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不思議な夢を見ていた。そう、これは夢と解る夢。闇の中で上も下もなく、はっきりとした意識を保てずにいた。気がつけば、ふわふわと浮いている光が目の前にあった。あっちへ、こっちへ、訴えかけるように瞬くそれは金色の蝶だった。手を伸ばし届くかと思ったとき、蝶は二つに分かたれ、甲高い少女の悲鳴が劈く。二つの光は次第に弱々しくなり暗闇の中に溶けていった。そこから黒と赤が混じりあったもの沸き上がり、小さな『何か』が形作られていく。頭に二つの動く突起が特徴的なそれが完全に出来上がり、こちらを振り向いたとき、金色の大きな瞳がわたしを映していた。いや、わたしだと思ったがわたしではなかった。映った先に見える金色の瞳が怪しく光り、愉しげに細められる。

――あなたは誰なの

小さな『何か』は、いつの間にか金色の瞳のわたしに代わり、彼女はわたしの頬を両手で包み額を合わせ呟く。

――我は汝、汝は我

低く透きとおる声が頭に響く。あの牢獄で聞いたものと同じだ。では、あの椅子に座っているのは本当にわたしなの? それ以上のことは、わからない。彼女はそれだけ告げると背から巨大な金属でできた三枚の翼を広げ宙へと浮き上がり、わたしはその足元に転がる人影があることに気がついた。ひとつは無数に傷を負わされた明智くん。もうひとつは額を撃ち抜かれた暁くんだった。




夢の中の悲鳴が、そのまま現実でも声を上げていた。呼吸が乱れ、背中は汗でじっとりと濡れている。わたしの急な覚醒に目の前にいた明智くんは驚き、心配そうに見下ろしていた。

「随分とうなされてたけど、大丈夫?」

「……、ぃ」

喉からは掠れた音しか出ない。ずっと呼びかけてくれていたらしい明智くんの手は、わたしの肩に触れていて、その温もりに異様に違和感があった。とにかく背中の張りつきをどうにかしたくて起きようと身じろぐと、その手が気遣うように身体を支えてくれた。

「そろそろ支度しないと、学校間に合わない時間だよ」

「だい、じょうぶです……急ぎま……す……」

あの夢は何だったのだろう。いつもよりも抽象的なのに、知っている人物がはっきりと出来てきた。こんなこと初めてだ。視界が天井から壁面へ移動していくなかで、夢の中の二人を思い出してしまい、急激に胃液が上ってくる。思わず口元を押さ蹲るわたしに明智くんが珍しく早口になった。

「えっ、ちょっと、待って待って!」

寝室を汚してしまうわけにはいかないと耐えるだけで、自分では動けず、慌てた明智くんはわたしを抱えて洗面所まで連れていく。やっと吐き出せたものは、既に消化されていた液体だけで、それでも外へと出そうとするものだから痛く、口内は酸の何とも言えない味で満たされ涙が零れた。
暁くんも明智くんも、開け放たれた瞳に一切の光を宿していなかった。それなのに、確かにわたしを見ていた。赤黒い浸みが広がった上で、じっと怨むかのように。

「……参ったな、今日は予定があるのに」

さすってくれていた背後からぽつりと聞こえた。学校にも行かなければいけないし、放課後は捜査協力で検事局に呼ばれているのだろう。こんなことで迷惑はかけられない。ひとしきり吐き終わり、口を漱いでから、明智くんに顔を向ける。

「……ご迷惑を、おかけしました。もう、平気です……捜査、あるんですよね?」

「それもあるんだけど……」

「ちゃんと、横になっていますから」

さすがに学校に行けるから、とは言えなかった。吐き気は治まったとしても、頭痛と眩暈が同時に襲ってきてしまっては手も足も出ない。もう少し時間が経てば、自分で動けるようにもなる。明智くんにはいつも通りに行動してもらい、養父に勘繰られることを避けたいのだ。
笑って話しているはずなのに、相手からは全くそれが返ってこない。むしろどんどん、眉間に皺が寄っていっている気がする。
とりあえずベッドに戻ろう、と再び抱えられて、あの夢を見た場所へと寝かされた。

「瀬那さんの身体が弱いのか、僕のそばにいるのがよくないのか」

脇に腰掛けて、うーん、と腕を組む。最近続けて体調を崩しているのだから、そう思われても仕方がないのかもしれない。以前のはわたしの不注意で、今回のは夢見のせいなのだけれど。内容までは言えないため、黙っていると額にひんやりとした手が当てられた。

「……熱はないみたいだけど、本当に一人で大丈夫?」

「子どもじゃありませんし、辛かったら病院に行ってきます」

「その時は電話して、全部放り出して戻ってくるから」

「大袈裟……過ぎます」

「嘘じゃないよ。……こんな瀬那さん、置いていくのも心苦しいもの」

少しだけ汗ばんだ前髪を梳かれ、やはり悲しそうに微笑んだ。水がベッドサイドに置かれ、帰りに食べやすい物を買ってくる、と申し訳なさそうに言われた。男性の一人暮らしで常備している方が珍しい。
出席日数が怪しくなってきたため余り学校を休めない、とはいうものの、これはどうにでもなるらしく、問題はテレビの生放送の方で、さすがに迷惑になるため行かなければならない。それに対して、ごめんね、と何度も謝罪をするものだから、申し訳なかった。わたしが体調を崩したのは、きちんと管理が出来ていなかったせいなのだ。

「それじゃあ、何かあったら遠慮なく連絡して。……いってきます」

「はい、いってらっしゃい」

寝ているわたしの額に、明智くんの唇が軽く触れる。微笑んで部屋から出ていく背に手を振って答えた。こういうことを恥ずかし気もなくやってのけてしまうところが王子と呼ばれる所以なのだろうか。同世代の女の子たちの好みであるというのは理解できた。
もう一度夢のことを思い出す。気分はよくないが、吐き気は起きない。今までは牢獄の、鉄格子の中でわたしは捕らえられていた。そして話かけていた人物も、またわたし。何を意味するのか、考えても全くわからない。ただ、あの牢獄には暁くんもいた気がするのだ。随分前に彼の声だけが、はっきりしない意識の中でも届いていた。夢というのは、他人と共有しない。その考え自体が間違っているのだろうか。それともあれは、夢では……ない? 
そんな話あり得ない、寝返りをし、テレビを付けた。まだ通勤通学時間のためか、今日の天気と、昨日の出来事を朗らかにアナウンサーが読み上げている。そのアナウンサーの表情が一変したのは奥村社長の話題に変わったからだ。そうだ、そもそもペルソナやイセカイが存在している時点で、何が起きたって不思議ではない。この身に起こっていることも全て現実に起こりうることだと考えるべきだ。夢と同じように、二人に……死が訪れると。ぎゅっと首から下がっているネックレスを握りしめる。

「誰に……そんなこと」

怪盗団のリーダーが狙われているのなら理解は出来なくはない。精神暴走事件関係の全ての罪を着せるのならば、口を塞いでしまった方が安全だ。明智くんの場合も……、もしかしたら、理由は同じなのかもしれない。課せられた役割を失敗したか、彼の本意がバレたか、どちらにしても実行犯で事情を知っているのだから、養父が保身に走れば消してしまうのもやぶさかではないだろう。それはどんな地位の人間も関係なく、きっと、わたしもその中に含まれている。
あんな最悪な事態は避けなければならない。出来ることが限られている以上、機を間違うと待っているのはあの夢の通りの未来だ。
寒気がする。嘔吐したのは体調が悪いからというのが本当になってはいけない。もう少し眠ろう。また夢をみるかもしれないが、眠らなければ動けなくなる。あまりよろしくはないが、テレビを付けたままで布団を引っ張り上げることにした。




今度は飛び起きることなく、自然と目を覚まし、時計を見ると既に昼をとうに過ぎた頃だった。土曜日だったので、授業は半日のはずだが、明智くんはまだ帰っては来ない。怪盗予告から初めての人死にで、捜査側は躍起になっているのかもしれない。やっと逮捕する大義名分が出来た、と。実際には実行した人間が逮捕に協力しているというのに。
ゆっくりと身体を起こし水を汲んでいると、いつも聞き慣れた声がテレビから流れ始めた。奥村社長の事件を怪盗団による犯行と発表した警察に対し、明智くんの会見が生放送されていた。ソファに座り、会見の様子をぼんやりと眺める。

『これまで、批判されながらも、怪盗団に正義は無いと訴えてきましたけど……、実は……一連の不審死と怪盗団は、僕は無関係だと思っています』

『え……ええっ!? 何ですって……?』

そんなことを急に言われては、誰もが驚くのは当たり前だった。わたしも少し驚いている。当事者である明智くんの言っていることが正しいに決まっているのだが、まさかこんな場を開いてまで宣言するとは思わなかったからだ。

『怪盗団に警鐘を鳴らしたのは、そもそも明智さんが最初……でしたよね?』

『彼らが危険な存在である事に変わりありません。でも事件と彼らを今すぐ関連づけるのは、短絡的だと言いたいだけです。この事件には、まだ不審な点が多い……。裏がある気がするんです』

見ていて冷や冷やした。このまま怪盗団の正体を暴露してしまうのではないかと思ったのだ。そんなことをしても、明智くんに特はひとつもない。切り札を使う場所くらい、彼なら見誤ることはないだろう。

『今まで応援してくれていた皆さんには申し訳ないですが、今後、怪盗団の捜査のために、テレビの露出を控えようと思っています。一応、本業が探偵なので、ご理解いただけたらありがたいです』

そう言って、立ち上がり軽く頭を下げたあとに微笑んだ。わたしには決して見せない顔だ。いつも悲しそうに笑ってばかりいる。まあ、憎い相手に笑いかける方がどうかしているか。
この会見を怪盗団が見たら何かを企んでいると、さらに警戒するだろう。怪盗団を貶めるための罠、というのはわかるが、どういう流れで持ってして行うのかまでは不透明だった。
(2019/12/29)

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