七末



 晴れのち曇り、驚きに注意。
 それは忍術学園、正門前での事だった。

「そよ! 私と恋仲になってくれ」

「……七松さん、お戯れはよしてください!」

 わたしは現在、荷物を持っていない左手をきゅうと痛いくらいに握られる。
 その手の主は七松小平太さん。忍術学園六年ろ組、体育委員長であらせられる。
 何度目かになったこの流れをその後ろで彼の後輩たちは呆れたように見ていた。その中のひとり、体育委員会の二番手を担う滝夜叉丸さんが手をあげる。

「七松先輩。そよさんはお仕事の前ですし、その辺にしてあげてください」

「そうですよ! 困ってるじゃないですか」

 一年生の金吾さんも応戦した時、捕まえるように握られていた手はあっさりと解かれた。

「そうか、すまんなそよ!」

「い、いいえ」

「じゃあ、帰るときに声を掛けてくれ。絶対だぞ」

 言い捨てるようにわたしに笑顔を向けると、さあ、いけどんマラソンだ、と正門を抜けていく。不安そうな顔つきの彼の後輩たちが申し訳なさそうに頭を下げて行った。
 わたしは強く握られた手をさすってその様子を見届けると、入れ違うようにして学園の門をくぐるのだった。
 握られていた手ずいぶん熱く感じた。
 どうしてこんなことになってしまったのか、とその発端である数月前のことを思い出す。
 確かあれはふた月ほど前の事だ。

――存分に力を発揮していらっしゃい

 あの日、そう六道辻ヱ門さまに見送られながら鍛冶屋を出た。
 戦で家族と家を亡くし、もう駄目だと彷徨っていたらたまたま六道さまに見つけられ、その命を拾っていただいた。
 たまたま、本当の偶然で刃物を研ぐ才を見初めていただき、女の身でありながら修行を積ませていただいた。
 そして十五に成ったこの日、めでたくひとりで仕事を任されたのだ。

 わたしの仕事は一般に研ぎ師、と呼ばれている。

 忍術学園は辻ヱ門さまが懇意にしていただいていると紹介してくださった。用具倉庫で管理している実習用の刀を研いでくれと依頼されたのだ。
 この仕事で貰える賃金は一人前の半分程度だが、その力を求めていただいていることがとても嬉しかったのだ。

「ごめんください」

 張り切って早めに出て無事到着して門をくぐったはいいものの、誰も見当たらない。不安に駆られながらしばらく左右を見回せば、声が聞こえてきた。

「そよさーん!」

 明るく元気な声は、先程わたしを庇ってくれた子だった。

「金吾さん! こんにちは」

 駆け寄ってきた彼の腰元はいつものように刀を下げておらず、その代わりに顔や頭巾が泥に汚れていた。

「忍術学園に来るなんて珍しいですね。戸部新座衛門先生にご用ですか?」

 金吾さんはいつもわたしに刀の手入れを依頼される戸部さまのお名前を口にした。それを聞いてわたしはいやいやと首を振る。

「本日は学園の依頼で来たのですが、どこへ行っていいのやらわからず困っていたのです」

「そうですか。ならば僕が学園長先生の元へご案内しましょうか」

「本当ですか? 是非お願いします」

 心強い背中を見つめた時だ。

「金吾、塹壕堀りの途中にどこへ行く?」

「七松先輩!」

 金吾さんはびくりと体を震わせた。声の方へ目を向けると、鉄紺色のふわりとした髪を持った殿方がこちらを見ていた。
 これが七松小平太さんとの出会いだった。
 その時、七松さんは金吾さんと同じく泥だらけで、手には苦無が握られていた。

「はじめまして。そよと申します。本日、刀の手入れで参りました」

「私は七松小平太だ」

 名乗りながら眩しいくらいの笑顔を向けられる七松さんに頭を下げる。するとわたしの目には左右の手に握られている苦無が目に入ったのだ。
 どうしてもそれに目を離せないでいると、金吾さんが身を屈めてわたしに耳打ちをする。

「そよさん、もしかしていつものあれが出ちゃってます?」

「う……は、はい……」

 わたしにはとんだ職業病というか悪い癖があった。研がれていない道具を見ると、どうしても研ぎたくなってそれ以外に目が向かなくなるのだ。金吾さんはその癖を知ってくれていて、苦笑いを浮かべている。

「七松先輩! その苦無、そよさんに貸していただけませんか?」

「な! 金吾さん、だめですよ。初対面の方の忍び道具に触れるなんて失礼です!」

 鍛冶屋に手入れ目的できた大名や武士、剣客ならまだしも、目前にいる七松さんは道具を手入れしてほしいとは一寸も思っていないはずだ。

「いいぞ!」

 それなのに七松さんはずいとわたしの前に苦無を差し出したのだった。

「わたしは細かいことは気にしない」

「こう言ってくださっていますし、もしまだ時間が大丈夫なのでしたらすっきりしてから仕事をした方がいいですよ」

 笑顔の金吾さんにわたしは差し出された苦無を手に納めた。

「……し、失礼します」

 ずしりと重みのある苦無。柄がきちんと巻かれていてずいぶん愛されているのが伝わってくる。
 わたしはその場で道具を広げて、苦無を研ぎ始めた。

「あまり手入れは得意でなくてな。助かる」

「そうなのですね。しかし、とても大切にしていらっしゃいますね。簡易的な研ぎで申し訳ないです」

「いや、好きに研いでくれて構わん」

 七松さんはわたしの手の動きを目で追っていた。
 刃物というのはその人の癖で欠けたり、薄くなったりする。そしてそれを見れば愛されているからできた物か、そうでないのかが伝わるのだ。
 苦無は高価であるから投げ捨てたり、すぐに買い替えたりすることも出来ないだろう。この方はとてもこの二本を大切に使われている。それをひしひしと感じた。
 わたしは懐紙でひと拭いすると七松さんに苦無をお返しする。

「すみません。お待たせしました。もし、具合が悪ければおっしゃってください。本日中は学園に滞在しておりますので」

「ありがとう」

 また眩しい笑顔をされて苦無を握る。そして、ああ、委員会の連中を放っておいてしまった、と慌てて戻って行かれた。

「そよさん、よかったですね。……さあ、学園長先生のところへご案内しますよ!」

「金吾さん……ありがとうございます」

 その後は学園長先生にご挨拶をして、用具管理主任の吉野作蔵先生に連れられて用具倉庫でひとり、黙々と仕事をした。
 用意されていた刀は五本。とてもすぐに終わる数ではない。それを伝えれば、明日から忍術学園へ通ってほしいのだと言う。わたしは勿論了承の意を示した。

「それではまた明日、参ります」

 わたしは挨拶をして、日が暮れる前に忍術学園を出ようとしたときだった。

「おーい!」

 門をくぐろうとした時に、誰かに止められて振り返る。
 鉄紺色の髪、深緑の制服、明るい笑顔。そして握られた苦無。
 先程会った七松さんだった。
 まさか苦無の研ぎ方悪かったのでは……と考えているうちに彼はわたしの目前まで距離を詰めていた。

「よかった。もう帰ってしまったのかと思ってな」

「や、やはり苦無の調子が悪いでしょうか? 申し訳ありません。明日、研ぎ直しますから!」

 先手を打って謝ると、七松さんははて? と言ったように首を傾げた。

「お前、何を言っている? 苦無の調子はすこぶる良いぞ!」

そう言うと懐にそれらを仕舞ってしまう。
それでは何故? と聞く前に、仕事道具を持っていた手を風呂敷ごと持ち上げられたのだった。

「そよ、と言ったな」

「は、はい!」

 蘭々と輝く瞳にはわたしが映っている。
 意図の見えないその視線にわたしは怖気付いた。
 まるで蛇に睨まれた蛙だ。今にも取って食われてしまいそうに詰め寄られる。
 ぐいっと顔が近づいて鼻先が触れそうになった時、彼はまた笑顔を見せたのだ。

「そよ、私と恋仲になってくれ!」

 ……あの日からだ。七松さんがわたしと顔を合わせる度に、恋仲になってくれと言うようになったのは。
 その後、わたしは何もできずに固まっていた。
 しばらく経って、たまたま通りかかった体育委員会のみなさんが駆け寄ってくれるまで情けなくも動けないでいたのだった。

――七松先輩、なにをしているんですか!

――そよさん? そよさん!

――まずいですよ、これ

――か、固まっちゃってるんだなあ

――なんだお前たち。わたしは何もしていないが

 あっさりと言う七松さんにまた驚かされた。その後のことはあまりよく覚えていないのだが、気がつくとに辻エ門さまのいる鍛冶場に戻っていたのだ。

「なんでわたしなんかに告白など……」

 わたしは記憶を頭の端に詰め込み、溜息を吐いた。
 下には荒い砥石。そして手には実習用の刀。学園へ通いこれらを研ぐのは実に四本目になっていた。
 あの日から約ふた月、その間に告白された回数は両手両足の指の数をはるかに超えている。

「……きっとからかっていらっしゃるんだ」

 泣きそうになりながらも、作業は丁寧に進めていく。
 こんなに泣きそうになるのはなぜか。そんなのは分かりきっていた。
 苦無から感じた道具への愛の深さ。そこ抜けない明るい笑顔。わたしはとっくに彼に惚れてしまっているのだ。
 だからこそ、あんな戯れのような告白は胸が痛むのだ。
 彼のように明るい人なら、引く手は数多だろう。
 あのような戯れ事も慣れていらっしゃるのだ。わたしはそれに白々と付き合えるほど大人ではない。

「そよ、終わったか?」

 そんなわたしの気も知らず、七松さんはこうして仕事終わりの時間になると用具倉庫へ顔を出す。
 気持ちはかき乱される筈なのに、強く来ないで下さいと言えない自分がいた。

「ええ、もう今日の分は終わりです。道具を仕舞って帰ります」

「今日は刀を持ち帰るのだろう?」

「はい。吉野先生に頼まれましたので」

 わたしの後方には刀が数本荷造りされていた。打ち直しが必要なほどに痛んでしまった刀たちだった。六道さまへの預かりものだ。
 わたしが頷いたのを見て七松さんはそれを軽々と持ち上げる。

「ならばわたしが持っていく。鍛冶場へ送ろう」

「そんな! 悪いです」

「細かいことは気にするな。早く仕度をしろ。行くぞ」

「お、お待ちください!」

 七松さんが歩き出す素振りをするものだから慌てて荷物をまとめる。わたしは考える暇もなく、道具を持って揃って門を出た。

「七松さん。往復して帰る頃には日が暮れてしまいますよ。やっぱり戻られた方が……」

「細かいことを気にするなと言っただろう? それに忍者のたまごが夜道を歩けずにどうする」

 これも鍛錬の一環だ、と笑う彼にわたしは俯いた。
 その優しさに胸が痛んだ。こういうことは他の御嬢さんともしている筈だ。それなのにわたしの心は昂ってしまう。期待をしてしまう。それが悔しく感じたのだった。

「……どうして」

 ああ、いけない。そう思ってもわたしの口からは言葉が滑る。

「そよ、何か言ったか?」

 これではまるで八つ当たりだ。

「七松さんはどうしてわたしに親切にしてくださるのですか?」

 わたしの瞳からは耐え切れず涙が流れた。
 どうして戯れに好きだと言うのだと、どうしてこんなにも心を乱すのかと、責めるような視線を向けてしまう。
 忍術学園の門の前、遠くからは生徒のはしゃぐ声がする。
 振り返った七松さんは驚いたような顔をしていた。そして困ったように眉を寄せて、口元に静かな笑みを作ったのだ。

「ここは門の前だ。行くぞ」

 驚くほど静かな表情で七松さんは歩き出す。
 わたしは涙を止めることができないまま、彼について行った。きっと呆れられた。仕方がない。どうしてこんなことを言ってしまったのだと痛む心を荷物で抑えたのだった。
 長く歩いたと思う。いつの間にか帰り道である山に入って、その途中、道祖神のある原っぱで彼は荷を降ろした。もうすぐ夕日が向かいの山へ落ちようとしている。
 ここまでずっと黙っているものだから、わたしも話し方を忘れてしまったようだった。
 その均衡とも言える空気を崩したのは七松さんだった。

「そよ……」

「……はい」

 久しぶりに出した声は掠れていた。乾いた喉がくんとなる。
 夕日を背に浴びた七松さんは普段よりもぐっと大人びて見えた。いつも輝いて見える瞳は、日が入らないからか静かに見えた。夜のようなその目に捕まれば動けなくなる。

「わたしの口癖を知ってくれているか?」

「こ、細かいことは気にするな……ですか?」

 何度も言われたその言葉を言えば七松さんは頷く。

「いつもこれを誰かに言っているが、実のところ私自身に言っているのだ」

 七松さんが一歩こちらへ近寄った。着物が景色の山の緑に溶け込んでしまいそうだった。景色に消え入りそうなくらい儚げに見える彼は一定の距離で止まる。

「……私の事が嫌いか?」

 咄嗟に首を横へ振ることしかできない。こんな静かな彼をわたしは知らなかった。
 そうか、と呟くように言ってわたしを見つめている。

「つまらない願掛けをしていた」

「願掛け、ですか?」

「私の名前は」

 急に問われて答えに詰まる。

「私の名前は何という?」

「ななまつ、こへいたさんです……」

 しっかりと言えば、そうだな、と笑う。
 わたしは早まる鼓動を抑えることができず、ただいつもとは違う雰囲気の七松さんを見つめるしかなかった。

「今朝でお前に恋仲になってくれと言った回数は七十八回だ。七の末、七十九お前に好いていると言いたかった」

「な、なぜ……?」

「私は器用ではない。愛を囁くに唄も読めん。好きだと思った数、そのまま伝えるしかなかった」

「そんな……戯れではなかったのですか?」

「そうか、本当に戯れに聞こえたか」

 七松さんは怒ったようにわたしの手首を掴んだ。引っ込めようにもその力の強さには敵わない。
 徐々に伸ばされた腕は、やがて彼の胸の前に来る。手のひらが左胸に当たった時に、大きく鼓動を感じた。

「これでも戯れと言ってくれるか?」

 どくどくと壊れそうなくらい鳴っている。
 普通であれば生きている証がこんなに早く脈打つ筈がない。それでも顔を上げれば七松さんの顔色はいつより静かだった。

「私はお前が好きだ」

――優しい指先が好きだ

――心根の優しいところが好きだ

――気の利くところが好きだ

――拗ねた時に赤くなる顔が好きだ

――たまに見せてくれる笑顔が好きだ

 手からは鼓動が、耳からは言葉が、わたしを攻めるように降ってくる。
 まるで戦場の火矢のようだ。逃げられないように射られてはその身を焼き尽くしてしまうようだった。

「七松さん……」

「なんだ?」

 遮るように言ったわたしに七松さんは言葉を止める。

「それじゃあ、七十九じゃなくなってしまいました。願掛けは失敗です」

「そうか。じゃあ今度は七百九十九にしよう」

 諦めるものか、そう言うものだから嬉しくて首を横に振るのだ。

「そんなことをしなくても……わたし、ずっと七松さんのこと……」

 言いかけた時、それが止められる。気が付くとわたしは七松さんの腕の中だった。
 耳にはただただ早い鼓動が聞こえていた。きっと自分も同じくらいの速さで心臓が脈打っている。

「いつか、私は立派な忍になる」

「えぇ」

 そうだ。こんなに忍具を大切に扱う人はいつか立派な、実力のある忍になるに違いない。城付きでもフリーでも、あっという間に有名になるだろう。

「そうしたら家を空けることが増えるだろうな」

「そう、ですね……」

 忍術学園の教師でさえ家を空けるのが長いと聞いていた。プロの忍ならどうなのだろうか。想像もできないが、きっと長く帰らないこともあるのだろう。

「それでも帰ってくる度に私の苦無を研いでくれないか」

「それじゃあ、まるで夫婦になるみたいじゃないですか」

 わたしは思わず笑ってしまう。今しがたあなたの気持ちを信じることができたばかりなのになんて気の早いお方なのだと。

「七百九十九に成る頃には首を縦に振ってくれるだろう」

「本気ですか?」

「私は嘘を吐いたことはない」

 初めて恋仲になってくれと言ったのも本気だった、そう言われればわたしの鼓動の速度はあっという間に七松さんに勝ってしまうのだった。

「細かいことは気にしないのではかったのですか?数を数えるのは細かいことですよ」

 照れ隠しに可愛くないことを言えば、七松さんの胸から顔を離される。
 覗いた彼の表情は、誠に不思議だ、と言いたげだった。

「お前は愛する者のことを細かいことだと言えるのか?」

 そう聞かれれば、わたしは顔を赤くして慌てていいえと首を振る。

「そよ!」

 何時ものように明るい声で名を呼ばれればわたしは同じく返事をする。

「なんでしょうか?」

 白い歯を覗かせて、形の良い眉を上げて、太陽のような笑顔でわたしに言うのだった。

「私と恋仲になってくれ!」

――私は器用ではない。愛を囁くに唄も読めん

 彼はこう言ったが、多分それは嘘なのだ。器用でない男が、顔色も買えずに七十八回も愛を告白することができるものか。
 実のところ策士な彼に囚われながら、わたしは是、と頷くのだった。
 そして次に聞ける“不器用な告白”を心待ちにしながら、再び彼の腕の中に戻るのだ。



七末


それは一種の宣戦布告
惚れた相手を逃すものか


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