その術、解けるべからず

恋だ愛だと始めようの続編です。


――それでは、行ってまいります。

 そう言って村を出て、早二刻。右を見れば高い塀が続いていて、目的地が近いことを教えてくれる。
 四角い風呂敷包み、これを忍術学園へ運ぶのが本日の仕事だった。その風呂敷には尾浜家の紋が印字してある。

「そよちゃん、悪いんだけれどこれを勘右衛門へ届けてくれるかい?」

 家へいらした尾浜家の奥さまに託された大切な品だった。
 わたしが尾浜勘右衛門さまの許婚になったのは九つの時。
 同じ年に勘右衛門さまが忍術学園へ入学されて五年が経っていた。それなのにわたしは初めてこの地を訪れる。

 今までは親が決めた相手だと思っていたが、この夏に想いが通じることができた。
 それから数日家を行き来しながら穏やかな時間を共に過ごしたが、学園から召集されて少しだけ早く戻って行かれてしまったのだ。それからまるまるふた月、勘右衛門さまとは会っていない。
 恋しさはあったが、もちろん勉学の方が大切である。わかってはいるのだがわたしは寂しさを感じながら彼のいない郷里で暮らしていた。

 やっと白い塀が途切れて忍術学園の看板が見えた。一番日の高い時間に来てしまったために流れた汗を拭う。
 立派な門の木戸を三度、叩いた。

「ごめんくださいまし」

 しばらくすると、紺色の忍び装束を着た方が出てきた。胸元に事務、と書かれているところから見ると事務員さんなのだろう。

「はあい、どちらさまですか?」

「あの、尾浜勘右衛門さまに届け物がありまして」

「はいはい、勘右衛門君ね。とりあえず入門表にサインを」

 わたしは渡された紙に筆を滑らせる。書き終わり、事務員さんに入門表を返した時だった。

「そよ!」

 わたしはその声に振り返る。建物の中から顔を出していたのは一番会いたかったひとだった。

「勘右衛門さま!」

 わたしが手を振ると、急ぐようにこちらへ走って来る。
 事務員さんはすぐに会えてよかったね、と微笑んで、勘右衛門さまが来る前にごゆっくり、とどこかへ歩いて行ってしまった。

「母さんから聞いてる。荷物ありがとう。遠かっただろう?」

「いえ、景色を見ていたらあっという間でした」

 勘右衛門さまと会えないふた月に比べたらほんの少しの時間だった。
 わたしはじっと勘右衛門さまを見る。初めて見る忍び装束の姿はいつもより凛々しく見えて、見惚れてしまう。それを伝えればありがとうと、照れ臭そうに笑うのだった。

「この後の予定は?」

「勘右衛門さまに荷物を届けたら近くの宿に一晩泊まって、夜明けとともに帰ります」

 夜に山を抜けるのは危険だからと、宿代を持たせていただいていたのだ。それを聞くと、勘右衛門さまは安心したように息をつかれた。

「それじゃあ、そこへ送って行くよ。その前に着替えなきゃいけないし、荷物を置きに部屋へ行きながら学園を案内する」

「……は、はい!」

 初めて訪れた許婚の学び舎。わたしは興味津々だった。
 勘右衛門さまの後をついて、賑やかな学園へ踏み入れた。立派な建物がたくさんあって思わず見回してしまう。
 彼の話を聞きながら学園内を散策した。たまにすれ違う後輩たちに声をかけれれて、それに応えていく。先輩としての勘右衛門さまを垣間見えた時、どうしようもなく胸が高鳴った。

「……そう、それで、そのとき後輩に見つかっちゃって大変だったんだ」

「ふふ、それは困りましたねえ」

 話をされていた勘右衛門さまは、ある部屋の戸の前で止まった。小さな声でここだよ、と教えてくれる。

「兵助!いるかい?」

 彼は部屋の中に声を掛けた。すぐに、いるよ、と声がすると扉が開いた。

「どうしたんだい?……ってあ!」

 顔を出したのは一瞬女性と間違えてしまいそうなくらいきれいな顔立ちをした殿方だった。勘右衛門さまと同じ制服を着ている。

「兵助、この子がそよ。俺の許嫁だよ」

 あまりに平然と言うものだからわたしは顔を赤くする間もなく頭を下げる。

「初めまして。如月そよと申します」

「僕は久々知兵助。勘右衛門とは同じ組で部屋が同室なんだ」

 そうだ、同室の方がいると勘右衛門さまが以前おっしゃっていた。この方がいつも聞いている勘右衛門さまのご学友なのだ。ちらと隙間から見えるお部屋は片付いて整然としていた。

「兵助、俺出かけるのに着替えるから悪いんだけどそよと一緒にいてくれないか?」

「ほう、ずいぶんと過保護じゃないか。……いいよ、僕も噂のそよちゃんとは話をしてみたかったし」

 久々知さまはにこにことこちらを見ている。勘右衛門さまはわたしの手にある包みを受け取った。

「そよ、すぐに着替えてくるから待っていてくれるかい?」

「はい、お待ちしていいます」

 久々知さまは意気揚々と部屋をでて、縁側に座った。こっちで待ってよう、というのでわたしも隣に失礼する。その様子を見た勘右衛門さまは静かに部屋へ入っていった。
 あまり同じ年頃の殿方と話すことに慣れていないわたしは、どうしたものかと俯く。すると久々知さまから言葉をかけてくれた。

「勘右衛門の話、聞きたいだろう?」

 きれいなお顔立ちに似合わず悪戯っぽく言うものだから、わたしは興味本位で頷く。

「これは耳がタコになるくらい聞いた話なんだけど。勘右衛門、忍術学園に入学するのがいやだったんだって」

「そ、そうなのですか?」

 初めて聞いた話だった。わたしの中の勘右衛門さまはいつも勉強熱心で、あまり村へは帰ってこない。てっきり忍術の勉強が好きなのだと思っていたのだ。

「そうなの。“あること”をしないと入学しない! なんて駄々をこねてね。ご両親がすごく困られたみたい。……そのあることってなんだと思う?」

 さっぱりわからない、そう首を傾げる。すると久々知さまは教えちゃおっかなあ、と少しためらって、それからまた悪戯っぽい笑みを向けられる。

「如月家の次女を許嫁にしなければ絶対に入学しないと言ったんだって」

「え、ええ!?」

 でまかせだろうと思った。そんな話、勘右衛門さまから一度だって聞いていない。

「その時、君のお父さまはかなり渋ったそうだよ」

 そう言えばと、冷静に振り返る。
 わたしが九つの時、今は旦那さまと幸せそうに暮らしている姉さえお嫁に行ってなかった。姉と、それから来春お嫁さんを迎える兄を差し置いて許婚が決まるなんて本来、許されないことだ。
 今考えれば自分の置かれていた状況は相当おかしなものだったと自覚する。

「でも、そよちゃんのお父様がある条件を出して認めたようだよ」

――忍術学園へ入学して、きちんと学び、成績優秀のまま卒業すること

 驚きのあまり目を白黒とさせていると、久々知さまは満足そうに微笑んで、それからこう付け足した。

「勘右衛門ってさ、涼しい顔してなんでも卒なくこなすけど、普段はすごく努力してるんだ。そういうところ、すごく尊敬してるの」

「……知りませんでした」

「きっとそよちゃんの前では格好つけてるんだよ」

 冷やかすように言われる。わたしは久々知さまの言葉に涙が出そうになった。
 学園へ入ってあまり帰っていらっしゃらないのも、帰って来ても勉強や鍛錬に打ち込んでいるのも、わたしの為だったのだ。それなのに自分は寂しいだとか会いたいだとかなんて浅はかなのだろうか。

「そよ、お待たせ」

 すん、と鼻を鳴らした時に勘右衛門さまが戸を開けた。いいえ……と振り返れば、すっかり私服に着替えた彼がいる。勘右衛門さまはじっとりとした視線を久々知さまに向けた。

「兵助、余計なこと言ってないだろうなあ?」

「言ってない言ってない」

「二回繰り返すなよ」

「普通に話していただけだよね?そよちゃん」

 わたしは久々知さまの問いかけに慌てて、はい、と返事をする。

「まあ、いいけどさ。……じゃあ、出掛けてくるよ」

「あれ?他の奴らには会いにいかないの?」

「うーん、ろ組に連れて行くとやっかいなことになりそうだからなあ」

 勘右衛門さまは眉根を寄せられた。それを見て久々知さまは確かにね、と苦笑いなさる。

「まあ、久しぶりに会ったんだろう。今日は二人でゆっくりすれば?」

「そうするよ。兵助、ありがとう」

 そう言うと、勘右衛門さまはこちらを見て、さあ、行こうかと声を掛ける。

「久々知さま、お邪魔しました。ありがとうございました」

 わたしがお礼を言うと彼は手を振って、また何時でもおいで、と部屋へ戻って行かれた。
 勘右衛門さまは静かに手を握ってくださって、それから元来た道を歩き始める。
 終始なにも喋らず、わたしの歩幅に合せて歩いてくださる。いつもはたくさん話をしてくれるのに、あまりに静かに歩かれるからなんとなく話しかけられずに黙ってついて行った。
 そして、忍術学園の門を出た時、勘右衛門さまはやっと口を開いたのだった。

「兵助となにを話していたんだ?」

 わたしは久々知さまと話していたことを思い出して、胸がカッと熱くなる。

「ええと……勘右衛門さまのことを」

「ええ? ……俺のこと、かあ……」

 勘右衛門さまは照れたように頬を掻いた。

「その……勘右衛門さまが入学する時に、駄々を……こねたと……」

 途中で恥ずかしくなって声が小さくなる。
 隣を見ると、彼は少し頬を赤くして、それでも満面の笑顔でこちらを向いていた。

「そうだよ。……ずっとそよに俺のところへ嫁いでほしくて頑張ってる」

 わたしとは違いあまりにも恥ずかしげなく言うものだから、こちらが照れてしまう。

「そ……そうでしたか」

 熱くなった顔を繋がれていない方の手で仰いでいれば、勘右衛門さまが覗き込んできた。

「その顔を見れたら安心した」

「安心……ですか?」

「さっき兵助と話しているのを見てたら、当たり前だけど俺がいないうちにもこうして他の男と話す機会があるんだなあって思った」

「他の殿方とお話しするのは嫌でしょうか?」

 それならば、と言いかけたとき勘右衛門さまは首を左右に振る。

「俺は君が他の男に惚れてしまっても構わないと思ってるよ」

「そんな……! そんなことはありません!」

 わたしはつい声を荒げる。そんな寂しいことを言わないでほしかったのだ。
 勘右衛門さまは立ち止まって、わかっているよ、とわたしの手を両手で包む。目を細めて顔を綻ばせて、嬉しそうに笑った。

「もし、他の男を見たとして。……それでも最後に来るのは必ずこの勘右衛門のところだ」

 そんなことを言われたら、余計に他の人を見れるはずがない。

「勘右衛門さま……」

「なんだい?」

 片方の手を離して勘右衛門さまは再び歩き出す。わたしはふた月の間思っていたこと、そして今日気付いたことを伝える。

「わたし、勘右衛門さまがこんなに想ってくださっていることを知らずにわがままばかり思っていました。もっと会いたいと……さみしいと。それをお許しください」

「謝っているのかい? 俺には睦言にしか聞こえないなあ」

 からかうように言う勘右衛門さま。わたしは違います、と怒ってみせる。それでもそんなのは態度だけで、それが透けて見えるのだろう。相変わらず勘右衛門さまは嬉しそうに笑っていた。
 それからはまた取り留めのない話を繰り返して、まるで会えなかったふた月の溝を埋めるようだった。
 いつの間にか日は西に傾いていて、後数刻もすれば茜に染まるのだろう。吹いた秋風が昼間の日照りとは違い、涼しく感じる。

「ああ、俺も宿に泊まっていこうかな」

「な……? 勘右衛門さま!?」

 段々と宿の場所が近づいてきた時だ。ぽそりと勘右衛門さまがそう言ったのだ。
 てっきり宿へ送っていただくだけだと思っていたから心の準備も何もない。また鼓動が早くなって、自分がひどくはしたなく感じる。

「……冗談だよ。今日は忍術学園へ戻るよ」

 宿のある街の入り口前。大きな一本杉の下で勘右衛門さまが立ち止まる。動かぬ足がここでお別れだ、と言っているようだった。

「ありがとうございました、お気をつけて」

 鼓動が静まれば、少し残念だと思う自分がいた。何を期待していたのだろうか、恥ずかしくなって自分を叱咤する。

「そよ……一つだけ言っておくけれど」

 勘右衛門さまは繋がれた手を離さずにこちらを向く。それどころかもう片方の手も重ねられる。わたしは勘右衛門さまの手に包まれるのがたまらなく好きだった。

「君に魅力がないだとか、そういう話じゃないんだ」

 心を読まれたようでどきりとした。
 勘右衛門さまへ想いが通じてからわたしたちは清い付き合いをしていた。手は握るし、髪にも触れるけれどそれ以上はない。
 わたしは勘右衛門さまよりひとつ年が下だ。正直、触れたいとかの愛欲はまだわからない。しかし勘右衛門さまはどうなのだろうか。一年というのは私たちの年頃には大きすぎる差だ。勘右衛門さまが欲というのを知っていたとする。それでもわたしに触れてこない理由を浮かべては不安に思っていた。
 触れないのは自分に魅力がないからではないか、と。

「どういうことでしょうか……?」

「大切にしたい。中途半端な心持ちでそよに手を出したくないんだ。俺にはまだ一年学園生活が残っている」

 それでも自分は男だから、同じ部屋で眠る自信がない。そう困ったように言うのだった。

「……ごめんなさい」

 いつも勘右衛門さまは一歩も二歩も先のことを考えている。わたしのことを一番大切に見ていて下さる。それに気が付く度に自分の浅はかさを思い知らされるのだ。

「謝らないでくれ」

「でも……わたしは……」

「そよ、ずるい俺を許して」

 そう言うと勘右衛門さまが屈む。わたしを映す瞳が近づいてきて、それが見えなくなる。
 勘右衛門さまの鼻尖がわたしの小鼻に触れた。
 ほんの一瞬、唇に暖かいものを感じて、途端に離される。

「……な、な……!」

 それは小さな口付けだった。わたしの顔は一気に上気して、今日一番心の蔵が高鳴る。思わず触れられたところを手で覆った。
 勘右衛門さまは触れそうなくらい近い所でわたしを見ている。その熱を持った瞳は大人びていて知らない人だと思うくらいだ。
 ふ、と口の端から息をもらして彼は笑ったようだった。

「俺はね、そよが思っているような誠実な男じゃないよ」

 自嘲するように言う勘右衛門さまは笑った。
 切なげに眉を寄せているのに、口元は悪戯っぽく弧を描いている。そのあべこべで釣り合っていない表情がとても色っぽく見えたのだ。

「他の男に惚れても良いと言ったけどそうさせるつもりはない。手を出したくないと言ってもこういうことをする。そう言う男なんだ、俺は」

 口から出た台詞とは似つかない、さわやかな笑顔でわたしを見おろす。彼の瞳にはぼんやり顔のわたしがいた。

「……まるでわたしは術中はめられてしまったようですね」

「そうだよ。すごく苦労したんだ」

 別れを惜しむように身を寄せる。勘右衛門さまの腕が背を回って優しく抱き寄せてくれた。

「十の時から術を掛けてたんだ。報われないと困る」

「それって勘ちゃん、勘ちゃんと追いかけていた時からですか?」

 わたしはたった今思い出した幼い記憶を呟いた。今は呼ぶことがない幼い頃の呼び名だった。

「そうだよそよちゃん。知らなかっただろう?」

 ああ、どんどん落ちていく。出口のない蟻地獄のようだった。
 勘右衛門さまの掛けた術が永遠解けることのありませんように。そんな叶い切ったことを願いながら、来たる束の間の別れを惜しんで更に身を寄せるのだった。



その術、解けるべからず


知っておくれよ、俺のこと
嵌っておくれよ、深みまで


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