05
 食糧探しを先生に任せてばかりも不安になってきた私は、自分でも荷を漁ってみます。開けた段ボール箱は当たりだったようで、中からは乾燥パスタの袋が出てきました。

「スパゲティ! スパゲティにしましょう、先生! ミートソースが食べたいです!」

 私の主張に、先生は無言でケチャップのチューブを押し付けてきます。その手を押し返し、私は同じ段ボール箱から出てきたトマト缶を持ち上げ、先生に見せました。

「ほらっ、トマト缶も見つかりましたし、これはもうミートソースを作れという天の啓示ですね。運命ってやつですよ」
「その割には、ひき肉と玉ねぎがないんだが。これはトマトスープにパスタを浸せということか?」
「それじゃあミートソースのスパゲティにならないじゃないですか。足りないなら調達しましょう。お買い物です」

 私は椅子にかかっていた上着をとると、外出を急かすようにそれを先生に手渡しました。文句を言いながら上着を羽織った先生は、幼女にもコートを着せます。それから、机の上のコーヒーを飲み干して、壁にかかった鍵を手に取りました。

「行くぞ」

 玄関に向かう先生に、喜ぶ私は駆け足でその背中を追いかけました。




 さて、先生の車に乗ってやってきたのは、食品から日用品まで揃うカメユーデパートです。今回用事のある食料品コーナーは、どうやら建物の一階に位置しているようでした。
 先生がカゴにいれたマッシュルームは、しめじと交換しておきます。今日は、しめじな気分です。
 あたりのものに目移りしていると、「はぐれるぞ」と先生に注意を受けてしまいました。先生のその出で立ちは人混みでそれなりに目を引くものですから、はぐれたところで、すぐに合流できる気もしますが。ここは何も言わず、先生に従ってあまり離れないようにしておきましょう。

 カゴの中には、にんじんとにんにく、卵、ベーコンが増えていました。……カルボナーラも美味しそうですね。いえ、卵とベーコンは明日の朝食用に買われたものでしょうが。
 ふと、玉ねぎの姿がないことに気付き、コンソメの素を物色している先生に、そのことを尋ねます。

「玉ねぎなら見あたらなかったな」
「ええっ! そんなはずはないでしょう」
「少なくとも、野菜の並ぶ一角にはなかったが」
「先生の目が節穴だったんじゃないですか?」
「愚問だな。僕の言葉を疑うなら、自分の目で確かめてくるといい」
「ええ、そうさせていただきます。探してきますよ。玉ねぎ抜きのミートソースでは悲しいですからね」

 先生のもとを離れ、私は野菜の並ぶあたりへと向かいます。
 じゃがいも、しょうが、長ねぎ、もやし……このあたりにありそうなものなのですが。確かに、玉ねぎはありません。売り切れている、というわけでもないようです。最初から、玉ねぎの置き場所がここにないような、そんな様子でした。
 さすがに、取り扱っていないということはないと思うのですが。探しても見つからず、考えても分かりませんので、ここは素直に店員さんに訊くこととしましょう。

 そうして、店内をさまよう幼女でしたが、なかなか店員さんの姿を見つけることができません。レジ打ち中の方に頼むわけにもいきませんし、さて、どうしたものでしょうか。

「何か探し物かな、お嬢さん」


 ****


「見つかったのか」
「はい、店員さんに教えていただきました。特売品のコーナーにあったようです」

 特売品のコーナーは、入り口に近いところだったようなのですが、そこを通らずにきてしまったが故に見逃してしまったようでした。
 先生が僅かにカゴの位置を下げます。私はそのカゴに、手にしていた玉ねぎの袋をいれました。

「食品担当の方ではなかったらしいのですが、大変親切にしていただきました」

 個性的な柄のネクタイをつけていらっしゃいましたし、服飾品でも担当されているんでしょうか? いえ、先生の服や第五部の穴あきスーツの例がありますから、ドクロ柄のネクタイ程度では序の口と片付けられてしまうのかもしれませんが。ジョジョ世界のファッション事情は複雑怪奇、魑魅魍魎。幼女には理解できそうにもありません。
 兎にも角にも、彼のおかげで、幼女の夕食は救われました。
 買うものも揃いましたし、早く帰ってご飯にしましょう。レジは幸いなことに空いています。私は先生と一緒に、列に並びました。
 程なくして順番がやってきます。

「……あれ? しめじはどこですか」

 電子音を聞きながら、レジに商品がひとつひとつ通されるのを見守っていた私は、カゴの中身の異変に気付き、そんな声をあげました。
 私は入れ替えたような覚えがあるのですが、カゴの中にしめじの姿はなく、あるのはマッシュルームの缶詰めです。
 先生を見上げると、明らかに事情をご存知の様子で、それどころか「文句はあるか」と言わんばかりの表情をされていました。いやいや、文句大アリですよ! どうしてマッシュルームに替えちゃったんですか。

「先生は意地が悪いです」

 私の機嫌はナナメに傾き、現在進行形で急降下中です。
 むっすりとした表情でいる幼女に、先生は一言、「不細工になるぞ」とコメントして購入した品をレジ袋に詰め始めました。不細工になったら先生のせいです。その表情は、デパートを出て、帰宅するまで続きました。




「何か食べさせておけば、私の機嫌がとれると思ったら大間違いですよ」
「説得力がないな」

 からかうようにおっしゃる先生に、言い返す言葉もなく、私はおとなしくスパゲティを口に運びます。
 だって、美味しいものを食べると嬉しい気持ちになってしまうんですから、仕方がないじゃないですか。我ながら残念なことに、幼女はちょろく単純に出来ているのです。
 さきほどまでの不機嫌さはどこへやら。これも、マッシュルーム入りのミートスパゲティが美味しいのが悪いのです。むぐぐ。

 あれから、帰宅した私は、先生の作られたミートソースに舌つづみを打っていました。
 相性抜群の玉ねぎとひき肉を、トマトの海が抱擁します。 酸味を飛ばしたソースは、子供舌にも優しいお味でした。
 これが美味しいことは、ひき肉を炒め始めた時点で分かっていたことでした。しかし、先生の手でそれが齎されたということが、私にはなんだか悔しいのです。先生がスパゲティをパスタと呼ぶことも併せて気にくわないですね。
 先生のお皿に私がこっそり傾けようとしたタバスコは、見えない何かに阻まれてしまいました。……このひと、いつの間にスタンド像を操れるようになったんでしょうか。








 この町に引っ越してきて、ひと月が経とうとしていました。もうすぐ四月になろうというのに、まだ空気の冷たい日が続きます。
 防寒具を着込んだ私は、先生に仕上げのマフラーを巻いてもらうと、日課の散歩に出掛けました。
 近場の公園に行くだけとはいえ、五歳児が外で一人ほっつき歩くのを放っておくなんて、保護者の責任を問われそうなものですが。すれ違う人が特に気にした様子もないのは、時代柄というやつでしょうか。この町がのどかなことも、一つの要因かもしれません。……行方不明者数は多いはずなのですけれどね。

 ふと、聞こえてきたニャーンという声に、私は足を止めます。塀の上を見上げれば、灰色の猫がいました。野良でしょうか。手をのばしてみますが、塀の上から降りてくる様子はありません。
 塀の上でまるまっては、のんびりしている猫を、私がしばらく眺めていると、カラカラと自転車の車輪の回る音が近付いてきました。その音に反応して、猫は塀の向こうへと居なくなってしまいます。
 私はそれを残念に思いつつ、側までやってきた自転車の主に挨拶しました。

「とーほー巡査、こんにちは!」

 巡査は自転車を止め、帽子をとって挨拶を返してくださいます。その律儀さが素敵で、嬉しい気持ちになります。

「今日も散歩かね」
「はい。近くの公園まで」
「そうかそうか」

 朗らかに笑う彼につられて、私も笑みをこぼします。
 車に気をつけるように言われ、素直に頷いた私は、東方巡査に手を振り、彼が巡回に戻るのを見送りました。
 さて、お散歩の再開といきましょうか。




 いつもなら、この時間帯は無人のはずの公園に、その日は人影がありました。
 真っ黒な改造学ランに、たてた金髪。後ろ髪は尻尾のように三つ編みに結われています。
 どこか見覚えがあるような――。そうです!あの時の!

「カツアゲのお兄さん!」

 振り向いた彼が、私をギロリと睨みつけました。人を何人か殺しでもしていそうな瞳に、幼女は身を竦ませます。思わず声を上げてしまった、数秒前の自分を恨まずにはいられません。張り詰めた空気は停滞し、沈黙を守っていました。

 ――ニャオン。
 その空気をほどいたのは、そんな猫の鳴き声でした。
 声が聞こえたのは、彼の足もと。猫は彼の足にじゃれついていました。

 不良と猫。何ですかこのギャップ萌えを狙うような組み合わせは。好感度稼ぎですか。……誰の好感度を稼いでいるんでしょうか。
 何でも構いませんが、猫が可愛いです。彼の足の上に乗ろうとしていた猫はいま、転げ落ちてお腹を見せています。あああ…! 愛らしい!
 私はふらふらと猫に近付くと、その場でしゃがみ込み、気付けばその魅惑のおなかをもふもふしていたのでした。かわいい。塀の上に見かけた猫と色が同じようですが、同じ猫さんでしょうか。

「オイ」

 凄みのある声で呼び掛けられ、そちらに視線を向けると、近いところに顔がありました。驚き尻もちをつく私に、彼は苦い顔をします。

「あの、えっと、カツアゲのお兄さん」
「やめろ」

 眉間に幾重もの皺を寄せた彼は、低くしていた腰を持ち上げ、腕を組みました。背筋がピンとのびています。姿勢のいいひとです。
 見下ろされているからか、彼の長身が更に大きくなったかのように感じました。彼は神経質にも、人差し指の指先で自身の肘をトントンと叩きながら、その口を開きます。

「聞き間違いではなかったらしいな、何だその呼び名は」
「貴方のお名前を、私は存じ上げませんので。たしか、ひと月ほど前に、先生をカツアゲされていましたよね」
「断じてしていない。妙な言いがかりはやめてもらおう」

 そういえば、先生もカツアゲの話に不思議そうな顔をされていましたね。もしや、最初から私の勘違いですか。なんて冤罪でしょう。罪もない人をカツアゲ犯呼ばわりするだなんて、大変失礼な真似をしてしまいました……! 急いで立ち上がった私は、すぐに頭を下げます。

「すみません、お兄さんと出会った時の記憶があやふやなもので、変な誤解をしてしまっていたようです」
「……待て。お前、あの時のガキか」

 その表情に険しさが増します。心なしか口調も変わった様子の彼に、私は不安から猫を抱き寄せました。なんだか不穏な空気です。これはよくない傾向ですよ。
 このような表情を向けられる心当たりはさっぱりないのですが。もしや私が忘れてしまった記憶のうちで、実は彼に失礼な真似を働いてしまっているのでは?
 しかし、先生ならばいざ知らず、私がそんな真似をするなんて……。いえ、彼をカツアゲ犯呼ばわりしてしまったばかりでした。これは幼女が仕出かしている可能性があります。

「先程お話ししました通り、私はお兄さんと出会った時のことをよく覚えていないんです」

 しかし、忘れてしまったからといって、謝らない理由にはならないでしょう。私は彼を見つめます。

「どうか、その不機嫌の理由を教えてください。そして、私に謝罪の機会をいただけませんか」

 今ならお詫びに、こちらの猫さんのもふもふがついてきますよ。そんな言葉を最後に添えて、私は猫を持ち上げます。それを聞いた彼は、猫の腹部ではなく自身の眉間を揉んで、「その必要はない」ときっぱりと断りの言葉を口にしたのでした。そんなー。もふもふしないんですか? いえ、この断りは私が謝ることに対して言ったものでしょうか。
 お兄さんからの反応はありません。腕の疲れてきた私は猫をはなし、地面に置いてやります。猫は駆け出し、公園からいなくなってしまいました。えっ、いなくなっちゃうんですか!
 失われてしまったもふもふに、私はショックに震えます。慰めを期待してお兄さんの方を見ますが、目を逸らされてしまいました。薄情です。

 しばらくしょんぼりしていると、お兄さんの手が急にのびてきました。びっくりして身を引くと、彼も手を引っ込めます。
 ……な、なんですか。もしや幼女を撫でるおつもりだったのでしょうか。そうすると、私はそれを拒否したかたちになりますか。なんだか悪いことをしてしまいました。何なら再度試みていただいてもいいんですよ? 今度は幼女も準備ばっちりです。
 しかし、彼は舌打ちしただけで、幼女の頭をなでなでするようなことはありませんでした。まばらとはいえ、通行人がいることを、どうにも気にしておられる様子です。ひと目があるところで、幼女を撫でることに抵抗があるのでしょう。ツッパリは見栄が大事ですし、舐められてはいけませんものね。

「命拾いしたな」

 それは、お兄さんの社会的生命という意味でしょうか? よく分かっていない幼女を置いてけぼりに、彼は公園を立ち去ろうとします。

「あの、お兄さん! またきた時は、お名前を教えてください。あと、一緒にシーソーしましょう。一人ではできないのです」

 平日の真昼間から学校をサボっているような方です。あわよくば遊び友達になってもらえないものかと、去りゆく背中に誘いの言葉を掛けてみますが、彼がそれに返事をすることはありませんでした。つれません。それでも私はまたねと言って、両腕を大袈裟に振るのでした。

 お兄さんを見送った私は、スカートの汚れをうちはらいます。どうにも気分が落ち込んでしまっていけません。気分転換に、ブランコにでも乗りますか。
 ブランコをこぎ始めれば、すぐに気分はアルプスの少女です。たーのしー! この浮遊感がたまりません。
 ついでに靴をどこまで飛ばせるか遊びたいものですが、靴の回収のために靴下が汚れてしまうことになるのでやめておきます。お友達と一緒なら、お互いの靴を取りに行くこともできたのでしょうけれどね。……切実に遊び友達がほしくなってきました。今度散歩に出るときは、先生を誘ってみましょうか。




「ただいまかえりました!」

 日も傾いてきた頃。ほくほく気分で帰宅した私は、今日あったことを何から先生に話そうか考えながら靴を脱ぎます。出迎えてくださった先生は、玄関先であからさまに不快そうな顔をしていました。私の服に猫の毛がたくさんついているのが、先生にとっては耐え難いことだったようです。正確には、その状態で家の中をほっつき歩かれ毛を撒き散らされるのが嫌、といったところでしょうか。

「おい、その手で物に触るなよ。こっちに来るな」

 なかなか酷なことを言います。私は呆れつつ、その場で毛だらけの上着を脱ぎました。

「外ではたき落としてきますね」
「ああ」

 さっさと行けと顎で示してくる先生にムッとしつつも、私は扉の外に出ます。
 上着一枚、着ていないだけで随分冷え込みます。寒さに身体が冷えきる前にと、私は急いで上着についた毛を落とします。落ちた毛はあとでちりとりにとることにしましょう。
 さて、そろそろ綺麗になったでしょうか? 最後に軽くパタパタと上着を揺らし、私は家の中へと戻ります。

「結構毛だらけでした」
「そうか」
「もうっ、先生! そこは『猫灰だらけ』と返すところですよ」
「そういう用い方をする言葉だったか?」

 きっと違いますが、この場はそれでいいのです。

「おい、ついてるぞ」
「えっ、とってください」

 先生は、ハァ〜と大袈裟に溜息をついて、私の襟元に触れました。 離れていく先生の手にあるのは、猫の毛です。

「ブルーか」
「灰色ですよ」

 先生は呆れた顔をして、私に早く手を洗いにいくよう言います。えっ、なんですかその顔は。灰色ですよね? あれ?
 動き出す気配のない私に、先生はある言葉をかけました。

「夕食は肉じゃがだぞ」
「今すぐ手を洗ってきます!」

 道理でいい匂いがすると思いました。早く食べたいものです。味の染みたほくほくのじゃがいもを想像しながら、私は洗面台へと急ぐのでした。

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