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心地いいドアベルの音が鳴る。来客を告げる合図だ。来店の挨拶をしようとしたが、入ってきたのが見知った人物だったので店員として対応するのをやめた。

「こんにちは、みなさんお揃いですね」

「よ、瀬那」

先頭で入ってきたのは坂本くんで、いつもの三人が来栖くんの部屋へに遊びにきたようだ。コーヒーの匂いを肺に取り入れて満足げな高巻さんが手を振る。

「メッセージ送っても返信ないからダメかと思ったけど、ちょうどよかった!」

「あ、鞄の中に入れっぱなしでした、すみません……」

頭を振って、いいの、と高巻さんは笑顔で答える。店内が急に騒がしくなったからか、水場仕事を切り上げて惣治郎さんがカウンターに出てきた。

「おかえり、友達か?」

「ただいま」

「お邪魔します!」

天真爛漫に高巻さんは挨拶をした。友達を連れてきたこととそれ以上に女の子である高巻さんがいることに惣治郎さんは目を見開き言葉を失っていた。よくみると彼女は葱がはみ出たスーパーの袋をぶら下げている。そして、喜多川くんはスーツケースの他に大きな荷物を持っていた。

「急で申し訳ないのですが、彼、祐介をここに泊めてあげて欲しいのですけど」

「あの、住む場所に困っていて……ダメ、ですか?」

高巻さんに続いて、恐る恐る来栖くんが惣治郎さんへお伺いをする。居候が居候を連れてくる、という立場の申し訳なさからか。喜多川くんはあのアトリエから寮に移り住んだのではなかったのか。

「構わねぇよ、今更一人増えたところで大した変わりはねぇ。但し、問題は起こすなよ」

「お世話になります」

深々と頭を下げる喜多川くんに対して、惣治郎さんは煩わしそうに右手を払った。ほっと胸を撫でおろしている来栖くんが彼らの後ろに見えた。と、急にそこに坂本くんの顔が割り込んでくる。カウンターに身を乗り出して、両手で肩を掴まれた揺さぶられる。

「これから鍋やんだよ!瀬那も来るよな!?」

「え、あのっ、えっと」

「落ち着け竜司……瀬那、困ってる」

わたしに伸ばされた腕が来栖くんによって止められる。興奮しすぎると周りが見えにくくなるところが坂本くんらしいといえば、らしい。鍋をやる、とは……食品を購入してるところから察するに、みんなで囲んで鍋料理を食べるということか。初めての機会に戸惑いと期待が混在している。しかし、今はルブランの手伝い中だ。義務ではないが、だからこそ投げ出して参加することは気が引けた。

「行っておいで、メシは大勢で囲んだ方が旨いぞ」

「でも……」

「客もまばらだしな、行きたくないなら別だがよ」

惣治郎さんはいつもわたしの気持ちを考えてくれる。言い方はぶっきらぼうだが、言葉は温かくて、建前など捨てて本音を出してしまっても捨てられることはないと、勝手に思ってしまうのだ。
胸に手をあてエプロンを握りしめる。俯きながら出した答えは尻すぼみになったが、わたしの声はみんなに届いた。

「い、きたい……です……」

「うし!決まりだな」

ガッツポーズをしながら坂本くんたちは先に二階へと上がっていく。残されたのは来栖くんと鞄に入っているであろうモルガナだ。

「鍋なら、どっかにあるはずだ。瀬那ちゃんに聞いて、持ってけ」

わたしの頭を優しく撫で、惣治郎さんはコップを拭き始めた。頭に触れられても嫌悪感が湧かないのは惣治郎さんくらいだ。面と向かって言うときっと受け取っては貰えなさそうなので、小声でお礼を告げる。カウンター内に入ってきた来栖くんと合流し、水場の下辺りでみた記憶があったため二人で屈み探すと大きな土鍋を見つけた。来栖くんと頷き合って、それを持って二階へと上がる。みんなで囲む鍋とは、いったいどのくらい美味しいものなのだろうと、胸を弾ませていた。




高巻さんとわたしはソファに腰かけて、男の子たちはそれぞれ椅子を置いて机を囲んだ。食材はなんてことないスーパーで売っている特売品ばかりだったが、手の込んだ料理や自身で作るものよりも美味しかった。ただ切って煮込むだけだというのに、これが惣治郎さんが言っていたことなのか。思いのほか食べ過ぎてしまうことだけが難点だと感じた。

「もう食えね……」

「美味だったぜ。アン殿、きっといいお嫁さんに……」

「瀬那も一緒に作ってるし……あふ、ごめん、ちょっと膝借りる」

「……はい?」

言うが早いが高巻さんはソファに横になり、わたしの膝を枕替わりにして瞳を閉じた。坂本くんとモルガナは身を乗り出しスカートの中を覗こうとしていたが、キッと鋭く睨まれ追い払われる。シメを食べたいと喜多川くんが呟いている間に、高巻さんの頭はどんどん重くなって、すぐに寝息が聞こえ始める。

「疲れてんだろ、寝かしといてやろうぜ。しっかし、いいな……女子同士だと」

「お腹一杯になったら眠くなりますものね」

「いやあ……そういう意味じゃねーんだけどさ」

坂本くんから羨望のまなざしを向けられる。仮眠するならベッドくらい貸してくれると思うのだがそうではないらしい。

「時に竜司、杏とはどういう関係だ?」

「別に、同じ中学っつーだけだよ」

高巻さんは帰国子女でこの見た目のせいで友達は多くなく、高校でクラスが別れるまではそれなりに仲が良かったのだと、坂本くんは聞かせてくれた。親しそうだが、微妙な距離感を二人の間に感じたのは間違いではなかった。

「お前たちはどうだったんだ?」

「俺ら……?」

「俺の過去はすっかり知られたんだ、互いを知るにはいい機会だと思わないか」

穏やかな顔で喜多川くんは提案する。自身の辛い過去を吹っ切るにはまだ早いだろうに、こんな風に話ができるのはわたしたちが既にそれを知っているからだろうか。
しかし、わたしのことも聞かれているとするなら、どこまで話すべきか。

「そういうことか。いいぜ、ただの親不孝もんの話だけど」

迷っていると、坂本くんがぽつぽつと話し始める。母親と二人暮らしなこと、陸上で特待生を目指していたが鴨志田の挑発を許せず手を出してしまったこと。

「……お袋、学校に呼び出されて、ずっと教師連中から言いたい放題言われてさ。そんときお袋、じっと我慢してた。帰り道に謝られたよ。片親でごめんって。別にお袋は悪くねえのに。そん時の顔……今でも忘れらんねえ」

「そんな事があったのか……」

腕を組み表情を変えることなく淡々と語っていたが、話終わると破顔して来栖くんを指さす。

「まあ、レッテルつったらこいつこそ大概だけどさ」

「ワガハイは詳しく訊いたことなかったな」

思えば、来栖くんが何故ルブランへと越してきたのか知らない。気軽に訊けるような理由ではないとは思っていた。

「少し、長くなるけど……」

それはまだ深夜というには早い時間だった。家路の途中で嫌がる女性を無理やり連れ帰ろうとする男性がいた。女性は来栖くんと目が合うと、助けて、と言ったそうだ。見て見ぬふりはできなかった。二人の間に割り込むと男性が殴りかかってきたが、酔っているらしく足元が覚束ずに転倒。その際の怪我を来栖くんが殴りかかったことにされた。彼が庇った女性は男性に虚偽の証言を強要されて……。警察はその男性の言いなりだったという。そして、誰も来栖くんの言うことを信じてくれなかった。

「何度聞いてもムカつく話だぜ」

「傷害事件の……加害者?」

坂本くんは知っていた。初めて秀尽学園を訪れたときに生徒がしていた噂話。転校生、前科、暴力。これは全て来栖くんを指していたのだ。これが学園内に流されれば、同じ学校の二人が知らないはずがない。

「……保護観察中なんだ」

ということはまだ実刑は下されてはいない?でも世論的に彼は罪を犯した者として認知されている。まさか血縁者でもない惣治郎さんのところに越してきた理由が、保護観察だとは思わなかった。これがあの人に知られたら……体面を気にする人だ、最悪連れ戻され、自室に入れられる。
あともう少しだけで終わる生活だが、それでも途中で終わってしまうのは残念だ。せっかく、こうして気に掛けてくれる人たちが出来たのに。しかし、来栖くんと知り合ってもう二ヶ月経つ。婚約破棄の連絡以来、何の音沙汰もないのだから大丈夫だ。きっとわたしは不要になったのだ……。どんな扱われ方をされようと、その単語を想像するだけで息苦しくなる。わたしもまた愚かな人間だ。

「瀬那も何かあるのか?」

「え」

喜多川くんの声で現実に引き戻される。本当なら話題になったときに退席するのが賢いやり方だったが、来栖くんのことが知りたかった、だから残った。わたしだけが黙っているわけにはいかない、全ては話せなくとも。

「わたしは両親の顔も名前も知りません。産まれてすぐに孤児院に棄てられていたと聞いてます」

みんなは呆然としていた。来栖くん程の衝撃はないと思うのだが、あっさりと言い切ったことでどう言葉をかければいいのか、迷っているようだった。暗くなってしまう話題、そうならないように何も不自由していないと伝えなければならない。俯いて震えないよう握りしめた両手を見つめた。真実を混ぜていても、あの人ことを話すのは勇気がいる。

「今は養父に恵まれて普通以上の生活ができていますから、わたしなんて全然……」

ありえねぇ、坂本くんが強い口調で吐き捨てた。

「世の中、間違ってるぜ!てめえの都合で棄てたり、罪被せたり……、身勝手な大人が弱いもん踏みつけてのうのうとしてよ!」

「そういうヤツの心こそ盗むべきなんだ」

モルガナも毛並みを逆立て彼に同調する。そこへ喜多川くんが冷静な声で提案した。

「俺たちなら正せるんじゃないか?怪盗団が正しい『正義』を見せつけて、世間の目を覚ましてやればいい」

「ああ、そうだぜ!その為に授かった力だろ、絶対っ!」

「いいんじゃねえか!仕事は派手にやったほうが気持ちいいしな!」

三人で盛り上がり押さえ気味だった声もだんだんと大きくなっていった。坂本くんにいたっては椅子から立ち上がって胸の前で拳を掲げている。それのせいで、少し前から膝の重さがなくなったとこに気がついていたが、膝枕で寝ていたはずの高巻さんを起こしてしまったようだ。

「何、熱くなってんの」

「悪ぃ……起こしたか?」

「ううん、途中から起きてたし……でも、不思議だね。自然と集まっただけなのに、似た者同士ばっかり」

「類は友を呼ぶ、って言います」

わたしは高巻さんと顔を見合わせると、妙に納得した顔をしていた。ロクなもんじゃねえけど、と坂本くんも嬉しそうにしている。あまりいい内容ではなかったが、こうして集う理由になったのなら全部が悪いものではないと思えたからかもしれない。
そんな中、モルガナだけが沈んだ面持ちでつぶやいた。

「似た者同士か……ワガハイだけ違うな、振り返れるほどの記憶はないから……」

この黒い猫は過去の記憶を失っていると聞いていた。わたしたちが昔の話をしていて、自分だけ除け者になっていると感じてしまったのか。そんなつもりは毛頭なかったので、底抜けに明るい声で坂本くんが笑い飛ばし、喜多川くんも当たり前のようにそれに続いた。

「何言ってんだ。お前以上のはみ出しモンなんて世界中探したってそういるかよ」

「過去を取り戻すために、メメントスへ行くんだろ?」

「きっと、俺たちみたいにロクでもない過去だろうがな」

それを聞いてモルガナは弾んだ声に一転した。

「へん、それはどうかな!そもそも怪盗団を助けてんのはワガハイ自身のためだ、勘違いすんなよっ!」

「いじけたり偉ぶったり忙しいヤツ……」

呆れる坂本くんと反するように高巻さんが、ねえ、やろうよ……と決意を込めて怪盗団を見据えていた。

「私、行けるとこまで行きたい。ダメな大人を懲らしめて、困ってる人を勇気づけたい。私たちにしかできないことっ!」

「たりめーだっ!」

「怪盗団を続けていれば俺も成長できる。絵描きとしても、人としても」

「ワガハイが直々に鍛えてやるんだ。この怪盗団で、できないことはない!」

それぞれの意志で怪盗団を続けていくことを宣言していく。大人の理不尽に振り回されてきた彼らはこれからも抗うことを決めたのだ。怪盗団はそのために存在していくのだと。
抗う意志も、力もないわたしは、ただ彼らに縋るだけだった。こんなわたしでも誰かを救う手助けができるなら、自分が存在していた意味を見出せると信じたかった。

「出来ることがあれば、わたしにもお手伝いさせてください」

ってことで……改めてよろしく、と高巻さんがリーダーへ向き直る。来栖くんは短い言葉でそれを受け止めた。

「ああ、よろしく」

いつの間にか日もすっかり落ちてしまい、高巻さんは先に家路へ、喜多川くんは就寝前にお風呂にとのことで男の子三人で銭湯へと出かけた。いってらっしゃい、と三人を見送り、わたしは片づけのためモルガナと留守番をすることにした。モルガナは来栖くんのベッドで既に丸くなっていて、もっぱら食器を洗うのはわたしだけだ。
あんなに騒がしかったのに、今は誰もいない店内で水の音だけが響いている。
いつからだろう、運命だと諦めていたのに、いつの間にか『連れ戻される』と考えるようになっている自分に気づいた。戻りたくないだなんて、今更過ぎて馬鹿げている。わたしは道具として扱われる人形、そう育てられたのだから。しかし、どうして今になって解放されたのだろう。考えが纏まらず、片づけが終わった後もボックス席で突っ伏していた。
そのうちに来栖くんと喜多川くんが帰ってきた。一人で帰れると言ったが、来栖くんは頑なに送ると譲らない。喜多川くんにも女性一人では危ないから、と説得され、渋々来栖に送ってもらうこととなった。

「湯冷め、しないです?」

「結構温まったきたから。瀬那こそ寝起きで寒くない?」

「大丈夫ですよ」

本当はずっと考えて事をしていたので眠ってなどいなかった。来栖くんのまだ完全には乾いていない癖の強い髪が風に揺れる。こうして隣り合って歩くのは何度目だろう。彼と二人きりではじめて何を話していいのかわからなくなった。だから送ってもらうことを拒んだというのに。

「瀬那が、祐介のこと気にする理由、わかった気がする」

境遇が似ていたから。多分、来栖くんはそう考えているのだろう。曖昧に口角を上げ、肯定も否定も口にはしなかった。

「自分の事を話すのは得意ではないので、吃驚したでしょう?」

「うん、少し……」

彼の嘘をつかずに素直に言ってくれるのはありがたかった。わたしは他人の感情を読み解くのが不得意だから。互いに口数少なく、アパートまで辿り着く。ルブランには喜多川くんが待っている、遅くなっては申し訳ないので早々に別れようと向き合えば曇った顔で来栖くんがわたしを見下ろしていた。

「俺が保護観察って聞いて、……軽蔑した?」

「どうしてです?」

「いや、普通そう思うかなって」

目線を逸らし、申し訳なさそうに告げられた。
人を助けただけなのに、どうして彼が責められるのだろう。その瞳は離れていくことを恐れているように揺れていた。彼もわたしと同じで、居場所を求めているのだろうか。否定のためにゆっくりと首を振る。

「わたしは、今まで見てきた来栖くんを信じます」

初めて会ったときから、ずっとわたしを助けてくれた。これ以上関わると捨てられなくなる、だから距離を置いたほうがいいと思った。それで差し伸べられた手を拒んだのに、変わらずに接して、名前すら迷いなく呼んでくれた。彼の強い眼差しにわたしは救われている。だからそんな顔をしないで欲しい。

「瀬那は……いつも、欲しい言葉をくれるな……」

自分の言葉を誰も信じてくれないのは、自分の存在を消されたのと同じだ。普通の生活を送ってきた彼にとって、保護観察となったことは言い表せないほど苦しいものだっただろう。
緊張が解れたのか、照れたように来栖くんは笑った。そしてふと、思いついたように尋ねられた。

「思ったんだけど、どうして敬語なんだ?」

「癖といいますか……無意識ですね」

生きていくために身に付けたもので、どうすれば敬語以外で話ができるのかわからない。すると彼は、じゃあやめよう、ともの凄く簡単なことのように提案した。

「友達だし、せめて名前くらい普通に呼んで欲しい」

友達?、とオウム返しをすると、うん、と頷く。はっきりと友達と言える人はいたことがなかった。普通に、と言われて両手の指先を合わせて頭をしぼる。思いついたのは怪盗団のみんなのように呼ぶこと。そのまま指先を顎に当てて窺うように音を発した。

「…………暁、くん?」

「……うん」

呼び捨てでもいいけど、と言いながらも満足そうに笑う彼を見て、泣きそうになった。この渦巻いているもやもやした感情はなんなのか。いくら考えてもわたしにはわからなかった。
(2018/11/23)

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