大輪のあかい意図

 それは、ほんの30分前のことだったという。

「終わらねェ・・・このまま一生終わらねェんじゃねェかな・・・」

「転職しようかな・・・・」

「オレ、このまま眠れんなら一生目覚めなくていいやぁ」

「あきらめんなよ、多分終わるさ・・・」

 その時、科学班の彼らはいつもの通り、相変わらず給料になりもしない、終わりも見えない残業を続けていたらしい。
 いつまでやっても終わらない仕事に、一生目覚めなくてもいいから睡眠を取りたいと訴える者や転職を考える者が現れはじめ、そんな彼らを同じく疲労しきった様子でリーバーが励ましていたところ。

「コーヒー飲む人ー?」

 お盆にいくつもマグカップを乗せ、科学班にコーヒーの差し入れをしに来てくれたリナリーの姿が現れ、一同が一斉に手を挙げてコーヒーとリナリーの登場に安堵するように場の空気が一気に和む。
 終わりの見えない残業の中、唯一の至福の時間とでもいうかのように全員がリナリーの持って来てくれたコーヒーに、張り詰めていた気を和らげたのだ。
 しかし、そんな時、彼―――室長、コムイはやってきた。

「おーい、みんな起きてるー?」

 ガション、ガションと軽快とも言えない機械音を引き連れて―――。


「悪いな・・・こんな理由で」

 なんとかこうにか、地下水路から階段で団員の個室エリアの方まで走って逃げて来たアンジェたちは、一時的に例の巨大ロボを撒くことに成功した為、休むように壁に背中を預け息を切らしていた。
 そして、逃げている最中、今の今までリーバーから事件に至る経緯を聞いていて、全員が思った事があった。
 「アホくさ・・・・っ!」―――と。全員の気持ちが一致した瞬間である。
 リーバー曰く、こうだ。
 曰く、今彼らを追いかけているロボットは黒の教団室長、コムイ・リーが造った万能ロボ『コムリン』というらしく、見ての通り暴走しているらしい。
 曰く、その万能ロボ『コムリン』はコムイが科学班の彼らに『コムリン』を紹介中、リナリーが持っていたコムイ用のコーヒーを誤って飲んでしまったが為に、機械内部を激しく故障させ、暴走し始めたのだという。
 そして、コムリンは近くにいたリナリーを麻酔針で気絶させると、『エクソシストを強化する』としてまず手始めにリナリーをマッチョに改良手術するのだと騒ぎ始め―――結果、ご覧の有様というわけらしかった。

「チッ・・・あの巻き毛もホント学習しねえな」

「返す言葉もないっす・・・・」

 あまりにもくだらな過ぎると憤るアンジェに対し、リーバーも上司を庇う言葉すら思い浮かばないと頭を下げる。
 大体に、以前にも似たような事件を引き起こしているというのに、どうして再び今回のような事件を起こすきっかけを作ろうと思うのかとアンジェには不思議でならなかった。
 前回はダメだったが、今回なら大丈夫。同じ科学者として、その考えも分からなくもない。実験を繰り返してこそ、科学者の研究の成功は成せるのだと理解もしている。実際問題、アンジェだって同じように研究、実験をしてきている。
 しかし、この件とそれは全く別問題だとアンジェは認識していた。
 そもそも、アンジェは基本的に自身に害が与えられたことへ憤っているので、まずそこから認識問題として他の者たちとは解釈違いを起こしているのだが。

「リナリーは大丈夫なんですか?」

「コムリンの麻酔針くらって眠ってるだけだ」

「チッ」

 アレンはアンジェに背負われているリナリーを見て心配する素振りを見せるが、リーバーがただ眠っているだけだと告げれば安心したように表情を和らげる。
 しかし、アンジェはほんのり僅かに心配するように背負っているリナリーの様子を伺って、よりいっそう苛立ちを露わにするように不機嫌そうな表情で舌を打っていた。

「はぁ〜、ラクになりたいなんて思ったバチかなあ・・・・」

「え?」

 どの道、現状的には落ち着いて話をしてられる状況ではないにしろ、ため息と共にボヤいたリーバーへとアンジェもアレンも視線を向ける。
 視線を受けたリーバーは申し訳なさそうにアンジェ、アレン、そして探索部隊のトマへまで目を向けた。

「エクソシストや探索部隊は命懸けで戦場にいるってのにさ・・・悪いな」

 「おかえり」とリーバーが告げた何気ない言葉に、アレンはふと自身が養父に『おかえり』と告げられた日のことを思い出して息を詰まらせる。
 しかし、アレンの様子を見ることなく、その隣でアンジェはリナリーを背負い直し、やれやれと首を横に振った。

「それが私達の仕事だ、お前たちが気にすることじゃない」

 アンジェからしたら、どちらの方が頑張っているだどうのといった話は全くもって不毛な話にしか思えなかった。
 リーバーのような考えを悪いとは言わないが、かといって、それぞれの立場における働きに対して、どっちが楽でどっちが大変かなんて議論はしたところで結局きりがないし、そんなことで言い争うのも馬鹿げてる。―――というのがアンジェの意見であった。
 不平不満に思ったところで、探索部隊が科学班に入れるわけではないし、探索部隊や科学班の者たちがエクソシストになって変わってることだってできないし、エクソシストは命ある限り、イノセンスがある限りまかり間違ってもエクソシストを辞めるという選択はできないのだから。そもそも、そんな論争をすること自体が意味のないものでしかないのだとアンジェは考えていた。
 だからこそ、そう考えた上での言葉だったのだが、そんなアンジェの言葉足らずな言葉を受け、リーバーはどう捉えたのか。

「元帥・・・・・」

 リーバーは、どこか安心したような表情を浮かべアンジェを見つめていた。
 恐らく、リーバーを気遣っての言葉だと受け取ったのだろう。
 しかし、リーバーとの間に誤解が生じているであろうことを理解しながらも、アンジェはそれ以上リーバーに何を言うでもなく視線を外し、そしてそこで漸くアレンの様子に気付くことができた。

「アレン?」

 隣で意識をぼーっとさせているアレンに気づき、アンジェはアレンに声をかける。

「え・・・あっ、はい!」

「何だよ、もしかして任務の傷が痛むのか?」

 アンジェに声をかけられ慌てて返事をしたアレン。
 その様子に、リーバーもおかしいと気づいたのか心配そうにアレンの顔を覗き込む。
 しかし、アレンはすぐに「平気」だと否定すると、どこか照れ臭そうに笑って―――

「た、ただいま」

 ―――と、そう告げた。
 すると、ちょうどその時。
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