塗り替える。
目についたのは、彼の爪先の青。
その日、鶴丸は非番だった。
これと言って何をするとでも決めていたわけではなく、予定を練るべく縁側にて庭先を眺めていた。
そんな矢先、頭上から声が振って来たのだ。
「次の悪戯の策を練っているのか?」
「…人聞きの悪いことを言わないでくれないか。」
「いやあ、違うのか。」
「こんなところで油を売るほど暇なのか、近侍殿は。」
胡乱気に視線を上げて見れば、本日の近侍、三日月宗近がいた。
やはり仕事中ということらしく、その手には複数の書類がある。
にこにこといつになく上機嫌で鶴丸を見やる三日月に、鶴丸は一旦視線を庭先に戻すも、ふと先程視界に映った青に違和感を覚え、再び三日月を見上げた。
改めて微笑を絶やさない三日月の顔を眺める。
違和感の正体はそこではない。
首、そして肩、胸元…徐々に視線を下へと移動させたところで、鶴丸の視線は彼の手元で止まった。
「そんな趣味があったんだな。いやいや驚いた。」
「ん、ああ、これか。」
鶴丸の視線を辿った三日月は、空いた片手の甲を鶴丸へ向ける。
どうだ、とばかりに見せている爪は、彼の身に纏う色と同じ、青。
日の光に晒されているせいか、覗き込まずとも色の斑がありありと分かった。
お世辞にも綺麗に塗られているとは思えないが、それでも三日月は嬉しそうにしている。
確か朝餉の時点では覚えなかった違和感であるから、恐らくその後のことだろう。
日頃からお洒落は苦手だの、世話されるのが好きだの言っている彼が、今になって己の爪先に関心を向けるとは。
(十中八九彼女絡みだな。)
この本丸の紅一点であり彼らを率いる主。
彼女の手により施されたものであることは、三日月が自慢げに見せてきたことから分かる。
執務中に一体何をやっているんだと問い詰めたところで、「羨ましいだろう?」などと言われるのがオチである。
「どうだ。羨ましいだろう?」
「…君なあ。」
なんと、こちらが何も言わなくとも言ってきたではないか。
言われた側の心境など知ってか知らずか、三日月は相変わらずニコニコと上機嫌である。
そろそろ頭上から桜が舞いそうな気がするのは、恐らく鶴丸の気のせいではないはずだ。
羨ましいか、否かと問われれば、そりゃ羨ましいだろう。
勿論、爪に色を施されることが、ではない。
悔しいので本音は決して彼の前で言ってはやらないが。
「それで、仕事は終わったのか?」
「ああ、これを政府に提出すれば今日の分は終わりだ。こんのすけを探しているのだが、見なかったか?」
「いいや。政府に戻ったんじゃないのか?」
「いや、今日は一日本丸にいると言っていた。仕事が終わるまで散策していると言ったのだが。」
「なら探すしかないな。まあ頑張ってくれ。」
「共に探してはくれんのか?」
「悪いな。折角の非番だ。やりたいことは山ほどある。」
「鶴はつれないなあ。」
「おいおい、よしてくれ。それも仕事のうちだろ?」
「はっはっはっ、違いない。」
ではまたな、と、告げて去っていく三日月の背を暫く見届け、鶴丸は彼の来た道を進んで行った。
*****
静かな執務室の中、女は一人まじまじと己の爪を眺めている。
眺める角度を変える様に手元を僅かに動かせば、目に入ってくるのは光に反射され余計に目立つ粗、粗、粗。
(今日も失敗か…。)
塗られた斑のある青を見て、審神者は落胆した。
衝動買いをして試しに塗った矢先、三日月に見つかりまさかの塗り合いっこに発展したのは数日前のこと。
その一日で終わるかと思えば、何故か今もなお審神者は三日月にマニキュアを塗る破目になっている。
審神者の爪にマニキュアが塗られていない場合、三日月が彼女にマニキュアを施していた。
そして彼は一通り彼女の爪を塗り終えると、満足そうに頷くのだ。
ちなみに、今日は審神者が自分で塗ったものだ。
結果は先に見た通り。
下手をすれば三日月の方が早く上達してしまうのではないか。
あり得て欲しくない不安を思い、知らずに漏れる溜息を拾ったのは、当の近侍ではない別の者だった。
「溜息をつくほど厄介な仕事だったのか?」
「え、あっ。鶴丸?」
「ああ、入っても大丈夫か?」
よもや来訪者があるとは思ってもいなかった審神者は、慌てて姿勢を正すと入室を促した。
「仕事が終わったというのに浮かない顔だな。」
「厄介な仕事ではないよ。ただねえ…。」
審神者は困ったように微笑むと、徐に両手を鶴丸の目の前に差し出した。
ちょうど先程三日月がそうしたように。
爪に施された青は、三日月同様到底見栄えのするものではない。
本来なら艶を見せる光沢は、その荒さを悪目立ちさせているし、注視しなくとも塗り斑がありありと分かった。
不格好さを目立たせるその斑が、己の複雑な心の内を反映しているように鶴丸は思えた。
「そう言えば三日月も同じ色をしていたな。」
「ああ、あれ私が塗ったの。練習台になるって言うから。最初は断ったんだけどね。」
「推し切られてきみが折れたというわけか。」
「そういうこと。で、何故か三日月が私の爪を塗ってきてさ。」
「へえ…。」
自分から振った話とはいえ、正直面白くなかった。
三日月の爪を見た時点で凡その検討はついていたが、まさか爪の塗り合いをしていたとまでは想像できなかった。
加州清光のように着飾ることに執心しているわけではないが、練習台になるなら鶴丸とて別に構わないし、むしろ彼女に近づける機会になるから大歓迎である。
恐らく三日月も同じ口だろう。
そして、練習台だけではなく自分の色で彼女を塗り上げているではないか。
要するに、まんまと先を越されたというわけだ。
それは上機嫌になるはずである。
(おかげでこちらの気分は下がったりだがな。)
さてどうしてくれようか。
このままはいそうですかと引き下がっては、面白味にかけるし、目の前の彼女を盗られるのを看過するわけがない。
胡坐をかき、頬杖をついたまま、策を練るべく視線を彷徨わせると、目についたのはやはりあの青が入った小瓶である。
果たして色はあの青だけなのだろうか。
「なあ、きみ。それは青しか持っていないのか?」
「実は…衝動買いでいっぱいあるんだよね、これが。練習も兼ねて必死に消費しているとこ。」
「ほー、それはいい。どんな色があるんだ?」
「見る?」
「ああ、是非とも見たいな。」
衝動買いを咎めるわけでもなく、他の色も所望する鶴丸に、審神者はほっと安堵すると、机の下に置いてある木箱を取り出した。
蓋を開けて見れば、赤、緑、紫、と虹どころか絵画が描けそうなくらいの量がある。
よくもまあこれだけ揃えたものだと感心しつつ、鶴丸は目当ての色を探し出す。
「お、あったあった。」
「え、何が?」
良い物を見つけたと嬉々として二つの小瓶を取り出した鶴丸に、審神者は首を傾げた。
「何に使うわけ?」
「決まっているだろ。爪だぜ、爪。」
「は、鶴丸も塗るの?」
「ああ。ほら、手を貸してくれ。」
「ん?」
「ほら、早くするんだ。」
「はい?え、塗るの、私?」
「きみ以外誰がいるんだ?」
当然とばかりに言ってのける鶴丸に、驚くのは審神者である。
まさかここにきて鶴丸までがマニキュアに興味を持つとは想定外なため、対応できずに唖然としていると、そんな審神者の態度を拒否と捉えたのか、鶴丸はそれまで高揚とした表情から憮然としたものへと変えた。
「まさか、君、三日月には塗らせておいて、俺は駄目だとか言うわけじゃないよな?」
「え、まさか。鶴丸器用そうだし、塗ってくれるのは構わないけど。一度落とさないと悲惨なことになるから、ちょっと待って。」
このまま上塗りされてはたまらないと、審神者は慌てて木箱から除光液とコットンを取り出した。
コットンを手に取り、除光液で浸してからそっと自身の左の親指の爪に宛がう。
マニキュアと液がほどよく溶け合うまで待っていると、その手をそっと包み込まれた。
「鶴丸?」
「落とせばいいんだろ。俺がやる。」
「あ、ありがとう?」
有無を言わせない何かを読んで、審神者は大人しく鶴丸に任せることにしたのだった。
*****
爪先から青が消え、今度は白銀と黄金が交互に施されていく。
恐らくこのような作業など初めてであるはずの出来栄えと言えば、信じられないことに審神者よりも、否、審神者と比較するまでもなく綺麗なものだった。
器用だろうとは思っていたが、よもやそれをいかんなく発揮され、審神者は立つ瀬がない。
(ま、負けた…。)
打ちひしがれる審神者を余所に、鶴丸は彼女の両手を改めてとると、至極満足げに頷いた。
彼女の手先に宿る忌々しい青を消し去り、自身の色に塗り替えることに成功したのだ。
しかし、視線を審神者に戻してみれば、なんと彼女は浮かぬ顔。
余程あの色を気に入っていたのか、それとも――。
「お気に召さなかったかい?」
「え、まさか。ただ…初めてなのに上手だなあと。」
「そりゃきみの爪に塗るんだぜ。斑なんてあったら様にならんだろう。」
「あ、あははは…ありがとう。なんかもう…負けたよ。完全に。」
「おいおい、勝ち負けの問題じゃあないぜ。」
どちらかと言えば、独占欲の問題ではあるが。
内心一人自嘲する鶴丸に、審神者はなおも不満げに眉間に皺を寄せて指先を睨んでいる。
「やっぱり、悔しい。私が塗った青より綺麗なんて…。」
「ん、ちょっと待ってくれ。さっきの色はきみが自分で塗ったのか?三日月ではなく?」
「自他ともに認める不器用な私です。塗り斑が残念で様になってないでしょ。」
「いやいや、あれはあれで斑が波模様のようで趣がだな…。」
「今更無理しなくて良いって。さっき言ったとおり、三日月が塗ってくることはあるから。」
「…そうかい。」
「けど、このままだと私より三日月の方が上達しそうで焦ってるからね。本当予想外。」
「それなら練習台を増やせばいい。ほら。」
差し出された白い手を眺め、審神者は既視感を覚える。
これはもしかしなくても、拒否権はないのではないだろうか。
恐る恐る爪先から視線を上へと上げれば、案の定、見覚えのある微笑み。
断りの文句を言おうものなら、きっと返しはこうだ。
『三日月はよくて、俺は駄目だと言わないよな?』
脳内にその光景がありありと浮かぶ。
事実理由もあるわけがない審神者は、覚悟を決めて目の前の手を取った。
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審神者の青を三日月が塗ったと勘違いする鶴丸氏。
そして、この後、鶴色に塗り替えられた審神者の爪を見て、今度は三日月が拗ねる番。
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