02
「こんにちは」
「おお、瀬那ちゃん、いらっしゃい」
喫茶店ルブランのマスター、佐倉惣治郎さんが今日もわたしを温かく出迎えてくれる。
アルバイトのない日や、終わった後も時間があればここに顏を出して手伝いをしている。
わたしにとって貴重な場所。
惣治郎さんは何かを察してかあまり深くわたしのことを聞いてはこない。
その上で手伝いのお礼といって美味しいカレーとコーヒーを出してくれる。
バイト先のファーストフード店の賑やかさも嫌いではないが、やっぱり静かな方が落ち着ける。
そして何より、寝泊りしているアパートにはないテレビがある。
「遅くなってしまってすみませんでした」
あれから自分の顏を見ていないので顔色が悪かったら嫌だなと思い、精一杯の笑顔を向ける。
惣治郎さんはカウンターに座ったままで、いつもの調子で優しく答えてくれた。
「気にすることじゃない、どうせ今日もこんな感じだから」
ルブランのコーヒーは美味しいのに、何故かいつも空席が目立つ。
今は夕方なのでそれも仕様がないことなのだが。
「あのな、瀬那ちゃんに紹介しておく奴がいてな……訳あって今日からここで居候する奴がいるんだ」
「……ここって、ルブランの2階ってことです?」
「ああ、家は……わかるだろ?」
確かに惣治郎さんの家は難しいだろう。
しかし、その上で誰かを預かる事情とは……しかもルブランの2階は、住むと考えると屋根はあるが個室にはならないのでプライベートなんてない。
わたしからは到底聞くことなどできない事情があるみたいだ。
思案していると、トントンと2階から件の居候が降りてきた。
「惣治郎さん、とりあえず寝る場所だけでも片づけたいんですが……」
「……あ」
覚えのある視線と交わった。
黒髪の猫毛で黒い眼鏡の奥に優し気だが意思の強い眼差し。
四軒茶屋駅でわたしに声をかけてくれた、あの少年だった。
「今からやるのか……まぁいいけどよ。とりあえず先に紹介しておく、こいつが今日から居候する来栖暁だ。こっちはここに手伝いに来てくれてる御守瀬那ちゃん」
「……えっと、はじめまして、御守瀬那といいます。よろしくお願いします」
「え……ああ、はじめまして……来栖暁です。お世話になります」
とっさに、はじめまして、を強調して深々と頭を下げて挨拶をした。
来栖くんも何かを察してか、わたしに合わせてくれた。
「掃除道具はそこの扉んとこにあるから、好きに使え」
彼が何者なのかもそうだが、それよりももっと気になる事があった。
上階から降りてきた彼が言っていたことだ。
もしやとは思ったが、わたしも2階をどうこうした覚えが全くないのだ。
「惣治郎さん、2階、もしかしてあのままなんです……?」
ルブランの2階は物置を化していて、全く掃除が行き届いていなかった。
来栖くんが住むってことは前もってわかっていたであろうに、人が寝泊りできる状態にしようとしている様にみえなかった。
惣治郎さんは尊敬できる人だけれど、少し呆れたように聞いてしまった。
「いいんだよ、こいつには最低限自分のことは自分でやってもらわなきゃな」
「でもさすがに埃まみれの中で寝てくださいっていうのは可愛そうです」
「いや、いいんだ。これから少し片づけようと思ってるから……」
この穏やかで優しい少年に、物置のような場所で生活しなければならない事情があるのか。
「そうだ、わたしも手伝います」
え、と戸惑いの来栖くんと惣治郎さんの声が重なった。
「今日のお手伝いは2階の掃除でいいですよね?わたし、ずっと前から言ってましたよね、使わないものは捨てた方がいいですよって。埃もすごいですし……」
「あの、俺、一人で大丈夫ですから」
「一人より二人の方が早く片付きますよ」
良い案だとでもいうように両手を胸の前で合わせて、惣治郎さんへ却下させないように微笑む。
はぁ、とため息をついて、首を掻きながら惣治郎さんは白旗を揚げた。
「……俺が帰るまでよろしく頼むわ」
「はい、ありがとうございます。それじゃ、さっそくやりましょう」
日が暮れてしまうまで、あまり時間はない。
早々に始めてしまわないと。
掃除道具を持って、困ったように苦笑いをする来栖くんと共に2階へ上がった。
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