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「怪盗団のリーダーは現行犯逮捕されました」
日に二度の食事を持ってきた秘書から突然告げられた。考える力も休息も足りていない頭にとって、それは死刑宣告に似たもので、思わず、口から疑問符が零れた。
「仕事が終わり次第、獅童さまがいらっしゃいます、では失礼いたします」
待って、そう言って引き止めて詳細を訊き出したかったが、決して教えてくれないだろう。その上、わたしが勝手に話しをしたことを獅童に報告されるのは怖い。そう、覚悟は出来ていたが、この部屋に閉じ込められると恐怖が芽生えてしまうのだ。またここにあの男が来る。暁くんが捕まって悩みの種が減った。そして、わたしが怪盗団と付き合っていたことなど、とうにバレているだろう。となれば、待ち受けていることはひとつだけだ。額の出血は止まったけれど、意味のないことだったかもしれない。
「……暁くん」
不安で呼んだ名は虚しく室内に響く。警察に捕まったとなれば、明智くんの仕業だと思われるが、何か策があるのだろうか。しかし現実世界では彼らも無力だ。わたしには無事を祈ることしかできない。起き上がることがやっとの身体で何が出来よう。再びベッドに倒れ込む。どうか、酷いことが起きませんように。どうか、暁くんはルブランに帰れますように。そう考えているうちに意識は遠のいた。
ぼんやりとした思考の中、扉の向こうから数人の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。わざとらしく大きく鳴らして歩いてくる、この部屋では聞き慣れた音。怖い。覚えてる。この足音は。それは部屋の前で止まり、ゆっくりと扉は開かれた。外の灯りが徐々に広がっていく様をベッドに横になりながら眺めていた。誰かが近づいてくるが逆光でよく見えない。見えなくてもわかるはずだ。無断でこの部屋に入ってくる人間は、養父である獅童正義だけだ。
「起きろ」
「——っ」
「人形は休む必要などないだろう」
わたしの長い髪を鷲掴みにし、身体を無理やり起こさせ、引きずられながらベッドから落とされる。受け身を取ることは叶わず、強かに膝をぶつけた。痛みで眉根が寄る。
「秘書から聞いたか? 怪盗団の一人を捕まえたこと」
投げ捨てるように頭を離され床に突っ伏すわたしを、冷徹な表情で獅童は見下ろしていた。躾のときに目線を合わせてしまえば不評を買ってしまうかもしれないと、今まで大人しくしていたのだが、初めて獅童がどんな顔をしていたのかを見た。無だ。無表情に見えて、その内に静かな怒りを抱えている。
「怪盗団と共に行動していたそうだな」
「……」
「黙っていないで返事をしろ」
その言葉と同時に腹部に蹴りを入れられる。体内の空気が逆流し咽て咳込むが、意に介さぬ獅童は再び同じ質問を繰り返した。
「怪盗団と共にいたのだろう」
「……げほっ、けほ……、は、……い……」
わたしから聞かなくても秘書や明智くんから報告は上がっているはずだ。それなのにわざわざこんなことをするのは、躾けるために他ならない。自分で言わせることで自覚させる、そういうやり方。
「はは、素直なのはいいことだ」
ひとり、部屋の中で笑う獅童は驚くほど不気味だった。わたしを蔑み、怒り、苦しめるため画策していた。そして何か思いついたようにほくそ笑む。
「今、あの男がどういう目に遭っているか、知りたいか?」
「……あ……、暁、くん……に」
酷いことをしないで、そう言いたかったけれど、悲痛な願いは誰にも届かない。
「お前には同じ目に遭わせてやろう、中々いい案だ」
そういうと廊下の秘書を呼びつけて何か物を部屋の中に持ち込んだ。準備が良いのは最初からそのつもりだったということなのだろう。バケツと小さなアタッシュケース、その中身は何なのか。働かない頭では思いつかない。アタッシュケースの鍵が外され、中から出てきたのは透明な薬剤が入った注射器だった。
「さあ、楽しもうか」
獅童が注射器の押子を押すと、細い針から液体が漏れ出た。頭を押さえつけられ、無理やりワイシャツのボタンを引き剥がされ、露出した鎖骨に針を刺される。液体が勢いよく流し込まれるのが熱さでわかった。暴れる足も手も獅童の腕力の前では全て無意味だった。
「あ……や、あ……」
心臓がおかしいくらいに速く動き出し、息が上がる。思うように動かない身体を自分で抱きしめるようにして丸まり、何を打たれたのか必死に考えるも、思考は霞んでいくばかりだ。しばらく後、再び獅童はわたしの髪を掴み、顔を持ち上げて視線を合わせた。
「自白剤を打たれた気分はどうだ? さあ、怪盗団のことについて話してもらおうか」
「は、なし……かいとう……だん」
「全員で何人だ、名前は」
「……うぅ」
唇を噛んで口を開くのを耐える。息をしにくいのはもう我慢するしかない。怪盗団にとって不利な状況をこれ以上話してたまるものか。血が滲むまで耐えているわたしを見て、業を煮やした獅童は強かにわたしの頬を打った。痛みで若干頭が冴える。
「誰も……知らない」
「そうか、お友達と同じで、一本じゃ足りないようだな」
仰向けに転がされ獅童の片膝がわたしの腹を押さえる。体重を乗せられ胃液が上がってくるも、目の前で注射器を見せられ飲み込んだ。両手を押さえられ、またしても鎖骨当たりに注射を立て続けに二本刺され、頭がおかしくなりそうになった。
「やめて……」
「従順にしていれば苦しまずに済んだのに、馬鹿な奴だ」
「う、あ……あ……あ……」
息も絶え絶えに薬の作用から逃れるために身体を丸めて、必死に耐える。話してはいけない、話せば楽になれる、話して解放して、解放なんてされない、痛いのは嫌、もっと痛めつけられる、話せば終わる、終わらない、続く、終わらせて、どうして、どうせ、助けて、助けて。
――助けたい。
緩慢な動作でその場に上半身を起こしたわたしを見て、獅童は嬉しそうに笑った。どこか遠くの出来事のように、乱れた髪が顔に掛かることも気にせず、わたしはそれを見ている。
「さあ、話す気になったか?」
膝立ちで覗き込む獅童は今まで見たどのときよりも嬉しそうだった。優しくわたしの頬を撫でる手つきに気持ち悪さで吐き気がした。そんな風にわたしに触れたことなんてかった。優しかったことなんて一度も。
「はなすことなんて、ない」
その言葉と同時に身体が宙に浮く。足をばたつかせる体力もなく、唯一出来る抵抗は接点であるわたしの首を持つ獅童の手を握って、少しでも酸素を取り込もうとすることだけだった。
「せっかく育ててやったというのに、裏切りやがって」
「あ……が……っ」
苦しい、苦しくて、また意識が飛びそうだが、獅童を睨み抵抗する。それが気に入らなかったのかわたしを放り投げると、うつ伏せに投げ出された右足を思い切り踏みつけた。
「あああっ!!」
骨の軋む嫌な音が体内で響いた。痛みが全身を駆け巡り、じんじんと患部に熱を持ち始める。上手く動かなくなった足に触れようとした左腕にも、容赦のない蹴りをいれられ、一瞬曲がってはいけない方向へ曲がった気がした。声を上げる気力さえもなく、反射的に守るために丸くなったわたしを獅童はただ静かに見下ろしていた。
「お前の処分はもう決めてある、選挙が終わるまで、俺に逆らったことを後悔するんだな」
動けないわたしの頭を踏みつけ、そう言い放つと、満足したのか獅童は何事もなかったかのようにジャケットを整え部屋から出て行った。部屋の外で誰と言い合っている声が聞こえるが、そんなことどうだっていい。痛みが引かない。このまま何日も放置されるのかと思うとぞっとした。わたしの身体は今どういう状態なのだろう。わからない、わからない、考えてはだめ、痛みが増してしまう。忘れて、わすれて、たのしいことをおもいだすの。みんなといっしょにすごしたときのことを。
(2021/2/12)
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