線が出ていたのにねえ」
なんて、福富しんべヱと山村喜三太に言われたのだ。
まるで自分が間抜けだと言われているようで腹が立ったが、気が付かなかったのは本当なので何も言えない。その後に
――文次郎!てめえ、そよ泣かせたらどうなるかわかってるだろうなあ
まぶたを真っ赤にして後輩や同輩たちに押さえつけられていた好敵手を思い出して、奴の妹であることを再確認させられたのだった。
あの溺愛っぷりだ。ただで寄越すとは思えない。
いずれ来たるその日を思って、俺は本日も鍛錬に励むのだった。
惚け者、始まりし恋
鍛錬のち、思ひ人をうかべれば
粧した御前、走り来たる
(亜美さまからのreq)
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