それは、とある本丸の、とある刀剣男子たちの、とある残暑の日のお話。 Oh My ...Stomach 「あ、まずい」。 その一言が彼、――愛染国俊の今日一日の始りだった。 「薬研ー…いるかー……」 「?なんだ愛染じゃないか。どうした珍しいな」 「……あーいや、ちょっと腹が痛くてよ」 短刀たち若者集団の中でも比較的大人であり頼りにされている刀剣男士。 薬研藤四郎の朝に訪れたのは、なんとも珍しい来客。 「腹?変なものでも食べたのか?」 「……んな訳ねーだろ」 「まあいい。話は分かった、ここへ座ってみろ」 「…おー、頼むぜ」 それは、普段ならば快活にその辺りを駆け回っている真っ赤な髪をもつ少年、愛染国俊だった。 薬研は羽織りかけていた白衣に袖を通すと、机上に置いていた眼鏡を耳にした。 部屋に通された愛染が備え付けられた簡易診察台に腰を掛ける。 「それで、いつから腹が痛いんだ?」 「起きてから…だな」 「朝食はまだだよな、他に何も食べていないのか?」 「あぁ…」 「昨日はどうだ?」 「昨日?…」 己の眼前に腰を降ろした薬研に怪訝の眼差しを向ける愛染。 再度「どうなんだ?」と訊ねられた質問に、愛染は思い出すように首を捻った。 「そーいや…ここ一週間氷ばっか食ってたような…」 「氷?」 「あぁ…、だって暑かっただろ」 「もしかして…」 「あーイテテ……薬研どーでもいいから薬くれ」 「はぁ、お前なぁ…」 「なんだよ」 「そりゃ自業自得だ」 「は?」 「身体も怠いだろ?」 「……?あぁ、少し」 「やっぱりな」と呆れたようなため息を吐きながら腰を上げる薬研。 壁際に設置された薬棚を漁り始めると、薬研は引き出しからひとつの薬草を採り出した。 そして、ぽかんと口を開けたまま腹を押さえる愛染を横目に入れた。 「夏負けだ、夏負け」 「…なつ、ま…け」 「腹のな」 「……」 予期せぬ単語の投下に思わず瞠目する愛染。 一瞬腹の痛みを忘れそうになったが、耳を掠めた小さな笑い声に瞬時に痛みがぶり返してきた。 鈍く鋭い痛みに眉間を寄せて蹲る。 そんな愛染を傍目に入れると、薬研は取り出した薬草を手に擦り器具を準備した。 「夏負けの腑には山査子(サンザシ)が効く。今薬を作ってやるから少し待っていろ」 「ぅ、おー…」 ゴリゴリと石と石がぶつかり合う音が響く中、薬研は馴れた手つきで薬を生成していく。 愛染は「完成だ」と手渡された薬を急いで口に含むと、じんわりと効能を発揮してきた薬にホッとしたように息を漏らした。 薬を飲んでから痛みが和らぐまで、始終占領していた診察台から起き上がる。 そして、痛みの無くなった腹をひと撫ですれば、愛染の動きに気がついた薬研に復活の意を示した。 「効いたようだな」 「おう!完全復活だぜ」 「そうか、良かったな」 「あぁ、助かったぜ!ありがとな薬研」 「いや、これくらいならいつでも来い。ただしもう氷は食べ過ぎるなよ」 「はは…肝に銘じておく」 己の行動から腹痛を引き起こした事実に苦笑を漏らす愛染。 そんな彼に、腹痛再発防止の『氷食べ過ぎドクターストップ』を薬研が口にしていたときだった。 「薬研ーいる?今少しいい?」 「「?」」 ふと襖の障子越しに、聞き慣れた声が掛けられた。 唐突な呼びかけに思わず動きを止める二人。 驚いて暫し反応するのが遅れてしまったが、数秒後には慌てて薬研が返事をすれば、閉じられていた襖がそっと開かれた。 そして、そこから顔を覗かせた人物が予期した通りの男士だったことを確認すると、薬研と愛染は不思議そうに視線を送った。 「あ、もしかして取り込み中だった?」 「いや、大丈夫だ。何か用か加州?」 「加州も腹壊したのかー?」 「腹?」 「気にするな、コイツの腹が夏に負けただけの話だ」 「な、薬研そんな言い方しなくてもいいだろー」 「…あーごめん、何の話?」 顔を覗かせた途端に降り注いだ声。 加州は、突如繰り広げられた二人の会話に首を傾げた。 けれどそんな加州の疑問は、薬研の苦笑と「気にするな」の一言で簡単に片づけられることとなる。 診察台の上で胡坐を組む愛染の様子に加州はなんとなく事の次第を理解すると、僅かに苦笑を漏らし「まぁいいか」と未だに声を上げる愛染を受け流して、自身をここまで連れて来た本分に取り組んだ。 「薬研、止瀉薬(シシャヤク)ある?」 「?本当に腹をこわしてるのか」 「いや、俺じゃなくて主なんだけどね」 「大将が?!」 「あーうん、でもそんなに酷いものじゃないから軽く痛みを抑えるくらいのモノが欲しいみたい」 「そうなのか。だが直接診てみないことには……加州、できる限りでいい。症状を教えてくれるか」 「わかった。えーっと……」 薬研は加州の口から漏れた言葉に目を瞬かせる。 背後で「なに?!」と愛染が大声を上げていたが、薬研はそれすらも無視を決め込んで、急いで薬棚に足を向けた。 加州が伝える症状に合わせて止瀉薬の配合を考えていく。 「下腹部に朝から鈍痛が続いていて…あ、でも下すほどではないって」 「そうか。それなら…コレと…コレくらいか」 手際良く順調に棚から薬草を取り出していく薬研。 加州の的確な症状の説明から薬の一通りの配合比率を割り出すことができた。 後は薬草を準備するだけ。 「よし、後はそことそこの薬草を…」 しかし、そのときだった。 ふと沸き起こった感情に右手を止めてしまった。 「…っ」 予想だにしていなかった出来事に薬研は思わず眉間を寄せる。 すぐ傍では、加州が主の症状を伝えているというのに…。 その声すらもなぜか遠くに感じ始めて…。 薬研は、それらを振り払うように自身の手に力を込めると、強ばりそうになる身体を叱咤しながら引き出しから薬草を取り出す作業を再開させた。 「あとはそうだなー…」 「あぁ…」 けどなぜだ。 まだ加州清光の声が遠くに聞こえる。 一体どうしたっていうんだ。 「眩暈もするとか言ってたかなぁ」 「…、」 会うことの叶わない自分の大将。 本来であれば、直接診察をして薬の調合をしたいところだが、それが唯一許されているのは自分の真横に立つ男だけ。 羨ましいと思わなかったことがなかったとは言わない。 けれど、この本丸ではそれが業なのだと理解してきた。 「薬研?」 「……」 「薬研どうした?おーい、大丈夫?薬つくれそう?」 「あ、…あぁ大丈夫だ。任せてくれ」 薬研は言われたことにハッとして、再度止まっていた手を何とか動かしていく。 そして、できる限りの予想で薬をつくり上げると、どこか不安げな面持ちをした加州に手渡した。 「…これで、痛みは和らぐはずだ」 「、ありがとう」 「もし下すようなら強めのものを調合するから、そのときはまた来てくれ」 「了解。それじゃ俺は急いで主に飲ませてくるね」 「あぁ。大将に大事を取るように伝えてくれ」 「はいはーい」 受け取った薬包を手に、開け放ったままだった襖から飛び出ていく加州清光。 掛けられた言葉に走り去りながら答えを返した彼は、全速力で主の部屋へと向かって行った。 「……、薬研」 「なんだ」 残された二振りの間に不思議な空気が流れる。 加州がいなくなったことで僅かに静けさを取り戻した部屋では、薬研が後片付けをしようと腰を屈めていた。 突として呼ばれた名前に伸ばしていた手を止める。 振り返ることなく自身の黒手袋に視線を落とした薬研は、微かに震えた鼓動にそっと目を伏せた。 「俺もさ、思うぜ」 「…」 あぁ…何を言われるのか、わかる気がする。 「前ほどじゃなくなったけど偶にさ」 …あぁ。 「ずりィなぁつーか、良いなぁ、ってさ」 そう、だろうな。 「……、そうか」 「おう!」 自分以外にも同じことを思っている奴などこの本丸には五万といるだろう。 いや、おそらくどの刀剣たちもが思っていることだろうな。 薬研は閉じていた目をゆっくりと持ち上げると、いつの間にか目の前に立ちはだかっていた愛染の笑顔に苦笑を漏らした。 「痛みが治まったんなら、自分の部屋に戻れ」 「はは!そーすることにするぜ!」 にっかりと眩しいほどの笑顔を向ける愛染。 薬研はそれに眉間の皺を寄せると、「これで終わりだ」と言わんばかりにひらひらと片手を振って愛染の退出を促した。 「じゃぁまた後でなー!ああそうだ、サンキューな薬研!!」 「…あぁ」 「さーてと、飯だメシー!!」 「……、ふ」 バタバタと元気に掛け去っていく愛染。 その姿は、一刻ほど前の死にかけ状態がまるで嘘のようだ。 薬研は遠ざかっていく大きな足音を耳にすると、足元に散らかった薬草を片づけ始めた。 「まったく元気だな…」 そして、塵となって集まった薬草の滓(かす)を一枚の紙にまとめると、風に乗せて飛ばすように縁側の先へとこぼしたのだった。 【周辺状況から埋めていきます。今回は薬研藤四郎と愛染国俊でした】