話 『ショウ・ボート』



 派手なリボンで装飾された船が汽笛を鳴らす。その船の港入りに、馬は喜び豚は鳴き、人は老若男女問わず港へと駆け出した。
 そんなオープニングから始まったのは、映画『ショウ・ボート』。画面を流れるグレースケールの映像は、画質の粗さからして、いかにも古い映画ですといった様子だ。19世紀末のアメリカ南部が舞台の物語だという。ならばあの船の浮かぶ川はミシシッピーだろうか。
 昊希からDVDのケースを受け取り、見てみれば、1936年のフィルム映像を字幕付きで復刻させたものだとあった。

「そもそも『ショウボート』とは何かという話だが……そうだね、旅芸人一座の船版だと言えば分かりやすいかな。船で移動して、地方巡業するんだ。出し物は、歌やお芝居、一発芸などなど。当時の地方で働く人々にとっての、数少ない娯楽のひとつさ」

 昊希の解説が挟まる間にも、物語は進む。この物語の主要人物である賭博師が、船長の娘に声をかけたあたりで、形兆は妙な既視感に襲われた。
 一体、何処で――と、形兆のその既視感の正体は、すぐに知れることとなった。

―― ひとつ、お互いに知り合いのふりをしようじゃありませんか。

 初めて出会った男女が、気安く言葉を交わすのも変だというのが、舞台となった時代の気風。だが、知り合いのふりをするのであれば、言葉交わすことも許されるだろう。
 そうした論で、賭博師の男が去ろうとする船長の娘を引き留める。その姿は前世、初対面の形兆に声を掛け、尚且つ引き留めようとした昊希に似ていた。

―― なら、お互いに古い知り合いだということにしようじゃないか。

 初対面だというのになれなれしいと、昊希の態度に文句をつけた形兆に、彼の口にした言葉がこれだ。明らかにおかしい主張を尤もらしく述べる彼に、前世の形兆は警戒心と気味の悪さを覚えたものだった。理解の出来る言葉で、意味の分からないことを言われた。表すならきっと、そんなところだ。
 あの時の彼は、どう続けたのだったか。……確か、甥がどうとか言い出して、形兆を甥呼ばわりしてきた気がする。

―― そうね、貴方は七十五年ぶりに会った甥ね。

 画面に表示される字幕に、「これか」と形兆は今にしてようやく、前世の彼の言葉の意味を理解する。いや、理解できたとして、わけがわからないが。
 もちろん前世の形兆に、彼の言葉の意味が理解できるはずもない。「誰が甥か」と言い返したことははっきり覚えている。それに対し、昊希は「それなら友人はどうだ」と提案して――そうして、虹村形兆は、彼と友人になったのだ。
 ……まるで詐欺の手口である。

 険しく寄った、己が眉間の皺を揉みながら、形兆は小さく溜息を吐いた。

 間もなく、七十五年は長過ぎると返した賭博師が、お互い一目で恋に落ちたふりをしようと、ふりに託け船長の娘に愛を歌い出す。
 甥扱いを断るというのは、奇しくも映画のくだりと同じだった。








「えっ、なんだいその顔。チベットスナギツネ?」

 ショウ・ボートを観終えた昊希は、隣の形兆がなんともいえない表情をしていたのに目を瞬かせる。

「七十五年ぶりに会った甥」
「……ああ、そんなことも言ったな」

 前世、彼に昊希自ら接触した際、台詞をいくらか参考にさせてもらったのがこの作品で、通じないと分かりつつも口にしてしまった冗談がその台詞だった。

「賭博師と船長の娘が結ばれたんだが」
「恋人のふりをした彼と彼女が、本当に愛し合うようになったのだから、友人のふりをしていた僕らが友人になるのも、ごく自然なことだった、というわけさ」
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