どうなっとるんかのう
 刀剣達への指示を飛ばしながら、政府の伝令を報せる電子端末(タブレット)を手元に引き寄せる。
 いつもなら、こんのすけが出てくるところだが、先程から呼び出しコードに引っかかりもしない。技術畑出身の自分が魔改造したアレが反応しないことに、ただならぬことが起きていることを察知した私は、その伝令の内容を確認しようとして――そんなことをしている場合ではないとタブレットを放り投げた。

 時間は七時四十分、もう学校に行かなければならない時間だ。焼きもしていない食パンを一枚咥え、私は家を飛び出した。

「遅刻遅刻*!」

 私、織主名前。十七歳♪ 聖蘭高校に通う、ちょっと不思議な名前の、ごく普通の女の子!
 ――…って、アホか。
 立ち止まった私は、もしょもしょとパンを食む。なんだ十七歳って。
 自分はとっくに成人したどころか、この前還暦を迎えたところの人間だ。神々との契約で、その肉体こそ十七歳で止まっていたが。ロリBBAというには少々成長し過ぎている、若作りのばーちゃんである。

 だいたい、学校に通っているというのがおかしい。私の生まれた22××年には、歴史修正主義者との戦いが激化し、齢六歳を越えた人間には、政府の実施する人材育成プログラムを受けることが推奨されていた。その内容を修了すれば、即審神者のサポートに駆り出されるようになるというのが普通だったのだ。学校は、金持ちが道楽で行く場所だという風潮である。
 私もご他聞に漏れず、技術系のプログラムを終え、十四歳の頃から政府に所属した身だ。審神者適正者の数が足りず、適正値の低い私までも審神者として登用されることになったがために、私が機械や術を好きに弄っていられたのは三年ほどの期間だったが。
 そうして、「おかしい」と訴える記憶ががあるにも関わらず、この状況を自然と受け容れている私がいた。他でもない、ごく普通の学生生活を、昨日まで送ってきたという記憶が、私にはあった。

 ――歴史修正。
 それを受けた時とよく似た状況に、ぞくりと怖気が走る。だが、歴史修正の影響を受けない空間にいた審神者に、そもそも干渉などできるだろうか。
 ……分からない。私はまず、自分の置かれた状況を、理解するところから始めなければならないだろう。

「こんのすけ」

 微かに、空間が波打つ。回線も見えた。だが、足りない。
 舌打ちした私は、髪の毛を数本引き抜くと、その場で祝詞を唱えた。もってけドロボー!
 祝詞の力を借りつつ、普段は動かすことのない、己の奥深いところにある霊力を引っ張り出す。普段使わない部分の筋肉を、使いでもしている気分だ。あとが怖いが、今は反動を気にしている場合ではない。もっとだもっと! いっき! いっき!
 溢れるものも気にせず、めいいっぱいつぎ込めば、不規則に波打っていた空間は、やがて一定の間隔で円い波紋を立てるようになる。あと一歩、もうちょっと!
「お揚げがあるよ!」
「それは誠に御座いますか!」

 私の声に反応するように、何もない空間から、二つの耳がにょきっと生える。遅れてでてきた尻尾は、本人が自慢するだけあってモフモフだ。胴はなく、右の前脚だけがとすん、と地面に着地する。一見すると、狐の生首が浮いている状態。

「グロ注意やめーや」

 バグのすけだった。

「それは誠に御座いますか!」
「誠も何も、生首浮いてちゃいかんでしょ」
「それは誠に御座いますか!」
「待って、もしかしてその応答しかできないの?」
「それは誠に御座いますか!」
「あかん」

 強制再起動が必要らしい。帰宅したら弄ることにしよう。首のあたりを引っ掴んで、学生鞄の中に突っ込む。しょんぼりしている辺り、表情AIはまだ生きているようだった。言語系が壊れたかな?
「あるじー! おっはよー」

 ふと、私を呼ぶ声に、私は鞄から顔を上げた。そこには、幼馴染の加州の姿がある。
『あるじ』というのは、「織主(おりぬし)」という苗字からきた、私のあだ名だ。他にも、「主様(ぬしさま)」や「主殿(あるじどの)」なんて呼ばれている。この呼び方では、まるで私が主人として仰がれているようだが、実際のところ揶揄いの意味が強く、昔つけられたあだ名がそのまま惰性で続いているに過ぎない。

 ……うん?
「主様、おはようございます」

 覚えた違和感の理由を確かめる前に、もふりとした感触が肩に触れる。ふわりと漂うのは、どこか清廉でいて柔らかな匂いだ。

「油揚げの気配を感じて参りました」

 すりすりと私に擦り寄り、シャンプーの匂いを撒き散らしているこのお揚げ厨は、もふもふの白い毛並みが自慢な小狐丸だ。大きいけれど。近所の神社に勤めていたのだったかな。
 擦り寄る小狐丸に、負けじと加州が腕に抱きついてくる。まるで私を取り合う状況はコレナンテ=オ=トゥメゲーだが、私にしてみれば毎朝の光景で、日常の一部だ。
 二人の他にも、私を慕ってくれている人達はいるが、彼らの中に、色恋じみた感情がないことはよく分かっている。そういう意味では、一つ上の学年にいる、空条承太郎氏の取り巻きさん達の方が、よほど恐ろしいだろう。

「……む、狐臭い」

 野生の勘を働かせたのか、くん、と鼻をならした小狐丸が、私の学生鞄を覗きこむ。女の子の鞄を勝手に覗くなんて、デリカシーがないぞ! まあ、親しさ故だろうが。
 さて、鞄の中には、先ほど仕舞ったこんのすけの生首がある。

 ……よし、落ち着こうか。冷静になろう。色々とおかしい思考をしていた私よ、正気に戻れ。
 加州は幼馴染ではなく私の初期刀で、小狐丸は私が審神者になる際、研修先の指導審神者から餞別に譲渡された刀剣だ。本来なら、刀剣の譲渡は特別な理由のない限り行えないのだが、その小狐丸は指導審神者にとって二本目、かつ、元は政府に配布されたもので、故に政府も融通を利かせてくれたらしい。
 あと空条承太郎って、第三部のジョジョだ。

「これは……こんのすけの首ですか。おや尻尾と右前脚も」
「それは誠に御座いますか!」

 ひょい、とこんのすけの尻尾を持ち上げた小狐丸は、それをもにもにと揉みながら神妙な顔つきになる。

「ふむ、散り散りにはならぬのか。不思議じゃ」
「それは誠に御座いますか!」
「主様、これは何処ぞがおかしいのではないですか」
「そう。お揚げで釣れたのはいいんだけど、道を繋いだ時に霊力でごり押したのが悪かったのか、他の要因があるのか。理由は分からないけど、壊れてそれしか言えなくなってるみたい」

 バラバラにならないのは、身体パーツの座標データが残っているおかげだろう。

「えっ、それじゃあ、主は思い出したの!」
「その、思い出したことが何を指しているのかにもよるんだけど。私は審神者で、貴方達のことは、私の刀だと思っているよ」

 加州が息をのむ。次いで、今にも泣き出しそうな表情で破顔した。泣き笑いか、泣き笑いがくるのか。

「あ、主ぃ」
「うん」
「思い出すの、遅い」

 そのまま、むぎゅっと抱きすくめられる。潰れた蛙のような声が漏れそうになるのを、乙女の矜持で押し込めた。彼の背中をぽんぽんと優しく叩いて、そのサラサラの黒髪を撫でる。よしよし。世界一かわいいよー。
 えぐえぐと嗚咽を漏らす加州は、私の無い胸に顔を埋めている。おっぱいという名の包容力が足りないの。本丸を運営し始めてすぐの頃は、よくこうしていたっけ。この構図が、逆になることも多々あった。
 加州がこんな様子であるのに、相も変わらず私の肩に擦り寄っている小狐丸は、余裕の笑みで、何処からともなく取り出した櫛をこちらにちらつかせている。梳けってか。いいだろう。思う存分もふもふしてくれよう。

 ところで、やっぱりさっぱり私には、この状況がよく分からないのだが、一体全体どうなってるんだ。


 ****


「……へえ、前世」

 学校に向かう道で聞いた話によると、刀剣男士としての生を断たれた彼らは、この世に人としての生を受けたらしい。そこで、かつての仲間達と、己が主人――つまりは私と再会したとのことだ。いやあ、私のあだ名って、単に揶揄いだけじゃなかったんだあ。ついうっかり、以前の呼び方で呼んでしまったのが始まりで、定着したというのが正しいところらしい。

 ふーん。……うーん。『前世』、ねえ。
 ……なんというか、全部が全部、変な感じだ。
 実のところ、私にも前世の記憶はある。あるのだが、彼らの言う『前世』は、私の認識においての『前世』とどうにも違う気がする。
 だって、私の前世じゃ、刀剣男士達ってゲームのキャラだったし。いわゆる二次元、架空の存在だった。霊力なんてのも、オカルトな与太話だ。

 思うに、彼らの言う『前世』の記憶は、私が歴史修正のようなものを食らう前の、改竄される前の記憶のことなのではないだろうか。今の私に死んだ覚えはなく、記憶がおかしくなるまでの出来事は、私の中で一つのこととして繋がっている。
 ――彼らと私、何処でこの違いが出たのだろう。

「じゃあ、主の話は放課後だね。適当に声を掛けて、行ける奴らだけ連れて行くよ」
「私は行けませんが……今剣に声を掛けておきましょう」
「うん、それじゃあまたね」

 学校前の石段まできたところで、小狐丸と別れる。
 そこで私はようやく、無意識のうちに、自分が学校に行くことを決定事項としていたことに気付いた。何を呑気に学校まで来ちゃったかな?! 本来なら、最優先されてもいいはずのこんのすけのことも、帰宅後に処理するつもりでいたのだからおそろしい。

「あれっ、主、何処行くの」
「帰ろうかなって……」

「ブス!」
「ペチャパイ!」

 ひえっ。こわい。
 振り向きざま、前方から聞こえた声に身を縮ませる。空条承太郎の取り巻きである、三年がたの先輩達だろう。声だけだというのに、恐ろしい女の執念と剣幕を感じる。さすがは女子高校生、若いといっても女性なんだなあ。
 なるほど、今から戻れば、その集団に出くわすことになるわけだ。

「帰っちゃうの?」
「いや、やっぱり行くことにする」
「やった。それじゃ、俺は教室まで主と一緒に行けるんだあ」

 加州が可愛いことを言ってくれるので、私の頬もふんにゃり緩む。ういやつういやつ。その頭を撫でると、加州は心地よさげに目を細めた。
 そうして、穏やかな気持ちでいた私は、ふと思考の冷静なところで気付いてしまう。――空条承太郎って、ジョジョじゃん。ジョジョじゃん!?
「……なんで!? とうらぶなのにジョジョなんで!?」
「あ、主? 大丈夫? まだ混乱してるの? 確かにあの先輩、JOJOって渾名らしいけど。それがどうかした?」
「ダメかもしれない」

 しゃがみ込んだ私に、加州が心配そうに声を掛ける。

「お腹痛いの? 保健室行く?」
「保健室はダメっ、万年筆だから!」
「わけがわからないよ」


←前  次→
< 戻る  [bkm]