話「xxi」前



 スレッドを閉じ、携帯を鞄に仕舞った昊希は、隣のシートを見遣る。窓の外を眺めていた形兆は、その視線に気付いたように、昊希に顔を向けた。

「何か用か」
「そういうわけで君を見たんじゃあないが。あ、七並べでもするかい?」
「二人でか?」

 そもそも、この新幹線の小さな収納式テーブルでは、五十四枚のカードを並べ切ることは難しいだろう。そのことを指摘する形兆に、「ならばブラックジャック、いや、ポーカーにしよう」と昊希は言い出すが。取り出されたトランプケースから出て来たカードは五十四枚よりも少なく、明らかに柄が異なった。

「タロットカードだった」
「……」
「まあ、ここはひとつ占いでも」

 二十二枚のタロット大アルカナのカードをシャッフルする昊希に、前世彼の手にあったタロット占いの本を思い出して、形兆は僅かに目を細めた。懐かしさよりも、苦さが勝る。

「一枚、好きなカードをどうぞ」
「何を占うつもりだ?」
「それは考えていなかった」

 どうしようか、と首を傾ける昊希に、「今回の旅についてでいいだろう」と言いながら、形兆は無作為にカードを引いた。
 記された数字は『XVI』

「The Tower――塔か」

 カードに描かれていたのは、塔に光が降り注ぎ、破壊され燃える塔から落下する二人の人間の絵だった。不吉な図柄だ。

「どういう意味のカードだ?」
「クワガタ」
「歩兵隊、用意ッ」
「冗談だ。意味は確か、災難や予期せぬトラブルといったものか。殻からの脱却、というような意味合いもあったように思う」

 銃口を向ける『極悪中隊』の歩兵達に、昊希は冷や汗を垂らし、早口で答えた。形兆は口角を上げ、「此方も冗談だ」とスタンドを消した。

「冗談にせよ、心臓に悪い」
「ふざけたことを抜かすのが悪いな」
「真面目に思い出そうとしていたが故の発言だったのだが」

 そんなやりとりをしている間に、昊希はクワガタの飼い主スタンドの本体、もといタワー・オブ・グレーの発言を思い出す。

「塔のカードに関して、ある人は『破壊と災害、旅の中止の暗示を持つ』と述べていた」
「……帰るか」
「帰らないよ!?」

 早速旅の中止を言い出す形兆に、昊希が反対の声を上げる。ここで帰ってしまっては、旅の予定を組んだ昊希の苦労が水の泡である。その理由が素人占いの結果など悲し過ぎる。

「そもそも君が、占いなんて信じる性質かい?」
「いいや」

 形兆は塔のカードを昊希に渡すと、座席に深く座り直した。昊希は受け取ったそれをタロットの山に差し込み、カードを切る。それから、一枚カードを引いた。

「……うむ、当たらないね!」

 カード番号XXI、世界(The World)のカードをそそくさとまた山に戻す昊希に、形兆は携帯を使用してその意味を検索する。

「物事の完成、約束された成功、旅。この、位置というのは?」
「気にしない。気にしない」

 形兆の記憶の限り、図柄は逆さま、カードは逆位置だったように思われるのだが。

「今回は、位置を気にしない占いだから、そうだから。第一、タロットの結果に吉凶や良し悪しはないんだよ」
「そうか」

 半ば自分自身に言い聞かせるように、昊希が述べる。形兆はおざなりに相槌を打ちながら、タロット「世界」の逆位置の説明を流し読んだ。

「あとは、到達だとか、良いエンディングだとか、終わりはあるけど終わりのないのが終わり、みたいな意味があったかな」

 タロットカードをシャッフルした後、愚者から並べ直した昊希は、それをケースに収納すると、占いの話はこれで終わりだとでもいうように、鞄にそのケースを仕舞った。








 駅のホームに降りた二人は、最低限の荷物だけ持ち、残りは駅のロッカーに詰め込む。形兆の後を追うように、昊希は駅の外に出た。

「思っていたより暖かいね」

 昊希は一度巻いたマフラーを外して、ナップザックに仕舞う。春の柔らかい日差しが降り注いでいた。首筋を撫でた風はまだ少し肌寒い。思わず首をすくめた昊希に、形兆は小さく嘆息する。

「風邪をひくぞ」
「平気平気」

 京都駅の写真を撮影しながら、昊希は呑気にそんな言葉を返した。そうして気持ちの弾むまま、撮った写真を例のスレッドに上げる。

「桜は流石に咲いていないだろうが、梅は見頃なんじゃないか」
「おい、何処にいく気だ」

 ふらふらと何処かへ行こうとする昊希の肩を形兆は掴む。

「ここからなら、梅小路公園が近いかなと思ってね。……徒歩十五分って近い?」
「予定では、ここで奈良線に乗り換えるはずだっただろう」
「あ、京都タワーが見えるよ」
「……」

 早速計画を外れたルートを行こうとし始める昊希を、「梅なら他の場所でも見られるだろう」と形兆は駅に引き摺り戻した。旅の計画者がこのような調子では、先が思いやられる。

 電車に揺られ、幾らか乗り換えた先に、目的の駅はあった。叡山電鉄鞍馬線終着駅、鞍馬駅である。

「天狗がいる」

 駅のホームに飾られた天狗の面に、昊希はそんなことを呟いた。
 その他、駅のところどころに天狗の面や像を確認した昊希は、旧型の電車の車体らしきものを視界に捉え、そちらに近付く。
 車体といっても、それは運転席部分のみのようだった。それから、横に飾られたダンベルのようなもの。……電車の車輪らしかった。
 その車体の型番号を示す数字を読み取って、昊希は眉根を寄せる。デナ“21”型。あのタロットを、否応無しに思い出させる数字だ。

「……厄日なのだろうか」
「なんだ、帰るのか」
「帰らないよ! ……なあ君、わざと言ってないか」
「さあな。それより行くぞ。この調子では、帰りの電車に乗り損なう」
「予定の電車に乗れなくても、次の電車の本数には余裕があるから」

 そう言いながらも、鞍馬寺に向かう形兆の背を昊希は追いかけた。








 鞍馬寺・本殿金堂の拝観も済ませ、二人は山道を行く。やがて道はくだりにさしかかり、地面の景色が変わった。
 地表に張り巡らされるようにして、木の根が浮き出ている。昊希は手元に観光マップを広げた。

「『木の根道』というそうだ。地面が固いだか、岩盤があるだかして、木の根が地中奥深くまで張れずにこうなるらしい」

 先に不動堂に着くものと思っていた、と呟く昊希は、側の看板とマップを見比べ、次の目的地まではまだ暫く歩くことを告げた。形兆は目を眇める。

「随分と山奥に来た気分だ」
「確かに、道は塗装も石段もなし、周りは木ばかり。人もいない。そも、実際ここは山奥だ。……今更なのだけれど、君、杉の木は大丈夫だった?」
「ああ。でなきゃ此処には来られないだろう」
「それもそうか」

 頷きつつも、昊希はほっとする。自身が花粉症の類とは無縁であるが故に、形兆にも尋ねず旅先に選んでしまった彼である。
 その後、二人は大杉権現社に立ち寄り、少し迂回した形で僧正ガ谷不動堂(そうじょうがだにふどうどう)に到着した。

「能の演目『鞍馬天狗』で、天狗が若き日の義経と会ったとされる場所だね。ここのお堂にある不動明王は、伝教大師、要は最澄が彫ったと伝えられている。平安時代の宗教事情については聞くかい?」
「その話は、山を降りるまでに終わるのか?」
「……やめておこう。魔王殿の尺がなくなる」
「お前、最近ゲームのし過ぎなんじゃあないか」
「その『魔王』ではないからね?」

 級友や花京院の誘いで、連日昊希がゲームに興じていることを知る形兆が言うのを、昊希はすぐさま否定した。まさかのゲーム脳を疑われる事態である。その発言が冗談か本気かは、昊希にも読めなかった。

「登りにも、『魔王の滝』を見ただろう。『魔王殿』は鞍馬寺の奥の院――本堂より奥にある、護法魔王尊を祀っているところ。その『魔王』だよ」

 そう話しながら、昊希は次の目的地、魔王殿へと歩き始める。道は再び登りとなり、石段がところどころに見えていた。

「護法魔王尊は、鞍馬寺で祀られているご本尊のひとつで、鞍馬天狗と同一視されている。それと同時に、ヒンドゥー教の神話に登場する、賢人サナト・クマラの転身とも解されているらしい」

 突然出てきた、明らかに日本の寺社では耳慣れぬヒンドゥー教の賢人の名に、形兆が怪訝な顔をする。

「元々、『魔王』というのは仏教用語で、正しい教えを妨げる存在を意味する。これは推測だが、ここでいう『魔王』は、ごく単純に、仏教とは異教の神仏であることを表しているんじゃないかな」
「推測なのか」
「お寺に詳しい人にでも訊けば分かるのかもしれないけれどね。少なくとも、観光マップの説明には、どこにもそんなことは書かれていなかったよ」

 調べようにも圏外だし、と昊希は形兆に携帯の画面を見せる。ブラウザは、携帯がインターネットに接続していないことを示すメッセージを表示していた。

「信用ならない話であることが分かった」
「まあ、そういうことだね」

 ふと思い立った昊希は、履歴を開き、転生板へのアクセスを試みる。スレッドには問題なく繋がるらしかった。つくづく謎である。携帯をポケットに仕舞い、昊希は話を続けた。

「ちなみにこの解釈だと、『護法』の意味が相まって、祀られているものは、仏教を守る異教の神様、というようなニュアンスになる」

 石段は途切れ、土肌が覗く。木の根道がまた見え始めた。

「ここを過ぎれば、魔王殿のようだ。ああ、先程の話に補足をすると、護法魔王尊は地上の創造と破壊を司っていて、650万年前、人類救済のために金星から飛来したらしい」
「……本気で言ってるのか?」

 胡散臭いものを見る目をした形兆に、昊希は苦笑する。確かに、一気に話が跳躍したとでもいおうか、昊希も知った時には、オカルトじみた話だと思ったが。寺社仏閣の縁起には、往々にしてあることだ。

「本当に、そうした謂れがあるんだよ」

 昊希は観光マップの該当箇所を開き、形兆に差し出す。目を通した形兆は、そこに書かれた説明に、少し遠い目をした。

 静閑な杉林に光が降り注ぐ光景は、どこか幻想的で美しい。木の根道も通り過ぎ、道は再び土肌覗く山道へと戻る。道の変化に、二人は目的地が近付きつつあることを感じ取る。
 じきに到着するだろうと思われた魔王殿は、しかし、いつまで経ってもその建物が見えてこなかった。

「おかしいな。地図では不動堂とあまり離れていないのだが」

 それどころか、くだれどくだれど、山を抜けられる気配はなかった。変わらぬ景色に、流石に何かがおかしいと思い始めたところで、布の塊のようなものが昊希の視界に入る。
 ここからは少し離れた、道沿いのなだらかな地面。木々の合間に落ちたそれは、登山者の落し物――厚手のショールのように一見思われたが、どこか人の形にも見えた。その布の塊が動いたような気がして、昊希はポケットから急いで携帯を取り出すと、カメラを起動させ、それを望遠鏡がわりに布を拡大して写真を撮る。

「忍者だこれ」

 布のように思われたのは、忍者服だったらしい。山中に忍者が落ちていた。なんでさ。
 形兆に写真を見せると、無言。いや、絶句している。その表情を撮ろうとして、手のひらで阻まれた。
 惜しい、と思いながら、携帯を仕舞いかけた昊希は、その手を止める。それから、転生板の例のスレッドを開き、忍者の写真をそこにアップロードした。これは報告せざるを得ない事態だろう。

「あれ」

 スレッドに上げた写真を開くと、そこに忍者はいない。転生板の画像は保存できないらしく、形兆に見せることはかなわなかったが、スレ民達の反応を見るに、彼らにも忍者は見えていないらしかった。アップロード前の元写真には、変わらず忍者が写っている。よく見れば、忍者は怪我をしていた。
 レスを手短に打ち込み、昊希は携帯を鞄に仕舞った。側の形兆を見ると、彼は『極悪中隊』を出し、道を先行させていた。

「さすが形兆。取り敢えずあれは、人ではないらしい」
「……そうだろうな」

 形兆は顔を顰め、「スタンドか」と呟いた。

「お前も、スタンドを出しておけ。ここは敵地だと思っておいた方がいい」
「忍者のせいで危機感が持てない」
「その忍者が一番の曲者なんだろうが」
「敵でも利用されてるだけにしても、明らかに踏まざるを得ない罠だものね」

 そう言いながら、昊希もスタンドを出す。昊希のスタンド能力の性質が『世界(ザ・ワールド)』に似たものだと判明してから幾月、スタンドには名を付けられないまま、時間だけが過ぎてしまっていた。故に昊希が出すのは、名もなきスタンド像である。

「相手は何人だろうか」
「目的地に辿り着けなくさせられたスタンドと、あの忍者がスタンドというので、最低二人か。歩かされた道とあの忍者が同じ者による幻覚だとすれば一人になるが、ここまで大規模な幻覚を使用できるスタンド使いならば、流石に財団に紐付きにさせられる。こんな場所にはいないだろう」
「えっ、財団怖い」
「あの忍者を出したスタンド使いが被害者であれば、あの忍者なり本体なりを傷付けた者もいるということだ。少なくとも、俺達は数の上では不利だな」

 昊希はスタンドと一緒に項垂れた。

「……折角の旅がこんなになってへこみそう」

 いや、既にへこんでいる。形兆は呆れの混ざる溜息を吐いた。

「これでも食ってろ」
「わあい、飴だ」
「渡しておいて何だが、いいのかそれで」

 コロリと上機嫌に変わり、口の中で飴玉を転がし始める友人の単純さと緊張感のなさに、形兆までも肩の力が抜けてくる。

「青リンゴ味? 美味しいよ」

 形兆の言葉までも、ズレた解釈をする昊希に、形兆は一瞬、彼だけここに置いて帰りたくなった。
 周囲に警戒し、歩くこと数分。二人は倒れた忍者のいる場所にまで辿り着いた。どちらが声を掛けるか、お互いに視線で押し付け合っているうちに、倒れていた忍者が目を開けた。次いで身体を起こそうとして、その傷に呻き、また倒れる。ほとんど反射的に、昊希は忍者のその身体を支えてしまった。形兆が呆れた顔をしているのが、昊希には見ずとも分かる。スタンド体だからか、その忍者に体温はなかった。

「姫様……」

 忍者の口から零れた単語に、昊希は形兆の指摘通りゲームをやり過ぎたのかもしれないと真顔になった。幻聴か、聞き間違いとも思われたが、続けて忍者が「姫様をお助けせねば」と呟いたことで、その可能性は潰える。

「形兆助けて」
「……そいつを拘束しておけ、『極悪中隊』に本体を捜させる」

 そう言い、隊員達に指示を飛ばす形兆は頼もしい。昊希も己の役目を果たそうと、忍者にスタンド像を触れさせた。

「動かないで、安静にしていてください。事情を説明願えますか」

 そう『お願い』して能力を発動させる。相手スタンドの本体が側にいない状態で能力を発動させた時に、相手が動きを止めるかどうかは試したことがなかったが、どうやら効果が発揮されたことを、昊希自身が動けなくなったことで確認する。尤も、スタンドを対象に『お願い』をしたところで、本体の意思なくスタンドを操れた試しはないために、昊希の『お願い』の内容を忍者が叶えてくれるかまでは分からなかったが。
 そもそも、スタンドと会話が成立する事象自体が珍しい。昊希にとっては初めて遭遇する存在だ。原作知識でいえば、アヌビス神の妖刀やカメオの審判(ジャッジメント)がそれに該当するだろうか。「触れた対象を操る」「願い事を叶える」……第三部の悪役とばかり、自身のスタンド能力との類似がみられることに、昊希は少し気分を落ち込ませた。
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