交換条件
物事をいったん整理しよう。
ストーカーの正体は徳川グループのトップ、徳川家康と本田忠勝だった。
本田忠勝の娘である稲はクリニックに来るとき、いつも仕事帰りに寄っていた。
それを不審に思った2人は、いつからか稲のあとをつけるようになった。
そしてこのビルにたどり着き、稲がここに通っていることを知った。
大切に育てた娘が通い詰める謎のビルが一体どのような場所なのか2人は検討もつかず、その結果毎日ビルの前にひそみ、様子を伺うことに繋がっていたようだった。
ところで、場所は変わって。
ここはあの喫茶店ではない。
家康や忠勝が毎日見上げていたビルの最上階。社長室だ。
「いやはや。このたびは大変なご迷惑をおかけ致しました。まことに恥ずかしい限りです」
「……申し訳ない」
ふかふかのソファに座った2人は、秀吉とねねを前にしてふかぶかと頭を下げていた。
「あ、頭を上げてくだされ…」
「家康殿、忠勝殿。まあ、ほら、お茶でもどうだい…?」
それを困ったように見つめる2人。まあ、気持ちはわからないでもないが。
そしてなぜかこの場に居合わせる伊智子も、眉間のしわをいつもの倍に増やした三成と、いつもと変わらない様子の信之と、そんな信之をうっとり見つめる稲とをかわるがわる、心臓をドキドキさせながら見つめていた。
あの喫茶店に家康と忠勝が現れたあと。
少しだけ立ち話をしてすぐ、家康のほうから信之に「そちらの代表の方とお話をさせて頂けぬか」との申し出があった。
もちろん信之は悩んだ。悩む信之に家康は、
「今回のことを改めてお詫びに参りたいのだ。聞き入れてはくれぬだろうか」
と言った。信之はますます困った顔をした。
「…しかし。そのようなことをなさると、かの有名な徳川の方々が関係していると皆に知られてしまいます」
「信之様…まさかあなたは、私達の立場を考えて下さっているのですか?」
稲がはっとしたようにつぶやいた。
その言葉に、信之は微笑みを返すだけで何も応えなかった。
2人のその様子をじっと見つめていた忠勝は、より一層眉間にしわを寄せて信之を見ていた。
「…信之殿。そなたのお気持ちは十分伝わっております。ですが、それとこれとは別問題。どうか、よろしくお願いいたします」
家康はふかぶかと頭を下げた。それにならう形で忠勝も大きな体を折りたたむ。
異様な光景に喫茶店は一瞬、謎の静けさに包まれてしまった。
かの徳川家康に頭を下げられて、信之もとうとう折れたようだ。
上着のポケットからスマートフォンを取り出してどこかへ連絡しているようだった。
その様子を不安げにみつめる稲。一人蚊帳の外で取り残された伊智子は4人の表情をちらちらと見ていた。
忠勝は信之をずっと怖い顔して睨みつけているが、なにか思うところがあるのだろうか。伊智子はそんなふうに思っていた。
場所は戻り、社長室。
秀吉、ねね、それと三成。三人が、信之と稲、家康と忠勝、そして伊智子を迎え入れた。
少なくとも三成はお出迎えするような顔ではなかったが、それでも家康はニコニコと人の良さそうな顔を浮かべていた。
部屋の奥側に設置されたソファに夫妻が座り、お茶の並んだテーブルが目の前にある。
そのテーブルを挟むようにして家康、忠勝、稲が片方のソファに座り、もう片方のソファに三成、信之、伊智子と座っていた。
三成は頭を下げた家康の頭頂部を睨みつけながらフンと鼻を鳴らす。
「成人した娘が心配であとをつけるなど…子離れのできぬ親も迷惑なものだな」
頭を下げたまま、目線だけを三成に向けて殺人光線のような睨みをきかせる忠勝。三成はそんな視線を受けても動じた様子は無い。
すかさずねねの一喝がはいる。
「こらっ三成!そういう言い方はやめなさい。お2人とも、いい加減頭を上げておくれよ」
ねねの言葉に家康と忠勝はやっと、ゆっくり頭をあげた。なおも三成を睨む忠勝に対し、家康は「忠勝、やめよ」と声をかけてやめさせた。
「いやはや。そちらの御方の仰る通りです。稲は忠勝の娘ではありますが、私の娘も同然。今まで男の気配もなかったあの娘が、ある日を境にパッと花が咲いたように華やかになった。表情もいきいきとして…たまに思い悩んだ様子でどこか遠くを見つめておるようだった。いや、昔から美しい娘ではあったが…それにとても利発な子で…」
「えっええと!すまんが!!話を進めても良いじゃろうか?」
「ああ、これは申し訳ない」
聞いてもいない話をくどくどと語り出した家康に秀吉が慌てて声をかける。これは失敬、と笑った家康に、秀吉は
「気を取り直して、」
と話を進めた。
「まあ、そちらさんの事情は信之から電話で聞いとります。大切な娘さんが通いつめるこのビルは一体どんなところなのかと心配で様子を見に来ていたっちゅうことですな」
「その通りです」
「ふん。1週間うちを好きなように見張らせてやったが、結論はどうなのだ」
「言うまでもありませぬ。素晴らしいところですな、こちらは」
三成の嫌味にも全く気にした様子は無い。家康は感心したような声をして言った。
「あのドアからでてくる女性達は皆、素晴らしい笑顔で帰って行く。例え、入って行くときの表情が優れないものだったとしても、帰りか必ず笑顔を浮かべていた。それを見せられてしまえば、私たちの心配など全くの杞憂だったと言われているようなものです」
家康の言葉に、忠勝も少々ぎこちなく頷いた。
自分達の仕事を褒められて悪い気になる人間はいない。夫婦はもちろん、三成もそれを聞いていくらか機嫌が直ったようだった。
家康は秀吉のほうに体を向けて言った。
「…それで、ここからはご相談なのですが」
その言葉に秀吉は興味深そうに家康のほうを向いた。
家康は一旦忠勝と顔を見合わせた。2人が目を合わせて頷くと、家康は秀吉のほうに向き直り、こう言った。
「わが徳川グループとして、こちらの運営に資金面から協力をしたいと存じておるのですが」
「…ほ!いや、家康殿。迷惑をかけた詫びだと思うておられるのでしたら気になさらんで下さい。幸いなことに、うちは今従業員達の頑張りで軌道に乗っておるし…資金繰りに困っとるわけではないです」
「ああ、いえ…決して経済的援助が必要だとは思っておりませぬ。皆様の表情を見るだけで、こちらの豊かさがうかがえまする」
「…では一体なぜだ?」
三成が間髪居れずに突っ込んだ。
「交換条件と言ってはなんですが。信之殿をうちの会社にどうかと思っておるのです」
稲を除いた徳川組以外の人間がひゅっと息をのんだ。
それはつまり、資金面で支援する代わりに信之がここからいなくなるということ。
さすがに信之も驚いたらしい。
「信之殿は素晴らしい御仁。警察が動けば、私達の立場、ひいては会社が危ないと思ったのでしょう。会社の方々と意見を違えてもその信念を守り、貫こうとした。」
「信之…お前…」
三成は信之の顔を見ていた。視線を感じ、信之も照れたような顔で三成を見た。
その時三成は始めて、信之が昨夜何故あそこまでかたくなに自分の意見を変えなかったか理解した。
理由があるのは分かっていた。たが、どうしてなのかが分からなかった。後ろにくっついてきた左近が意味深に「殿、あれは仕方ありませんよ」とか言っているのをきちんと聞いておけば良かったと後悔した。
自分の立場が危ぶまれても徳川を守る理由。
涙の浮かんだ瞳で信之を見つめる稲。それを見れば三成も全てを悟ってしまった。
せめて一言、自分に言ってくれれば良かったのに。
自分でなくてもいい。幸村にでもいい。誰かにその思いを打ち明けてくれていたら良かったのに。
しかしそれを信之に言えば「三成殿には言われたくはないな」と笑って返されるだろう、自分の言葉の少なさは三成自身も自覚している。
それでも、大勢の前で責め立てるような真似をしてしまった過去の自分に、三成は心の中で舌打ちした。
「私たちは、そんな信之殿を迎えたいと思っておるのです」
「……………」
家康は信之の目を見つめて強くそう言った。
信之は何も言えず、ただ黙っていた。
そんな信之を見かねて、秀吉が優しく声をかける。
「信之…お前はどう思っておるんじゃ?」
秀吉の言葉には、お前の判断に任せる。という気持ちが込められていた。
ここに残るのも、徳川へ行くのも、信之の意思次第。ということだ。
「私は………」
周囲が固唾を飲んで見守る中、信之はゆっくりと、自分の気持ちを口にした。
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