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カチカチカチ……――。
時計の音が妙に反響するくらい静かな室内に一人と一振り。
双方黙々と己が仕事をこなしている。
ふと、それまで手を動かしていた女が、チラリと壁にかけられた時計を一瞥した。

「そろそろ昼にしましょうか」
「…ああ」

これが朝の挨拶を交わして仕事に就いてから二回目の会話になる。
そして、昼の休憩、つまり昼食を摂ることになるのだが、これもまた双方別々の場所で摂っている。
館の主である審神者はこの場で、近侍である大倶利伽羅は他の男士らがいる食堂で。
審神者が彼らのいる食堂へ顔を出したことはない。
それどころか、彼らが作る料理を食べることもあまりない。
まれに厨に赴いて料理を分けてもらいに来る時こそあれ、食事は自室で摂っている。
何故彼女がそうするのか、大倶利伽羅は聞いたことがない(聞く気もない)が、お節介な身内がわざわざ彼に話して聞かせてきた。
自分の今までの生活リズムを崩されたくない。
自活能力の低下は避けたい。
主にこれらが理由らしい。
たまには皆に交じって食事を摂ってもいいではないかと身内が誘うも、彼女は頑なに遠慮しているとのこと。
だからだろう。

『君からも言ってくれないか、伽羅坊』
――など、彼が大倶利伽羅に頼んできたのは。
要するに、押しても駄目なら引くのではなく、押す側の相手を替えるという発想に出たのだ。
とばっちりで近侍に任命された大倶利伽羅からすれば、全くもってたまったものではない。

そう、とばっちりの近侍。
近侍という任に執着する刀もいるが、生憎大倶利伽羅には興味がなかった。
殊に前任の審神者での印象が悪すぎたせいもある。
当初こそ第一部隊として出陣の機会が頻繁にあると考えでいたが、一度任命されて以来、とんでもない勘違いだと思い知らされた。
隊長としての責務云々のことではない。
近侍として、あの女の“お守り”をしなければならないことが一番の問題だった。
幸いなことに当の前任である審神者も一度大倶利伽羅を近侍に任命して以来、何かを悟ったらしく二度と彼を近侍に据えることはなかった。

さて、面倒なお守りから解放され、漸く本来の役目である戦に出られるかと思えば、度重なる撤退続きによる彼女の意欲低下で出陣の許可もままならない。
それどころか、そんな彼女の意欲をこれ以上低下させないよう、身内が“更なるお守り”をする羽目になろうとは。
今でこそ当の身内は嬉々として後任である今の審神者をかまい倒しているが、あのまま審神者の代替わりがなければどうなっていただろうか。
考えたくもないし、そもそも仮定の話など意味はない。
この本丸に残ることを決めた以上、今の主は目の前の女であることに変わりはないのだから。
戦に出られないのならここにいる意味などないとして、当初こそ本丸に留まる気はなかったものの、今なお大倶利伽羅がこうして居るのは偏にお守り役だった身内らの引き留めによる。
折角肉体を得たのだから還るのはまだ早いだの、まだ旧知の短刀にも会えていないのだからもう少し待ってみてもいいだの。
前任の主のお守りを結果として二振りに担わせてしまった手前、そうした彼らの思いを無碍にすることは出来なかった。
とはいえ、後任には前任同様女の審神者が来ると大倶利伽羅が知ったのは、後任がやってきた当日である。
奇しくも後任である審神者が管狐よりこの本丸の事情を知らされた日と同日だった。
よりにもよってと苦虫を噛みしめた表情の大倶利伽羅に対し、身内はけろっとしていた。

『案外良い風が吹くかもしれないぜ?』

根拠こそないようだが、そう言って笑う彼はとても楽しそうだったのを覚えている。
彼の予言を余所に、新しく着任した審神者はその風を起こすのを良しとはしなかったようで、初日に本丸の刀たちに挨拶をして以来、近侍を置くことなく一人黙々と執務に執りかかった。
流れが変わったのは、やはり停滞を良しとしない身内の投じた一石から。
経緯はどうであれ、彼女は仮初めとはいえ近侍を置くことを決めた。
ただ、その第一の刀選が問題だった。

鍛刀した刀を近侍にする。
そこまではいいが、引きが良いのか悪いのか審神者が鍛刀したのは、あの三日月宗近である。
恐らく当の審神者も己が狂運をこの時ばかりは呪ったのだろう。
広間で事情を淡々と説明する彼女の目に宿るのは、希有な刀を引当てた喜色ではなく、今後を思い浮かべて嘆く暗いもので、心なしか遠くを見ていた気がした。
どちらかと言えば隣にいた白い身内の刀の方が、嬉しそうにはしゃいでいたような。
一人と…特にこの一振りの温度差がなければ大倶利伽羅とて和泉守らが懸念したことを思い浮かべただろう。

月狂い。
前の審神者がそれだった。
三日月欲しさに鍛刀するも、やってくるのは既存の刀だらけで、資材は減るばかり。
酷い時は手入れ用の資材も溶かす始末で、挙げ句一人で勝手に拗ねては駄々をこねた。
恐らく三日月が顕現したらしたで碌なことにはならなかっただろう。
こうした苦い経験もあって、他の刀たちの多くが今の審神者の隣で柔和な笑みを浮かべるかの月を心穏やかに眺めることは難しかった。
そんな彼らの心情など知らない審神者は、着任当初と変わらず淡々と執務をこなしていた。
事態が変わったのは、痺れを切らした和泉守が彼女を試しに(突っかかりに)赴いてから。

当時、件の身内、鶴丸同様に非番だった大倶利伽羅だが、彼らのやりとりを最初から聞いていたわけではない。
燭台切光忠に半ば追い出されるようにして執務室に向かった鶴丸と入れ違いに部屋に戻ったまではいい。
騒がしい奴がいなくなったと腰を落ち着けたも束の間、同じく部屋に残る光忠に鶴丸同様追い立てられたのだ。
この際だから不満があれば直接彼女に言ってみればいい、というのが旧知の刀の言い分である。
審神者が本丸を引き継いで以来、それなりに出陣することはあったものの、頻度に問題があった。
大倶利伽羅たちが他の本丸の運営状況について知る由がなかったとしても、体感でこれではまともに戦っているとは思えない頻度。
一部の刀からもこの出陣回数について、疑問に思う輩もいた。
前任の二の舞だけは避けたい。
それが皆の考えるところだった。
恐らく光忠もそんな思いを察してのことだろう。

鶴丸が長居して執務を妨げるといけないからという名目で様子を見にいくついで。
そう人当たりの良い笑顔で言いくるめられ、渋々執務室に赴いたのは記憶に新しい。
丁度和泉守と審神者の言い合いが始まろうとしていた折りのことだ。
和泉守の挑発を審神者はさして取り乱すことなく受け流す。
偶然ではあるが、出陣回数の少なさについて言及があり、そこで彼女の言い分を知る機会が出来たため、大倶利伽羅は改めて聞くことはしなかった。
空気が変わったのは彼が言ったある一言。

“向いていない”。
これには流石の審神者も聞き捨てならないとばかりに己が持論をぶちまけた。
ただの小娘の勢いに任せた感情論かと思いきや、その中身は至極まっとうなものだった。
己が向き不向きを肯定した上で、与えられた職務は全うする。
それでも己が不適格なら政府に言え、但し己は職を放棄する気はないから反論する。
何から何まで前の主とは対象的な性格だと、この時大倶利伽羅は確信した。
加えてかなりの負けず嫌いであることも、試されたと分かってからの恨み節、そして現在、大倶利伽羅が近侍をする羽目になった経緯からも想像できた。

『彼の言葉を借りるなら、仕事で慣れ合うつもりはありません。それに、まさか彼が仕事を慣れ合いだと言うこともないでしょうし』
大倶利伽羅本刀の存在に気づいていなかったとはいえ、断られると想定しての発言だろうが、明らかな挑発である。
そして、彼がその場にいたことが分かっても、その態度は一貫して変わらなかった。

結局、売られた喧嘩は買うと言うわけではないが、大倶利伽羅は近侍の任を請け負った。
戦をするにあたり、近侍、即ち第一部隊長に就くことが一番の近道だと判断した上でのことである。
ただ、誤算だったのは当の審神者が近侍と第一部隊の隊長を分離したことだ。
本丸の現状を踏まえ、負担軽減を目的として近侍と部隊長を分ける、というのが彼女の戦略だった。
これには冗談じゃないと抗議すると、想定済みとばかりに言葉を返された。
前任の尻拭いでやり残された雑務の処理をいち早く清算してから自分の職務に移りたい。
そのために一人集中して執務を行う方が性格上効率的である。
故に不用意に干渉してこない相手が必要だった。
勿論目途がついたら部隊長として戦場に出てもらう。
借りはきちんと返しますとまで真面目に言われてしまえば、それ以上何も言えなかった。
だからこうしてずるずると大倶利伽羅はさして興味のなかった近侍を引き受けているのだが――――――。

「どうかしましたか?」

一向に執務室を立ち去らない大倶利伽羅を不審に思った審神者が声をかける。
大倶利伽羅してみれば体感にして長くて数分程度の思考だったが、普段さっさと立ち去る分、審神者からしたら異変を感じるに十分な時間だったらしい。
ふと視線を彼女へ向ければ、怪訝そうに見上げる顔がある。

「調子が優れないなら午後は休んでください。無理しても後々碌なことになりませんので」
「あんたとは違う」
「まあそうでしょうね」

大丈夫なら問題ないとばかりに、審神者は大倶利伽羅から視線を外すと、さっさと机に自分の食事をひろげ出す。
本丸によって様々なのだろうが、この審神者、律儀に昼休憩の時間どころか就業時間も休日もしっかりと決めて執務をこなしている。
休日と言ってもおいそれと現世へ還ることもできないので、自室で休養をとるか万屋へ買い出しに向かうかくらいしかすることがない。
外出時の護衛などの必要時以外、審神者は刀剣男士との接触は積極的にとる気はないらしい。
彼女なりの一線があるのだろうと大倶利伽羅は思うも、どうやら鶴丸は不満げだった。
どうしても目に見えないその線から、こちら側へ引き寄せたいのだろう。
当人にその気がないのに無理強いしたところで逆効果。
ましてや彼女はどうみても意思が堅い。
頑固者と言えばそれまでだが、当人の主張を聞くにそれなりの理由はある。
そういう訳からして、大倶利伽羅自身、多少の同情はないわけではなかった。
彼が彼女に言えるのは一つ、目をつけられた相手が悪かった。
思い浮かべるのはあの旧知の白い刀。

「お、休憩かい?」
「…………」

開けられていた障子からひょっこり顔を出す鶴丸国永に、大倶利伽羅は閉口した。
相変わらず脈絡なく現れるこの刀。
三日月からの(主に審神者の)頭を悩ませる近侍引継が一段落し、大倶利伽羅が近侍の仕事に慣れてきたかと思った頃、それを察したかのように彼は姿を現すようになった。
時に執務中、時に休憩時間やその日の仕事が全て終わった時。
顔を出すだけであったり、そのまま居座ったり。
とにかく神出鬼没を地で行くような言動をしている。
最初の内はまともに応対していた審神者だったが、今では左から右へと聞き流している始末。
けれどもこうして鶴丸は懲りずにここへ足を運ぶ。
鶴丸だけではない。
審神者に口喧嘩をふっかけた和泉守や彼女が初めて鍛刀した三日月もまた、足繁く執務室へ通っている。

「お、今日は唐揚げか」
「…………」

大倶利伽羅を横切りひょいひょいと審神者の前までいくと、鶴丸は彼女の弁当をのぞき込む。
審神者は相変わらず目の前の白い刀を無視して黙々と箸を進めている。
勿論、つれない審神者に鶴丸が心折れるわけもなく、嬉々として机に両肘を付いて彼女を眺めている。

「折角だから向こうで食べないか?ほら、伽羅坊からも聞いただろう?」
「何も」
「おいおい、伽羅坊。約束したじゃないか」
「あんたが勝手に言った話だ」
「そりゃないぜ」
「用がないならさっさと昼を食べに行った方がいいのでは?」
「言われなくてもそうす「実はそう言われると思って持ってきたぜ、なあ光坊」

大倶利伽羅の言葉をわざと遮って、鶴丸がこの場にいない刀の名を呼ぶ。
まさか、いる…のか?
これは予想していなかったらしく、ついに審神者が箸を動かす手を止める。
ちらりと鶴丸ではなく彼の背後にいる大倶利伽羅へと視線を向けると、言葉の代わりに小さな嘆息が聞こえた。

「待たせたね。はい、ランチだよ」
「………」

にこやかに割って入ってきた燭台切に、審神者は絶句する。
ホテルにあるようなカートに置かれた膳の数を見るに、どうやら二振り分らしい。
確実に鶴丸は居座る気だが、もう一振りは――――――。
心なしか後頭部にズキズキと痛みが走るのを感じながら、審神者は重い口を開く。

「帰れと言っても帰らないでしょうから聞きますが、誰が残るので?」
「お、話が早い。俺と伽羅坊だ」
「は?」
「…給仕お疲れ様です。燭台切様」
「大丈夫だよ。それに、前も言ったと思うけど、光忠って呼んでくれると嬉しいかな」
「わかりました」
「おい、国永。どういうことだ?」
「どうもこうも俺たちはここで昼を食べる。簡単な話だ」
「俺は向こうで食べる」
「折角二振り分持ってきたんだから、伽羅ちゃんはここで食べてよ。僕はもうお昼済ませてあるからさ」
「………」

謀ったな。
口を噤む大倶利伽羅の横側を見るに、そう思っているように審神者は感じた。
ついでに言えば、謀られたのは主に彼というより、審神者だろう。
どちらかと言えば彼は巻き込まれたという部類だろうか。

(三十六計逃げるが勝ちか…)

目の前で二振りによる一振りへの説得が繰り広げられている光景を余所に、審神者はせっせと広げた弁当をまとめると、徐に立ち上がった。

「そんなに執務室で召し上がりたいならどうぞ。私は自室で食べるので」

そう宣言するや、審神者はくるりと彼らから背を向け、壁にある液晶に触れる。
彼女の霊力を感知すると、壁の空間が歪み、扉が現れた。
執務室と審神者の私室を繋ぐ戸である。

「それでは、ごゆっくり」
「「「………」」」

流石に机を飛び越えて制止する訳にもいかず、鶴丸らはただ見送るばかりだった。

「成程、そうきたか」
「感心している場合じゃないよね、鶴さん。折角ここまでこぎ着けたのに。もう、伽羅ちゃんに話をつけていなかったの?」
「すまんすまん。でも分かるだろ?事前に話しても断られるのが関の山だしな。そうだろ、伽羅坊」
「だから俺を巻き込むなと何度言えば…」

全くもってとんだとばっちりであるが、近侍である以上彼らに巻き込まれる運命にある。
それが分かるだけにさっさとこの座から退きたいと思うも、今途中でこの立場を辞するとなると、審神者との貸し借りが帳消しになりかねない。
きっと辞退理由も説明させられる上、それが私情であれば一層貸しなどなかったことにされるだろう。
そして、所詮その程度か、と、彼女は大倶利伽羅を見切るだろう。
もちろん、前任のように戦からも退けるなどという幼稚なことはしない。
ただ、近侍依頼時の宣戦布告ともとれる発言をみるに、勝敗は彼女の中で勝手につけられる。
大倶利伽羅にとって、それが何となくではあるが癪に障った。
要するに、この仕事を受けてしまった時点で彼の中で途中離脱という選択肢はなくなったということである。

「仕方ない。また次回だな。よし、と言うわけで昼だぜ、伽羅坊」
「勘弁してくれ…」

抗議を左から右に流して、せっせと会議机の上に膳を並べ出す鶴丸に、大倶利伽羅は心なしか軽い頭痛を覚える。
思わず米神を押さえたところで、ふと我に返る。
そういえば彼女も何かに参った時にそうしていたような。

「お、何か策でも閃いたかい?」
「…何の話だ」
「決まっているじゃないか、彼女を巻き込む方法だ」
「…………」

誘うどころか巻き込むと堂々と言い放つ鶴丸に、二の句が継げない。
嬉々とした瞳でこちらへと注がれる視線が鬱陶しいったらない。
大倶利伽羅は、面倒ごとは御免だとばかりに目の前の鶴に対して無視を決め込む。

「ずるいぞ、伽羅坊。一振りより二振りで謀る方が楽しいだろ?」
「馴れ合うつもりはない。さっさと食べて立ち去るんだな」
「まあいいさ、食後の楽しみにとっておくぜ」
「ふん、言っていろ」

結局、その昼は二振りして主のいない執務室にて昼餉を食すことになった。
そのようなことがあった翌日―――。

「おーい、主。手が止まりそうだぜ」
「主や、疲れたのなら茶でもどうだ?」
「ご指摘どうも。サボり魔の和泉守様。サボりついでにお隣の茶を注いであげてください」
「俺は様子見というお役目を全う中だ。いっとくがもうふっかけねえから安心しろ。あと、隣のじーさんは茶じゃなくて団子を食ってるから大丈夫だ」
「ふっかけたら水をぶっかけますので、ご心配なく。あと、慣れ合うつもりはないのでお気遣いなく」
「近侍の台詞を言うほど仲が良いってか。いいねぇ」
「喧嘩の件でも思ったことですが、前職のおっさんを想起させるような台詞はご遠慮ください」
「おっさんかよ。そういうあんただって、最初の手入れの後に『ちょっくら吐いてくる。』って言ってたじゃねーか。宴会で飲み過ぎたおっさんだぜ」
「見た目は女、中身は親父。褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてねえよ。ったく、良い性格してるぜ」
「それを言うなら、そっちこそ性質が悪い」
「悪いも何も生憎俺は太刀じゃねぇからな」
「そうでしたね。それは失礼しました」
「なあ、主。茶が嫌なら団子はどうだ?」
「喉に詰まらせないでください。詰まらせたら隣の若物に介錯をお願いして」
「おい主、えらく物騒な依頼になってるぜ」
「ああ、間違えた。介護だ介護。中傷程度で抑えてください」
「結局物騒じゃねーか」
「吐かせるのに躊躇ってたら手遅れになるので」
「はっはっはっ、よろしく頼む」
「あのなあ、詰まらせる前提の会話は止めてくれ…」

机に向かったまま口を動かす審神者と、壁に背をもたれて話しかける和泉守。
そして、和泉守の隣で時折思い出したように茶々を入れる三日月。
繰り広げられる会話のやりとりを間に挟まれて聞く大倶利伽羅は、既に日常の一部として我関せずとばかりに黙々と手を動かしている。
本日の乱入者は和泉守と三日月だが、これに鶴丸などが加わったりして執務室を一時陣取っている。
大倶利伽羅とて、最初こそ「いい加減口ではなく手を動かしたらどうだ?」と思ったのだが、おしゃべりに夢中で困るのは審神者だけ。
後で泣きついても自業自得だと思い直して無視を決め込んだものの、審神者が彼に助けを求めることは、一度たりともなかった。
多少一日の仕事を切り上げる時間が前後するも、審神者は自分で割り振った仕事は自分の手で終わらせている。
よくよく観察してみると、どうやら動かしているのは口だけではなく、しっかり手も動かしているらしい。
雑談時の執務の内容も振り分けているようで、冷やかしが帰った途端、それまで手をつけていたものを切り替えるといった具合だ。
そして、冷やかしに現れる彼らもまた、彼女の一日の作業過程を把握しているのか、やって来る時間帯も大体決まっていた。
何も執務の最中に割って入ることをしなければいいものを。
そう内心思っていた時期が大倶利伽羅にもあった。
しかし、これにもまた彼らの言い分がある。
仕事をしながらの会話であれば、審神者は仕事に意識を向けているため、話をふっかけてくる相手に対しては雑になる。
雑と言えば言葉が悪いが、要は普段よりも幾分か言葉が砕けた、素の顔を覗かせてくれる、そんな気がして、仕事に支障が来さない程度にこうして茶々を入れに来るのだった。
審神者も審神者で構わなければいいものを、無視を決め込むほど薄情にはなりきれないようで、文句を言いつつも今日も今日とて仕事の片手間に彼らのお守をしているのだ。
それが彼らの目論見どおりと分かっていても――。

「帰ったぜ。土産話でも聞くかい?」
「世間話なら本日分は受付終了です。遠征、お疲れ様でした」
「そりゃ残念だ。では結果報告とするか」
「簡潔にお願いします。報告に驚きと感動は要りません」

きっぱりそう言い切ってから、審神者は手を止めて遠征舞台を率いた鶴丸を見上げた。

「どうぞ。お入りください」
「ああ、邪魔するぜ」
「それで、結果は?」
「ほら、これが成果物だ。上々だろ?」

鶴丸から手渡された資料を無言で眺めた後、審神者は納得したように頷いた。
そして、その資料を横に避けると鶴丸に視線を戻し、「ありがとうございました」とだけ告げると、再び目の前の仕事へと取り掛かり始める。

「おいきみ、そりゃないだろ?」
「ああ、丁度良かった。自称かっこいい流行刀様のお守で仕事になりそうもないので、一緒にログアウトしてくれると助かります」
「ろぐあうと…?」
「ご退場ください」
「酷いな。仕事と俺とどっちが大事なんだい?」
「愚問です」

どこぞの物語にでもありそうな台詞も一刀両断し、審神者は液晶から視線を外すことなく手を動かす。
審神者の淡々とした対応に機嫌を損ねるどころか、その意気や良しとでも言うように、鶴丸は彼女の前から立ち去ろうとしない。
動かずただ視線だけを目の前の彼女へと注ぐ鶴丸に、審神者がいつ、どう反応するのか。
一人と一振りの動向を残る二振りは何も言わず見守っている。
しかし、数分で審神者が痺れをきらすということはなく、延々と液晶画面にのみその視線を注いでいる。
鶴丸は鶴丸でそんな彼女を眺めては、嬉々とした表情を崩さないまま、今か今かと審神者の出方を待っている。
そして、双方動かなくなってから数十分が経過した後、仕事の区切りがついた審神者が、漸くその手を再度休めて一息ついた。

「鶴丸様は気が長いようで」
「千年以上も生きてりゃこのくらいの時間なんて長いうちには入らないからなあ。それで、今度はどんな驚きをくれるんだい?」
「私はあなた専用の驚き提供装置ではありませんし、勝手に期待をされても困ります。それよりも大倶利伽羅様」
「…こちらの仕事は済んだ」
「ありがとうございました」
「おいおい、そこで伽羅坊に振るのかい。つれないな」
「はあ…どうやら鶴丸様は遠征でお疲れの模様なので、演練はお控えいただくことにします」
「「「!」」」

演練。
この本丸では久しく聞かなくなっていた言葉である。
新たな主に交代したからといって、主も、そしてこんのすけも、すぐに演練を行うことを良しとはしていなかった。
理由は双方とも同一で、引継ぎを優先し、審神者と刀剣男士が互いにその環境に慣れるため。
元々主交代の経緯からして、政府としても難あり本丸を引き継いだ直後から他本丸との交流がある演練へ赴かせるのは抵抗があったのだろう。
いざ何か起きようものなら、後任は後任で引継ぎの不手際を問われるし、政府は政府で人事もままならないのかと責任を問われる。
そんなものは御免だとこんのすけ…ではなく当の彼女が溜息混じりに鶴丸らに告げていた。
過度な干渉を好まない新たな主は、仕事を超えた馴れ合いこそ難色を示すものの、仕事に関しては誠意を貫く方針らしく、鶴丸らが理由を問えば彼女なりの言葉で答えを返してくれている。
そうした彼女の性格故に、ここにいる男士たちは徐々に新たな審神者を主として認めていった。
また、一軍を率いて戦う総大将としてだけでなく、審神者個人の人となりが気になって、ちょいちょいとちょっかいをかける輩も少しずつ見受けられた。
仕事と私事との線を引きたい審神者からすれば、真面目に職務に当たれば当たるほど、彼らの興味を引いて傍に近づかれるので、内心扱いに困っているだろう。
そのくせ彼らを拒絶できるほど非情になれないのだから、これ幸いに彼女へ関心を示した男士たちが彼女のもとへいそいそと顔を見にやってくる。

「さて、演練の部隊についてですが―――」
「待ってくれ、主。俺は凄ぶる元気だぜ!ほら、なんならきみを担いで演練会場へと向かおうか」
「断固拒否したいので、やはりここは留守番という役割を―――」
「ああ、分かった。すまない。今のは冗談だ。冗談を言えるくらい余裕がありあまっているぜ。だからどうだい、演練部隊に俺を加えてくれ」
「熱い嘆願誠にありがたいのですが、組み合わせは他の演練参加者の部隊を考慮して決めま…………」

言い切るつもりが、うっかりこの場にいる他の男士を眺めてしまい、審神者は口を開いたまま固まった。
鶴丸とのやりとりを他人事ならぬ他刀事と思って無視を決め込んでいるかと思った彼らは、じっと審神者を見つめているではないか。
ある刀は顔こそ審神者へ向けずに無言の視線を、またある刀は視線どころか前のめりになって体ごと審神者へ向けて。
残る刀も二振りのようにあからさまではないものの、にこにこと自分は選ばれて当然とでも言うかのような笑みを浮かべている。
四対一、四面楚歌。
そんな言葉ばかりが審神者の脳裏に浮かぶ。
すんでのところで己が置かれた状況を把握した審神者の切り替えは速かった。

「分かりました。部隊についてですが、まずこの場にいる四振りを」
「―っし。そうこなくっちゃな」
「なんだ、話が分かってるじゃないか」
「うむ、あい分かった」
「………」
「そして残る二振りは脇差と短刀を各一振りずつ。鯰尾藤四郎様と前田藤四郎様を」
「んじゃあ俺が呼びに行ってやらあ」
「よろしくお願いいたします。十五分後、演練会場へと出かけますので、玄関に各自集まっていてください」

話は決まったとばかりにぞろぞろと執務室を後にする面々を横目で見つつ、審神者は残った大倶利伽羅を見上げる。
その視線に気づいた大倶利伽羅もまた、彼女を一瞥する。

「何の用だ?」
「いえ、仕事は片付いたので用はありません。が、本当に…いいのでしょうか?」
「何がだ?」
「戦闘とはいえ演練です。実践ではありません」

前任の後処理の目途がつくまで近侍と部隊長は分ける。
決めたこととはいえ、審神者なりに思うところがあるのだろう。
不満はないのか、演練でいいのかと、暗に問いかけていることは、大倶利伽羅とて察しがついた。

「戦に出られないなら仕方ないだろう」
「…そうですね」

どうせ目途が立たねば出陣は叶わない。
それならば手合わせでも演練でも構わないから刀を振るいたい。
大倶利伽羅からすれば至極当然な答えである。
彼の言葉を審神者がどう読み取ったか解らないが、それ以上深く追求することはなかった。
あくまで仕事上の関係を貫くという点において、審神者は徹底している。
このまま何事もなければ、彼女の引いた一線は崩れることはないだろう。
他の刀たちはどう思うかは知らないが、この彼女の態度は大倶利伽羅にとってありがたいのは確かだった。






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