赤い誘惑の果実

「それで、お前はいつまでいるんだ」

「へっ?」

 ロードに言われた言葉などを思い出していれば、不意にかけられた声にティキは間の抜けた返事を返し、アンジェを見た。
 アンジェは既に真っ赤なコートを脱ぎ捨て、真っ赤なネクタイも取り去ったラフな格好となっており、思わずティキは呆然と立ち尽くした。

「あれ、教団に戻るって言ってなかったっけ?」

「・・・時間を考えろ。碌な交通機関も無しで私は帰らん」

「あー・・・そういう」

「それに、すぐに帰ったら勿体ないだろ。折角、久々に外に出られたのに」

「え、アンジェって教団に閉じ込められてるわけ」

「・・・・閉じ込められてる、か。まあ、あながち間違ってないのか?」

 ラフな姿のままベッドに腰掛けたアンジェは、ティキの言葉に僅かに口の端を持ち上げ自嘲気味に笑みを浮かべると、ゆるやかにティキから視線を外した。
 確かに、普段から、他の元帥と違って四六時中世界を飛びまわり適合者探しをしたりするわけでもなく、エクソシストとしてAKUMAやイノセンス絡みの任務を受けるわけでもない。
 本来なら、他のエクソシストや元帥のように任務に当たらなければならない筈が、アンジェだけ特別扱いをするかのように、教団の上層部たちは頑なにアンジェへ外に出る任務に着かせようとはしなかった。
 まるで教団の中に閉じ込めておくように、外にその存在を明るみにしないように、外部とアンジェの接触を断つように。アンジェは何があっても外出を許されなかった。
 閉じ込められてる。軟禁状態。そう、捉えられても、あながち間違ってはいなかった。
 とはいえ、コムイが室長の座に収まってからは、それでも割かし外に出る機会は増えた気もする。コムイなりに気を使ってくれているんだろうとアンジェは考えていた。

「なんで閉じ込められてんの?」

 しれっとアンジェの前まで来たティキは疑問に思ったことを口にする。

「・・・・・なんで・・・・か・・・」

 ティキの問いに、アンジェは顎に手を添え考える素振りを見せる。

「色々と理由はあるが・・・・恐らくは・・・」

 ティキから視線を外していたアンジェが、不意に横のティキへと視線を向ける。

「本能だろうな」

「本能・・・・?」

「ああ・・・私、アンジェ・マリアンを手放してはならない、という本能。要するに、奴らもただのバカじゃないということだ」

「ふうん・・・?」

 すぐにティキから視線を外したアンジェは小さく笑みを浮かべていた。
 結局、どこか茶化すように話し、ちゃんと詳しく話さなかったアンジェに、ティキの疑問は晴らされることなく余所へ払い除けられてしまう。けれど、これ以上聞いても仕方ないと悟ったティキは早々に諦めるほかなかった。
 すると、途端にアンジェは横に座るティキに再度視線を戻し、今になってあからさまに眉間に皺を寄せ、不快感を露わにしながら「ところで」と口開く。

「お前は何時までいる気なんだ」

「へ?」

「ロードは帰ったんだろ。なら、なんでお前だけ残っているんだ」

「あー・・・それは、・・・・お、置いてかれた?」

 不自然な疑問系でアンジェの問に答えたティキに、アンジェは更に眉間のシワを深くする。
 何故疑問系なのかと思わないわけがない。けれど、そう思ったのも一瞬で、すぐにアンジェはいや待てよと思考を切り替える。

―――あのロードならやりかねないか・・・・。

 屈託のない幼い笑顔でニコニコと笑いながらティキだけをこの場に置いて帰って行ったロードの姿を想像して、アンジェは深い深い溜め息を吐きだした。
 百歩譲って一人残された理由は納得しよう。だが、それで自分にベッタリくっついて来るのはどうなんだとアンジェは聞こうと考えた。
 そこでアンジェは思いだした。ベルギーに来るまでの間、ずっと着いてきて、散々アンジェに『好き』だの『まだ一緒にいたい』だの言い続けていたティキの言葉を。
 嫌なら追い払ったり、さっさと撒いたりすれば良かったのだが、それらをしなかった自分自身にに、自分は存外、ティキのことを気に入っているのかもしれないとアンジェは気付く。

『あんたにも、殺したいやつがいるみたいな言い方だった』

『アンタが、殺したい奴がいるっていうなら・・・・俺が殺してやるよ』

 切欠は、汽車の中でティキの言い放った言葉なのかもしれない。その言葉は案外、アンジェの心に触れることに成功していたようだった。

「そういえば、お前は私のことが好きなんだったか」

 問うように呟いたアンジェだったが、ティキの答えなんて求めてはいなかった。
 笑むように口の端をつりあげ、ティキへと手を伸ばし、自身の座るベッドへと彼を手招く。

「いいだろう、今の私は機嫌がいい。相手ならしてやらん事もないぞ」

 片手で自身のシャツのボタンを外しながら挑発的に手招くアンジェの言葉に、ティキの目が見開かれる。

「ティキ・ミック」

 特別、紅を塗っている訳では無いはずなのに、その瞬間、ティキの名を口にしたアンジェの唇が真っ赤に扇情的に輝いた気がした。

「おいで」

 そのままベッドへと誘われれば、もうティキにアンジェの誘いを断る理由はなくなった。
 元より、好意を寄せている相手からの魅力的な誘いを断る気なんて、ティキにはさらさら無かったが。例え、自分と同じ感情を相手が持ってくれていなくとも、今はそんなことはどうでも良かった。
 ただ、想い人と一夜を共にすることが出来るのなら、見つめれば見つめるほど昂る行き場のないこの熱を発散させられるのなら、共に一夜の最高の快楽を得られるのなら、他のことなんてどうでも良かったのだった。
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