タイトル未定


【注意】

・政府職員(女)が主人公の夢小説。
・政府機関や呼称など、独自設定過多。
・何番煎じか分からない。
・政府職員とは別に女審神者(名前あり)がいます。

以上、何でも楽しめる方のみ閲覧ください。








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遮光カーテンの隙間から入り込んだ陽光が、未だ覚醒しきっていない意識に朝だと告げる。
もぞりと光から背けるように寝返りをうつも、今度は耳元で電子音が鳴り始めた。
朝日に触発されたかのように「朝だ、起きろ。」と急かす声に、くぐもった声で非難しながらその声を制止させ、再び寝返りをうった。


「んー…。」


ぼんやりとしたまま時計に目をやれば、時計の針は朝の7時を示していた。
いい加減に起きないと後の支度に支障が出てくる頃合である。

悪足掻きで更に二、三回寝返りをうってから、緩慢な動作で上体を起こす。
さあ、ここからが朝の戦いの始まりだ。

枕元に昨夜準備していた服に着替え、目指すは洗面所。
顔を洗い、スキンケアで肌を整えたら、朝食の支度にとりかかる。
といっても、冷蔵庫にある食パンとミルクを焼いたり温めたりするだけの作業であるが。
一人暮らしの気軽な身の上故に、自分さえ満足していれば不満の声など余所からはあらがない。
手短に朝食を済ませ、再び洗面所へ戻り、歯を磨いてから漸く外に出るための顔を作り上げる。

無難に化粧を施して思い出したかのように時計を眺めれば、何時の間にやら出発の刻限であった。
朝の数分というのは本当にあっという間に過ぎ去ってしまう。

急かされるように玄関を出ると、室内より幾分か冷たい空気が肌を撫でた。
ほんの数日前は突き刺すような熱を帯びたものだったはずが、気付けば季節は確かに夏から秋へと移り変わり始めている。

そろそろ衣替えをしなければと思いながら、足を進めること十数分。
目的地である職場へと辿り着いた。

仕事場に近いというのは、毎朝人混みを避けられる点で快適な通勤だが、その反面、住居費等生活面を考えれば割高になる場合が多々だ。
会社が都心から離れた場所にあるというなら話は別だろうが、生憎そうではない。
入社して数年の人間が住まうには身の丈に合わない生活を可能としているのには、多少なりとも訳がある。

当人の意思とは関係がない職業上の理由。
一言で言えばこれに尽きる。

さらに、会社というのも所謂お役所、である。
とある一省庁の一つだが、あくまで表向きの話。

自動扉を抜け手持ちのID証でセッキュリティの改札を通る。
ここまではどこにでもある職場の通勤だ。
一階のエントランスを真っ直ぐ進み、エレベーターで6階へ昇れば、そこは非日常な日常が待っている。


「おっ、あんたか。おはよう。」


エレベーターの扉が開かれ、朝一番に対面した相手、この美少年こそ非日常の代表格だ。
非の打ちどころがなく整った顔、人間離エナガたその美貌に、素性を知らぬ者は何故彼が朝からこのような場所にいるのか理解できないだろう。
よもや彼が少年でもなく、人ではない存在で、言わばこの職場の同僚のような存在だとは、世間の人々が思うはずもない。

そして、彼の腰に携えているもの…。
これこそが彼自身の本来の姿だと一体誰が信じようか。
この特殊な職場に配属されるまでは知る由もないことだった。


「おはようございます。薬研さん。」
「同僚なんだから薬研でいいって何度も言ってるんだがなあ。相変わらずお堅いな。」
「さん付けでも十分頑張っているのですけどね。」
「ああ、最初は薬研様だったもんな。」


そう言って彼は藤色の瞳を細めて笑う。
凝視するのはいろんな意味で心臓に悪いので、さりげなく視線を奥にある課内へと向けた。


「ん、そろそろ始業時間か?」
「ですね。…ところで、薬研さんの相棒は?」
「ああ、大将か。それがなあ…ちいっとばかし体調を崩しちまってな。まあ風邪だ。」
「え、大丈夫ですか。その、傍で看病していなくても?」
「そうしたいのは山々なんだが、生憎今日は外せない出張があってなあ。とりあえず俺だけでも行ってくれと言われたわけだ。」
「誰か他の方に代わってもらうとか、日程を変更できませんか?」


無難な代替案を出しても、薬研は首を軽く左右に振って否と答えるではないか。
薬研と彼の相方である同僚とは、同じ課内で仕事はするものの、グループ、すなわち担う仕事が違う。
扱う仕事が違うとなると、代理を引き受けることは難しい。
ましてや出張ときたら、代わりようがない。
殊に彼らのグループにおいての出張と言えば、通常の会社で言うような出張と訳が違う。
現場を知らない者が前準備なしのまま代打で赴くなんてことは、普通しない。
だから、空気を読んで軽く同情のつもりで言ったのだ。


「私が代わりに同行出来ればいいですけどね。」


この一言が後の人生を大きく方向転換させる事態になろうとは、今の時点で知る由もなかった。


「いいな、それ。そうしてくれると助かる。」
「は?いやいや、薬研さん。それは無理な話では?私完全な事務方ですよ?現場なんて行ったことは一度もありません。」
「別に首を落とされるわけじゃないんだ。それに、そこまで大層な任務じゃない。」
「さっき言ったじゃないですか。代わりが利かないって。」
「ああ、あれは同じグループの奴らも出張っていないって言う意味だ。代えが利かない訳じゃない。」
「だからって無茶な…。」
「無茶かどうかは上に決めてもらおうぜ。よし、そうと決まれば交渉だ。大丈夫、悪いようにはしない。」
(既に良いようにはされていない気がする…。)


ニッと悪巧みを思いついたかのような笑顔を向け、課内へ進んで行く背を眺め、頭を抱えたくなったのは…致し方ない。
始業のチャイムに急かされ、重い足取りで課内へ向かう。

同じ島の上司に朝の挨拶をして席につき、パソコンを開いたところで、ポンッと右肩に誰かが触れた。


「………なんでしょうか。」
「交渉成立だ。今日一日よろしく頼む。」
「………マジですか。」
「ああ、大マジだ。」


ギギギと油の切れたブリキ人形のように首を回して別グループの班長を見れば、目が合った瞬間にっこりと会釈をされて視線を逸らされた。
どうやら拒否権はないようだ。
突然すぎる無茶振りに呆然としているうちに、こちらの上司らとも交渉は成立してしまったようで、上司二人から「何事も経験。」とあっさり追い出されてしまった。

まさか、神様の言う通り!…な具合で推しきられたのではないだろうな。
視線を再度許可した班長へと向けるも、気づいているにも関わらず、彼はこちらに一切視線を合わせようとはしない。


(ああ、文字どおり神様のお願いは絶対ですかそうですか…。)


神様、そう、上と交渉してきたあの美少年は、人ではない。
刀に宿る付喪神。
配属される前の研修でその事実を知らされた時の驚きたるや、いや、そもそも配属されるまで就職先間違えたかと思うくらい信じられなかった。

彼らは審神者により人の姿をもって刀剣男士として権限させられ、歴史修正主義者なる敵から歴史を守るために戦っている。
審神者なる者は誰もがなれるわけではなく、いくらかの素養が必要なのだが、そのうちの一つに最低限ある一定の霊力があるらしい。
そして、審神者は主に本丸という異次元の空間で付喪神である彼らと共に生活している。

では何故付喪神である彼が、この一見すればどこにでもあるようなオフィスビルの一室で仕事をしているのか。
本来なら審神者とともに本丸を拠点にしているはずの刀剣男士だが、一部例外がいる。
それが政府機関で働く刀剣男士である。
彼らは政府機関専門で働く審神者より権限される者もいれば、ここにいる薬研藤四郎のようにある程度の霊力を持つ政府職員により権限される者もいる。
薬研の相棒こと主である同僚は、複数の刀剣男士を従える力こそないものの、一振りくらいであれば権限させられる力があった。
故にこの課、統括部管理課の現場チームに配属されたわけである。

もちろん政府全ての部局に彼ら刀剣男士が所属しているわけではない。
幸か不幸か彼らと畏れ多くも同僚として働くこととなったものの、何の力も持たない単なる事務職にとって、ここは肩身が狭いと感じる職場だ。
畏怖という念もあいまって、神様である彼らと極力関わりを避けていたのだが、どうもこの薬研は異動当初から何かと声をかけてくる。
課内にいる他の刀剣男士は、こちらの仕事上の付き合いだという雰囲気を察してか、いい意味で線引きをしてくれている。
それが彼らの性格故かどうかは分からないが、とにかく他愛無い世間話を振ってくる刀剣男士は彼くらいだ。
主である同僚がかつて民間の営業職で働いていたため、その快濶な性格が影響しているのだろうか。
いずれにせよ今となってはある程度慣れ合う仲となってしまった。


「さあ、行くとするか。」
「待って、私は何をすればいいですか。あと、必要な書類や荷物もあれば教えていただけると有難いのですが。」
「ん、そうだな。とりあえず書くもんだけ持ってくればいいんじゃねえか。」
「それだけでいいのですか?」
「大丈夫だ。後は俺に任せな。」


果たして同行の意味はあるのだろうか。
出発前にして既にそもそも論な疑問が浮かぶも、ここは経験者に任せる他ない。


(しがない事務職員は従うのみ。…ツッコミどころ満載だしツッコミたいけど。我慢我慢。)


これも勤めと心に刻み、薬研の後を追って課内を出た。



*****



エレベーターに乗り込み、向かう先は地下2階。
現世と本丸を繋ぐ転移門がある場所で、今まで足を踏み入れたことすらない未知の領域だった。
扉が開くと、長い一本の通路が姿を現した。


「付いて来てくれればいいとは言ったが、一応移動する前に簡単な説明だけはしておかねえとな。」
「ありがとうございます。」
「とりあえず、これが今回向かう本丸の情報だ。」
「私が拝見しても差障りは?」
「ないぜ。そもそもあんたたち事務側も目にしてる情報だ。」
「それなら…。」


A4のファイルを受け取って中身を見ると、当該本丸識別ナンバーに始まり、審神者のレベル、保有資材に所持刀剣の種類など、確かに普段目にしている情報ばかりだった。
ざっと目で追ってみる限り、これと言って問題となる箇所は見当たらない。
いや、もしかしたら見つけられないだけで何か重大な欠陥があるのかもしれなかった。
今一度注視して書類に目を通そうとするも、制止したのは書類を手渡してきた当の付喪神様だった。


「ああ、大丈夫だ。今日はただの面談日だからな。」
「え、面談?」


それだけならわざわざ日程に拘らなくともいくらでも調整が可能だろうに。
疑問が顔に出ていたらしく、「まあ、そうだろうな。」という答えが返ってきた。


「それに、危険な案件を別畑の素人に任せるなんざしないもんだ。」
「でしょうね。」
「上だっていくら人手不足でもそりゃあ………まあ、余程の場合はあるかもな。」
「………でしょうね。」
「ま、そうなった時はあんたくらいなら気にかけてやるよ。」
「有難いです。」


守ってやるとは言わない。
彼らの第一は主である審神者だ。
それでも目にかけてくれると言ってもらえるのは、十分幸運なことである。

審神者なしに彼ら刀剣男士はその身を保つことはできない。
審神者が彼らを呼び起こし、彼らがそれに応えて主従の契約を結ぶ。
そして、共に戦う。

裏方仕事の日陰者には少し眩しく映るが、だからと言って審神者になる素養がない身の上としては、ただ彼らを眺めるだけだ。
霊力も覚悟もない。
ないない尽くしなのだから、せめて自分の身の丈に合った努力をすればいいのだ。


「それで本題に戻るが、まず審神者と会って軽い問答…この書類にある質問事項を聞く。ま、世間話みたいなもんだ。それが終わったら、本丸内をざっと見て終了。」
「承知しました。」
「気張ることなんてないさ。この本丸は、あー、あれだ。俗に言うホワイトってヤツだ。俺たちの部署のが余程ブラックだぜ。」
「それは…羨ましい限りで。」
「よし、説明はこんなもんか。百聞は一見に如かずって言うしな。実際見た方が手っ取り早い。」
「はい。よろしくお願いします。」


簡易な事前説明もあっさり終わり最奥まで足を進むと、どうやら通路はT字路らしく、左右二手の道が姿を現した。
導かれるまま右へ進むと、セキュリティロックがかかった扉の前まで辿り着いた。
右手にある液晶に薬研が手を触れれば、扉はすんなりと開かれる。
中はエレベーターのようで、人が数人入れるほどの狭い空間しかなく、入ってみても造りはやはり普段目にするエレベーターの様相をしていた。
扉の両側にある液晶と数字を見ても、これが転移門だと俄かに信じがたい。
薬研が慣れた手つきで定められた数字を入力すると、床から青白い閃光が放たれる。
不意打ちの出来事に目を瞑るも、不思議なことに周囲に異変は起こらない。


「着いたぜ。」
「……え?」


言われて恐る恐る目を開けてみれば、眼前に続く光景に目を見張った。
開かれた扉の先、先程まで歩いてきた冷たいコンクリートの床は姿を消し、木目が綺麗な木造の床が先へと続いているではないか。


「ここが本丸…。日本家屋みたい。」
「まあそうだな。多少の差異はあっても大体がこんな感じの造りだ。」
「そう、なんですね…。すごい。」


思ったままを口にすれば、隣でくすりと笑いが漏れた。
笑われたことなど気にならないくらい、今自分が体験しているこの状況が衝撃的だった。
持ち前の好奇心が疼き出し、視線を左右に彷徨わせていると、薬研がこちらに視線を送ってきた。


「迎えが来たみたいだぜ。」
「え、あっ。」


つられて視線を正面へ戻すと、前方より一人、男がこちらへ歩いてくる。
ここにいる者と言えば、審神者か、あるいは刀剣男士か。
確か先程確認した資料によると、この本丸の審神者は女性。
つまり今目の前で歩みを止めたこの男は、刀剣男士ということになる。


「おや、担当が変わったのかい?」


ふんわりと少しばかりウェーブのかかった紫色の髪が揺れる。
男は二人を交互に見つめた後、薬研に視線を向けてそう問いかけた。


「いいや、彼女は代理だ。」
「そうなのかい。僕はてっきり彼がお役御免になったのかと思ったよ。」
「手厳しいな。そんなにうちの大将が気に入らないか?」
「彼は雅が分かっていない。来る度に主に言い寄られてはたまったものではないからね。」
「あれは“せーるすとーく”ってやつだ。大将の元職病だ。」
「全く、少しは自重してほしいものだね……っと、すまない。自己紹介が遅れたね。僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。」


薬研とのやりとりを所在無さげに眺めていた途端、ふいに話を振られ慌てて姿勢を正した。
柔和な笑みを浮かべこちらの自己紹介を待つ彼は、歌仙兼定。
記憶違いでなければ、この本丸にいる審神者の初期刀だ。


「初めまして。私はこちらの本丸を担当している369番、ミロクの同僚の04番、エナガです。」


04番、正確には、『ゆ・04番』。
政府の職員には一人一人固有の番号が振り分けられている。

システム上管理するためという理由もあるが、もう一つ、名前の代わりという役目もある。
時の政府が審神者なる者に刀剣男士を顕現させ、歴史改変を目論む者から歴史を守っている…ということなど、現世の人々は露も知らない。
審神者は勿論のこと、職員として働く者たちも、表向きは世間に知られている国の一省庁に所属していることとなっている。

しかし、彼ら全てがこの西暦2205年を生きる者で構成されているわけではない。
ごく僅かではあるものの、少し過去からこの時代に引き抜かれた者たちがいる。
過去の住人を未来へ呼び寄せること自体、一種の歴史改変ではないのかと疑義を持つも、上層部がそれを良しとしているのだからどうしようもない。
恐らく、歴史修正力が働く程度を見極めて彼らをスカウトしているのだろう。

加えて、審神者や職員と共同戦線を張る相手というのが、刀剣男士。
末端とはいえ神に属する相手であるから、おいそれと気軽に名を名乗ることは軽率だということ。

そうした特殊な立場のため、ここではお互いの氏名は伏せられており、現に同僚の本名もミロクとしか知らない。
ともあれ便宜上の番号呼びでは味気ないと、一部の職員の中にはお互いの番号を文字っている者もいるし、普通に渾名を名乗っている者もいる。
確かに数字の羅列で呼び合うのも、人数が人数故に限界があるというものだ。


「エナガ、雅な名前だね。洒落ていて趣深い。」
「ありがとうございます。この度はミロクの代理としてこちらに参りました。ミロクの同僚と言いましても、何分担当業務が違いますので、何か粗相がありましたら遠慮なくご指摘いただければと思います。」
「こちらこそ、業務外なのにわざわざ来てくれてありがとう。歓迎するよ。」
「よろしくお願いいたします。」


深く一礼した後、歌仙へ案内されるまま、応接間へと通された。
道中気配を感じてこちらの様子を伺う者、好奇心に負けて挨拶がてら寄ってくる者がいたが、まずは主に面会をと歌仙がやんわりと彼らを制して今に至る。

室内には審神者らしき女性が一人。
彼女に向かい合うようにして腰を落ち着ける。
エナガの隣には薬研、審神者の隣に案内役の歌仙が座る。


「初めまして、エナガさん。私がこの本丸の審神者、彩萌です。」


名乗りもしないのに名を言い当てられ、エナガは訝しんだ。


「ああ、すみません。先程三人の話を聞いていた短刀の子たちが、こっそり教えてくれたんです。」
「全く、盗み聞きした上に、密告とは…雅じゃない。」
「あ、いえ、見慣れない人間が訪れたら警戒するのは当然のことと思いますので、お気になさらないでください。」
「私の方こそ、久しぶりに同性に会えると聞いたら、つい嬉しくて。」


お恥ずかしいと頬を染めてはにかむ彼女に、エナガは親近感を覚えた。
刀剣男士を束ねる審神者と言えども、彼女もまた自分と同じ人。
男所帯での苦労も多いことだろう。


「私も同性の方とお話できるのは嬉しいです。」
「ありがとうございます。」
「さて、落ち着いたのなら話を本題に戻そうか。」
「そうだな。今回の面談は通常の定期面談ってやつだ。前回から何か変わりは…まあ愚問だろうな。」
「ああ、問題などあるものか。」
「歌仙、それは私が答える質問です。」
「いいじゃないか。どうせ答えは決まっているんだ。それに僕にも聞かれる問いかけだ。今答えても差障りないだろう。」
「まあそうですけど。」


言い包められたようで釈然としないらしく、彩萌は口元を少し尖らせた。
傍から見ているとどちらが主で部下なのやら、エナガが微笑ましく二人の光景を眺めていると、隣の薬研に唐突に話を振られた。


「よし、今度はエナガ、あんたの番だ。何か聞きたいことはあるか。」
「私…ですか。」


とはいえ、これと言って思いつく質問事項などあまりない。
世間話で構わないと来る前には言われたものの、やはり代理としてそれはまずいのではないか。
うだうだと自問自答しているうちに、視線は下へと下がっていく。

薬研の手元にある書類に記載された質問事項をちらりと伺うと、いつの間にやら全て良好にチェックがされている。
あの簡単なやりとりで全て可としていいのだろうか、些か不安が残る。


(まあ薬研さんが良しとするなら、それだけ信用に足る本丸なんだろうけど。)


そもそもグレー要素がある場所に、いくら職員と言えども素人を派遣したとすれば上の責任問題にもなるだろうに。
とにかくこれ以上の沈黙はこちらの精神衛生上耐えられそうにもない。


「えっと、何か困っていることとなどはありますか。」
「困っていること、ですか?」
「え、ええ。その、こちらからの指令が無茶振りだとか、新しい刀剣の顕現を増やせと言われて資材が枯渇しそうになるとか、演練の審神者の方で困った方がいるとか…。」


考えなしに言ってみて、その例えは政府側の質問としてどうなのかと盛大に後悔した。
あくまで面談であって、意見伺いに来たわけではないのだが。
そして意見を言われても、業務外のことなので対応できるわけではないのだ。


「職場環境も大事な要素だと思いまして…。」


苦し紛れにそう言い訳をしてから隣に救いを求めると、紫の瞳は十分だと言わんばかりに不思議と優しいものだった。
てっきり生温かい視線を向けられると思っていただけに、今度は別の意味で戸惑う破目になる。


「確かに環境は大事だな。で、何か困っていることはねぇか?心配しなくとも密告なんて無粋な真似はしないから、安心しな。」
「ええと、そうですね。うちの本丸は幸い無茶振りをされることはないですね。まあ鍛刀で少し資材が不安な時もありますが、戦力上無理に仲間を増やさなくても支障はない状態なので。」
「うちには政府の条件に見合った分の戦力もある。新たな刀剣男士もそれなりにいる。文句など言わせないさ。」
「おっ、言うねぇ。歌仙の旦那。」
「彼女と僕たちで築き上げてきた本丸だ。当然だろう。」


迷うことなく言ってのける歌仙に、彩萌も照れるように微笑んだ。
そこには確固たる信頼関係が読み取れ、それがエナガには少し羨ましかった。
結局、話は薬研の言ったとおり世間話で幕を閉じ、次は本丸内を調査…という名の散策が始まった。
彩萌は残る執務を片付けるため、歌仙とともに執務室へ向かい、「折角なので思いっきり探検してみてください。」という言葉のもと、エナガは彼女の本丸を歩き回っている。
共に来た薬研はといえば、彼女同様のことを告げて別行動をとっている。
顔を見せたいやつらがいる、と。

それにしても、本丸は広い。
審神者や刀剣男士らが暮らす屋敷だけがあるわけではなく、それに付随するように庭園や自然が広がっている。
現世から切り離された異空間と言えども、目の前に広がる景色は幻などではなく確かにある現実だった。

緊張で忘れていた好奇心がむくむくとエナガの内に舞い戻る。
縁側でせわしなく視線を行き来していると、ふと庭先にいた者と目が合った。

何者かは愚問だが、気まずくてエナガは慌てて視線を庭先から外すも、足音は遠ざかるどころか徐々に近づいてくるではないか。
咄嗟に視線を逸らしたので、相手をまともに見ておらず、彼がどのような刀剣男士であるかは分からない。
ただ視界に捉えたのは、見惚れるほどの日本庭園とその青々と茂る樹木にもたれ掛るようにして佇んでいた白の――――。


「わっ!」
「わっ!?」


意識を数秒程余所に向けていたのが仇となった。
完全に無防備だった耳元に飛び込んで来た声に、エナガは思わず声を挙げて文字どおり飛び上がった。
予期せぬ急襲に慌てふためく心臓が、バクバクと鼓動を速めてエナガを急かす。
事態を呑み込めず慌てふためく思考回路のまま、エナガが声のした方に首を回すと、今し方合ったばかりの金の目と再びかち合った。
それも、何故か鼻先が触れそうな至近距離で。


「いいいいいいいいt!?」


予想外の追撃で反射的に距離をとろうとしたのが、またまた仇となり、柱に側頭部を強打する破目となった。
痛い。非常に痛い。
一撃目に耐えた涙腺が、愈々結界したかのようで、涙目になりながら頭部を押さえた。


「いや、すまんすまん。そこまで驚くとは思わなくてなあ。しかし、驚かせ甲斐があったもんだ。」
「………それは、どうも。」


先程は不躾に見て悪かったなどという謝罪の気持ちは、一連の出来事ですっかり霧散していた。
むしろ、初対面の声掛けがそれなのかとか、限度があるだろとか、苦情を呑み込んだだけでも褒めてほしい。
いまだ引かない頭部の痛みに耐えながら、エナガは縁側に上がって来た加害者、鶴丸国永に向き直る。

審神者ではないが、職業柄、刀剣男士のことは知識として研修で教えられているため、容姿と名前を間違えることはほとんどない。
この遠目でも分かる白装束を身に纏い、一見すると薄幸そうな美青年。
実際口を開けば薄幸という二文字は遙か彼方へ消失する。
課内に鶴丸国永はいないものの、同僚たちの話や他の部署の同位体を遠巻きに見ているので、恐らく見当違いではないだろう。
口に出せばかなり失礼な見解なので、当然ながら心の内に留めて置くのだが。

とにもかくにも、ここで彼に目を付けられたのは、あまり良いことではないのかもしれない。
現に目の前の金色の瞳は、興味深げにこちらをまじまじと観察している。


「あの、私に何か御用でしょうか?」
「きみが新しい担当かい?」
「いいえ。私は代理でこちらに参りました。普段はこちらの担当の者とは異なる業務を受け持っております。」
「成程。ならきみの相棒は?」
「先程申し上げたとおりです。私は担当とは異なり、相棒となる刀剣男士はおりません。」
「ああ、今はいないんだな。」
「いえ、今後もその可能性は低いかと。」


採用時、政府職員に関しても一通りの適正検査なるものがある。
この過程で審神者の資質が見いだされれば、彼らは単なる政府職員ではなく審神者へと配属を転換させられる。
審神者として刀剣男士を率いるだけの素養がなくても、同僚のようにそれなりの霊力があれば、それに見合った職場に配属されるというわけだ。
幸か不幸か、エナガにはどちらの能力にも引っ掛からず、今に至る。
掻い摘んで概略を説明するも、鶴丸国永は然程納得していないようで、一人何やら口を溢していた。


「しかしなあ、…いやまあそう言うならそういうことにしておこう。」
「そうしていただけると有難いです。」


これで漸く解放されるかと思いきや、どうやら彼の追及はなおも続くらしい。


「一緒に来た薬研藤四郎は担当の相棒だろう?上が彼に同行するよう命じたのかい?」
「一応そういうことになります。」


正確には薬研が上に直談判した結果なのだが。
余計な一言を付せば、更に要らぬ追及が返ってくるのは目に見えているため、言わぬが花。
精一杯の愛想笑いを浮かべつつ、一歩一歩後退するも、鶴丸国永との距離は変わらない。
下がれば下がった分だけ、どういう訳か彼が距離を詰めてくる。


「あの、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか。」
「どうせこの本丸を見て回るんだろう。何事も先達はいた方が良いと思わないかい?」
「流石に迷子になるほどではありませんから。どうぞお気になさらず。」


暗にこれ以上関わらないでくれと告げているにも関わらず、鶴丸国永は空気を敢えて読もうとしない。
ここまで食いついてくると言うことは、もしかしたら主に仇名す者として警戒されているのか。
本丸の審神者たちとの面談が、いつの間にやらこちらへの尋問になろうとは…。
後ろに下がる度に心の悲鳴のように板敷が軋む。


「改めて申し上げますが、私は同僚の代理であって、別にこの本丸をどうこうしようという思惑は一切ありません。しようもなにもできる能力も顕現もありません。」
「なんでそうなるんだ。大体あの薬研が連れて来たんだ。疑う必要なんてないだろう。」
「なら何故近づいてくるのですか?」
「ああ、それはだな。そうして逃げられると追いかけたくなるってもんだ。分かるだろう?」
「申し訳ありませんが、分かりたくありません。」


それだけかよっ。
内心声を大にして指摘したかった。
何が悲しくて逃げ腰というだけで、この真っ白白助に付き纏われなくてはならないのか。
そうでなくともぐいぐいと距離を遠慮なく詰められるのは苦手なのだ。
たまったものではない。

薬研の同行者として赴いたはずが、ただのお荷物となっては居た堪れないものがある。
けれども一人では目の前の白い神様をかわすことが出来ず、万事休すと頭を抱えていると、窮地を救う天の声ならぬ端末から電子音が鳴り響いた。
救いの手とばかりにスーツのポケットから端末を取り出して、通話をオンにする。


「はい。管理課04番です。」
「管理課の21だ。つい先程上から届いた通知だが、統括システムの不具合が見つけられた。今、情報統合部が対処しているところだが、念の為気をつけてほしい。詳細は通知文を見てくれ。通知文は同行されている薬研様にもお送りしてある。」
「承知しました。」


通知を切って即送られてきた件の通知文に目を通す。
システムの脆弱性が新たに発見されたので、情報統合部にて対応中とのこと。
対応中はシステムが不安定になることが想定されるため、改善されるまで警戒を怠らないように。
要約するとそのような伝達文だった。

現世でいうサイバー攻撃に各自端末の扱いには十分注意するように…であれば「なんだそんなことか。」と安堵するのだが、如何せんここでいう統括システムというのは、職員各自が所持する端末のネットワーク環境をさしているものではない。
審神者たちがいる本丸の異空間制御に関わるシステムである。
いつの時代も技術は日進月歩というわけで、セキュリティを強化すればまた別のところから攻撃を受け…と、日々鼬ごっこを繰り返している。
先の上司からの連絡にしても、緊急を要するのであれば一旦この場から撤退しろと指令が入らない時点で、今回もまたいつものように定期的なメンテナンスだが、念には念をということで知らせてくれたのだろう。
一人納得して端末を閉じようとするも、頭上からの視線にはたと見上げれば、案の定、先程まで押し問答を繰り広げていた鶴丸国永が、画面を覗き込んでいた。


「不具合か…。」
「いつものシステム更新みたいな感じだとは思いますが、何か気になることでも?」
「いや、今のところその不具合がこの本丸に影響を与えているという感じではないな。」
「影響……結界とかでしょうか?」
「まあとりあえずはそれだろうな。」


外部からの襲撃に対して政府は複数の策を講じているが、主だったもので言えば、結界がある。
審神者が張る結界の外側に、もう一つ、政府が構築した結界が存在し、それを制御しているのが件のシステムである。
このシステムに不具合が生じたりすると、一時的に結界が不安定になり、結果的にその力が弱まる。
とはいえ、システム管理側がすぐさま対応、強化するので、非常事態になることはほとんどない。
あくまで上司の言うとおり念の為の通知というわけだ。
いざ何か事が生じた際、知らせなかったとあれば政府側の落ち度として非難されるのを免れるという一種の責任逃れとも言うが。


「念の為薬研さんにも確認してみます。」
「ああ、そうと決まれば探すとしよう。」


だからなんで付いて来ようとするんだ…。
一人になれる機会のはずが、この刀、同行する気満々である。
げんなりとした顔にならないよう、ともすれば口角が引き攣りそうになるのを極力堪え、エナガは今一度逃亡を試みる。


「…いえ、私一人で十分です。わざわざ探し回らなくとも端末で連絡をとれば事足りますので。」
「それじゃあ折角の探検が無駄になってしまうだろう。この本丸に来た時、それはもう冒険したくて堪らないという具合にうずうずしていたじゃないか。」
「え、見ていたのですか?」
「あちらこちらに視線をくるくると彷徨わせて、仕事でなければ問答無用で探索していたんだろう?」
「…ご案内、よろしくお願いいたします。」


これ以上の問答をすればするほどこちらの分が悪くなると判断したエナガの切り替えは速かった。
端末をさっさとポケットにしまい込み、業務上の笑顔を鶴丸国永へ向ける。
そんな彼女の行動に満足したのか、鶴丸国永は一笑すると、


「さあ冒険の始まりだ。」


くるりと向きを変え、先へと歩き出した。



*****



轟々と燃え盛る赤を横目に、薬研は黙々と手持ちの資料を眺めている。
その傍らにはゆらめく炎と薬研を交互に見つめている一匹の狐らしきもの。
政府から各本丸へと派遣されている管狐、通称こんのすけ。
それが彼の正体である。


「如何でしょうか?」
「いや、如何も何も問題ないぜ。」
「でしたら何故こちらにいるのでしょうか?」
「あー、そうだな。かくれんぼだ。」
「かくれんぼ…ですか。」
「ああ、だからちいっとばかしいさせてくれ。」
「左様ですか。」


夏が終わったとはいえ、まだ暑い日もある。
そんな中、ここ、鍛刀部屋にいるのは些か熱くないのだろうか…という疑問は、刀の付喪神には愚問なのかもしれない。
いや、それでも今彼らは人の身を受けているのだから、程度こそあれ暑さ寒さを感じているだろうに。
自身の方が熱気に中てられそうになるのを耐えつつ、こんのすけはそれでも薬研の傍にいた。
この場にいない審神者に代わって、薬研から何か指摘があれば出来る範囲で回答しようと思っていたのだが、指摘事項は何もないらしい。
さてさて、どうしたものかと手持無沙汰になりつつあるこんのすけが考えあぐねていると、空気を読んだかのように薬研が持つ端末が声をあげた。


「ん、なんだ……。」
「どうかなさいましたか?」


資料から目を離して通知を見れば、上からの伝達文だった。
件名からしてシステムの不具合修正と分かる。
ここ最近、このような不具合やら敵側からの攻撃やらで、急遽システムを改良するということを繰り返している。
何時の時代もただ武器を持って戦うだけが戦ではない。
不安げにこちらを見上げてくるこんのすけの頭を撫でると、こんのすけは気持ちよさそうに目を細めた。


「いつもの不具合修正だ。多少は結界が不安定になるかもしれないが、管轄部局が対応してくれるさ。」
「だといいですが…。」
「まあ心配するなってのが無理な話だな。システムに障害が起れば一番に危険に晒されるのが本丸だからな。」


襲撃が危惧される深刻な不具合なら単なる通知ではない。
しかし、こうも不具合が生じてばかりではこんのすけが不安がるのも無理はないというものだ。
それだけ敵側のシステム攻撃に過敏になっているのか、あるいは、既に攻撃を受けたが故の被害なのか。
思案に耽りそうになるも、近づいてくる足音に薬研の思考は一時中断する。


「おっ、ここだな。入るぜ。」
「その声は…鶴丸の旦那か。」


戸が開け放たれたかと思えば、ご名答と言わんばかりにニィっと笑みを浮かべた鶴丸国永と、彼の背に隠れるように部屋を覗き込むエナガだった。


「まだ暑いのにこんな所に引き籠っているとはなあ。こんのすけと我慢比べでもしているのか?」
「どちらかと言えば、かくれんぼだな。」
「へえ、ってことは俺たちが鬼ってわけか。」
「そうなるな。」
「どうだ、探索し甲斐があっただろう?」
「え、ええ。そうですね…。」


得意げに言う鶴丸国永に、エナガは若干笑みを引き攣らせた。
薬研捜索が目的だったものの、何も言わなければ本当に探検に連れ出されかねなかったのだ。
必死に説得(懇願)して当初の目的を優先してもらったわけだが、その交渉でエナガの気力はかなりすり減っていた。

二人のやりとりを黙って見ていた薬研は、彼の言動と彼女の表情で凡その検討がついたのか、苦笑を禁じ得なかった。


「それで、ここはどういう部屋なのでしょうか。」
「鍛刀部屋だ。審神者が俺たち刀剣男士を顕現させる場所って言えば分かるか。」
「はい。存じております。」


縁がないとはいえ、研修で一通りの知識は叩き込まれている。
視線を薬研の奥へと向けると、手のひらサイズの妖精のような者たちが、忙しなく動き回っている。
彼らが働いているということは、恐らく鍛刀の最中ということなのだろうか。
字面を追って得た知識としてしか理解していないため、いざこうして実物を目の当たりにすると、やはり気になって目が行ってしまう。


「気になるのかい?」
「はい。初めて見るものですから。」


素直に肯定すると、返って来たのは鶴丸国永でも薬研でもない別の、柔和な女の声だった。


「では試しに鍛刀してみますか?」
「え?あ、彩萌さん。」
「審神者様!」


こんのすけが彩萌へとかけよると、腰を落とした彩萌に向かって飛び込んだ。
両腕でこんのすけを抱き上げ、彩萌は再度エナガに視線を向ける。
その微笑みは愛らしく、しかし、どこか悪戯っ子が見せる含み笑い。
彼女の笑みの真意を理解したのか、鶴丸国永もまたその口角を僅かに上げた。
心なしか嫌な予感がエナガを襲う。
否定の意を求めて薬研を振り返ると、そこにはむしろ否定どころか彼らに同調したとばかりに頷く薬研の姿があった。


「あの……鍛刀はされておりますよね?」
「ええ、本日の日課分はあれで終了しました。」
「それでは追加でとり行うわけですか?」
「いいえ、私は今出来上がった彼を引き取るだけです。」


どうも雲行きが怪しい。
最後の頼みの綱であるこんのすけを見るも、どうやらこの管狐も他の者と同意見のようで、ふわふわと柔らかな尾を左右に振っている。
四面楚歌。
何故か分からないが(分かりたくもないが)そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


「鍛刀するのは、あんただよ。」
「無理です。薬研さん、あなた知っていますよね?私は刀剣男士を顕現するだけの霊力がないことを。」
「そりゃ採用時の話だろ。物は試しだ。幸いここの主が良いと言っているんだ。」
「何が幸いなんですか。部外者が余所の本丸で鍛刀を行っていいわけないでしょう。規則で禁止されています。」
「あら、そうだったの。」
「……主、そこはせめて確認しておこうぜ。」
「まあ俺としては次の検査後でもいいんだがなあ。」
「検査って…健康診断をしたところで何かが変わるわけではないかと。」
「それは――――。」


薬研の声を遮るように、甲高い電子音が薬研とエナガの端末から発せられた。
緊急事態を知らせる警報に、二人はもちろん残りの者たちの間にも緊張が走る。


「はい、こちら04番。」「ああ、俺だ。」


ほぼ同時に通信を繋げる。
声の主はそれぞれの上司からだった。


「「緊急事態だ。システムセキュリティが破られた。」」


数秒の時差でこんのすけが政府からの通信を受信した。


「審神者様、緊急事態です。統括システムの脆弱性を衝かれ、現在一部の本丸の結界に支障が出ているとのことです。」
「……分かりました。鶴丸、石切丸と青江に結界の確認を。綻びが見えるようなら、三日月たちを呼んで結界の補強をお願いします。念の為、乱たちに周囲の偵察も併せて頼みます。」
「ああ、承知した。」


彩萌からそれまで見せていた柔和な笑みが消え、彼らを束ねる本丸の主、審神者としての毅然とした顔へと変わった。
彼女の変化に釣られるように、周囲の空気も緊張の色を纏う。
エナガはそんな一連の状況の変化をただ眺めていることしか出来なかった。


「とりあえずお二人はここで待機していてください。」
「ああ、分かった。そうさせてもらうぜ。」


答えたのは薬研である。
彼らが部屋を立ち去った後、閉じられた室内でエナガは暫くぼんやりとしていた。
仕事柄、演練での刀剣男士たちの戦いを目にしたことも、彼らが戦場で時間遡行軍と対峙する場面を見たこともない。
だから知識として理解しているものの、いまいち現実味を帯びていなかった。
それが今、予期せぬ事態により愈々現実として目の前に現れようとしている。


「大丈夫だ。この本丸の奴らは強い。」
「…気にかけてくれるんですよね?」
「ああ、勿論だ。俺も大将の具合を看に帰りたいからな。あんたを置いて帰ったとなったら、決まりが悪い。」
「それは有難いです。足手まといにならないよう、せめて足だけは動かします。」
「そうしてくれ。襲撃があった場合、流石にあんたを背負って逃げるには、ちいっとばかし転移門から離れているからな。」
「今減量をしなかったことを盛大に後悔しています。」
「余裕じゃねぇか。」
「というよりも、何かを話していないと逆に不安になるので。ご迷惑をおかけしてすみません。」
「いいや、こっちも退屈しなくて済む。」


ニッと笑って薬研がエナガの肩に触れた。
その感触にほっとエナガが息をつくも束の間、薬研の視線が途端厳しいものへと変わった。
触れてきた手に心なしか力がこもる。


「薬研さん?」
「おいでなすった。」
「え…?」


何が…と問うより先に、ドンッと大きな地響きが遠方より聞こえてくる。
最悪の事態が起ころうとしていたことは、現場に疎いエナガでも分かった。
安堵で緩んだ体が再び緊張と恐怖で強張り出す。


「……マズイな。転移門近くか。」
「そんな、どうしたら…。」
「場所が場所なだけに、こりゃ下手に動かない方が良さそうだな。」
「……そう、ですか。」


外の状況が分からないだけに、下手に非戦闘要員の素人が近づくのは足手纏いにしかならない。
それは素人のエナガとて考えなくとも分かる事実だった。
言い知れぬ不安から、エナガは自身を両腕でぎゅっと抱きしめる。
重苦しい沈黙を破ったのは、外からの声である。


「薬研様、エナガ様。」
「こんのすけか。戦況はどうだ?」
「転移門付近の結界が一部破れ、遡行軍が侵入しました。審神者様と刀剣男士の皆様が、結界の修復及び遡行軍に対応されています。」
「そうか。」
「お二人はこちらで今暫く待機してください。それと、審神者様から護符をいただきました。これで最低限の敵は防げるかと。」
「わかった。こちらは上に状況を報告し、救助を要請しよう。」
「ありがとうございます。では私はこれで。」


小さな足音が遠ざかって行く。
何も出来ないまま見守っていると、頭上から名前を呼ばれた。
ハッと慌てて見上げれば、藤色の瞳とかち合った。
宝石のように澄んだその色は、いつものような温かさを含んでいながらも、奥底に鋭利な冷たさを孕んでいるように感じられた。


「…上に状況を報告します。」
「ああ、頼む。」


不安を紛らわすように端末を取り出すと、緊急時用のシステムを起動させる。
文字を入力する指先が僅かに震えつつも、出来るだけの情報を様式に打ち込んだ。
僅か数分ほどの作業が長く感じられたのは、恐らくこれが初めてのことだろう。

送信し終えてから窺うように薬研を見上げると、視線に気づいた薬研が小さく微笑んだ。
その微笑を見て、エナガは本日何度目かの緊張が僅かに解れるのを感じた。
ほっと息をつくと、気力も同時に抜け出したのか、漸くエナガは姿勢を崩した。
背後で火の粉が燃える音を聞きながら、エナガは今一度心を落ち着かせるように瞳を閉じた。



*****



ドッと大きな肉の塊が地面に崩れ落ちる。
しとど流れ出す赤を無言で一瞥し、鶴丸国永は刀身に付いたままのその赤を払い捨てた。
刀身を鞘に納めると、背後から静かに近づいてくる者へと振り返る。


「終わったようだな。」
「お、山姥切か。そっちも片付いたようだな。」


襤褸の外套を被った男、山姥切国広は、肯定するように深く頷く。


「それで、主は…ああ、あそこか。」
「石切丸とともに結界の修復にあたっている。政府の結界は未だ綻んだままだからな。」
「そうか…。敵を一掃したとはいえ、システムの回復はまだかかるってのがなぁ。」
「こればかりは俺たちではどうにもならない。…主の負担が増えるのが気がかりだが。」
「そうならないためにも俺たちは俺たちで出来ることをするしかないな。」
「ああ…。」


どちらからともなく足を進めた先は、言わずもがな、彼らの主のもとだった。
審神者と傍らにいる石切丸の視線はなおも目の前の亀裂へと向けられている。
今でこそひび程度のものとなったが、一時は人数人が容易に通り抜けられるほどの大きさまで穴が開いていた。
その亀裂も逆再生するように徐々に景色と同化していく。

さらに数分をかけて亀裂が完全に修復されると、審神者の結ばれた印が解かれた。


「一応修復し終えました。後は政府のシステム回復を待ちましょう。皆さん、ありがとうございました。」
「お疲れ様、と言いたいところだけど、念には念を入れた方がいいだろうね。」
「勿論、石切丸の言うとおり。政府からの連絡が入るまでは持ち回りで結界の状況を見て回ってもらいます。」


重々承知と言うように、審神者は隣の石切丸を見上げて笑顔で頷いてから、再び視線を戻すと、わざとらしくため息を溢す。


「遡行軍って本当空気が読めない輩ですよね。」
「どういう意味だい?」
「折角職員さんに鍛刀してもらおうと思っていたのに、ぶち壊しですよ。」
「おいおい、主。それは駄目だって話だっただろ?」
「鶴丸だってノリノリだったでしょ?」
「そりゃあ主が乗り気だったからなぁ。禁止されてるとは思わなかったぜ。」
「そうやって私のせいにするのはどうかと思いますが。」


自分だけ逃げるなとじと目で睨まれ、鶴丸国永は肩を竦めた。
確かにあの政府職員に鍛刀させたら面白いことになりそうだとは思った。

霊力がないと彼女は言っていた。
だから顕現出来ないとも。

果たしてそれは事実かどうか、当時の彼女はどうであったか定かではないが、今の彼女なら結果が見える。
きっと主もそう踏んだからこそ、試してみたい気持ちに駆られたのだろう。
とはいえ、いくら面白くとも規則を破って、主に何らかのペナルティを科せられるまでして試させる気は更々ない。
それは主とて同様だと思うのだが、如何せん、この主、興味本位で時折突拍子もない行動に出る癖がある。
前例を上げれば、あの政府短刀の薬研をここで彼に顕現させたことだろう。

担当である彼が赴任してきた当初、検査で刀剣男士を顕現できる能力があるかどうかの微妙な霊力と診断されていた。
近々政府から相棒を務める刀剣男士と会う予定だったらしいが、主である彼女が物は試しと挨拶がてらという軽いノリで、彼に鍛刀させてしまった。
五分五分か若干難しいかと踏んでのものだったが、試してみたら思いの外あっさりと成功してしまったものだから、驚きものである。
その当時、規則云々などがなかったというわけではないだろうが、恐らく赴任してきたばかりである担当の彼は、それについて知らなかったのだろう。
薬研と対面しての驚愕と、自ら呼び寄せた相棒に出会えた歓喜とで、彼は大層興奮していた。
後々になって事の重大さに気づいた…というところが十中八九真実ではなかろうか。

そもそも今回代理できた彼女に禁止事項だと告げられるまで、鶴丸国永はもとより、本丸の者たちは知らなかった。
あの主のことだから知らぬ顔だった可能性があるが、まあ茶目っ気な悪戯の範疇だと言われたら、(一部の過保護な刀たちからしたら)少々肝が冷えるかもしれないが、鶴丸国永としては良い驚きを提供させてもらったから良しとしている。
当の担当自身が事実を口外していないあたり、彼女に被害が及ばないよう、前職の交渉力とツテを有効活用したのだろう。
次に彼が訪ねてきたら、これを口実にからかってやるのも手かもしれない。

今後の楽しみが増えたと鶴丸国永が一人思案に耽っていた折のことだった。


「あ……っ。」
「主?」


それまでじと目でぶつくさと不満を溢していた審神者が、何かに気づいたように小さな声をあげると、固まった。
数秒ほど遅れて隣にいる石切丸もハッと表情を凍らせる。
二人は揃って振り返る。
視線の先は、件の薬研とあの政府職員がいるあの部屋―――。


「まさか―――!」
「―――ッ!いけない!」


声を発したと同時に、遠くで結界が割れる音がした。



*****



静まり返った鍛刀部屋にて、手持無沙汰を慰めるようにエナガは周囲に視線を彷徨わせる。
部屋が部屋なだけにあるのは資材だらけ。
先程までせっせと小さな体を動かしていた鍛冶師らは、仕事を終えどこかへと身を潜めている。

ちらり、と、横目で薬研の様子を伺うも、相変わらずその表情はいつも目にするそれよりも厳しいまま。
部屋の外での戦いはどうなっているのか、常人では読み取れない。
ただ何となく、そう、何となくではあるが、胸中に渦巻く嫌な予感は、なおも消えることなく警鐘を鳴らしている。
少しでもこの不安を宥めるように、両手を胸にあてて深呼吸を繰り返していると、薬研から小さな嘆息が漏れた。


「……終わったようだな。」
「そう、ですか。良かった。」


ほっと安堵していいはずなのに、胸中の不安は一向に消えない。
いまだ訴えかけてくる警鐘音のように、鼓動が早鐘を打っている。

一段落したはずが、顔色が優れない同僚に薬研が不審に思って声をかける。


「どうした。まだ落ち着かないか?」
「はい。何だかまだもやもやすると言いますか、嫌な予感がするんですよね。心配性だからですかね?」
「………。」


これ以上迷惑かけまいとぎこちない笑みを返してくる同僚に、薬研の表情が曇る。
嫌な予感が拭えない、と、彼女は言う。
薬研の読みが正しければ、向こうの戦闘は一通り片が付いたはずだ。
ただ単に、彼女の感情が現実に追いついていないだけなのか、あるいは―――――。


「――――ッ!?」
「え、どうかしたんですか?薬研さ――!?」


キイイイインッ―――と、耳を塞ぎたくなるようなノイズが頭上から鳴り響いてきたかと思えば、世界が一変した。


「そうきたか。」
「え……?」


轟音とともに目の前の天井が破壊され、降り立ったのは黒い霧に覆われた巨体。
その巨体に見合うように、手にした凶器は巨大なものだった。

大太刀。
視界に映し出された光景に、エナガは息を呑む。
知識としてしかない存在が、今、目の前で己が存在を脅かそうとしている。


「どうして、結界が……?」
「部屋ごとブチ壊しちまえば、あってないようなもんだからな。」
「あ……。」


エナガを庇うように薬研が前に立つ。
その手には己が本体である短刀が握られている。
短刀と大太刀、素人目で見てもこちら側の分が悪い。
薬研だけであれば、隙を見てここから離脱も可能だろうが、こちらは足手纏いの非戦闘員である自分がいる。

自分を捨て置けだの、応援を呼んでくるだの、そうした決断ができるほど、覚悟も機転もなく、ただ思考が停止したままだ。
煩いくらい無駄に動いているのは、左胸の鼓動のみ。


「…おい。」
「あ、……はい。」
「しっかりしてくれ。意識をやっちまったらお陀仏だぜ。せめて悪足掻きくらいしてくれよ。」
「り、了解。」
「その意気だ。いいか、俺がヤツを何とかしているうちにここから離れろ。」
「そうしたいのは山々なんですが…。」


実を言えば、座っていたのが災いして、腰が抜けて動けない。
エナガの様子で全てを察した薬研は、こちらの出方を探っている大太刀を睨みつけたまま、


「おい、お前ら。俺がヤツを足止めしているから、こいつに手を貸してくれ。」


エナガ以外の何物かに声をかけた。


「え…?」


お前らとは一体誰なのか。
問いかけようにも、薬研の意識は既に目の前の大敵にしか向いていなかった。


(隙を衝いて懐に飛び込めればいいんだが…。)


大太刀との間合いを探るも、敵も馬鹿ではないもので、そう易々と距離を詰める隙を与えてはくれそうにない。
室内という限られた空間内において、一対一で戦闘を行うなら、薬研に分がある。

しかし、彼の背後にはエナガがいる。
凶刃を薬研が避けようものなら、動けない彼女は成す術なく頭から真っ二つ。
ここで潔く『私に構わないで。』と言えればいいが、生憎そんな覚悟があれば今頃腰など抜かしていない。


(足手纏いにしかなってない。)


双方膠着状態なのを良いことに、自己嫌悪に苛まれ現実から目を背けるようにエナガが視線を床へとむけると、そこには―――。

ちょんちょん。
何時の間に現れたのか、件の小さな鍛冶師が己の存在を知らせるように、エナガの指先に触れていた。

恐らく薬研の言うお前らとは、彼らのことだろう。
では手を貸すとは……。


(まさか―――!)


いくらなんでも無茶振りだ、と、エナガは思わず薬研を見上げた。
背を向けていて表情こそ見えないものの、エナガの疑念を肯定するようにフッと彼は笑ったような気がした。


「さて、覚悟はいいな。」
「…………。」


「いいか?」でも、「いいな?」でもない。
薬研の中でエナガが動くのは既に確定事項だった。
いずれにせよ、これが生き残る最後の機会ということだけは分かった。

生きるか、死ぬか。
いや、生きたいか、死にたいか。


(そんなの…決まってる――!!)


薬研とエナガが動いたのは、ほぼ同時だった。
薬研は地を勢いよく蹴ると、大太刀の懐目がけて飛び込む。
エナガは既に鍛冶場で待機している鍛冶師へと向かい駆け出した。
それまで抜けていた腰も、踏ん切りがついたのか、何とか持ちあがった。
数十センチほどの距離がこれほど長ったのは、これが初めてだろう。
振るえる膝のせいで半ば崩れ落ちるように鍛冶師のもとへ辿り着く。
背後でドッと何かが壁にぶつかる鈍い音とうめき声が聞こえたが、今は自分のなすべきことに集中するしかない。


(大丈夫、出来る。大丈夫……。)


振るえる手で二種類の札と場に合った資材をありったけ鍛冶師に渡す。
手渡した刹那、内から湧き出す何かが、鍛冶師と資材に触れた手を解して流れ出たように感じた。
後は…祈るしかないと、エナガが両手を組み、目を閉じた矢先、


「――ッ、エナガ、逃げろ!!!」
「え…?」


声に応じて振り返ると、ポタリと額に温かな液体が流れ落ちた。
それが何であるかを認識するより早く、視界に飛び込んで来たのは、黒く巨大な体躯と、それに見合った大きな刃。


「あ……。」


ぞわり…と全身の気力が根こそぎ奪われるのをエナガは感じた。
折角動いた足も、再び感覚を失い床に根を張ってしまっている。
動かないエナガを見て、戦意喪失を悟ったのか、大太刀はゆっくりと得物を構え直すと、狙う先を見定めてから容赦なくそれを振り下ろした。


「――――っ。」


襲って来るであろう痛みから背けるように、エナガは目をきつく閉ざした。
1秒、2秒、3秒。
数秒経過しても激痛は一向に訪れることがなかった。
不審に思って恐る恐る目を開けると、まず視界に映ったのは薄紅の花弁が舞う様。


(桜…?)


はらり。
手の甲に一片舞い落ちる。

この季節、そして、室内に舞う花弁など、一つしかない。
ハッと弾かれたように顔を上げると、目の前には尚も聳え立つ大太刀がいた。
視界を閉ざす前と異なるのは、エナガの目の前にいる存在により彼の凶刃が防がれていること。
目を見張る光景に、先程とは違う意味でエナガは声を失った。

目の前の彼が何者であるか、そして、彼が誰であるか。
今のエナガにとっては、愚問だった。

視界の片隅に映る眩しいばかりの純白。
ほんのつい最近、このような惨状が起る前に捉えたあの色―――。

なおも呆然としているエナガの眼前で、刃と刃が鬩ぎ合う。
両者の拮抗を崩したのは、この場にいたもう一振りの加勢だった。


「柄まで通ったぞ!」


ガラ空だった左脇を衝かれ、ぐらりと巨体が右へゆらぐ。
柄を握る彼の力が緩み、併せて巨大な刃に加わる力が弱まった。
それをもう一振りの太刀が見逃すはずもなく、一気に弾き返すと構え直す隙を与えず、間合いに入り込む。
その結末が予測できたエナガは、思わず目を背けた。

肉が斬れる音がした後、ぐしゃりと大きな物が崩れ落ちる音が聞えた。
全てが片付いたのを悟ったエナガは、再び閉ざした視界を開けて前を向く。

目の前には満身創痍だがこちらを見て、ニッと笑う同行者である薬研と、白装束の男。
エナガの視線に気づいた男が振り返り、一笑してから漸く件の口上を述べた。


「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」







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