01



2次元の住人にガチ恋なんて、馬鹿らしい。
紙の上、画面の中、手を伸ばしても届かない場所にいる。
なのに、この心臓は、どうしようもなく締め付けられるんだ。

糸が見えた。
真っ赤な糸が。
父と母はいつもそれで繋がれていた。運命の赤い糸。頭に浮かんだのはその言葉。その糸は絡まることは無く、人も物もすり抜けて、父と母を繋いでいた。
きっとこれは見えちゃいけないものなんだと、幼心に悟った。
いや、少し嘘をついた。幼心なんてものは初めから無かった。
可愛いおべべを着せられ、愛し合う男女の間で可愛がられて育った少女。それが私だ。しかし、その中身は彼氏いない歴=年齢の成人なんてとうに過ぎた大人だ。どうしてこんな事になっているのか全く分からないが、これは最近よくある転生系の導入。

因みにおべべはマジおべべ。お着物。高そうな着物にヨダレ垂らした時は焦った。
と、まあ。見た目は幼い少女だが中身は大人、どこかで聞いたようなフレーズだが、私の体はそうなっている。見えてはいけないモノが見え、外見とは全く違う中身が入った人間。つぎはぎ人形のようだ。



ある日の夕方。小学校から家へと向かう帰り道。繋いだ母の手に、不自然に力が籠った。見上げた母はいつもと変わらぬ表情で、繋いだ手もいつもと変わらなかった。

「おいでぇ」

頭に響くような低い声。
どくりと耳元で心臓がなった。
私はただただ、母から父に繋がっている赤い糸を見て、母に手を引かれるまま家までの道を歩いた。

家に着き、扉が閉まった音がすると、力が抜ける。
いやなんだあれ!?何この世界!?ああいう化け物が居る系ファンタジーですか!?
母に支えられ、玄関に横たわるように座りこむ。ちらりと見た母の表情は、今まで見た事がないくらい青く。それは彼女ではなく、私が、アレを見てしまった事によるものだと、なんとなく察した。



後日。出かける、と言われてお高そうなおべべを着付けられた。
父と母から伝わる緊張感。締め付けられる胴体も相まって、朝から心臓がうるさい。自慢じゃないが、心臓に毛は生えていない。人前でゲロを吐く事は全力で避けたい。今から行くところがトイレがわかりやすいところだと助かる。

車に乗せられ1時間。どこかの旅館かと思いたくなるような豪邸に着く。その家に掲げられた表札に、うるさかった心臓が静かになった。

ただ座って、父と母達の声を聞き流していた。
偉い人なのだろう。父と母は頭を下げて、その人に向かって話をしていた。会話の内容を拾うほど、今の私の中に余裕はない。
嫌な汗が背中をつたう。心臓は動いているのか分からないくらい静かだ。
五条。
表札に書かれていた名字。
見えてはいけないモノ。五条という名。そんなわけないと自分の考えを一蹴する。しかし、嫌な汗は止まらない。
父と母と共に頭を下げて部屋を出る。嫌な予感ばかりで、全然話を聞いていなかった。
部屋を出て数歩、母にごめんねと謝られた。咄嗟に謝らなければいけないのは私の方なのにと思った。アレを見てしまって。こんな中身で。静かだった心臓が、罪悪感に締め付けられる。

帰ろうかと、父に手を引かれ歩き始めようとした時、ピン、と糸が張ったように身体が止まった。
小さな足音が何度か聞こえて、止まる。
見てはいけない。そう思った時にはもう遅くて、私の目は、彼の瞳に奪われた。
文字通り、糸が張っていた。真っ赤な糸が、私と彼を繋いでいる。
心臓が、嫌な音を立てる。
赤い糸は繋がっていた。私と彼と、見えない誰かと。着物が赤色だったんじゃないかと思ったが、そうではなく。彼の手に、足に、いくつもの赤い糸が巻きついていた。見える限りじゃ本数なんてわからず、その1本1本が建物をすり抜けて誰かへと、確かに繋がっていた。

「うっ」

思わず声が出た。その瞬間、彼が眉間に皺を寄せたのが見えて、慌てて口を抑える。
心臓がうるさい。
帯が胴を締め付ける。
顔が熱い。
ちっっちゃい!髪が白い肌もしっろ!ほっぺ柔らかそうお餅か??眉寄せた顔も可愛すぎないかあれ!?あれ完全に私の推し。推しのショタ姿ありがとうございます!いやいやいや!そうじゃない!なんなんだあの糸の数!赤も似合うんだな、そうだな、血に濡れた姿も素敵でした。あの時の笑顔がって…いや!あんなの見たことないしマジ何あれ意味わかんねえ!!いや、わかる。嘘ごめん、すごい理解した。私が居るんだ。他がいないなんて、馬鹿な考えは──。あ。

「ちが…」
「何お前」

喋った。

「……むり…っ」

今日に限って、朝ごはんはしっかり食べていた。




やーらかしたやらかした!
推しの前でゲロ吐きましたが、今日も元気です!
今日も五条さんのお宅に来ています!正直気まずかったけど、そんなことも言ってられなくなりました!

あの日に、週に何度か五条の家に行くことが義務づけられていたようで、私は今呪術師になるための訓練を受けてます。
母は五条家の遠い親戚だか何だか、まぁ血がつながってて、昔から呪霊が見えていたそうだが、呪術師としての才能は無かったそうで。普通の人として過ごしていたが、この前のあれやこれやのせいで私を五条家に…とかなんとかこうとか言う話らしい!推しの顔が良いのとゲロ吐きショックでよく覚えてないけど、こうして私の五条家での修行編が開始された。



そんな修行編の休み時間。先生が電話で席を外しているときのことだった。

「あ、ゲロ女じゃん」

ご、五条悟ーーー!!今日も最高に可愛い!!ショタ姿が拝めるなんてもう死んでもいいや…嘘です成長過程も見たい。おやつ食べてたのか食べカスがついてますね。写真撮りたい。今の時代の画質あんまりなんだよなぁ〜〜!今すぐ8Kの一眼レフカメラを私にください!

今日も今日とて、五条悟には赤い糸が大量に巻き付いている。五条悟だしやっぱりモテモテなんだろう。賞金首になってたりするし。あ、それはちょっと違うか。
赤い糸は私からも伸びている。五条悟はもちろん好きだ。最強で顔が良くて、性格が悪くて仲間思いで顔が良い二次元のキャラクター。前世ではがっつり推してたんだ。でも、運命の赤い糸が繋がるような恋や愛とは違うんだけど。この糸は好意の糸か?
ちなみに私は坊ちゃんにゲロったやばい奴。って五条家では呼ばれている。影でひそひそ喋ってるが気づいてますからね!!しかも五条悟にはゲロって無いです!五条悟の、前で、ゲロった。が正しい。正しくてもあんまり思い出したくない話だけど!

「何?今日もゲロ吐きに来たわけ?」
「あーそうですねー」

五条悟はいつもこうして絡んでくる。
くっっそ顔が良い。にまにま楽しそうに笑ってる顔がめちゃくちゃ可愛い国宝。適当な返事を返しながら、私をいじって楽しむ五条悟の性格の悪さを浴びる。推しからいじられるなら、ゲロを吐いたのも悪くないかもしれない。
そんなキモオタ思考でうふふしてると、五条悟が庭へと降りてくる。修行編はいつも五条さん宅のひっろーーーいお庭をお借りしてやってます。ひろーーい。

「雑魚のために俺が稽古付けてやるよ」
「は?、がっ!」

背中に強い衝撃が来て、肺の中の空気が押し出される。吹き飛ばされた、そう感じたと同時に痛みがやってきて何度か咳をこぼす。

「げほっ、ごほっ」
「お前術式もまだわかってないんだって?」
「あ゙ー…ええ、まぁ…っ〜〜……」

背骨おさらばしたかと思った〜〜!!クッソ痛い。立とうとしながら、五条悟の問いになんとか返事を返すが、背中の痛みで最終的に地面にうずくまる。
私の今の体小学生なんですけど!呪術師ってこんなちっちゃい時から訓練しなきゃいけないのか!?マジで!?きっつ!あ!いや!先生はまだ優しい人だったわごめん先生!五条悟め横暴!最低!そんなところも好きだ!!

「すげぇ手加減してやったのにそんなになるなんて、やっぱお前雑魚だな」
「て…手加減感謝しまー……す?」

差し伸べられた赤い糸で真っ赤な手に、手を重ねようとするが、どんなに力を入れてもその赤い手に私の手が届くことはなかった。
これが、

「無限」
「お、知ってたか」
「お…お勉強はしてますんで…」

嘘である!前世で漫画読んでアニメ見て知りました!
あっこれ五条悟の無限にある意味触れてるって事では…えっ何そのご褒美…そういうのもっとください。

「おわっ!?」
「さっさと立てよゲロ吐き雑魚女」
「芸名みたいになってますね…別にいい…です……け」

どーー!!??手が触れている!!あっまって無理!!手を取ろうとしたけど!あ!いや赤い糸で直には触れてない…ように見える…一命を取り留めた。いや無理体温が、触れている。
手から心臓の音が伝わってしまわないか、顔が熱い、手汗が出てきたらどうしよう、心臓がうるさい、背中が痛い、色んなことが頭に浮かんで消えてって、この糸が、邪魔だ。

「あれ?」
「あ?」

最後に浮かんだ考えに、全身の血の気が引いた。いや……なに考えてんだ。違う。違うだろ。邪魔とか、そんなの…考えられる立場じゃない。ただのオタクだぞ?神かなんかの気まぐれで、なんかの奇跡か夢で、ここに存在できてるだけ、で……違うんだ。

「おい、ほんとにゲロ吐く気かお前…」
「あ、いや…せ!背中痛くて!雑魚なので…」

変な汗が頬を伝う。顔が青ざめているのが自分でもわかるが、なんとか笑顔を作った。不格好だろう。推しにこんな所を見せることになるなんて最悪だ。ゲロ吐いといてだけど。

真っ赤な糸が、私の手をすり抜けていく。手どころか、壁も、地面もすり抜けて行くんだ。触れられない。ただ見えているだけ。どうにもならない。これが、これが…消えてしまえば──。


「おい!」
「………あ」
「聞いてんのか!?」
「あ!はい!?」

イライラした様子の五条悟。あっあっおめめ綺麗これがあの六眼…万華鏡のような美しさ。空があるとは知っていたけど、本当に空がある。眉間に寄った真っ白な眉毛もまた美しくて、眉上の前髪がめちゃくちゃ可愛い。五条悟をこの容姿にしてくれて単眼猫の神に圧倒的感謝。

「こっち」
「はい?」
「ついてこい」

そう言って五条悟はスタスタと早足で家の中へと歩いて行く。
その背中を見つめながら、両手に力を入れた。はらりと落ちていく1本の赤い糸、地面まで落ちると、真っ赤で綺麗な運命の赤い糸は雪のように溶けて消えていく。

「はやく」
「あ、はい!」

握りしめていた両手をパッと開いて、蜻蛉柄の着物を着た五条悟の後を追う。
地面に散らばった赤い糸は、もう見えない。



-1-

prev / next

ALICE+