それは、とある本丸の、とある刀剣男子たちの、とある一日のお話。 Our Master Unknown 「加州、今日の内番は聞いてきたかい?」 「あーうん。さっき主に朝食運んだ時、内番表もらってきた」 「そうか。それなら掲示表に記入を頼んでもいいか?」 「了ー解。あ、そういえば長谷部と歌仙さ」 「なんだ?」 「なんだい」 「今日は二人とも非番らしいよ」 「なに!」「え…」 「そーゆーことだから、じゃ」 軽やかに片手を上げ、颯爽とその場を去っていく加州清光。 緋色を基調とした和装袖から伸びる片方の手には、綺麗に折りたたまれた紙が握られている。 そんな彼の後ろ姿を、当本丸主の部屋へと続く階段下で茫然と見つめていたのは、鍛刀時同刻に到着した二振り、へし切長谷部と歌仙兼定だった。 「この、俺が……非番」 「私が洗濯番でないなんて…」 その場に残された二振りの顔には、吃驚と呆気が載せられている。 長谷部においては、顔色すらも真っ青に変貌してきているようだ。 衝撃のあまりたらりと冷や汗が伝っていた。 「そ、んな…」 然しそれも至極当然のことかもしれない。 なぜなら、この二振りは顕現して以来、非番という暇を与えられたことがなかったからだ。 まぁそれは、この二人の性格故に、審神者に頼み込んだせいでもあるのだが。 兎に角このとき、そんな働き者の二人は予期せぬ自由時間の供与に当惑してしまっていた。 「自分の洗濯でも…してこよ、うか…」 歌仙がその場からふらりと歩み出す。 覚束ない足取りではあったが、取り敢えず自室に戻ろうと廊下を進み出したらしい。 対して、長谷部は未だに衝撃から抜け出せていないようで、額に手を当ててはぶつぶつとその場で何かを呟いていた。 その姿は、傍から見れば奇妙な人物に他ならない。 「…?長谷部さん」 「この長谷部が暇を与えられた?この俺が、働き者の、しっかり者の、皆の上に立つべきこの長谷部が……非番だと?」 「どうしたんですか?こんなところで……えっと、長谷部さん?」 そうしてしばらくその場で自己否定ならぬ現状否定に陥っていた長谷部。 そんな彼の背中に、不意に背後の廊下を通り過ぎた人物が声を掛けた。 微動だにせずその場で固まる長谷部の姿に、その人物は小首を傾けていく。 足元をうろついていた小虎たちも、棒立ちの一振りを見て疑問の声を上げていた。 「あのー…長谷部さんどうされたんですか?」 「ぅわっ!…な、なんだ、五虎退か」 「ぁ…す、すみません。驚かしてしまいましたか…?」 「いや…こっちこそすまない、茫然としていたようだ」 あまりの長谷部の様子に疑問を抱いた五虎退。 心配から目の前のジャージを軽く引っ張れば、硬直していた人物は大袈裟なほどに肩を揺らして背後に振り返った。 己の服を引っ張った人物を視界に捉えると、長谷部は安堵の吐息を漏らす。 「あの、大丈夫ですか?なにか…あったなら…」 「いや大丈夫だ。大したことではない。心配をかけてすまない」 「い、いえ…大丈夫ならよかったです」 「それで、お前こそこんなところでどうしたんだ?」 「あ…僕は、虎くんたちを追いかけてきて…」 自身の不覚で五虎退の表情を歪めてしまったことに申し訳なさを覚えた長谷部。 素直に謝罪を述べ、そののち急いで話題転換の疑問を投げかけた。 返答された五虎退らしい理由に思わず納得の表情を浮かべてしまう。 「あぁ、こいつらか」 「はい…」 くるくると二人の足元を走り回る小虎たち。 先ほどまで感じていた動揺は、五虎退もしくは小虎の登場により霧散していたようだ。 長谷部は、何時の間にか取り戻していた平静に肩の力を抜くと、すべての小虎を抱き上げ五虎退に手渡した。 「ここは主の部屋下だから、あまり騒がないようにな」 「あ…はい」 「来るなとは言わないが、あまり好まれるものではないと思うから…な…、まぁ実際のところはわからないが…」 子虎を受け取った五虎退は、腕に抱いた毛玉に顔を埋め、眉尻を下げた長谷部に一瞥を投げる。 どこか愁いを帯びたその表情に、己と同じ感情を抱いているのだろうことを感じ取った。 「あの…、長谷部さん」 「なんだ」 「えっと…主さまは、絶対に僕たちとお会いになってはくれないんでしょうか?」 「……五虎退」 「すす、すみません。でも、僕お会いしたいんです」 「気持ちはわからなくもないが…この俺も主には会ったことはないんだ。それこそ…加州以外は……」 「…加州さん」 「あぁ」 しょんぼりとした様子で目を伏せた五虎退。 真上からその様子を見ていた長谷部は、ふと主の部屋へとつながる階段に目を遣った。 五虎退の白い頭がもぞもぞと動くのが目の端に映り込む。 「でも、…どうして加州さんは主さまに会えて、僕たちはだめなんでしょうか?」 「…それは」 「僕たち短刀は顕現してから半年経ちますが、まだ一度も主さまのお顔を拝見したことがないんです。皆、表立って口には出しませんけど…やっぱり会いたいなって思うんです」 「長谷部さんは違うんですか?」と上目を向ける五虎退。 長谷部は、これまでこの本丸で暗黙の了解として口に出されてこなかった話題の直接的な問い掛けに、内心どうしようかと考えあぐねた。 しかし、短刀は若さ故からの素直さが隠せないのか。 じっと真っ直ぐな視線を長谷部に向け、返答が来るのを待っている。 長谷部は今一度主の部屋へと続く階段を見上げると、諦めたようにため息を吐いた。 「…俺も勿論主には直接お会いしたい」 「…、」 「加州を通じて間接的に俺たちを大切にしてくださっていることは重々承知している」 「それなら…」 「だが、加州が主に俺たちを会わせないのは恐らく主を思ってのことなんだろう」 「主さまのため…?」 「あぁ、前に一度加州が言っていた。主は酷く人見知りが激しいと。それに筋金入りの引きこもりだ、ともな」 「……でも、僕たち…もう六月も」 「わかってはいる。俺もここに来てからすでに三月は経っているからな」 「…、どうしたらいいんでしょうか」 「さぁな」 柔らかな白い髪にそっと手を載せる長谷部。 俯いてしまった五虎退を慰めるようにその手を撫ぜ動かすと、同時に、長谷部は己の心情も宥めるように気持ちを落ち着けていった。 「…あ」 「…」 瞬間、ぽろん、ぽろん、と階上から伝い落ちてきた小さな音。 それは、この本丸屋敷のまさに丁度この場所で唯一耳にすることのできる音。 それが不意に二人の耳に届いてきた。 俯けていた顔を上げ、互いに視線を交わす長谷部と五虎退。 四つの瞳には寂しそうな、されどどこか安心したような色が浮かんでいた。 「主さまは…ここに居らっしゃるんですね」 「あぁ」 「琴……ここじゃないと聞こえないんですよね」 「あぁ」 「僕、主さまの琴好きです」 「あぁ」 ぽろん、ぽろんと紡がれる繊細な音。 それと同時に落とされる五虎退の言葉に、長谷部は心から「俺もだ」と頷くことしかできなかった。 「主、さま…いつかお会いしたいです」 双方に視線をゆっくりと持ち上げ、穏やかに流れ始めた音色に目を細めていく。 そして、五虎退は何かに縋るように。 長谷部は何かに愁いを帯びるように。 二人は、主の部屋へと続く階段を瞼の裏に焼き付けると、静かにその場を去っていった。 「僕、待ってます…」 「…あぁ」 二つの影がいなくなった廊下には、小さな琴の音が響いていた。 【引きこもり+人見知り主は初期刀の加州としか顔合わせをしておりません。←どうして?!な回でした】