ひゅうがあおいが咲くきせつの前話
どうやってふたりが出会ったか



春の初旬。
春はなにをするにも良い。筑紫をはじめ、生命の息吹を感じる頃、わたしは籠を背負って山に入り行っていた。
菜の花、蒲公英、春の花
それらを収穫するのが今日の目的である。
父は流れの薬師をしている。それの手伝いで、こうして薬草を詰みに来ることが多かった。
わたしは右手に花や薬草、毒草の種類が書かれた書物を握りながら前進する。今日は特に片喰、という花を求めていた。
片喰は酢漿草とも呼ばれ、黄色い花を咲かせる。よくある雑草だ。それなのに関わらず今日はひとつも見付けられなかった。

「おかしいなあ、そんなに珍しくない草なのにな……」

諦めて、家近くへ引き戻そうとした時だ。
がさり、と草むらが揺れる。
わたしはとっさに背負っていた籠を降ろした。

――まずい。この辺はよく獣が出ると言われているんだわ

がさがさと大きくなる音に血の気が引いていく。嫌な汗が背を伝った。
もし、熊だったら……確実に命の保証はない。猪だったとしても突進されでもしたらタダでは済まないのだ。
こんな山奥で獣に食われたら誰も見付けてくれないだろう。

――ああ、父さま、母さま、ごめんなさい。

朝方に気を付けて行ってくるのよ、と見送ってくれた家族の顔。
それらが脳裏に浮かんだ時だった。

「なんだ、人か。こんなところで何してるんだ?」

「ひゃあ!」

聞こえた声に驚いて右手に持っていた本を離してしまう。
目を開けると草むらからひとりの男が飛び出してきていた。鉄紺色の髪に枝やら葉をつけて、首を傾げている。
固まってしまっているわたしを余所に、彼はさっき放り出してしまった本を持ち上げた。

「おお、薬草取りをしていたのか。驚かせてしまってすまなかったな」

「い、いえ……大丈夫です」

絞り出すように発した声はまだ震えている。嫌な汗も止まらなかった。なぜならその人は忍び装束を身に付けているのだから。

――忍者に会ったら気を付けなさい

昔から父と母に言われてきたのだ。陰の存在……忍。その目的のためには手段を選ばない。父は薬師をしていて、その身、知識を狙われたことがあったという。
それが今わたしの前にいるのだ。

「そうか、怪我もなさそうだな」

身構えたが忍者はまるで忍ぶ気もないように快活に笑い、それからわたしの本を持ってどこかへ行ってしまった。
待って、と止めたかったが書物を返してしてもらおうとして命を狙われては元も子もなない。わたしは籠を背負い直して早くその場を離れることを選んだ。薬草は全く足りていないが、叱られるほうが何倍も良い。
しかし、後ろを向いた時、草むらから声が届いた。

「おい!待て」

あの声だ。わたしは恐る恐る振り返った。

「は、はい。なんでしょう?」

その忍は、髪に絡ませた葉や枝を増やして、やはり笑っていた。

「ほら、これを探しているんだろう?」

差し出されたのは、黄色い花……片喰だった。

「か、かたばみ!ありがとうございます」

彼は片喰とわたしの持っていた本を渡してくれる。

「あちらにたくさん咲いていたぞ」

「今日はどこを探しても見つからず……ありがとうございます」

何度も何度も頭を下げる。その人は満足そうに笑んでいた。

「あ、あの。よろしかったらお名前を……ああ、でも忍の方にお名前を訪ねるなんておかしいですね。失礼しました」

「いいや、私は細かいことは気にしない。私の名は……」

覗かせた白い歯に、何を怖がっていたのか分からなくなる。
深い山の中で偶然出会った彼は、忍に似つかない大きな声で言うのだった。