話「角笛」



 薄型テレビに映るのは、昔懐かしいドット仕様のゲーム画面。握るリモコンは、現在最新の据え置き型ゲーム機種のものだ。いわゆる、VC(バーチャルコンソール)――かつて発売されていた過去機種のゲームが、ダウンロードコンテンツとして現在のゲーム機上で遊べる、というものである。
F-MEGA!!のコールと共に表示されるスタート画面には、前世昊希が仗助と遊んだタイトルの「X」の文字がない。そもそも、F-MEGA Xはポリゴン仕様である。だからこれは初代F-MEGA――花京院やテレンスの得意とするあのゲームだ。

 点滅するPUSH STARTの文字に、昊希はふと、前々世でやり込んだ、似たタイトルのレースゲームを思い出した。いや、あのゲームは対戦機能などついていない一人用であったから、きっと中身は別物のレースゲームと考えたほうがいいのだろうが。
 コントロールを握り直した昊希は、隣の仗助に開始OKの意味を込めて頷いた。


 速さを競うより、隠しコマンド探しに仗助と昊希が熱中し始めた頃――ここで攻略サイトを見るのは野暮である――、この家の長男ジョナサンが卵パックの詰まったレジ袋を掲げて帰宅した。

「昊希くんか。いらっしゃい」
「お邪魔しています」
「プリン、食べるかい? 今から作るんだけど」
「是非」

 たすき掛けエプロンを身につけ、大きなボウルや濾し器を用意しながら、ジョナサンが問う。昊希は即答だった。

「期待してていいっスよ。プリンに一家言ある大のプリン好きも唸る、グレートなプリンっスから」
「ほう!」

 仗助の言に、気持ちの昂った昊希が、コントローラーのボタンを出鱈目に押す。何かの隠しコマンドになったらしく、昊希のマシンはいっそ見事なまでの放物線を描いてコースをスピンアウトした。

「さっきの何スか! スゲェ回ってましたよ!?」
「回ってたねえ……」

 仗助からの期待の瞳に、昊希は困ったような笑みを浮かべる。流石に偶然の産物を、再現は出来そうになかった。花京院に訊けば分かるだろうか。

「そう、その大のプリン好きが来るらしいから、用意をね」

 慣れた様子で卵を次々にボウルに割り入れながら、ジョナサンは言った。
「急に帰国したとかで、今日は二人とも泊まっていくらしいよ」と付け足された情報に、海外にいたらしい彼らの知人が星条家に訪れるらしいことを昊希は悟る。

「僕達の従兄弟でね。父の双子の兄の子にあたる。男二人の兄弟だ。プリンが好きなのは、弟の方になるな」

 彼らの血縁、プリンと聞けば、昊希の中にはジョルノの名が浮かぶ。兄、というのは彼の異母兄弟のうちの誰かだろうか。

「僕がいては、ご迷惑ではないですか」

 血族の集まるところに、自分がいるのも場違いかと尋ねた昊希だったが、この問い方ではジョナサンや仗助から、否定の言葉を招くだけであった。……プリン食べたさに、無意識のうちにそのような言い回しを選んでしまったのかもしれない。食への執念とは、恐ろしいものである。


 ジョナサンがプリンを作り始めて、一時間ほど経った頃。来客を告げるチャイムが鳴った。
 時計を見たジョナサンが、「聞いていた時間よりも早い」と呟く。プリンカップは蒸し器から取り出され、氷水の中で泳いでいるところだった。
 ――プリンカップ。プリン専用の型がどうやら、ここ星条家には置いてあるようだ。
 既に粗熱のとれた幾つかのカップは、冷蔵庫に収まっている。ジョナサンはエプロンを一旦脱いでは椅子の背もたれに掛け、ゲームを中断するよう仗助に促した。
 従兄弟の出迎えは、その時に家にいる家族全員で、ということらしい。
 一人だけ居間で待つというのも居心地悪く、客の身ながら、昊希もその従兄弟を彼らと共に出迎えさせてもらうことにした。

 後ろ髪引かれるように、F-MEGAのポーズ画面を見ている仗助とは対称的に、ジョナサンは玄関一直線である。昊希はジョナサンに重機関車を幻視して、慌ててそんな自分の考えをかき消した。取り敢えず、彼の前を行くのは危険そうである。
 昊希は一度振り返り、仗助が着いてきているのを確認してから、玄関へと足を運んだ。




 開かれた扉の先、玄関に立っていたのは、ぞっとするほどに美しい男だった。透き通るような白い肌、赤い唇。くっきりとした目鼻立ちはどこかギリシャ彫刻を思わせる。切れ長の瞳に、長い睫毛が陰を落とす。瞬きの度に風でも起こせそうだ。
 人の美しさの形容に「目がさめるような」という言い回しがあるが、確かにその美貌は、人を惑わせ、正道とは違う道に「目覚め」させそうな雰囲気があった。こわい。

「ディオ! ジョルノ! よく来たね」

 ああ、やはりか、と。昊希はジョナサンの口にした名に、その恐ろしいほどに美しい男が「誰」であるのかを理解した。

 歓迎するジョナサンに、ディオはふんと鼻をひとつならしてから、「土産だ」と言って持っていた袋をジョナサンに手渡した。――お土産。

「わあ、いつもありがとう」

 嬉しいよ、と袋を受け取ったジョナサンが、ディオに近況を尋ね始めたあたりで、話は昊希の理解の容量を超えた。
 ジョナサンにしても、ディオにしても、前世の記憶があってできた対応でないことは確かだろう。

「玄関口で話をするのもなんですし、中に入れて貰ってもいいですか?」

 ディオの後ろにいた、すらりとした体躯の男性が口を開く。こちらも金髪の美形である。
 ジョナサンがその名を呼んでいたことから、彼が「ジョルノ」だという推測は立っていたが、その見た目が問題だった。
 曲がり間違っても十五の少年ではない。その高い身長にしても、大人びた顔付きにしても、成人男性の名に相応しい。それも、学生ではなく働く大人、社会人というような、だ。
 三つのコロネは健在だが、昊希の想像していた「ジョルノ」――もっと幼い、小・中学生くらいの年頃――とはあまりにかけ離れた姿に、昊希は思わずジョルノをじっと見つめてしまう。……どれだけ見つめても、ジョルノが小学生にまで縮むことはなかった。

 と、ディオの背を見ていたジョルノが、昊希へと視線を向ける。二人の視線が、交わった。

「ああ、気が利かず済まない」

 玄関を塞ぐように立っていたジョナサンが、横に立つ位置をずらし、二人を家の中へと招き入れる。仗助からは、気安い仲だからこそできるのであろう「よぉ」というだけのおざなりな挨拶が発せられた。

「で、此奴は誰だ?」

 す、とディオに指し示され、昊希は噎せそうになる。その動作ひとつとっても、洗練された雰囲気があるのは一体どういうことなのか。

「学園の先輩っスね。コウキさん」
「はじめまして」
「フゥ〜〜ン?」

 昊希を不躾に上から下までジロジロと観察するように見たディオは、ふっと一笑するとジョナサンへと視線を戻し、話の続きをし始めた。昊希に興味は持たなかったらしい。
 居間に戻る仗助と、それに続くジョナサンとディオ。

 ――あ、いいにおいがする。
 側を通ったディオから、ふわりと漂った香りに、昊希はくん、とその匂いを嗅いだ。ユニセックス系のコロンだろうか、鼻に抜けるようでいて、どことなく甘い匂いがする。
 上品な匂い、とでも形容しようか。癖も強過ぎず、はっきりいって昊希の好みの匂いだった。ゲロ以下などといっても流石に本気で「臭う」とまでは思っていなかったが、その匂いを気に入るというのは、昊希にも想定外である。

 ディオの後ろについてくる形で家に入ったジョルノは、昊希の前で立ち止まった。
 側に立って初めて、昊希はジョルノの背の高さを実感した。男子高校生のごく平均的な身長の昊希では、どうしても彼の顔を見上げるかたちになってしまう。

「あの人に、前世で酷い目にでも遭わされましたか」
「……いや、確かに間接的に殺されてはいるが、それよりも。友人の父親の仇、といった意味合いの方が強いかな。正確には、仇のようなもの、だが」

 ――ああ。
 ジョルノの向ける瞳に、自分と同じ空気を感じて、気付けば昊希は、彼の問いに素直に答えを返していた。誤魔化せるような相手でないことからして、昊希のそれは不可抗力というものだろう。それにしても、素直に答えすぎていたが。

「木村昊希です。仗助君とは、仲良くさせて貰っていますよ」
「星条ハルノといいます。『ジョルノ』は渾名のようなものですね」

 ジョルノから差し出された手を、昊希は右手で握る。海外生活が長いのだろうか。今生では、親の転勤に着いていく関係で、握手での挨拶文化のある国にも滞在する機会のあった昊希は、少しだけ懐かしい気持ちになった。懐かしいも何も、数ヶ月前のことなのだが。此方に来てからの日々が濃厚すぎて、完全に過去と化しつつあった。

 ジョルノが、握り返す手にグッと力を込める。互いに、目線は合わせたままだ。

「貴方は話の分かる人のようだ」

 薄く微笑んだジョルノは、オトナの色気を醸し出しながらそう言った。彼の纏う空気に、僅かに『凄み』のようなものが混ざるのを、昊希は肌で感じとる。

 ――ギャング・スターこわい。
 昊希がそう思った瞬間である。








「どんなことをすれば、あれほど恨みが買えるのか。前世は余程の悪人だったらしいですね」

 呆れた様子でそう言うジョルノは、兄・ディオが前の生での己の父親だということを知らない様子だった。……名前で気付かなかったのだろうが。
 疑問を抱くと同時に、彼にどう言葉返すべきか昊希は困ってしまった。前世での、ディオの行い。伝えてもいいが、昊希の知るはずのないことでもある。

「……ああ、貴方に問うているわけではありませんから、お気になさらず」

 困る昊希に、そう告げたジョルノは、前世のディオの悪行には然程興味のない様子だった。


 前世を覚えていないディオは、高圧的で自信家な態度こそ原作第一部の彼を思わせたが、その実、人に手を貸すということのできる、たいして害のない人間だった。
 本当に別人のようだ、と昊希は目を細めた。……別人も何も、それは、元の人となりを漫画でしか知らない昊希の判断出来たことではないのだが。

「お気付きかとは思いますが、あの人、前世のことを全く覚えていないんです」
「……そのようですね」

 演技の線も考えて観察していたが、演ずるならば彼は、純粋無垢な好青年のフリをするなり、全くの別人らしく振舞うなり、もっと上手くやるだろう。身構えていた昊希は、拍子抜けしてしまっていた。

「あんな人ですが、今生では、明らさまに人道を外れるような真似はしたことがないんですよ。案外、皆さんのおっしゃる『彼』とは、他人の空似の別人なのかもしれません」

 言外に見逃せというジョルノに、昊希は「そうですね」と笑みを浮かべる。もう、笑うしかない。浮かんだ笑みは、どうしても苦さの混ざるものになった。
 今世の法では、ディオを裁けない。それは昊希に、スタンド使いが法で裁けない話を思い起こさせた。そこで「俺が裁く」ともなれない昊希である。

「本人も身に覚えのないことを、罪だと責め立てるのも変な話でしょう? 私怨があろうと、彼に危害を加えていい理由があるはずがない。報復という意味なら尚更です」

 ジョルノの並べ立てた台詞に、昊希は釘を刺されているのだと理解する。さて、とられた手段が言葉だけでよかったと喜ぶべきか、もう永遠に正当な理由でディオを殴ることはできなくなったと残念がるべきか。
 昊希は何故だか無性に、形兆に謝りたくなった。


「何故貴方が、あの人のフォローを?」

 本当に、何故だか。昊希には分からなかったのだ。『ジョルノ・ジョバァーナ』が『ディオ・ブランドー』に対して果たす義理など無いはずだったから。――だが、彼の、『ジョルノ』の声を聞いて分かってしまった。その表情に悟ってしまった。

「あんな人でも、身内ですから」
「……愚問でしたね」

 その言葉は、いっそ卑怯というもので。「弟」という存在に総じて弱い昊希に、大変よく効いた。
 ――兄思いの弟。
 これをどうして憎めよう。兄に降りかかる火の粉を払わんとする、その姿勢は尊いもので、昊希には到底害せない。ジョルノ、おそろしい子。昊希は本日二度目の「ギャング・スターこわい」を味わうことになった。








こぼれ話

【撫でたい頭】

 彼はディオの弟であって、彼が己を兄と慕ってくれているわけではないのだが……「弟」という存在を、つい可愛がりたくなってしまうのが昊希である。そんな昊希は今、ジョルノの頭に並ぶ三つのコロネを撫で回したい欲求と戦っていた。

 彼が小学生なら、小学生ならば、チャンスもあった。
 だが目の前にいるのは成人男性、歳を尋ねればジョセフよりも二つ年上の二十四歳。小学一年生約四人分。つまり四回撫でていい? 違うそうじゃない。
 小学一年生の頭を撫でるのも、なかなか事案のこのご時世だが、十八歳が六つ年上の頭を子供の頭を撫でるが如く撫で繰りまわすのも割と失礼だ。何より頭上のコロネが崩壊しかねない。それは大変よろしくない。ああ、世の何と無情なことか!
 昊希は血の涙を流し、その欲求を耐えるほかなかったのである。

 余談だが、昊希のその様子は、彼が強い欲求――ディオへの復讐心と戦い、打ち勝ち己を律したものとジョルノの目には映っていたとか、いないとか。
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