01


「例の話はなくなりましたので、そのご報告です」

携帯電話から無機質に告げられる。
それはわたしが諦めていた望みだった。
しかし絶対に叶わないと思っていたもの。
上手く返答ができないわたしにしびれを切らせたのか、電話の相手は淡々と要件のみ紡いでいく。

「他に言伝は預かっておりません。
では、また何かご報告がありましたらわたしからご連絡いたします」

本当に用件だけ告げて、終話した。
あの人はわたしの心配などしていないことはわかっている。
いつも自分の保身と成り上がるためだけに動いているのだ。

急に訪れた緊張から解放されて、ふうと一息つく。
思わずしゃがみ込み、膝を抱えて顔を覆った。
眩暈がする。
緊張と嬉しさで息苦しい。
何があったのかまでは報告されることはないが、政略結婚の話はなくなったのだ。
自分の親よりも年上との結婚。
あの人が成り上がるためだけの結婚。
運命なんだと納得している仮面をつけていたのに、あの男の視線は恐怖でしかなかった。
それから何故か解放されたのだ、嬉しさがこみあげてくるのも仕方のないことだ。
でも、どうせまた次の相手が選ばれる。
それまでの間にまた仮面をつけなおさなければ……。

「大丈夫ですか?」

ふいに掛けられた声に我に返った。
顔を上げた先には、心配そうにのぞき込む眼鏡越しの黒い瞳。
同じく黒い猫毛の髪をした同い年くらいの少年だった。
彼は目の前にしゃがみ込んで、わたしと視線を合わせる。

「具合悪いんですか?」

「あっ、いえ、大丈夫です。少し眩暈がしたので、休んでただけで……もうよくなりましたから」

誤解を招くとよくないので、両手を横に振って大丈夫であると訴えた。
そうだ、ここは四軒茶屋の駅前だ。
電話の内容でここが人多い場所であることを忘れていた。
こんなところでしゃがみ込んでいたら目立ってしまう。
気恥ずかしさが込み上げてきて、思わず顔を覆った。

「……本当に……大丈夫です。声をかけてくださってありがとうございます……」

「……そうですか、それならよかった」

わたしの照れ具合が面白かったのか彼は少しだけ笑って、それじゃあ、と去って行った。

周りにはたくさんの人がいたけれど、声をかけてくれたのは彼だけだった。
心配されることに慣れていないわたしは、彼の背中が見えなくなるまで目で追ってしまった。
もう会う事もない、名前も知らない人。
そう思っていたのに、それが覆されるのはすぐ後のこと。

これが御守瀬那というわたしが、来栖暁という怪盗に初めて出会った日。
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