誤解


鶴丸がそれを聞いたのは本当に偶然のことだった。
正確に言えば、たまたま部屋を通りかかった際、障子越しに聞こえてきたと言った方が正しい。

「そろそろ浮気したくなってきちゃってさ」

声の主が誰であるかなんて、考えなくても分かる上、よもや彼女の口からそのような言葉が発せられるなど思ってもみなかった。
信じられない、いや、信じたくない。
あまりの衝撃に進みかけていた足が凍り付いたように動かない。
そこから動くことが出来ないまま立ち竦んでいる鶴丸の存在に、室内の彼女は当然知るよしもなく、同じく室内にいるであろう話し相手に話しかける。

「今のままでも十分なんだと思うけど、ちょっと物足りなくなっちゃって」
「んー、でもさ、そのくらいが丁度良いんじゃない?ほら、変化がないのは安定しているって言うし」

声の主は加州だろうか。
いや、今となっては話し相手が誰であるかなど鶴丸にとって重要ではなかった。
彼女の、審神者の言っていることが何よりも衝撃的で信じがたいもので、看過することなんて到底出来やしない。

(ああ、きみは俺を――――――)

その先は言葉に出来なかった。
思うことさえしようものなら、それを現実として認めざるを得なくなる。
しかし、どんなに目の前の現実を否定しようにも、当の彼女の口から告げられた言葉は紛れもない現実。
今自分がどんな顔をしているなど、鶴丸は知る由もないが、きっととんでもなく酷い顔をしているのだろう。
いずれにしても旧知の友が見れば、何事かと(悪い意味で)驚かせるには十分な状態なのは間違いない。
日射しが照りつける真昼の下、温かいはずなのに最早その感覚すらも鶴丸には分からなくなっていた。
そんな彼を現実へと引き戻したのも、結局のところ彼女である。

「じゃあ今使っているのは変えずに、追加で美容液のサンプル使うだけにしてみるよ。冒険して肌荒れしたら元も子もないしね」
「そうそう。いきなり現品買っちゃって合わなかったら最悪じゃん。ねえ“鶴丸さん”」
「!!!」
「え、何?鶴丸いるの?」

突然切り替わる話の流れに慌てて思考の整理を始める間も与えられなかった鶴丸は、先程とはまた別の意味でピタリと固まった。
どうやら盗み聞き(と言っても不可抗力だが)していたのは、加州には知られていたらしい。
決まりの悪さも相まって鶴丸が中々動けないでいると、ガラリと審神者の手によって障子が開けられる。

「あ、本当にいた」
「あ、あー……驚いたか?」
「いやまあ驚いたけど。いるなら入ってこれば良いのに」
「そりゃまあそうなんだがなあ…」
「あの言い方じゃあ誤解もするよねーって話」
「え、何が……って、あ、ああ!スキンケアの話か」

納得と、審神者が声を上げて言えば、加州が肯定するように笑って頷いた。
鶴丸としては誤解であって何よりではあるものの、こうも心情を察せられては格好がつかず曖昧に笑うしかない。

「それじゃあ俺は失礼しようかな。後は何とかやってよね」

そう言うと加州はふらりと席を外した。
恐らく気を利かせてのことなのだろう。
審神者も彼の気遣いを察したのか、照れくさそうに笑っている。

「何て言うか、嫌な驚かせ方しちゃったみたいでごめんなさい」
「全くだ。生きた心地がしなかったぜ」

誤解と分かった今でこそ笑い話だが、あれが誤解でなければ…それこそ自分はどうしていただろうか。
一瞬でも内に宿った仄暗い感情に蓋をするように、鶴丸は瞳を閉じる。

「大丈夫だよ」

ふわりと暖かな何かに包まれるのを感じて鶴丸が再び目を開けると、目の前にいた審神者が己を抱きしめているのが分かった。
背中へと伸ばされた手は、ポンポンと赤子でもあやすように優しく鶴丸の背を叩く。

「きみなあ…」
「たまにはいいでしょ?ほら、ハグするとストレス軽減するみたいだし」
クスリと笑って鶴丸を見上げる審神者の表情は、穏やかで慈愛に満ちたものだった。
「ああは言ったけど、物持ちは良いから、私。悪く言えば拘りがあり過ぎるとも言われるけど」
「そうかい。そりゃ良かった」
「そういう訳だから、“寂しがり屋の誰かさん”にはこれからもずうっと傍にいて欲しいかな」
「ははっ、その言い方じゃ“どこぞの誰かさん”の方が寂しがり屋じゃないかい?」
「それなら――――――」

寂しがり屋同士これからもよろしく。
そうして今更過ぎる挨拶をするようにどちらからともなく唇を重ね合わせた。





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多分誤解が解けなかったらこのまま闇堕ち一直線コースです。
そういう危うさがある中で上手い具合に成り立っている鶴さにとか美味しいなあと。



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