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「どうして、あんなことを言ったのです?」

昼休み、雲の隙間から太陽が差し込んでいる校庭のベンチ。何度も二人で昼食をとった見渡せる場所で、隣を見ることなく問いかけてみた。彼は食べていたサンドウィッチの咀嚼が済ませるため、一呼吸置いて答える。

「僕の方が聞きたいな、どうしてそんなことを聞くのか」

どうして……、わたしと明智くんが交際する利点がない。そんな関係に縛られずとも、命令をされれば望み通り何でも奉仕する。褒美として出されたのだから当たり前だ。
暁くんにだって、故意に動き敵視されてしまえば、怪盗団を探りにくくなってしまう可能性の方が高くなる。こちらも利点がない。ただ暁くんに見せるだけの行為に何の意味があるのだろう。

「わたしには解りかねます」

「瀬那さんは、誤解されてしまうのが嫌なんだよ」

「……誤解?」

「彼に、僕と特別な関係だって思われるのが嫌だってこと」

僕と、という言葉を強調され、思わず明智くんを見ると満面の笑みが返ってくる。言い直されてもその解に至った式が全くわからなかった。
彼のことを特別嫌悪しているわけではない。事件の実行犯として養父との関係を内密にし、わたしを獅童の養女と知って利用するために近づいてきたことに対して、悲しみはあったがその行為は当たり前で。どちらかと言えば、畏怖を感じるときがあるのが不思議だった。何故だかわからないが、強い感情をぶつけられると養父を思い出す。まあ今はそれとは違う威圧感が放たれ、微笑みを崩さない明智くんがさらりと言ってのける。

「だって、好きなんでしょ、彼のこと」

食欲がないからと昼食代わりに購入したヨーグルト飲料が手からこぼれ、地面に転がり、明智くんの足にぶつかって止まった。好き? わたしが、暁くんを? 何を言っているのか、理解するまでこんなに時間がかかったのは初めてだ。

「君は忠実な人形なんでしょ、それなのに疑問に思うってことは何かしらのエラーが発生していて、それがまさに――」

「違います、わたしにそんな感情は必要ありません」

続けられる推測を強めの口調で遮る。人形が誰かに好意を持つことなんてあり得ない。そもそもそんな形のないものがわからない。着せ替えをする相手は養父が決めるのだから。そういう風に育てられた。わたしが否定する様に低く呟く声が耳に入る。

「そう簡単に割り切れるモノならいいのにね……まあいいや」

あの悲し気な表情が垣間見えたが、足元の飲み物を拾い上げ、わたしに差し出すときにはいつもの明智くんに戻っていた。

「アルバイトだけど、折を見て辞めてもらうよ。今住んでるところも引き払う準備をしておくから」

「わたしは家に戻ればいいのですか?」

「何言ってるの、僕の家に決まってるだろ」

「……え?」

危うく飲み物を受け取り損ねるところだった。アルバイトも一人暮らしも、最初から高校を卒業するまでと決められている。今更明智くんに言われることではないのだが、まさか、居候先に彼自身の家を指定してくるとは。褒美にわたしを欲したのだから、目の届くところに置いておきたいのかもしれない。彼の復讐を果たすために。

「……わかりました。今月中に全て終わらせます」

「瀬那さんが必要なものだけ持って来て、あとのことは僕がやるよ」

費用や置かれている家電は全て気にしなくていい、ということだろう。元々大した荷物もない。今日明日にはあの家を空けることは可能だ。アルバイトも今日出勤したときに辞めると伝えればいい。

「ちゃんとご飯食べてね。瀬那さん、すぐ倒れるからさ」

頬を撫でる手は優しくて、本当に心配されていると錯覚してしまう。軽く瞳を閉じると、満足したのか温もりは離れていく。しかし、戻る場所は養父の家ではなく明智くんの所と言われて、正直、安堵していた。人形だ、復讐の道具だ、と利用されているのに、それだけ養父の存在が大きいのだ。

「大丈夫です。アルバイトのあと真っすぐ帰りますから、そんなに心配しないでください」

「うん……、昼休みも終わるし、戻ろうか」

明智くんと共に教室へ戻る廊下を歩いている間、またも好奇な視線を向けられた。黄色い声は密やかな声へと変わっている。やっぱり付き合ってたんだ、ショック、なんで御守さんなんかと……、明智くんを取り巻く女生徒が主だろうが、特に気にはならない。そんな話題でいつも盛り上がれるのが、むしろ羨ましかった。彼女たちはきっと『好き』という感情を理解できるのだ。




アルバイト先で店長に今月いっぱいで辞めることも伝え、帰って早々部屋で荷造りを始める。家具家電を含まなければ、わたしでも抱えられる段ボールふたつくらいで収まりそうだ。手荷物ひとつで出てきたというのに、大分増えた。外出する機会も増えたため、制服だけでは足りなくなったせいだ。
片付いた室内で一際色彩の目立つ青があった。そのUFOキャッチャーで取ってくれた青い帽子の雪だるま人形を手に取り、暁くんとも私服で出掛けたことを思い出す。あの前日は何を着ればいいのか、少しだけ迷ったのを覚えてる。誰かとどこかへ行くのは初めてではないのに、何故なのだろう。
暁くんは暗闇を怖がっていたわたしに手を差し伸べてくれた人。そう、いつも躊躇いなく助けてくれる。カモシダパレスで捕まったのときも、マダラメパレスで空中から落ちたときも、金城の手下に連れて行かれたときも、フタバちゃんのパレスで岩に潰されそうになったときも。

「あの時は、しがみつくのに必死だったなあ」

人形に話しかけながら、笑みがこぼれる。助けてくれたのは暁くんだけではない。怪盗団の皆も、彼と同じように接してくれた。
それでもやはり、思い出すのは暁くんが微笑んでくれた顔なのだ。わたしが笑うと彼も笑ってくれた。普通の女の子として当たり前のように接してくれた。絶対に嫌いにならないと……言ってくれた。それなのに、また傷つけてしまった。明智くんが告げた言葉を聞いた彼の揺れる瞳が鮮明に蘇り、人形の顔にぽたりと雫が落ちる。もう今まで通りに笑ってはくれないのだと実感する。人形をかき抱き零れるそれに抗う術もなく、誰も聞いていないのにひたすらに声を上げるのを耐えた。
わたしは暁くんの隣で生きていきたかった。一生叶うことのない、自分から捨てた望み。これが好きだと、特別だということなの?
濡れた頬を拭い、人形の首にかけていたネックレスを外して手に取る。ずっと飾ったままにしていた、暁くんからのもうひとつの贈り物。大切なものは厳重に管理するようにと言われた。そのためには身に着けておくのが一番だ。首元の広いものを好んで着ることはない、気づかれることもないだろう。しかし、さすがにこんな可愛い人形を持っていっては怪しまれる。

「ごめんね、君は連れていけないから……双葉ちゃんのところでお世話になって?」

越す前に、手近な袋に入れて戸口に掛けてこよう。この部屋に置いたままにして、捨てられてしまうのは気分が悪かった。そんなのわたしだけでいい。ネックレスを身に着け、その意味を思い出す。幸せを願うというプルメリアの花模様。わたしの代わりに、わたしが暁くんの幸せを願おう。
例え怪盗団が全ての悪事を暴いたとしても、一度判決を下された彼のいわれのない罪が消せるかどうか……。養父が真実を話した上で、実際に被害にあった女性の証言が必要になるかもしれない。手がかりになりそうなものとして思いつくのは、養父のパソコンからデータを抜いた、わたしの自室に隠したUSB。ちゃんと抜き取れたのか、どんなデータが入っているのかはわからないが、持ち出したあとに双葉ちゃんへ解析を依頼するまでがわたしの考えだ。何とも他力本願だが、他に何もなかった。わたしがいなくなったあとも幸せに過ごせるようにと、出来ることはこれくらいだ。
あとはUSBをどうやって回収するかだが、しばらくは明智くんの家に厄介になるため、今度は焦らずに機会を待つほうがよさそうだ。無理に自室に戻りたがっても怪しまれるし、閉じ込められては意味がない。一緒に隠しておいたキーピックはひとつしかないのだから。
(2019/12/7)

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