それは、とある本丸の、とある者たちの、とある日のお話。 Whom to be Consecrated 「あれ、清光?鍛刀部屋の前で何やってんの」 「うわっ…なんだ安定か。脅かさないでよ、もう。ビックリしたじゃん」 「ごめんごめん。でも脅かしたつもりはなかったんだけどなー」 「ナニそれ。でも俺は驚いたんだから、脅かしたのとさして変わらないでしょ」 「はいはい、ごめんごめん」 「…」 本丸内の一階に位置する、鍛刀部屋の前。 手前の廊下を通り過ぎようとした大和守安定は、つと目に留めた兄弟刀の後ろ姿に、進む足を止めた。 鍛刀部屋の扉を背に、頭を抱えている加州清光。 大和守は脅かさない程度にそっと声を掛けると、予期しない返答に目を瞬かせた。 「それで、なにやってたのさ」 「んー?ちょっとね…」 僅かに乱れた前髪を片手で形よく整える加州。 大和守の純粋な質問に、先ほどまで頭を抱えていた原因を思い出し、大きなため息を吐いていた。 「なに、どうしたの」 「いや…相談しても解決しないことなんだよね」 「もしかして、主関連?」 「んー…まぁそんなとこ」 「ふーん」と横目で加州を見遣る大和守。 加州の左手に握られている紙を一瞥すると、ぼんやりと浮かんだ考えに苦笑を漏らした。 きっと、以前に一度だけ聞かされた悩みで悩んでいるのだろうことを、大和守は察したのだ。 大和守は、加州の落ち込んだ肩に手を置くと、気持ちを高めるように声を掛けた。 「でもさ、清光だけなんだから。主が頼りにできるのは」 「…安定?」 「まったく羨ましいよ。俺なんてそんな悩みすら抱えられないんだからね」 その背を押し出すように、ポンと加州の背を叩く大和守。 転がりそうになるつま先を支えると、加州は瞠目しながらも、己の背を押した当人に視線を送った。 「ふっ、ナニそれ」 「笑い事じゃないんだからね」 「ごめん、……ふはっ、ありがと」 「わかったなら早く行ってあげなよ。どうせ待ってるんじゃないの?」 「あ!そうだった!!」 戦友ともいえる兄弟刀のおかげか、いつもの調子が戻った加州。 その和らいだ表情を見つけた大和守は、心内に見え隠れし始めた感情に目を伏せながら、再び緋色の着物を押し出した。 「ほら、行った行った」 「わかったわかったから!あっ、そうだ!、安定この後の内番代わってくれる?俺今から主のとこ行ってくるからさ!!」 「はいはい」 「じゃ、よろしく!ごめん、後でお礼するからー!」 「はいはい」 そうしてドタバタと、可愛らしくない所作で廊下を駆け抜けていく加州清光。 突き当たった角を曲がった緋色の着物の残像に、大和守は小さなため息を漏らした。 「ほんと、羨ましいよ」 「主ー?入るよー?」 忙しなく動かしていた足に急ブレーキをかけ、辿り着いた先の襖に声を掛ける。 加州は、中から聞こえた小さな声を確認すると、そっと襖を押し開けた。 「あーあ、またこんなに積み上げて…、もう、少しは休んでって言ってるじゃん」 十畳一間の部屋が連なった、平安時代を予感させる和室。 床の間に飾られた、悠然とした風景画の足元には、季節を感じさせる草花が活けられている。 一瞥しただけでも感嘆の声が上がる書院組障子や、欄間の細工は、当時の職人技を物語っていた。 古き良き日本の情緒を重んじた部屋は、さぞ日本人の心をくすぐることだろう。 「はぁ…まあ、それもこれがぜーんぶなければの話だけどね」 加州は、後ろ手にしっかりと襖を閉めると、眼前の見慣れた光景に眉尻を下げた。 「…って、うわ。積み上げ過ぎじゃない…?」 僅かな隙間から入り込む風に、緑の葉を揺らされる生け花。 颯爽とその前を通り過ぎると、加州は何やら真剣な面持ちで、正面に捉えた書簡の山を掻き分けていった。 するとその先に徐々に見えてきたのは、雪見障子の真横に置かれた、面の隠れた文机。 脇息に凭れながら、書簡に溺れる人物の背中を見つけると、加州は心ともなく額に手を当てた。 「主!」 「……っ」 荒げられた声に、伏していた人物の顔が上げられる。 サラリと散らばった絹糸のような髪が、幾重にもわたってその人物の頬に張りついていた。 加州が徐にその人物の横に膝をつく。 「主、眠ってたの?」 「……、」 「別に怒ってるわけじゃないよ。ただ心配なだけ。前みたいに気を失ってたらびっくりするからさ」 「仕事もほどほどにしないといつか倒れちゃうよ」と、言いながら加州は目の前の人物の髪を整え始める。 頬に感じる冷たいぬくもりに、重たい瞼を開け始めたその人は、視界に現れた加州の顔に静かに返事を返した。 「ほら、主。せめて膝にこれ掛けなよ。”ぶらんけっと” って言うんでしょ?それ」 「…、」 「仕事するなとは言わないからさ、せめてコレくらいは自分の体を労わろうよ」 主と呼ばれた女性が、コクリと首を縦に振る。 互いに苦笑を漏らした二人は、気分の入れ替えに襖窓を開いた。 「あ、それでさ主。頼まれてた鍛刀なんだけど…」 「…」 「さすがにもう俺だけだと、出現する刀が決まってきちゃうみたい。それに、鍛刀能力が落ちてきてるみたいなんだよね、最近。主から預かってる代理札が悪いわけじゃないと思うんだけど…。ていうかやっぱり鍛刀は俺たち刀剣男士よりも主の仕事って感じなのかなー。主が自分でする方がいいと思うんだよね。だから……なんて言うのかなぁ、一度でいいからさ、鍛刀してみようよ。ね、主」 「……、」 窓に映る外の景色に目を細める女性。 加州の報告を聞きながら、審神者は納得したような声を漏らした。 「え…それじゃ、鍛刀するの?」 「…」 「あ……でもちょっと待った、主。まさかこの部屋で鍛刀するとか言わないよね?」 審神者の思わぬ反応に、加州が驚きの声を上げる。 しかし、つと沸き上がった予感に疑問を投げ掛けると、どうやらその予感は的中したらしかった。 向けられた表情からすべてを察した加州が、本日何度目になるかわからない深いため息を吐いていた。 「まぁ、そう来るとは思ってたけどさー。主、このままだと本当にいつか一歩も外に出られなくなっちゃうからね」 「……。」 「あー…わかったわかった、そんな顔しなくてもわかったから!」 握っていた代理札を文机に置き、先ほど整えたばかりの前髪を乱雑に混ぜる加州。 困ったような、諦めたような、何とも言えない表情で苦笑を漏らすと、加州は目の前の女性に「仕方ないなぁ」と柔らかな笑みを漏らした。 「…、」 「いいよ、それが俺たちの主なんだもんね」 俺だけがさ、 知ってる主なんだもんね。 【皆には悪いけどね、という感じでしょうか】