青柳先輩の胸に飛び込む

あっという間に日が落ちて真っ暗な帰り道。外気は非常に冷たく、歯の根が震えてくるほどだった。寒いし、今日は心底くたびれた。オーディションで全然思うように演技ができなかったのだ。落ち込みながら寮への道をとぼとぼ歩いていると、曲がり角で青柳先輩と行き合った。

「おお、特待生も今帰りか。お疲れ」
「あ……こんばんは。青柳先輩もお疲れさまです」
「うむ。今日はバイトが暇で早上がりになってな。稼げないのは残念だが、そういえば明日提出の課題があったから帰ったらそれをやるつもりだ」
「それは、ちょうど良かったですね」

行き先は一緒なので自然と並んで歩きだしながら、しかし一瞬会話が途切れて、斜め上から視線が注がれている気がしてちらりと見上げると丸いレンズの向こうの瞳と目が合った。何となくごまかすように、わざとはあっと白い息を吐き出しながら私は言った。

「今晩、すごく寒いですね」
「寒い?風邪を引いては大変だな。さぁ、俺の胸に飛び込め!」

一歩前に立ちはだかってばっと両腕を広げる青柳先輩と見つめあった。青柳先輩が言っていることはいつもどこまで冗談なのかわからない。わからないから、思考停止。もう今日は上手に対応しようと考えるのもやめた。

「じゃあ失礼します」

飛び込みはしなかったけれど、一歩踏み出してその胸に額をつけると「おお、本当に来たな」と笑われた。それからぎゅうっと強く抱きしめられて一瞬息が詰まる。耳元で優しい声が囁いた。

「特待生、お疲れさま」
「っ……はい」
「くたびれてるみたいだったからさ。あんまり無理しすぎるなよ」

不覚にも、なんて言ったら失礼だけれど返事をした声が少し震えそうになって、それを堪えながらしばらくそのままでいさせてもらった。青柳先輩の腕の中は温かくて、寒かったことも落ち込んでいたことも、渦を巻くカフェラテみたいにゆるく溶けていくような気がする。

「俺の胸ならいつでも貸すぞ。その代わり、ときどき特待生のム……」
「帝、公衆の面前で何してるんだお前は」
「あだっ」

痛そうな音と青柳先輩の悲鳴に顔を上げると、呆れ果てた表情の夜来先輩がいた。慌てて身体を離して合意の上だったことを説明したけれど、それはそれで恥ずかしくて顔が熱くなり、結局寒さはどこかにいってしまったのだった。

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