01
 リーマス・ルーピンが、かの名前・苗字のことを知ったのは、愉快な友人達との騒がしい夕食の席でのことだった。

「見せたいものがあるって?」
「そう。とってもいいものだよ」

 要領を得ないジェームズの説明に、皆の心を代弁するかの如くシリウスが尋ねる。

「いいものって?」

 興味津々な三人を前に、彼は何も答えず、ただただ勿体付けるようにニンマリと笑った。それから、上機嫌に鼻歌を歌ってはミートパイに齧りつく。三人の視線がジェームズに釘付けになっているうちに、そのミートパイはジェームズの胃におさまった。――見せたいなんて言っておきながら、ちっともそれを見せやしないじゃないか!

 痺れを切らしたシリウスが、ジェームズの皿に嫌がらせのようにパセリだけを盛り付けはじめた。それに便乗するように、ピーターが輪になったパセリの真ん中にブロッコリーを置く。リーマスは、その隙間を埋めるようにして、緑豆のペーストを盛った。緑豆のペーストで補強されたパセリの輪は、ブロッコリーを柱にしていて、安定感がある。シリウスがパセリの輪の2段目に入ったのを見て、ピーターがブロッコリーを握る。リーマスも豆のペーストをスプーンにすくった。

 緑のタワーがジェームズの顎辺りの高さにまで積み上がった頃、ジェームズはようやく見せる気になったのか、ローブのポケットに手を突っ込む。さて、彼が取り出したのは、透明な小瓶だった。
 その中に入っていたのは――

「髪の毛?」

 それはきらきらとした、太陽の光を集めたような黄金色をしていた。

「名前・苗字の毛! ちょっと取引してね」
「それって、運を味方につけるって噂の?」

 目を輝かせて、そんなことを言うのはピーター。ジェームズは小瓶をローブに戻して上機嫌に笑う。

「そう。今度のスリザリン戦、絶対勝つってリリーに誓ったからね! もちろん、こんなものなくったってグリフィンドールは勝てるだろうけど」
「そもそもそれ、眉唾ものだろ。フェリクス・フェリシスじゃあるまいし」

 効果を否定するようなシリウスの言葉に、ジェームズはムッと眉を寄せた。

「これを持ってたイワンが、あの呪文学のマドンナと付き合うことになったってのは有名な話だろう」

 それからジェームズは、この髪を持っていたあるハッフルパフ生が、拾ったクディッチの賭け札で大金を手に入れただとか、変身学のテストで、一度も成功させたことのなかったパイナップルのタップダンスを成功させただとか、そんな話を大げさなほどの身振り手振りを交えて語っては、その効果を力説した。シリウスは、それを鼻で笑う。

「偶然だろう。ただの髪だぞ」
「運命だよ! だって名前の髪だよ?」

 それを皮切りに、二人があれこれと議論しだした。時折ピーターがどっちつかずな意見を挟む。どうやら、この話題を理解していないのはリーマスだけらしい。リーマスはホットチョコを一口啜ってから、三人に尋ねた。

「名前・苗字って?」

 ぴたり、と議論が止む。彼らの表情は驚きの色に染まっている。ジェームズが悲痛な叫びをあげた。

「知らなかったの!? どうりで食い付き悪いはずだよ!」
「ほら、半月前。あれはリーマスが体調を崩す少し前のことだから…」

 ピーターがフォローするように告げる。
 その時期と件の人物がどう関わるのかリーマスには分からなかったが、彼らの中ではそれで通じたらしい。「ああ、道理で」などといって納得の顔になる。

「俺らの四つ上のハッフルパフ生だよ。長い髪をいつも一つにまとめてる。あの顔で男なんだから紛らわしい」
「あの頃、ちょうどリーマスがハッフルパフとの薬草学の合同授業を休んだ日があったろ?」

 半月前の記憶を辿っていたリーマスは、思い当たる日があって頷く。あの日は満月の夜が近づいていたせいか、過去に自分につけた咬み傷が酷く疼いて、授業に構わず医務室に駆け込んだのだ。
 例の体質のことで頭がいっぱいだった自分では、彼らの話などちっとも頭に入るわけはないし、普段と様子が異なろうが、それに気付くことはないだろう。

「その授業が終わった後に、見つけたんだよ。温室の側のポプラの木の上で昼寝していた彼をね」
「木の上で?」
「そう。まるで天から今降りてきました、って感じだったよ。近寄り難いとでもいうのか」
「髪が木の枝に垂れかかって、そこだけ黄金のヴェールみたいだった」

 頬を上気させたピーターが、その時を思い出したようにうっとりとして、そんな感想を述べた。

 別に三人が名前・苗字と会話しただとか、そういう話ではないらしく、それどころか名前は眠りこけて目覚める気配すらなかったらしい。

 名前・苗字の名は、その場にいたハッフルパフ生が知っていた。そのハッフルパフ生が、その時ついでとばかりに三人に件の髪の噂を語ったのだ。曰く、髪は名前・苗字本人の知らないところで出回っていて、その数は少なく、裏では高値がついているのだとか。実際ハッフルパフ生の幾人かが、木の側に髪が落ちていないか探していたらしい。流石に木に登ってまでして髪を拝借するような者はいなかったようだが。

「いやぁ、リーマスも本人をみたらきっと、これが『本物』だって思うに違いないよ」

 小瓶を揺らして、ジェームズはそんなことを言うのだった。

 彼らの話からその名前・苗字という人物を想像することは難しく、まして噂の真偽なんてリーマスには判断のしようもなかったが、ただの髪一本がマジックアイテムのように扱われていることを考えると、名前・苗字というのはまるで、魔法生物のような扱いを受けているのだなと思った。

 始終ご機嫌なジェームズが癪にさわったのか、シリウスはわざとらしく食器を音立てる。知り合ってすぐの頃、綺麗なテーブルマナーで食事をしていた少年の姿は既にどこにもなかった。良くも悪くも染まったのだろうなと、リーマスが一人時の流れにしみじみとしていたところで、呆れ声のジェームズがシリウスに向けて言葉を吐いた。

「君、いくら男に見惚れてたことを認めたくないからって、髪の噂にまでケチつけなくったっていいだろ」
「ん、な…っ」

 暫く言葉も紡げない様子で、怒りのためかぶるぶると震えていたシリウスは、顔を真っ赤にして皿の上のチキンにフォークを勢いよく突き刺した。

「見惚れてない! 断じて!」
「見惚れてない? 幾ら声を掛けても反応なしに名前を見つめてた君がよく言う! あの薬学教室までの長い廊下を、上の空だった君を引きずって歩いたことはまだ忘れてはいないよ」

 シリウスはハズレの百味ビーンズを食べたときのように顔を酷く顰めた。ジェームズが肩を竦める。

「第一、名前の髪を最初に欲しがったのは君じゃないか。もしも僕が君にこれをあげるって言ったら、どうせ喜んで受け取るんだろう?」
「くれるのか!?」

 途端にシリウスは今までの調子を吹き飛ばすかのように、そう、まるで飢えた犬が餌を前に尻尾を振っているかのような顔をして、期待にこもった目でジェームズを見つめた。

「話聞いてた? あげないよ!」
「くれよ!」
「なんだよ! 結局君も噂を信じてるんじゃないか!」

「信じてない! 俺はそれが名前・苗字の髪だから欲しいんだ」

 ジェームズが口を閉じた。どうやら言葉が出てこないらしい。ピーターも、何を言うべきか考えることを諦め、そしてそれを誤魔化すように、口いっぱいに食べ物を詰めていた。対するシリウスは、例の小瓶の入ったジェームズのローブのポケットを一心に見つめている。
 誰も何も言おうとしないので(そして食べるのに必死なピーターが可哀想になってきたので)、リーマスは気が進まないながらも口を挟むことにした。

「噂を信じて髪を欲しがる人より、よほどアブナイと思うよ」

 ぽんと肩を叩いてリーマスが告げた言葉は果たして、シリウスに届いていたのだろうか。
 ただ、その日から、リーマスはその小瓶の中の毛と似た髪色を無意識に目で追ってしまうようになった。そしてそれは、他の三人も同じらしかった。

 ちなみに。あの緑のタワーはリリーに見つかって、叱られながら四人で食べた。それはもう、パセリまで残さず食べた。口の中がスースーした。

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