いまでも鮮明に

 ―――ガタン、と揺れた汽車の車内。
 アンジェは、窓越しに変わる景色をぼんやりと眺め続けていた。

「チッ・・・・」

 四人がけの向かい合った座席に、相変わらず真っ赤なコートを着て一人で座るアンジェは、ぼんやりと景色を眺めながら舌打ちをこぼす。
 アンジェが座る隣の席には、黒い鞄とコートと同じ真っ赤なマフラーが置かれている。
 言わずもがな、珍しく正しくエクソシストとして仕事を課せられたアンジェは、その職務を全うする為に辺り一面田舎風景しか続かないような地方まで訪れていた。
 ただイノセンスの有無の調査やアクマを破壊したりするだけの任務であれば、ここまでアンジェの機嫌は急降下していなかっただろう。
 しかし、今回のアンジェの任務はそれだけでは終わらない為、そのあと(・・・・)に与えられている仕事を思うだけでアンジェは気分を落としてしまうのだった。



 ――――――それは、いつも通り、アンジェがエクソシスト元帥にも関わらず教団内にて科学班たちと共に研究等の仕事に追われていた時だった。

「すみません、アンジェ元帥。ちょっといいですか?」

「あ?」

「実は、元帥にお願いしたい任務がありまして」

「・・・・おい、そこのお前、これの続きは頼んだ」

 アンジェは、まだ夜中だというのに科学班の研究室にこもっていた所をコムイに呼ばれ、手をつけていた作業を近くにいた科学班の人間に押し付け、コムイと共に研究室を出て司令室へと向かった。
 相変わらずぐちゃぐちゃと汚い司令室に着き、唯一綺麗に片付けられているソファにアンジェが腰掛けると、コムイはソファの目の前に置かれている自身のデスクへと向かい、席に着く。

「本当は、元帥に頼むような大きなヤマではないんですけど・・・」

「・・・・ほかに、私が行かなきゃならない理由があるんだな」

「はい」

 資料を手に未だ悩んでいるような表情で話し始めたコムイに、いいからさっさと話せとアンジェはソファの背もたれに背中を預けた。
 本来、エクソシスト元帥というのは室長であるコムイではなく、その上にいる大元帥たちによってそれぞれ任務を与えられることになっている。
 現在、元帥はアンジェを含めて六名存在し、その内、アンジェを除いた五名はその通りエクソシスト元帥らしく任務に出ている。
 なので、本来通りならばアンジェも同じく任務に出るのが当たり前なのだが、しかし、アンジェだけは他の元帥たちとは全く異なる任を大元帥たちから与えられていた為に、教団の外へ赴く任務には殆どつく必要がなかった。
 けれど、そうはいえど、教団が絶賛人手不足なのは何も科学班やその他団員だけに限らず、どちらかといえば一番深刻なのは、明らかにエクソシストの数が足りていない事だった。
 例えアンジェがエクソシストとしての任務に殆ど行く必要がなくても、足りなければその手を借りなければならないし、アンジェもその場合は任務につかなければならない。
 そのような立場についても、エクソシストとして任務に出るのもアンジェは理解しているし、特にこれといって嫌だと思っているわけでもなければ、何ならそれもそれで良しとしている節があるので、その場合、アンジェはいつも素直にコムイの指示に従い任務に赴くのであるが。

「実は今、偶然なんですが、ベルギーにイエーガー元帥が滞在しているそうなんですよ」

「・・・・あぁ?」

 この時、既にアンジェの機嫌は最低値にまで急降下してみせた。

「私の任務とあのじいさんが何の関係がある?」

「それが・・・・なんだか最近、伯爵側の動向にちょっと嫌な感じがして・・・」

「・・・・それで?」

「・・・出来れば、イエーガー元帥にご帰還願えないかなと」

「・・・・・・・・」

「だってほら、この村からの帰りなら、ベルギーも近いし」

 コムイがアンジェに与えたい任務の本筋が理解できたところで、アンジェは一気にやる気を削がれコムイから顔を背け視線を外してしまう。
 普段なら素直に従うところだが、今回ばかりは素直に従う気は起きそうになかった。
 「アレンにリナリーもいんだろ」とアンジェが零せば、コムイは「あの子たちには別の任務に行ってもらいたくて」と言われ、アンジェは遂には深い溜め息を吐いた。




 コムイから任務を言い渡された時のことを思い出して、アンジェはそれから何度目かわからない大きな溜め息を吐いた。
 これから向かうのは、イノセンスが関係しているんじゃないかという情報が寄せられた、奇妙な噂の流れる小さな村だった。
 しかも、聞いた話だとアクマの目撃証言もあったというので、恐らくはイノセンスが絡んでいる可能性は大いに高いのだろう。つまりは、アクマを破壊して、イノセンスを回収するのがアンジェの仕事になるのだろう。
 アクマの破壊と、イノセンスの回収。
 しかも、目撃証言によると、アクマはたかがレベル2が二体。
 確かに、コムイが悩むのも頷けるだろう。その程度の任務に、エクソシスト元帥を行かせるのもどうなのかと。
 しかし、どうせ近くまで行ってもらうのであれば、ついでに解決してきてもらいたい。コムイの考えはそんなところだろうと考え、アンジェは一旦考えるのを中断するように赤いフレームの眼鏡を外して、軽く目元を手のひらで覆った。

「めんどくせ・・・・」

 どうせ誰も聞いていないだろうと正直にこぼした本音。
 アンジェからしてもついで扱いである前半の任務は、どうってことない。簡単すぎて、目を瞑ってたって処理できるんじゃないかとアンジェは思う。
 しかし、問題は後半、もう一つの仕事の内容である。

「さっさとくたばればいいものを・・・・」

 あまりにももう一つの仕事が憂鬱で、そんな言葉もこぼしやすくなっているのだろう。
 また、何度目かわからない溜め息を零したところで―――

「幸せが逃げちゃうよ、お姉さん」

「―――あ?」

 不意に声をかけられて、アンジェは一拍置いて顔を上げた。
 すると、どうやらひとりの男が座席のすぐ横の通路に突っ立って、こちらを覗き込んでいるのが確認できた。
 ちゃんと確認しようとアンジェは外していた眼鏡をかけた。
 眼鏡をかけてちゃんと男を見上げてみれば、無精髭に汚いビン底眼鏡、そのうえお世辞にも上品な身なりとも言えない服装をした、いかにもな感じのする男がそこには立っていた。
 アンジェはまた溜め息を吐いた。
 もじゃもじゃな天然パーマの髪ごと揺らし、「あれ?」と男は首をかしげる。

「眼鏡かけない方が美人だったのに」

 へらりと笑って男が「勿体ない」と言った。
 そんな男の様子を、アンジェは目を細めて見つめた。

「ま、眼鏡かけてても美人にかわりはねーけどさ」

 やけに上機嫌に話す男は、肩にかけていたリュックを下ろすと空いているアンジェの目の前の座席を指差して。

「そこ、座ってもいい?」

 男は、尋ねておいてアンジェの返事も待たずにアンジェの目の前の席に腰を下ろした。
 普段なら眉間に皺を寄せて舌打ちをするか、目の前の男を蹴り飛ばしたりなどしてもおかしくはないような展開と状況であったが。

「・・・・・・・・」

 しかし、アンジェは舌打ちもこぼさず、男を蹴り飛ばしもしなかった。
 ただ、黙って目の前に勝手に座った男を見つめ、そして、窓枠に肘をつき軽く頭をかいた。

「俺、ティキっつーんだけど、お姉さんの名前は?」

 にこにこと、男は楽しげに笑っていた。