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アルバイトの帰り道、ルブラン前を通りがかると黒猫がどこかへ走り去っていくのが見えた。こんな時間にどうしたのだろう。間を置かずに怪盗団の皆もぞろぞろと出てくるが、重苦しい雰囲気を取り巻いている。気軽に声を掛けられそうにはなく、咄嗟に建物の影に身を隠す。通りすぎていく間も会話がなされているようには見えなかった。そっと顔を出すと、ちょうど双葉ちゃんも見送り、暁くんはルブランに戻っていった。
今さら迂回するのも気持ちが悪い。もう二階にいるだろうとゆっくりと進み、それでも気になってしまいちらりと盗み見たところ、まだ店内にいた暁くんとものの見事に目が合ってしまった。驚きつつも迷いなくルブランの戸が開かれる。迷った末口から出たのはただの挨拶だ。

「こん、ばんは」

「バイト帰り?」

軽く頷くと素っ気ない相づちが返された。表情がいつもより乏しい。別のことを考えているようだ。他の皆も様子がおかしかったことを考えると、何か、あったらしい。俯きがちな顔を覗きこむと心配させないためか微笑むが、無理しているのが流石にわかった。何も訊かない方がいいのか、言葉に躊躇ってしまう。

「……あの」

「モルガナが出ていった」

決めかねていた次の単語が呑み込まれ喉が鳴った。どうして。確かにモルガナがずっと何かを考えている伏しはあった。だけれど、そんな急に暁くんの元を離れるだなんて。

「ごめん」

「どうして謝るんです? 大丈夫、ですか?」

「……ごめん」

強く腕を引かれる。声を上げる間もなく、ルブランの敷居を跨ぎその扉は閉められた。震えることなくしっかりと握られた手は何かを堪えているようだった。とりあえず落ち着いて話をしよう。聞くくらいならわたしでも出来る。時間に対しての謝罪なら必要ない。

「わたしのことは気にしないでください。歩いて帰れますし、何なら朝まで付き合えますよ」

「それはちょっと、まずいんじゃないか……?」

「そうです? とりあえず、二階に行きましょう」

話し込むなら店内が見える一階よりも適している。いつもとは違いソファの前にテーブルが配置されているのは、ここで作戦会議をした名残だろう。足取りの重い暁くんにソファに座ってもらい、隣に腰かける。

「次のターゲット、解析データから奥村にって話になったんだけど」

深いため息で話が途切れる。肘をつき項垂れる姿なんてはじめて見た。それほどモルガナの存在が大きかったのだと思うと、羨ましさがある。

「世の中が『悪』と判断したものは全て怪盗団に頼めば解決させようとしてる、警察も政治家も、社会問題全部だ。それに、校長の事件も俺たちが鴨志田を改心させたせいじゃないかって、杏が怯えてしまって」

しかし、体罰や他にも色々あったのは事実であり、彼らがいなければ被害者がもっと増えていただろう。高巻さんの友人だって一時期重体だったのだから、その行いを責める者などいるはずがない。

「奥村が何かを知っている可能性が高いし、実際に苦しめられている人もいる、放っておくことはできない。でも、今は慎重になるべきだと思った。それをモルガナに咎められて、竜司と言い合いになって」

「出ていってしまったんですね」

小さく首を縦に振った。その光景はありありと浮かんでくる。売り言葉に買い言葉といったところか。

「止められなかった。尻込みしてるなら一人でやるって……ここがモルガナの居場所だと思ってたのは俺だけだったのかな」

「モルガナもきっと同じです。それに今までが上手く行きすぎていたのだから、慎重になるのは悪いことだと思えません。モルガナだって、本当はわかっているはずです。でも……譲れないものがあったんだと思います」

暁くんのとこを頼むと言ったのだ。モルガナが何に悩み、苦しんでいたのか結局は聞けなかったけれど、自身を肯定するために行動したのだろう。他人に流されない生き方だ。とても眩しくて、尊い。

「戻って、来てくれるかな」

「ちゃんと話し合えば大丈夫ですよ」

「……瀬那が言うと、大丈夫な気がしてくる」

二階に上がってから、やっと視線を合わせてくれた。モルガナのことは心配ではあるが、今はあまり時間がない。先日の解析データの件を怪盗団としてどう考えているのか聞いてみたかった。

「暁くんは現在の怪盗団に対する評価を、どう思います? なんだか不気味で……」

そんなものいないと蔑まれていたにも関わらず、改心をこなすにつれてニュースにも取り上げられ、今では抗議する者に容赦ない批判をし、グッズまで作られるようになった。たった半年でこの変わりようだ。それだけ不可思議な力が使われた、ということなのだろう。

「俺みたいな力のない人間を助けられればと思っていたけど……こんな、何もかもを誰かに任せてしまうのは違う。俺はこんなの望んでいない」

他人が望まざろうと楽な道へ進むのは人間の業。自分で考えるよりも遥かに簡単で、それ以外の生き方を知らない人間も存在していることを、わたしは知っている。怪盗団はそんな人たちにとって、格好な信仰対象になってしまった。でも欲しかった回答はこういうものではない。

「では、校長は本当に自殺だと思いますか?」

「どういう意味?」

「あまり確信のないことをいうべきではないでしょうが……若葉さんのときと、酷似しています」

「道路に自分から……か」

両腕を組んだ暁くんが思いついたのは、双葉ちゃんのパレス内で見た絵だろう。わたしも同じだった。

「二人とも、自ら死を選ぶにしては不自然な気がするんです」

若葉さんは研究が終わったらと未来の約束を双葉ちゃんとしているし、校長は警察に向かう途中だったのではと報道されている。

「瀬那は校長も誰かに、殺されたって考えてる?」

「はい。秀尽学園の事件を隠ぺいしていたことが明るみになったことが問題だったのか、それとも……」

校長にも後ろ盾があり、その繋がりが暴かれることを恐れたのか。憶測の域は出ないが若葉さんの件がある以上、心に留めておくのは間違いではないはずだ。きっとその先には誰かがいる。

「前に真が訊いたこと、覚えてる? 一人でパレスに行ったかって」

あれは金城の件が終わってすぐのことだったと記憶している。わたしが一人でイセカイナビを使用したか確認されたが、疑われた理由は怪盗団以外にもあちらに進入している人間がいるらしいからだった。前髪を弄り、くもった表情で暁くんが続ける。

「……黒い仮面」

「え?」

「パレスを使って現実で『廃人化』も『精神暴走』も起こしている人間がいるってカネシロが言ってた。そいつが、黒い仮面を付けているって」

それで新島さんは念のための確認をしたのか。ペルソナを持つものは敵意を感知すれば自動的に怪盗服に変わる。仮面も誤魔化せない。それだけでも情報があるだけ有難い。黒い服の大人と黒い仮面の人物は同一人物なのだろうか。
それにしても犯人が直接パレスに行っているのが判明したというのに、拭いさることのできない不安はなんだろう。疑いようのない確信が欲しいのだ。

「イセカイでパレスの主を消してしまうと、もし自ら死を選んだようになるなら……」

「完全犯罪、ですね」

モルガナは、なりかねない、と言っていたが、これでは本当に、そうなってしまう。

「そいつを探さないとだけど、先にモルガナだな」

しっかりと顔を上げた暁くんが両手を組んで前に腕を伸ばす。肩の力が抜けていつもの調子が戻ってきたみたいだ。

「落ち着きました?」

「うん、俺よりも双葉の方が落ち込んでるし、いつまでもこのままでいられない」

怪盗団に関わりのある人のところには行きづらいだろう。本当に一人で奥村社長のパレスに行ってしまったとしたら、双葉ちゃんが心配するのもうなずける。

「そろそろ日付も変わるし、送ってくよ」

気づけばあと針が一回りすれば今日が昨日になってしまう時間だった。気にしなくてもいいとは言ったものの、明日も学校がある。身支度をして睡眠を取らなければ支障が出てしまう。暁くんに続いて立ち上がり、軽くお辞儀をした。

「夜遅くにお邪魔しました」

「俺が連れ込んだ……いや、なんか違うな……」

小声で呟いているが聞き取れない。しっくりくる言い方を探しているらしいが思いつかず、とにかく、と仕切り直す。

「瀬那のおかげで元気出た、ありがとう」

「……どういたしまして」

ただ話をして、それを聞くというわたしでなくても出来ることをしただけなのだが、些細なことでも彼を助けられたならよかった。わたし自身、肩の力も抜けた。

「暁くん、わたし、明日早く行かなければならないので、別々に行きましょう」

「それなら俺も合わせるよ」

「いいえ、それは申し訳ないですから」

微笑んで丁重にお断りする。学校に行く、というのは嘘だからだ。どこに、何をしに行くのか、悟られてはいけない。迷惑を掛けたくはないが、関わってしまった以上は避けられない。可能なら最小限に抑えたいのだ。何も知らないでいてくれれば、それが一番いい。気にはなっていても暁くんはわかった、と納得してくれた。一度疑ってしまえば知らないままではいられなかった。自分が思っているよりも、胸を張って生きていける存在ではないかもしれないと。
(2019/8/4)

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