ホル・ホースと出会った時の話



 父親に連れられ、訪れたハワイの射撃場。階下がバーになっていることもあってか、いるのは大人ばかりだった。英語以外の言語が混ざって聴こえてくるあたり、自分達のような観光客もそれなりにいるのだろう。

 安全眼鏡と耳当てがズレていないか確認した昊希は、父親による事前のレクチャーを思い出しながら、銃を構える。この銃を選ぶ際、射撃場のスタッフから幾つかの銃の種類を提示され、父親も交えて色々と説明がされたはずなのだが、銃の性能よりも、開発や使われてきた歴史の話に意識の向いてしまった昊希である。そんな昊希が、この銃の性能に関して分かっていることは、中学生な昊希でも扱える程度に反動が小さいということだけだった。
 持ち上げる腕に伝わる、ずっしりとした重さ。鉄の塊なだけはある。補助はいるかと尋ねてくる父親に断りを告げ、彼が離れたのを確認してから引き金に指を掛けた。




 息を吐いた昊希は、慎重に銃を置く。時間に換えればそう長くない間だったはずなのだが、的に集中していたせいか目がしょぼしょぼとした。射撃場の受付も兼ねた待機ロビーに戻ろうとして、父親がその場で立ち止まったままなことに気付く。彼の視線は、昊希の隣にいた客へと向いていた。
 昊希は父親の服を引っ張る。気付いた父親が、耳を傾けるように腰を低くした。耳当てのあてられた耳元に向かって、昊希は尋ねる。

「父さん、行かないの?」
「まあ、見てみろ」

 よく見ると、周りの客たちの視線も、昊希の隣の客へと集まっていた。肩にかかるほどの長髪ブロンド、体格のいい男だ。
 素早く片手で構えられた拳銃。その背姿に、素人目にも熟練者だと分かる。連続して聴こえる銃声。
 撃ち終えた彼が銃を置き、振り向く。その顔を、立ち位置から近くで見ることになった昊希は目を見開いた。一般的には、美形に分類されるであろう顔。今はその自信が見え隠れする笑みを浮かべている。何より特徴的なのが、割れた顎。
 ――ホル・ホース?
 彼のトレードマークともなっている、テンガロンハットは被っていないが、その顔はジョジョ第三部のアゴ割れガンマンそっくりだった。
 彼の側にいる射撃場のスタッフが、興奮した声を上げているのが分かる。早口過ぎて内容までは分からないが、賞賛の言葉であるのは間違いない。別のスタッフが、彼の射抜いた的を持ってくる。その弾痕が中心にしかないことに、彼に注目していた人々はさざめいた。

「すごい……」

 耳当てで彼の耳は塞がれていたはずなのだが、距離の近さからか。思わず呟いた昊希の声を拾ったように、ホル・ホースは視線を低い場所――昊希へと向ける。ニヤリ、と口端をもたげた彼は、人好きのする笑みを浮かべ、昊希の頭をガシガシ撫でた。欧米的スキンシップか何かだろうか、大きな手だった。
 ロビーに戻る彼の後をついていく形で、昊希とその父親も射撃場を出る。射撃場を中継しているモニターに注目していた人々が、ホル・ホースが出てきたのに反応して、その注目の対象を変えた。人の輪がほど経たず出来上がるさまは、ちょっとしたスターがやってきたかのようである。


「素晴らしい!」

 一際大きな声を上げ、周囲の人々の輪から前へ出てきたのは、横髪を刈り上げた赤髪の男だ。彼は後ろに男女も混ざった数人の取り巻きを連れていた。女性ですら自分より背の高い集団に威圧され、昊希はさり気なくその場を離れる。
 昊希は名も知らないが、耳当てを外し周囲のざわめきから聞き拾うに、その短髪の男はどうにも、射撃に関して著名な人物らしい。国際大会がどうとか、州のチャンピオンだとか、そんな単語が散らばって聞こえる。

「ドグマン? まさか本人か? 確かに、ここはプロ競者もたまに利用しているとは聞いていたが」

 その父親の言葉に、知っているのかと昊希が説明を促す。父親は、その赤髪の男・ドグマンがアメリカで名の売れた射撃の競者だということを説明した。射撃競技というと、クレー射撃を真っ先に連想した昊希だったが、ドグマンが得意としている競技は、動かない的を正確に撃つタイプのものだという話だった。


「ハーッハッハァ!」

 急に大きな笑い声が聞こえて、驚いた昊希は、声のした方を見る。笑い声の主は、ホル・ホースのようだった。一触即発、とまでは言わないが、ドグマンの方がどうにもピリピリしている。昊希が目を離しているうちに、何かあったらしい。

「なんなら勝負してもいいんだぜ、アニーちゃん? 尤も俺はフランク・バトラーじゃあないがな」
「抜かせ、早撃ちガンマン。アッチの方も早いのか?」

 どういう経緯だか昊希が飲み込めないままに、彼らの間で煽り合いが始まった。耳にすんなり入ってくるホルホースの言葉と、スラングがキツすぎるのか、聞き取れるのに内容の理解できないドグマンの言葉。なんとも剣呑な雰囲気である。言葉の内に段々と下品な単語が混ざり出した辺りで、昊希は父親に耳を塞がれた。
 一時はどうなることかと思われたが、射撃場のスタッフに連れられ、ロビーに身なりのいい中年の男性が現れたことで状況が変わる。
 ドグマンがやや大げさなアクションで、その男性を歓迎する。ドグマンと懇意だという、ここの支配人だった。階下のバーも彼の管轄らしく、先程までそこで飲んでいたという彼の頬は、ほんのり赤みがかっていた。
 ドグマンやホル・ホースと二言、三言交わした支配人は、くつくつと笑い、気分も良さげに頷いた。

「ならば、勝負の場を整えよう。弾丸は六発、ここにいる者達全員が見届け人になる」

 詳細までは聞き取れなかったが、その支配人の言葉に、ドグマンとホル・ホースがこれから射撃の腕を勝負をするのだということを理解する。
 的が設置されるのは、通常の距離でなく、この射撃場で設置可能な一番遠い場所になるようだった。


 そして始まる勝負。昊希はモニター越しに射撃場を見守る。支配人の合図で、二人は撃ち始めた。
 二人の放った合計十二の弾丸は、何れも的に命中したようだった。弾丸の当たった位置を確認すべく、スタッフが的を回収に行く。
 ――そうして、結果は開示された。
 恐るべき精度で射抜かれた二人の的。一見、その全ての弾痕が的の中心を示す枠の内に収まっているように思われたが、ドグマンの的の弾痕の一つが、わずかに中心枠をずれて位置していた。
 つまりは、ホル・ホースの勝利である。

 わっと声が上がり、騒がしくなったロビーに二人が帰還する。人々は口々に二人の健闘を讃えた。

「やるじゃないか」

 ホル・ホースの肩を叩きながら、賞賛の言葉を口にするドグマンだが、声が震えている。

「おい、例の的を用意してくれ!」

 ドグマンが支配人に、そのような頼みを伝えた。支配人は口端を歪めて笑い、呼びつけたスタッフに何やら指示をする。これから用意される的は、既定の的より中心枠が小さいらしい。

「エクストラ・ステージだ。弾丸は一発。その的の中心に当てたら、下のバーのヘンリーを奢ってもいい。ただし外せば、この後の飲みの代金はお前持ちだ」
「おいおい、まだ勝負に乗るとは言ってねえぜ?」

 そう言いながらも、ホル・ホースは応じることにしたようで、耳当てを再び装着し、「側で見たい奴はコッチに来るといい」と言い残して射撃場へと向かっていった。昊希も彼を追いかけようとしたところで、誰かの呟き声を拾う。

「――ヘンリーって、まさか、『ヘンリー四世』か?」

 その語に数瞬、シェイクスピアの戯曲を連想した昊希は、すぐに違うと思い直す。ドグマンが下のバーと言ったからには、酒の名前のはずである。
 支配人が、ドグマンに声を掛けた。

「大きく出たじゃないか、200万ドルの酒を賞品に出してくるとは。あれはうちのバーの秘蔵の酒でもあるんだぞ? 瓶くらいは残して欲しいものだ」
「あの酒はその瓶が高いんだろうが。第一、奴の手には渡らない。だろう?」
「中身も価値あるコニャックだ。瓶だけが価値じゃあない。まあ、そうだが」

 ――コニャック!
 ブランデー好きの血の騒ぐ単語に、昊希は動揺した。日本円にして、二億円超えのコニャック。憧れと畏れ、そして強い好奇の心が昊希に芽生える。一体どんな味がするというのか! ……今の昊希の年齢では、確かめようもないのだが。
 彼らの話はそこで途切れ、射撃場へと移動していった。彼らの側をついていったせいか、昊希まで自然と道を譲られるかたちで、ホル・ホースのよく見える位置におさまる。

「本当に当てちまっていいのか?」
「ああ、いいさ。当てられるものならな」

 いかにも、何かあるといった口振りのドグマンを、しかしホル・ホースは介した様子もなく、的の前に立つ。昊希の目には、ホル・ホースの構えた拳銃がブレて見えた。――否、二つあるのだ。
 引き金が引かれる。通常の弾丸がとんでいき、間を空けず、常人には視認できないスタンド像から、メギャンという特徴的な音と共に弾丸が撃ち出される。的を照らすオレンジのライトがきらりと反射して、後から撃ち出された弾丸の位置を知らせた。その輝きは、的を前にして、何かを避けるように曲がった軌道をえがき、やがて消える。それと同時に、的が鋭く撃ち抜かれる音がした。

「当たった!」
「いや、まだだ! 的を確認してみないと分からない。そうだろう!? だいたい、中心に当たってないといけないんだ、それ以外の場所なら無効さ、ああ! 無効だね!」

 早口でまくしたてるドグマンは、着々とフラグを打ち立てているようにしか見えなかった。
 そして、スタッフにより運ばれてきたのは、中心を撃ち抜かれた的である。

「バカな、そんなはずは――」
「何が『そんなはずは』なんだか知らねえが、酒の払いは頼んだぜ」

 ホル・ホースはそう言うと、呆然としているドグマンの肩を叩き、実にいい笑みを浮かべた。

「し、支配人ッ」
「……約束は約束だからね。今、酒を持って来させよう」

 助けを求めるようなドグマンの声に、しかし、周囲の目もあってか、支配人は取り合わず、渋い顔をしてスタッフに指示を飛ばした。

「さて、私は鑑定書を持ってくるとしよう。ドグマン、君も来てくれ。支払いの契約書を作ろうじゃあないか」
「ははは、契約書だなんて、そんな。俺と支配人の仲だろう?」
「そうして支払われなかった酒代を知っているから言うのさ」

 支配人の言葉に、ドグマンは項垂れた。支配人はひとつ頷き、それから、ホル・ホースの方を向く。

「貴方のような腕前の人間がいるとは思わなかった。大会に出るのならば、是非支援したいものだが」
「生憎、その予定はねぇな」
「そうか。そうだろうな。最後の的も、どうやって当てたのかは気になるところだが、尋ねないでおこう」
「賢明なこった」

 何やら意味深な会話が交わされた後、支配人はドグマンを連れ、階下へ降りていった。
 支配人が去り、ホル・ホースの周囲を、先程の勝負を見届けた人々が埋める。彼の素性を尋ねるような質問が飛び交うが、ホル・ホースはのらりくらりと回答を避けていた。
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