我慢比べ




うだるような暑さに体力と気力を著しく消耗さたエナガが行き着いたのは、宝瓶宮。
必然と言えば必然すぎる選択だが、流石に毎日入り浸るのは…宮の主にも悪い気がしないわけではない。


(迷惑かもしれないけど…暑くて耐えられない。でも…)


逡巡しつつも体は正直なもので、冷気を求めて足取りはふらふらと宮の中へ吸い寄せられていく。
気付けば既に宮の奥深くにまで足を運んでいた。

そんなエナガの存在に宮の主が気づかない訳もなく、案の上、居住区にいたであろう彼が姿を現した。


「そのまま歩くと柱にぶつかるぞ」
「え、あっ……カミュ?」
「全く、暑さで自分が今どこにいるのか分からなくなったのか?」
「いやそういうわけじゃないけど、少し考え事をしていたから」


まさか避暑したい衝動と迷惑をかけたくないという理性とで葛藤していました、など、本人に言えるわけもなく。
呆れかえるカミュに対してエナガは気まずそうに笑った。
ともあれ顔を合せてしまった以上、早く決断をしなければなるまい。

何一つ決まりきらぬまま、エナガが徐に口を開きかけるも、肝心のカミュがくるりと踵を返した。


「カミュ?」
「涼みに来たのだろう?」


背を向けているためどんな表情をしているのか分からないが、少なくとも声色から判断するに、怒ったり蔑んだりという色はないらしい。
無反応のエナガに不審に思ったカミュが静かに振り向いた。


「他に用があるのならば無理にとは言わないが…」
「ない。ないです!」


むしろ避暑が目的なのだ。
折角の好意を辞退するほどエナガは見栄っ張りでも意地っ張りでもない。
大きく顔を左右に振って否定すると、ふいにカミュがフッと微笑んだ。
微笑まれる理由が分からないエナガは、とりあえずその場を繕うように曖昧に微笑みを返してカミュの後を追った。



*****



いつもどおり案内された居住区は、やはり他の宮に比べてもひんやりとしている。
かと言って、肌寒さを感じるわけでもなく、人が活動するのに調度良い温度と湿度を保っている。
まさに最適な室内環境であるがために、エナガでなくともこの時期彼の宮に入り浸る者は多い。
殊にミロはエナガに負けず劣らずカミュのもとを訪ねている。
カミュの居住区内でばったり鉢合わせということもしばしばだ。

エナガがきょろきょろと室内を見渡すも、どうやらミロはいない。


「どうかしたのか?」
「ん、いや、ミロは来ていないんだね」
「ミロに用があるのか?」
「違う違う。あったら直接ミロのところに行ってるから。ただ今日はいないから、珍しいなって思っただけ」
「そうか。確か今日ミロは女神のいらっしゃる日本へ向かったはずだ」
「ああ成程。それじゃあ今日は私がカミュを独り占めできるってわけだね」
「………ッ」


冗談のつもりで笑いながら言うエナガとは対照的に、カミュは息を呑む。
そこでそうくるのか、と。

エナガと二人きりになるというのは、別に滅多にないというわけではない。
特に夏場は他の者たちより一緒にいる機会が多くなる。
ある意味カミュがエナガを独り占めできる絶好の時期、とも言えるのだ。

常日頃そう思っているものだから、エナガの何ともなしに口にした言葉につい過剰反応してしまう。
カミュの考えている真意とエナガの考えている真意とは決定的に違うのにも関わらず。
不覚にも動揺しかけてしまうのは、彼女に何かと思い入れがあるからに他ならない。

胸の内を悟られまいと努めて平静を装いながら、カミュはソファーに腰かける。
エナガはエナガでその隣に静かに座ると一息つくように背を伸ばした。


「そういえば、カミュはこの時期暑くないの?」
「少なくとも涼しいとは思わないが…」
「それにしては暑そうな顔をしないよね?心頭滅却すれば火もまた涼しってこと?」
「そうだ」
「ふーん。…ならこれでも?」
「これ…?一体何…を―――」


カミュがエナガへと視線を向けると同時に、エナガはニイっと悪戯な笑みを浮かべ、両腕をカミュの腰に回すと勢いよく抱きついた。
ついでとばかりに重心を全面、つまり、カミュの方へと傾ける。
その反動でカミュの背は深くソファーへと沈んだ。


「な…何のつもりなのだ…っ」
「我慢比べ」
「一体何の……「どちらが暑さに耐えられるかに決まっているでしょ?」


それしかないとばかりに言い切るエナガに、これではある意味別の耐久試練ではないか、と、声を大にして言いたいところを、カミュは必死に思い止めた。

クールになれ。
クールになれ。
いろんな意味で、クールになれ。

理性やら何やらを総動員して冷静であろうとするも、そんなカミュの心境など知ったことではないエナガの挑発は続く。
これでもかというようにエナガの抱きしめる力は強く、そしてそれに伴い必然的に強くなる密着度。
そう、敢えてナニがとは言わないものの、当たるのだ、いろいろと。
しかも当のエナガは分かって仕掛けていないのだから、性質が悪い。
自覚のなさに拍車をかけるように、エナガの追い打ちは続く。


「カミュ…実は暑さに弱いとか?」
「何故…そう思うのだ?」
「だって、さっきから体温の上昇が半端ないから」
「それ…は……」


君がこれでもかというくらいに抱きついて離れないからだ。
…なんて、言おうものなら”意識しています”と宣言するようなものだろう。
言えるはずもなく、口から出た言葉の続きは紡がれることはなかった。

そうこうしているうちに時間は刻々と過ぎていくも、やはりエナガはカミュから離れない。
どうやら先程の宣告どおり『我慢比べ』を続行するらしく、どちらかが負けを宣言しない限り終わりはないということだ。
そして、エナガは負ける気など毛頭ないらしい。
少しでも早く彼女から解放されるにはこちらがさっさと負けてしまえばいいだけのこと。
けれども、それはそれで癪に触るのだ。
どんな経緯であれ、どんな形であれ、勝負は勝負。
逃げるなんて以ての外。

そんな思考であるものだから、自身で自身の首を締めていることに、カミュは気付かない。


(クッ、何もせぬままこの状況を耐えるというのは…いや、要らぬことを考えてしまうのが駄目なのだ。雑念を掃い無我の境地に至ればこれしきのことなど……そうするにはどうすべきなのだ?)


――などとという雑念で悶々としているうちに、ふと脳裏にある男の顔が浮かんだ。
時折何を考えているのかカミュにはよく分からぬ男…。
自宮に籠り日々瞑想に耽っているあの男。

瞑想、そう、瞑想。
ここは一つ彼に倣ってそれを実行すれば……という思考に至るより先に、カミュの意識は別のものに囚われていた。

きっとシャカならばこの状況に陥っても、事も無げにあしらうのだろう。
しかし、そんなことよりも重要な事実をカミュは思い出した。


(思い返せばシャカも人のことを言えぬのではないか?)


人のことというのは、甘やかしすぎではないか、ということに尽きる。
記憶に新しい数日前。
カミュがここ最近頻繁に訪れるエナガのために沙織の護衛として日本に滞在していた際、茶菓子を買い込んでいたカミュは、偶々同行していたシャカに咎められたのだ。

甘やかしてばかりなのは如何なものか、と。

カミュから言わせてもらえば、人のことをとやかく言う割には、何食わぬ顔をして、あの男、何だかんだでエナガに甘い。
自称保護者らしいが、そんなこと理由にはならない。
むしろ保護者ならもう少し彼女に厳しくあれば良いものを。

いや、それどころか、よくよく思い返してみれば、あの男…四六時中隙を見てはべたべたとしているではないか。(あくまでカミュ比)
そして、更によくよく記憶を辿れば我が親友も、他の面子もまた然り。


(私は触れることすらままならないというのに―――!)


最早暑さが原因なのかこの状況が原因なのか定かではないが、カミュの思考は当初の目的からかなり逸脱していた。

もしも今の状況に至っていたのが、己ではなく彼らのうちの誰かであったのなら。
何故己だけ我慢せねばならないのか。
考えただけで耐えられそうにない。

最終的に行き着いた思考(最早煩悩)がそれである。


「カミュ?」


終始無言のカミュに不安を感じたエナガは、恐る恐るカミュに問いかける。
その声で漸くカミュは我に返るとエナガを見た。

やはり、近い。
そしていろいろと都合が良いのか悪いのか。

素直に役得と片づけてしまえばいいのだが、躊躇うのは躊躇い故か、それとも罪悪感故か、カミュ自身分からない。

それでも衝動は止まらず、カミュは今まで手持無沙汰で行き場を失っていた両腕でぎゅっとエナガを抱きしめた。


「えっ?」


よもやここで抱き締め返されるとは想定していなかったのだろう。
今度は仕掛けたエナガが狼狽える番になる。

こちらから抱きついてしまった(もっと言えば押し倒した)以上、今更退くに退けなくなってしまったのだ。
予測出来なかった事態にエナガはただただ内心狼狽えるばかりである。

エナガが悟られまいと必死に冷静さを保とうとしていることなど、無論カミュには丸わかりだった。
触れている箇所から伝わる熱の上昇や、鼓動の乱れと加速。
むしろ分からない方が難しいというくらい、エナガの動揺の仕方は分かり易かった。

相手が動揺しているのを目の当たりにすると、不思議と見ている方は落ち着きを取り戻せるようで、かく言うカミュもまた普段の冷静さをとり戻しつつあった。


「もう降参か?」
「な、何?」
「我慢比べなのだろう?嫌ならば降参することだ」
「う…」


とはいえここで嫌だと即答されて困るのはカミュの方ではあるが。
勿論、カミュとてある程度退かれないと踏んでの発言でもある。

負けん気は強い部類の彼女がそう煽られておいそれと退くとは思えないし、自分から抱きついておいて嫌ということは…恐らくない、はず。
カミュの予想どおり、ぐうの音も出ず黙り込んでいたエナガが出した答えは、「まだまだ、負けない」という何とも頼もしいものだった。

かくして非常に碌でもない勝負は、双方退き時を失い続行されることとなる。



*****



五分、十分と時間は流れ、勝負開始から一時間が経過しようとしていた。
エナガがここまで退かないことにカミュも予想外で、最初こそ優越感と幸福感に浸れていたものの、流石に困惑を覚え出した。

何故彼女はそうまでして負けを認めないのか。
負けず嫌いではあるだろうと思っていたが、まさかここまで意地になるとは思ってもみなかった。
いや、それ以前に…。


(嫌ではないのだろうか…?)


己と抱き合っているこの状況を―――。
そもそも状況を作り出したのは他ならぬ彼女自身である。
嫌う相手にする行為ではないのは理解できるが、まさか己が仕掛け返すとはゆめゆめ思ってはいなかった節がある。
こうまで長期戦になると踏んでいたなら、果たして彼女は仕掛けて来ただろうか。

答えが出ずに思考ばかりがぐるぐるとカミュの中で回っている。
カミュがいくら思考したところで、肝心のエナガの心は見えない。
いや、確実に見る方法などなくとも、探ることはできる。

それまでエナガを抱きしめていた腕が解かれたかと思うと、カミュの右手がエナガの後頭部へとのびた。
そっと、あくまで添えられていただけの手は、少ししたら撫でるものへと変わり、次第に頭から髪に沿って下に流れ、髪を一束とると指先で遊んでいる。
エナガはカミュが何をしたいのか皆目見当がつかず、困惑するもただただされるがままだった。


(別に嫌じゃないけど…)


気になるのはやはりカミュの真意である。
普段の彼ならこんな行動に出ることなどない。
ありえないからこそ今回の大胆なことをしたのだが、度が過ぎたかと流石に反省し始めた頃に抱きしめ返され、挙句がこれである。
行為自体不快なものではないし、むしろ、嬉しいくらいなのだ。
何せ避暑を理由に宝瓶宮を訪れるエナガの目的がカミュに会うためだ。

勿論、暑いのが苦手であるため建て前も十分過ぎるほど嘘偽りない理由である。
不純な動機であるのは自覚があるため、今までいつもどおりにしてきたわけなのだが、暑さで我慢の限界がきたのか、ふと思い切った行動に出たというわけだ。
問われても暑かったので衝動的に悪戯したとでも言えばいい。

そんなつもりで終わらせるだったはずなのに、どういうわけかカミュはエナガを拒絶することも窘めることもせず、仕舞いには逆に仕掛け返されている。
悪戯に対する仕返しか、それとも何か他に意図があってのことなのか。
経緯が経緯なだけに、エナガは素直に喜べないでいる。

複雑な心境の中、エナガが視界に映る自身の髪とカミュの手をぼんやりと眺めていると、次の瞬間思いも寄らぬ光景がエナガの目に映る。
それまで髪を弄んでいた手が、髪を捉えたまま吸い寄せるようにカミュの口元へと運んでいく。


「えっ!?―――ッ」


驚きのあまりつい上体を起こすも、髪はカミュに捉えられたままだったので、離れることもできずにエナガは再びカミュの上に沈み込む。
一杯に引っ張られた髪の痛みに耐えていると、頭上から心配げな声が降って来た。


「すまない。驚かせるつもりはなかったのだが…」
「十分驚く行動だったけど?」
「それは…」
「いきなり驚かせた私が言えた義理じゃないのは分かっているけどね。ごめんなさい」
「いや、私の方こそ度が過ぎたようだ」


そう言ってお互い謝り返したところで、意地の張り合いは終着を迎えた。
カミュはエナガの髪から手を離し、エナガもカミュから離れた。

思いの外長丁場な勝負で硬直していた体を解すようにエナガはゆっくりと背を伸ばす。


「まさかカミュから仕返しされるとは思わなかったよ」
「別に仕返しのつもりでは…」
「え?それじゃあ何のつもりだったの?」
「―――ッ、それは…」


失言だとカミュが気づいた時には既に遅く、エナガは答えを求めるようにカミュを見上げている。
じっと見つめてくる視線から逃れるように視線を逸らしたカミュは、エナガの期待と不安に揺れる表情に気づけない。


「カミュ」
「エナガ、私は…」


答えを求めるようにエナガが名前を呼ぶ。
己が胸の内を吐露したくなければ、ここではぐらかしてしまえばいい。
そうすればきっとエナガも無理には追及してこないだろう。

けれどもそれが出来ないのがカミュだった。


「嫉妬していたのだ」
「嫉妬?カミュが?」
「我ながら情けない。己を見失わずにいる術を模索するどころか逆に見失う物事に囚われるとは…」
「え、あの、ごめんなさい。話がよく分からないけど、とりあえず仕返しではなくて…ヤキモチが理由?」
「言い方を変えればそうなる」
「それはカミュが私に?」
「…君は一見人見知りをするが慣れると分け隔てなく誰とでも仲良くなる。それに曲がったことを嫌う努力家だ。それに負けず嫌いでもある。だからだろうな。彼らも構いたくなるのは」
「それは褒め過ぎだと思うけど…」


流石に真面目に誉めたてられてばかりで居た堪れないとエナガはむず痒くなった。
これ以上続けば気恥ずかしさに耳を塞ぎたくなるも、カミュの心情吐露はなおも続く。


「君を何かにつけて構う者を横目に見る度に彼らを羨んだ。代われるものなら代わりたいとも。今日のことでそれを改めて思い出して、耐えられなくなったのだ。こうして君と抱き合っていた相手が私ではなく他の者だったらと思ったら、彼らとて君からそうされたら拒むことはあるまい。だから私は…」
「カミュ…」


カミュの想いにエナガはそれ以上何も言わなかった。

気持ちは嬉しい。
非常に嬉しい。
想いが同じだったのだ。
嬉しくない訳がない。

だが、だからこそ一つだけ納得いかないことがある。


「カミュ」


エナガはカミュの左腕に手を伸ばすと、思いっきり抓った。
唐突なエナガの行動に驚いたカミュが漸くエナガへと視線を戻す。


「エナガ?」


カミュの視線がこちらに戻ったのを確認するや、エナガは口を閉ざしたままくるりと踵を返して居住区から出るドアへと足を進めた。
ドアノブに手をかけたエナガは、ドアを開く直前、カミュに宣言する。


「気持ちは嬉しいけど、一つだけ訂正して。そうしなきゃ私の気持ちは教えない」
「一体私は何を正せば「私、誰にでもなりふり構わず抱きついたりしないから」


バタンと虚しく締まるドアの音がして数秒後。
己が口にした過ちに気づいたカミュが慌てて十二宮を降るエナガを追いかけたのは、言うまでもない。





(完)
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あるあるネタですが、好きだから書きます。
ええ、己が煩悩には常に忠実でありたいものです。



2015/8


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