8x3honey

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「いやぁ、爽快爽快!こどもたちの目は輝いていたし、俺も気分がいいし、最高のヒーローショウだったな!!!」

守沢千秋はヒーロースーツのアイシールドを取りながらわっはっはと楽しげに笑った。
鼻歌を歌いつつタオルで汗を拭う。
季節は夏。流星隊の隊服に少しアレンジを加えたこのスーツは敏腕プロデューサーに頼んで通気性抜群にしてもらっているが、それでもやはり暑いものは暑い。使い終わったタオルを二つ折りにして自分を仰いでいれば、二足歩行する象のような怪獣パオゴンが短い足で千秋の脚を蹴った。

「おいおい、此処はステージじゃないぞ?正義と悪の対立は終了だ。」

笑いながら500ミリペットボトルを差し出す。
パオゴンはそれを受け取るかと思いきや、上げた腕はペットボトルを通り越して己の頭へと伸びた。
カポリと外れる。

恐ろしげながらもどこか憎めない象の頭の下から、恨めしげに千秋を睨みつける汗だくの少女が現れた。


「……。」
「ナイスファイトだったぞ、由仁!これは俺の奢りだ。存分に飲め。ほら。」
「………………。」
「ん?どうした?」
「…………アンタねぇ、」

声を震わせ、憂木由仁は小脇に挟んでいた象の頭を千秋に投げた。
汗だくの顔は鬼の形相。これはタオルが先だったか?と千秋は思ったが、渡したタオルは速攻投げ返されたのでどうやら違ったらしい。

何を怒っているのかと小首を傾げた瞬間、由仁がキレた。

「ああああアンタねえ!もう!中身あたしだって分かっててあんなに強く蹴り飛ばしてるんですか!?見てくださいよほらここ、痣になってる!」
「おお、すまんすまん。だが本気でやらなくては、こどもたちに伝わってしまうからなぁ。」
「だからって最後のあのドロップキックは要らなかったでしょ!打ち合わせにはありませんでしたよ!!」
「いけ!トドメだ!と応援されたからつい」
「つ・い・じゃ・ね・え!!」

叫ぶ由仁は着ぐるみのままで器用にスポーツドリンクを掻っ攫い、500ミリリットルを一息に飲み干した。この天気だ。着ぐるみの中はさながら地獄の釜。
空になったペットボトルは着ぐるみの頭とタオルに次いで空を飛んだが、先達と同じく大きな手に難なく受け止められて机の上に着地した。
由仁は地団駄を踏む。

「だいたいにして!センパイは!何回連続でヒーロー役やるんですか!たまには!あたしも!ヒーローやりたい!」
「公正なるジャンケンの結果だろう?ヒーローがやりたいならジャンケンに勝てばいいじゃないか」

守沢千秋の言うことが珍しく正論でぐうの音も出ずに歯軋りしている憂木由仁は、守沢千秋がしているスーツアクターのバイトの後輩である。

『夢はヒーローになることです!』
由仁が初めてバイトに来た日、そんな自己紹介をしたもんだから、女の子なのに珍しいなと思って声をかけて意気投合した。八十年代の戦隊ヒーローの話を振って、即座に監督の名前が帰ってきたのは由仁が初めてだ。よくよく聞いてみれば夢ノ咲の演劇科に通っているとのことで、決して安くはない学費を稼ぐためにバイトをしているのだと苦笑した由仁を可愛がってやろうと決めたのは会ったその日の内のこと。ずっと1人で行っていたひとりヒーローショウに誘ったのも勿論純粋な好意ゆえだ。由仁がジャンケンに恐ろしく弱いことが想定外だっただけで、別に嫌がらせをしたいわけではない。ただし悔しがる由仁が面白くて悪ノリしている自覚はある。

公園のトイレの裏に設置した大きな衝立の内側には持ち込んだ長机とパイプ椅子が1組置いてあって、其処が千秋と由仁の控え室だ。控え室と言っても簡素なもので、机の上には櫛と鏡とスポーツドリンクしか置いてない。暇な日の放課後や休みの日に来て暗くなる前には撤収するため、どうしても軽装になりがちだった。

ひとつしかない椅子に腰掛けた守沢千秋は、汗だくの由仁を不憫に思って立ち上がった。

「座るといい」

篭もりすぎた熱のせいで顔の赤い由仁は眼差しだけは絶対零度だったが、そんなものには都合よく気付かないふりをする。

パイプ椅子にどっしりと腰を下ろしたパオゴンこと由仁は、一度投げ捨てて机の上に舞い戻ってきていたタオルを着ぐるみの手で掴み、髪の毛を包んで乱暴に拭った。絞れそうだと言って笑う。

「もう嫌です。無理。真夏に着ぐるみとか自殺行為です。今度からアッチにしましょ?セクシー系。」
「敵の女幹部だな!ふむ、衣装があっただろうか」
「黒い水着にライダースジャケット羽織ってバタフライマスク付けたらなんとかなりません?水着とジャケットなら手持ちでなんとかなりそう」
「じゃあバタフライマスクは俺が借りてこよう」
「マジすか。お願いします。あとは鞭かぁ……ドンキに売ってますかね?」
「売ってるさ!ドンキに売ってないものなんてない!」
「じゃあ鞭は買ってくるとして、あとは?」
「全身黒づくめにして魔女っぽくしてみるとか」
「やーですよ、結局暑いじゃないですかソレ」

確かに魔女のマントは暑そうだと頷いた千秋を見て満足そうに鼻を鳴らした由仁はナチュラルに次も自分が悪役をすることを前提に話を進めているのだが、それでいいのだろうか。面白いので言わないでおくが。


由仁は湿ったパオゴンの下半身から這い出ると、仁王立ちして腕を組んだ。

「『おーっほっほ!いいザマね、流星レッド!アンタの絶望に染まった顔、ゾクゾクしちゃうわ!』」

汗で色の変わったTシャツを着た敵のセクシー幹部が、ボサボサ髪のまま高笑いをした。千秋はすぐに把握して、悔しそうな顔で膝をつく。

「『く、くそっ……こんなはずでは……!』」
「『悔しかったら仲間のひとりでも呼んでみなさい!』」
「『ああ!呼んでやるとも!助けてくれ、流星ブラック!!!』」

「え、俺っスか」

ちょっと離れたところから先輩二人の暴走を見守っていた南雲鉄虎は巻き込まれたことを悟った。



流星ブラックと流星レッドが合体技でセクシー仮面を撃退するところまで付き合ってやったら、先輩二人はようやく満足したらしい。ケタケタ笑いながら座り込んだので、鉄虎も芝居をやめて持ちっぱなしだった差し入れをようやく渡すことが出来た。中身はゼリー飲料。由仁のお気に入りのはちみつレモン味だ。

「おお、すまないな!ありがとう!」
「南雲くんいつから見てたの?」
「丁度クライマックスくらいからっスかね。隊長の飛び蹴りカッコよかったっスよ。由仁さんも、流石のやられっぷりだったっス。」

そこで由仁が千秋を睨みつけたが、鉄虎には理由が分からなかった。どうしたんスかと聞いても何でもないと首を振られたので、きっとくだらないことなのだろう。この二人は仲がいいからか、言い合い以上喧嘩未満みたいなやりとりをよくする。

差し入れのゼリー飲料を早速飲み始めた千秋を他所に、由仁は大きなバッグを持ってトイレに入っていった。着替えるらしい。
確かにあの着ぐるみは暑いだろうなと考えたら、今更になって汗に濡れたシルエットが頭の中に浮かんだので、鉄虎は努めて守沢千秋で頭をいっぱいにした。夏の男子高校生。汗だく。汗臭い。よし。
見知った先輩その1の暑苦しさで、見知った先輩その2のちょっぴり色っぽい姿が掻き消えたところで、自分もゼリー飲料を開ける。
暑苦しい方の先輩は、その頃には既に差し入れを飲み終わっていた。空になった袋を片手で弄びながら上機嫌に歌っている。
「どんどんどん、どんっき〜」
鉄虎は首を捻った。

「ドンキ?」
「ああ。ドンキに鞭って売ってると思うか?」
「ムチぃ?何に使うんスか、それ……あ、ああ、なるほど。由仁さんのさっきのキャラはそういうことか」
「うむ。由仁が、着ぐるみは暑くてもう嫌だと言うのでな。涼しさを追求した結果、セクシー系の敵の女幹部ということになったのだ。」
「なるほどぉ。確かに、あの手のキャラには鞭は必需品っスね。でもどうっスかね〜鞭。売ってる所見たことないっスけど」
「とりあえず、この後見に行ってみようと思うのだが」
「あ、俺暇っスから、お付き合いするっスよ」

そこでTシャツにチノパンというラフな格好に着替えた由仁が帰ってきた。
「どんどんどん、どんっき〜」
口ずさんでいるのを聞いて、千秋と二人で笑う。

「妙に耳に残るっスよね、この歌。」
「由仁、おまえも一緒に行くか?」
「どこに?」
「ドンキ」

由仁は困った顔をした。

「……あー、すみません。自分この後用事あります」
「そうか。なら仕方ない。鞭の方は俺に任せておけ!」
「そーんなこと言って、ドンキに売ってなかったらどうするんスか〜」

眉を下げたまま笑って、由仁は「お願いします」と軽く頭を下げた。鉄虎が何か言う前に、千秋がそれを上から押さえ付ける。
「うわ、」
折角整えた髪がぐしゃぐしゃになるような撫で方だった。

「ちょ、センパイ」
「今日もお疲れ様!かっこよかったぞ!」
「……悪役ですけど」
「それでも!きっと次はもっとかっこいい!」
「……次も悪役やらせる気ですか」
「今更それを言うのか」

憮然とした表情の由仁が可愛かったから髪をもっとぐしゃぐしゃにしてやった。由仁は嫌がらない。千秋の手が離れて始めて髪をチマチマと直し出す。猫みたいだ。

「……いつもごめんなさい。」

小さな声。
かわいい後輩の声だから、守沢千秋は聞き逃さない。

けれど返事はせずに手を振った。

「じゃあ、またバイトでな。」

体育会系の礼をして、由仁は走り去って行った。





「なんかあるんスかね、由仁さん。」

衝立をふたつ纏めて持った鉄虎が言うのを、長机を畳みながら聞いた。
由仁はいつも忙しそうだ。公演後、食事や遊びや寄り道に誘っても滅多に、というより一度も来たことがない。

「さあなぁ」

気のない返事は本当のことだ。由仁はあまり自分の話をしたがらないから、千秋が知っているのは名前と学科と家のある方面と、それから好きなヒーロー戦隊と好きなゼリー飲料くらい。
話してくれればいいのに、とは思う。
困らせるのが分かっているから絶対に言わない。

「困っているなら言ってくれればいいのになぁ。」

そうっスね、と頷く鉄虎と共にボヤくだけ。

それだけを、もう四ヶ月も繰り返している。



◇◇◇◇



「すまない由仁。ヒーローショウはしばらくお休みにしても構わないか?」

そう切り出したのは次のバイト後で、由仁はそう渋らずに頷いた。

「またライブですか?」
「ああ。今度は外部のアイドルと、夢ノ咲ルールで対決しようということになってな。」
「ドリフェスもどきですか。おもしろそうですね。」

ドリフェスもどき。それはなるほど言い得て妙だと千秋は笑って、ヒーロースーツのせいでぐしゃぐしゃになってしまっている由仁の髪を手で梳いた。
「ちょ、センパイ、汗かいてますって」
バスケ部で男連中と汗を流している千秋には気にならない量だ。

「本当は色々と決まりがあるんだ。ドリフェスのランク付けとか、外部のお客さんを招くためのルールとか。でも今回は相手も外部だからな。親善試合のようなもので、規則はあってないようなものらしい。」

生徒会の圧政から一時でも逃れられると思えば、千秋的には悪くない催しだった。後輩3人には、この機会に是非経験を積ませたいものだ。普段できないこともできよう。

「よかったら、由仁も見に来るといい。関係者席が取れるぞ。」
「それは嬉しいですけど、あたしセンパイのお手伝いがしたいです。物販とか、もぎりとか、警備員でもいいですし」

思いがけずそう言われて、千秋はきょとんとした。
由仁は笑んでいる。

「……それは嬉しいが…………、」
「もしかして、外部の協力は規制されてたり?」
「そんなことはない。普段のドリフェスでも演奏や衣装は外注のこともあるし……いや、そうではなくだな。由仁に迷惑だろう。」
「迷惑なんてそんな。というより、センパイのせいで予定ぽっかりあいちゃったんですよ?責任とってください」

冗談めかして言う由仁は本当に無理をしているようには見えなかったから、千秋はその言葉に甘えることにした。
頼む、と言うと嬉しそうに歯を見せて笑う。

「では俺も、おまえが有事の際には必ず手伝うと約束しよう。演劇科は公演とかしないのか?」
「えー、嫌です。絶対来ないでください。」
「何故だ!」
「あたし女の子ですもん。ジュリエットとかオフィーリアとかやってるんすよ。恥ずかしいですって」

ジュリエットにオフィーリア。どちらもヒロイン中のヒロインだ。
演劇科演劇科と言いつつ千秋の前では怪獣役しかやってない由仁的にはなんとなく気恥ずかしいのかもしれないと思って、この場での無理強いはやめた。学院の公式ホームページを見れば、外部の人間が鑑賞できる機会も書いてあるはず。

あとで必ずチェックしようと心に決めて、千秋は席を立った。本日のバイトはデパート屋上でのショウで、デパート側に与えられた控え室はひとつ。女性の参加者はピンク役の由仁しかいないから仕方が無いが、千秋がいると由仁が着替えられない。

「外にいるから、帰る前に声かけてくれよ。」

颯爽と部屋を出たが、「センパイ!」と由仁の声が追いかけてきた。
振り向けば控え室のドアから顔だけ覗かせている。

「そういえば、鞭は売ってたんですか」
「ああ、鞭な。パーティーグッズコーナーにいいのがあった。長い方が舞台映えすると思って勝手に2つ繋げたが、よかったか?」
「勿論です、ありがとうございます」
「仮面はもう少し待ってくれ。次にふたりヒーローショウをする時までに用意する。」
「はい。お願いします。」

それだけ言って、由仁の頭は引っ込んだ。
廊下に残された千秋は堪えきれずに噴き出す。

同じ顔をしていた。
ピンク役であった今日の公演が始まる前と同じ顔。

(悪役をするときの話をしているのに……きっと本当に子どもたちの笑顔が好きなのだな)

そういうの、すごく好きだ。

由仁の着替えには数分かかるだろうと踏んで、千秋はクレープ屋に向かった。由仁が好きなのはチョコバナナカスタードと、ストロベリーチーズケーキ。
俺は優しい先輩だから、どちらも買って選ばせてやろう。




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