無自覚な憧憬


今日も汗を流しただけで終えたシャワーから戻ると、手の掛かる新入りがベッドの淵で泣いていた。
半乾きの髪もそのままに、ギシリと反対側へ腰掛けると生意気にも背中を向けてくる。刀を突き付けても無反応だったことを思えば大した成長だが、彼は自他共に認める、自分本位なので機嫌は急降下だ。

「何、シカトしてやがる」

まだ薄い肩を掴み、易々と反転させる。恐らく嫌々をしたのだろうがローにとっては何の抵抗にもならなかった。

「何に泣いてる」
「……べ、…何、も…」
「言葉を喋れ。あと、誤魔化すんじゃねェ」

嗚咽で詰まりながらも言いたくないとアピールしたティアを容赦なく両断し、それでも一応、か細い声を拾えるように自分も横になりながら抱き寄せた。

「……」
「言え」

嫌なことは嫌だと言っていいと、命じた当人が強引に口を割らせようとする。
理不尽だ、と表情で訴えながらも、やはり少女は逆らわなかった。

「…っ…私、何もでき、なくて…で、でも、キャプテンに、恩返し、したくて…!」

あぁ、思った通りだ。
ローの唇が片側だけ上がり、一般的に悪どいと分類される笑みを浮かべる。
但し、ティアにとっては見慣れた、少し機嫌が良い時のローの顔だった。

「…要らねェよ、恩返しなんか」

まるで猫を撫でるかのように耳後ろの髪を梳きながら、赤く腫れた顔を自身の胸に押し付けてやる。
泣いていたせいで常より速まった鼓動が、ほんの少しまた大きくなったことを少女はきっと自覚していないのだろう。

「……お前はもっと、強欲になれ」

人間としての尊厳を奪われていた日々の爪痕は深く、誰でも持ち合わせている程度の欲求や、ささやかな夢すら抱けないティア。
彼女が能力をもっと効率よく発揮する為に、ここ最近ずっと悶々と悩んでいることは分かっていた。
その理由が、己への恩義ーーだと少女は思っているようだが、ローやクルーたちは薄っすら気付いている。単なる恩人に向けるには、ティアの目には艶があり過ぎることに。
そして、その焦がれるような視線に悪い気はしていないローもまた、酒場の女と過ごすよりも気安いこの関係を楽しんでいた。

今ティアにその感情の何たるかを話してきかせ、言葉巧みに関係を進めるのは簡単だ。
充分とは言えないながら体重も増え、健康体と評価しても良いくらいには回復している。
客分扱いから、船長の女へその肩書きを変えたところでクルーたちも騒ぎはしないだろう。

だが、ローとの結び付きが強まるのは、海軍やほかの海賊団からも彼の弱味として目を付けられることを意味する。
戦闘向きの能力ではないとは言え、今のティアは身を守る為や難を逃れる為にその能力を発揮することもできない。
囚われ、拷問を受けても死なないだけの能力など海楼石でも持ち出されれば終わりだ。

「ーーまだ早ェ」
「…?」
「おれの手に余る強請りごとの一つでも出来るようになってからだな…」
「……それ、難しい気がする…」
「フフ…」

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