それは、とある本丸の、とある刀剣男子たちの、とある縁側でのお話。 Promise to be Kept それは、春先の寒さを忘れるほど、暖かな日の出来事だった。 じんわりと身体を温めてくれる陽光が降り注ぐ中、その男士は廊下の縁に腰掛けていた。 「ん?お前は小夜ではないか」 「…」 「そんなところでどうした?」 「…えっと」 「?、この鶯丸に何か用か?」 ひょっこりと現れ出でた小さな来客。 縁側でひとり長閑に茶を嗜んでいた鶯丸は、不意の来訪客に手を止めた。 振り向いた先の少年を目に映す。 「いま、少し良い?」 「?構わないが」 「そう。なら良かった」 「…?」 己の横後ろに佇む少年は何やら悩まし気だ。 鶯丸は口元に当てていた湯呑を膝上に降ろすと、人一人分ほどの幅を開けて隣に腰を降ろした、小さな少年に笑みを向けた。 「……」 「……、…」 しかし、唐突な訪問から数分。 庭先の木々が揺れようと、鳥の親子が通り過ぎようと。 二人の間に流れるモノは沈黙と長閑な空気以外、何もない。 春を予感させる桜木の葉擦れ音までもが耳に届いて来そうだ。 「……あの」 「?」 そうしてしばらくの間、うららかな日和を堪能していると、不意に風が止み、自然界の音が消えた。 そして、その時を見計らったかのように、どこか覚悟したような面持ちの小夜左文字が唇を震わせた。 「鶯丸さまは……、」 青い衣袖から覗く手が、小さな拳を形づくっていく。 その様子を、出会い頭から不動の表情を築いていた鶯丸が横目に捉えた。 「よくここで茶を愉しんでいるけど、菓子も好きなんだよね」 「そうだな、茶に合うものは特に良いな」 「…そう」 「あぁ」 脈絡を感じられない会話の内容にも拘らず、鶯丸は何の苦もなく質問に答える。 きっと、言いたいことの根本からは遠く離れた事柄なのだろう。 縁側からぶら下げる足をわずかに揺らしながら、じっと地面を見つめる小夜からは、普段は滅多に感じることのできない不安や焦燥、困惑といった感情が垣間見れた。 鶯丸は茫然と視線を庭先に投げると、頭上を通り過ぎて行くつがいの鳥に目を細めた。 「それじゃ……楽(がく)はどう?」 「奏する方か?」 「うん。でも聴く方も」 「ふむ。お前の知りたいことが何なのかわからぬが、俺は、そうだな…聴くことは嫌いではない」 「奏するのは?」 「その気持ちはなくもないが、元来刀の俺ではな…。奏したくとも奏せんというやつだ」 「…そうだね」 一瞬、鶯丸の言葉を噛みしめるように頷いた小夜左文字。 的を射た鴬丸の返答に、多少の恥ずかしさを感じたらしい。 微かに顔を逸らしながら、小さな声でもう一度「そうだね」と呟いていた。 「それはそうと、小夜」 「…なに」 「お前は何か俺に訊きたいことがあってここへ来たのであろう?」 「そうだけど…」 「だが俺には、お前が本当に俺に訊きたいことが見えてこない。それはお前の中で未だ整理がついていないからか?」 「…」 伏せていた顔を上げ、向けられることのない双眼を見つめる。 小夜は不意に落とされた言葉に、湯気の消えた湯呑を啜りながら悠然と微笑む相席者に眼を見開いた。 「どうしてそう思ったの?」 「年の功というヤツか」 「…」 「はは、それならもう少し遠回しに表現した方が良かったな。直接的に尋ね過ぎたか?」 「ううん、反対に楽かもしれない」 「ほう」 「正直、どう切り出していいかわからなかったから」 「そうか」 「…うん」 底が見え隠れし始めた湯呑を、膝元の横にある盆にのせる鶯丸。 陶器のぶつかる音が響き渡るのを耳にしながら、ほのかに口角を上げた。 鶯丸は、犇々(ひしひし)と感じる隣人からの視線にようやくの反応を返すと、対峙した青い瞳の奥に揺れる何かを捉えた。 同時に、今度は小夜が庭先に視線を投げる。 「あなたは、この本丸に来てから長い方だと聞いたんだ。加州よりは短いけど…僕よりは長い」 「…」 「…ねぇ、鶯丸さまは薬学に詳しくはないよね?」 「詳しくはないな」 「料理も菓子作りもしない」 「…、しないな」 「楽は聴くだけ」 「……、ふむ」 「そう」 「………」 小さな拳をさらに引き締める小夜。 キュッと握られた手が僅かに震えている。 鶯丸は青い髪が風に揺らされるのを目にしながら、次には何を訊かれるのかと、徐々に小夜の言いたいことを理解してきた心中で、穏やかな笑みを浮かべた。 「宗三兄さまは畑仕事がすごく上手なんだ。間接的にでもすごく役に立っていると思う」 「…」 「僕たちは人の形をしていても、元は刀だから食べなくても最悪壊れることはない。でも…、あの人は………違うよね」 「…ふむ」 「皆、どこかで必ず何かをしている。お役に…、立っている」 「けど…」と言葉尻をすぼめていく小夜。 庭先を正面にしていた顔が、いつの間にか真下を向いていた。 「僕は……、何ができているんだろう」 溢された言葉は酷く小さな音。 よく見なければわからない程度に震える青衣の肩は、溢れ出そうになる感情を押し殺しているようだった。 鶯丸は、そんな小夜の様子に気づきながらも、己は何も見ていないといった体(てい)で、はっきりと声を上げた。 「それがお前の言いたかったことか?」 「…え」 「ふむ。俺の予想とは違ったようだ」 「……」 握りしめていた拳を緩め、ハッと息を詰まらせる小夜。 今の言葉を伝えるだけでも、ひどく迷いがあったというのに……今、自分の横にいる男士は何と言っただろうか。 『それが僕の言いたかったことか』と、そう言っただろうか。 小夜は徐に上げた顔の先に捉えた、穏やかな、されどすべてを見透かしているような笑みに震撼した。 「小夜、この鶯も同じことを思った時があった」 「…」 「いや、おそらくどの男士たちもが思ってきたことだ。だから、それは決して恥ずべきことではない」 「……、」 「気に病む必要はない」 「…」 盆上に置かれた湯呑の中に、どこからか飛ばされてきた一枚の若葉が入り込む。 緑茶の浅瀬に浮かべられた波紋に同調するように、小夜の中にも何かが広がった。 「鶯丸さま…」 「あぁ」 鶯丸が湯呑を手に取る。 そっと覗き込んだ中では、鴬色の葉が躍っていた。 「僕は……琴の音を聴いたこともない。助けになってるのかもわからない」 「…」 「趣味も知らないし、声なんて聞いたこともない」 「そうか」 「僕は……、何も知らない。主の…何も知らないんだ」 「…」 「そんな僕が主を主と言ってもいいのかわからないし…、それに… こんなことを思っているような僕が…… ここにいてもいいのかな 「そう、思うんだ」と、か細い音が鳴る。 鶯丸は、その言葉を最後に口を閉ざしてしまった隣の少年に、ふっと息を漏らした。 そして鳴り止んでいた周囲の音が、ゴォッと唸りを上げた次の瞬間。 足元から吹き抜ける風に紛れて、鶯丸はその男士を一笑した。 「そうだなぁ。なぁ、小夜左文字」 「……」 「ふふ」 「…」 突風に煽られた二人の髪が、二人よりも青く澄んだ空に向かって突き上げる。 湯呑に浮かぶ若葉も、はたはたと水面に揺れて。 小夜は、終盤に差し掛かった風の唸りを耳に、隣から聞こえ始めた笑い声にキョトリと瞼を瞬かせた。 「やはりお前も人の身体を持った男士だな」 「え…」 「先ほども言っただろう。この本丸にいる誰もが同じことを思った、と」 「…」 「なに、そんな驚くことではない。この鶯も全く同じことを思っていたからな」 再び、盆と陶器のぶつかる音が耳を掠める。 自由になった両の手を、自身の目の前に掲げた鶯丸は、驚きから言葉を失くした小夜をそのままに、さらに一笑した。 「俺も主を知らぬ。誰も、主など知ってはいない」 「でも…」 「加州は、加州。彼奴は単に一振り目であったというだけのこと。人の子が、生まれるのに順番をつけられぬことと同じだ」 「…」 「だが、小夜左文字。親というものには、生まれた子に与える愛の分量を不均一にする権利などありはしないと思わないか」 「……あい?」 「あぁ。だから俺たちの主もそれと同じこと」 「…」 「それにな、加州も言っていただろう?我が主は、単に "引きこもり" なだけだ、と」 「……」 「だから、それだけのことなんだ」 「はは」と軽やかな声を上げる鶯丸。 空を仰ぎ見た緑色の男士を、呆けた表情で見つめる小夜は、口元を緩め続ける男士が徐に脇から取り出した何かに、引き寄せられるように目を移した。 差し出された手の中に、小さな紙包みがある。 重く心内に積もっていた悩みを打ち明けた小夜にとって、目の前のこの刀剣の行動はいまいち理解に苦しむ。 小夜は、戸惑いを隠さないまま小首を傾げた。 「正直なお前にこれをやろう」 「…?」 「本当は ”へそくり” として取り置いていたのだが、今日だけは特別だ」 「……、金平糖?」 「俺もつい先日、主が菓子好きだと知ったのでな、いつかこれを渡しにでも行こうと隠し持っていたんだ」 「…隠し?」 膝上に置かれた小夜の手を、二回りも大きな手が攫っていく。 そして、花開かせた小さな手上に薄色の金平糖を載せてやると、鶯丸はいたずらを企むような顔をのせて囁いた。 「どうだ、お前も一緒に」 「…、え」 唐突に降り注いだ言葉に、青色の瞳が大きくなっていく。 小夜は、手上に感じた軽快な重みと和紙の硬さに瞬き一つを落とすと、眼前に迫りくる笑みに吸い込まれるように固まった。 「ふふ、お前も知っているだろう?」 春色を思わせる鶯色が、空色を思わせる青色に頬を近づける。 一陣の風が、すべての音を遮るように駆け抜けていく中。 茶を思わせる香りを携えた口元が、妖艶に、いたずらを誘うように、小さな耳に微笑んだ。 「知らぬなら、知りに行けばいい」 【「お小夜〜っ!」】