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こんなときに限って体調を崩し、数日、明智くんの部屋でそのままお世話になることになってしまった。もうすぐ中間試験もあるというのに……わたしたちには些末なことか。
「朝方まで何も掛けずに蹲っていれば、風邪引くなんて当たり前なのに」
「……熱だけですから、放っておいても問題ありません」
「これ以上大事になったら困るのは僕だし、これは命令だよ」
わたしの心配というより自身の保身のため、最後の単語で起き上がろうと力を入れた腕を布団の中へ仕舞いこむ。
「そうだ、学校と、ついでに彼にも休むって言っておいたから安心して」
「暁、くん……?」
「連絡来てたんだよ。時間になっても来ないから、どうしたのって」
忘れていた。もしかしてずっと待ち合わせ場所の角で待っていたかもしれない。さすがに遅刻する前に離れたとは思うが、申し訳ないことをしてしまった。
しかし、いつの間に二人は連絡先を交換するような仲になったのか。明智くんもルブランに客として訪れているみたいなので、意外に話が合うとか。そんな普通のことはありえない。怪盗とそれを追う探偵、しかも正体を知っているのだ。いや、動向を知るために手に入れた、という場合もある。
「難しい顔してるけど、僕の携帯から連絡してないから」
「……なら」
「瀬那さんの携帯に決まってるじゃないか。まだ寝てないとだめそうだね」
あのね、と呆れたように頭を抱えて、枕元に置かれていたわたしの携帯を見せつけた。
「寝ている人間の指紋を借りるなんて簡単なことじゃないか。どちらかといえば、騙ったことより、連絡を無視しなかったことを感謝して欲しいよ」
「ありがとう、ございます」
ぐうの音も出ない。携帯のデータというちっぽけな個人情報なんかどうでもいい。わたしが来ないという不信感を防ぐためだと、明智くんは言っているのだ。
「それにしても、一緒に登校、か。……妬けるね」
何も映していない暗い画面を見つめ、昨日の言動とは真逆の表情をする。どちらが嘘で、本当なのか。それを決めることが間違っているかもしれない。イセカイの仮面、ペルソナはもう一人の内なる自分だ、とモルガナが言っていた気がする。結局はどちらも自分ということ。では、目の前の明智くんも偽りのない彼自身だとすれば。
「大事なものの管理はもっと厳重に。僕はもうそろそろ出るから、今日こそゆっくり寝てること、はい、これ」
返された携帯にはメッセージの受信を表す灯りが明滅している。誰からなのか確認して、もし暁くんなら明日にはもう治っているから大丈夫だと送ってしまったほうがいい。なのに無意識に掴んだ感触は温かく、わたしが触れたことで驚いたのかその手にあった携帯が布団の上に沈んだ。
「そんな、悲しい顔……しないでください」
「……どうして僕が悲しくならなくちゃいけないの? 計画がうまくいっているのに」
「わかりません……でも」
「瀬那さんの気のせいだよ。…………遅刻するから、行ってくるね」
掴んでいた手は優しく離され、わたしの顔の隣に戻される。そして逃げるように、目を合わさず出かけてしまった。静かになった室内に取り残され、自然とため息がでる。
落ちてしまった携帯を拾い、メッセージを確認すると双葉ちゃんからだった。暁くんから臥せっているのを教えてもらったらしく、わたしを心配する文章が綴られている。
『大したことはないので大丈夫です。心配させたくないので、他の方に広めないでくださいね』
『瀬那がそう言ってたって、暁からも聞いてる。ちゃんと寝てるんだぞ』
暁くんから怪盗団へ体調不良だと連絡されることで、メッセージのやりとりの手間やわたしが自宅に不在と知られてしまうことを、明智くんは防ぎたかったのだと思う。メッセージの確認を終えて、携帯を布団に置いた。
そんなに面倒ならば……復讐だと憎むのならば、どうして突き放さないのか。いっそのこと口汚く罵って、物理的にも攻撃してくれれば、こんなに苦しくならずに済むのだろうか。わからない。ただ、彼の仮面がわたしよりも分厚く、強固なものであると感じた。
思考がぐるぐる回るのは熱のせいだ。明智くんの言う通りに動くのが、今のわたしの役目。仮面を付けた人形、存在意義。けれども理解できない態度に用意した仮面は霧散してしまう。先ほど起きたばかりなのに、またまぶたが重くなってきた。……わたしは人形だ、考える必要などない。いつもよりも柔らかい布団にもぐり込み、二度目の眠りについた。
ほぼ一日寝たことで熱も下がり、夜には自宅に帰ることができた。暁くんとの登校は、中間試験前に風邪をうつしたくないという理由で、終わるまで中止にしてもらった。メッセージは送られてきたときに返信をしているくらいで、彼からもそこまで頻回に来ることもなく、恐らく勉強に勤しんでいると思われる。わたしばかりに構う意味もない。それは明智くんも同じらしく、捜査で忙しいのか連絡どころか学校でも接触はなく、正直想定外だった。最近騒がしかった周囲も、わたしたちが話さないのを察して好奇な視線を向けてくるので、放課後は残ることなく真っすぐ帰宅していた。期待されるようなことなんて何もないのに、他人の話になるとみんな楽しそうにするのは何故なのだろう。
そうして、試験が終わった翌日、久しぶりに待ち合わせ場所であるルブラン近くの角に向かう。少し早い時間に着いたのだが、約束していた彼は既にそこで立ったまま本を読んでいた。十日しか経っていないというのに、随分と久しく感じる。
「おはようございます」
「おはよう、瀬那。具合はどう?」
「もう大丈夫です、あの日は連絡が遅くなってしまってすみませんでした」
気にしないで、と本を鞄へしまい、同時に中から顔を出したモルガナとも挨拶を交わした。
「セナの家にまで行くとこだったのを、遅刻するからって引き止めんのは大変だったぜ」
「うつしたくなかったですし、部屋も片付けていなかったので助かりました」
いつも通りに笑っているように見えているだろう。もう仮面は外さない。多分、これが最後の仮面だ。
それにしても、モルガナが学業を優先してくれてよかった。遅刻しそうになるまで待っててくれた彼らには悪いが、わたしが自宅に居ないとばれずにすんだので、結果的に明智くんが返信してくれたおかげになる。
「試験はどうでしたか?」
「うん、瀬那のおかげで結構いい手ごたえだった、ありがとう」
感謝をされる程のことはしていない。途中から寝てしまって、勉強をみるどころか起きるまでそのままで居させてくれたのだ。本当に何をしに行ったのやら。
四軒茶屋の改札をぬけ、そこそこ混みあった電車に乗り込む。いつもよりゆとりはあれど、互いに近い距離で座席の端に位置する手すりに掴まり、ちょうどいいと怪盗団の話題で盛り上がる周囲に紛れ、声を潜めて暁くんは話を再開する。
「試験が終わったのはいいけど、最近は学校に警察が来てて落ち着かなくて」
「秀尽の関係者が一連の犯人だと思っているのでしょうか」
「事件のはじまりがそうだし、この前の……校長の件も」
少しだけ言葉を詰まらせる。どんな人物だろうと、やはり亡くなってしまったことに心を痛めているようだ。前髪を弄っていた指も止まる。
この一件は怪盗団は関わっていないが、裏で鴨志田事件を隠蔽していたことで改心の対象だったのではないかと噂されていた。
「まだ公になってないんだけど、校長室からも予告状が発見されたらしいんだ。双葉が言うにはメジエドも本物じゃなくて、そいつらは怪チャンも不正に書き換えていた」
おそらく奥村社長だけでなく、校長……敷いては、ここ数年続いている『精神暴走事件』や『廃人化』も全て怪盗団の仕業とする計画だ。まずは怪盗団に義賊であるかのように有名になってもらわなければ、その後の転落も演出できない。
その名が世界中に拡がったのは、メジエドという仕組まれた事件のせいだった。本物である双葉ちゃんに言わせるとハッカーというには素人過ぎるらしいが、それでも今まで気づかなかったのは怪盗団として痛手だろう。そして今度は、その相手がどれだけ大きな力を持つ人間なのかに気づいたのだ。
「一体何が目的なのでしょうか」
「俺たちを利用するためだ。わざと怪盗団に注目を集める事件を起こし、解決させていたんだと思う」
「……相手の手がかりはないのです?」
「見つけるよ、必ず」
さすがに相手が次期総理の座を狙う男と、テレビで話題の名探偵だとは思わないだろう。何も知らないかのように振る舞うわたしに対して、力強く言い切る彼の眼差しは決意に溢れ、本当にやり遂げてしまうのではと思わせた。
渋谷駅で下車し、人混みの中、暁くんの背を追いかけホームに着くと、背後から軽やかに声を掛けられた。わたしたちは振り返ると、テレビで観るときと同じ微笑みを浮かべた明智くんがすぐそばに立っていた。少しだけ手を上げて、おはようと挨拶するだけで、彼を見つけた女生徒の声が大きくなったのが聞こえる。
「明智くん、おはようございます」
「朝から神妙な顔して、どんな内緒話してたのかな?」
「試験の答えが合っていたか、聞いていたんだ。あまり自信が無くて」
「考え方が合っているので大丈夫だと思いますよ」
「僕と話が合うんだから、そんなに気にする必要ないのに」
変わらず微笑む明智くんと、ほぼ表情を変えない暁くんの間で自分はどう立ち回ればいいのか考える。暁くんの前では今まで通り振る舞い、彼に合わせて話をしていても咎められないので、このまま続けていくのがいいと判断した。
「よくお会いしているんです?」
「……ルブランに客として来てる」
「コーヒーが美味しくて、つい足が向いちゃうんだ」
甘党の明智くんだが、ルブランの本格的なコーヒーを気に入ったらしい。が、それは表向きで、怪盗団が活動し始めた頃から、暁くんがその一員であると疑って通っていたとも考えられる。わたしが不在かどうかは明智くんにはわかるため、ほぼ会うことはなかったということか。
そろそろ電車来るという案内がされたとき、そうだ、と明智くんは声をあげ、暁くんと向き合った。
「ちょうど揃って会えたことだし、来栖くんにはお礼を言っておくよ」
「礼?」
思い当たるところがないのか小首をかしげる。
「いつも瀬那さんのこと送ってくれて、ありがとう」
わたしの肩に手を添え引き寄せられ、思わずよろけて明智くんの胸にぶつかってしまうが、意に介さなず暁くんから視線を逸らさない。それは暁くんも同じで、珍しく嫌悪感を隠さず、駅の騒がしい雰囲気とはかけ離れた空気が取り巻き始めていた。
「明智に言われることじゃない」
「そんなことないさ、僕の彼女なんだから」
「…………は?」
危うく同時に声が出そうになった。彼女、とは所謂そういう間柄、と言っているのだろうか。いつからそういう話になったのか、思い出せない。予め打ち合わせのあったものではなく、突然決められた関係で間違いなさそうだ。
自分の発言が誰からも返ってこないので、もう一度、明智くんははっきりと関係の名前を告げた。
「瀬那さん、言ってなかったみたいだけど、僕たち、付き合うことになったんだ」
支えられている手に力を入れられる。いい加減、自分の指示に従えということだ。人目が多いところで近づき過ぎるのも明智くんらしくはなさそうなので、わたしからは触れることなく、両手を前で握り軽く頭を下げた。
「機会を逃してしまっていて……すみませんでした。明日からは渋谷まで一人で行きますので、約束は今日までにしましょう?」
「今まで通り、渋谷までは来栖くんに送ってもらってもいいのに」
「いいえ、登校日も少なくなりますから……」
これでやっと約束を終わりに出来ると思ったのに、どうして明智くんが止まらせようとするのか。苦しむわたしの姿が見たいのかと思えば納得も出来るが。相変わらずわからない。
眼鏡の奥で疑わし気にわたしたちを見つめる瞳が揺れている。大丈夫、何も感じない。何故なら笑えているのだから。
「……瀬那は、それでいいのか?」
「はい」
「というわけで、電車も来たことだし、僕たちはこれで」
「今までご迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げて、わたしたちは電車へ乗り込む。置き去りにされた暁くんはただ、呆然と見送っていた。その肩口からは黒猫が顔を出しているのが見える。支えるのはあなたの役目だと言ったでしょう。さようなら、笑顔で小さく手を振った。
(2019/11/23)
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