「都内殺人事件多発」。 鶯が見出しに書かれた記事を読み上げる。 「いずれも手法、目的像が異なるため、それぞれ犯人が違うと警察は予想しているが、証拠もなく犯人が依然捕まっていないのはどの事件も共通している。プロの仕業ではないかという意見も専門家の間で上がっているが、どれも素人じみた犯行である場合が多く、その線は薄いと警察が断定している」 新聞ではなく、スマートフォンの液晶画面で記事を読み上げる鶯の姿は、どこからどう見ても現代の若者だ。 灰色掛かった癖っ毛、色素の薄い灰色の瞳、女優も羨むほどの白い肌。 一見すると、どこの国の貴族だと思えるほどの容貌だ。 私は、「鶯は鶯色だぞ」と内心ひとりでごちると、記事を読み終えた鶯に紙パック牛乳を差し出した。 「今日の昼休みさー、俺のクラスに迎えきて」 「え」 「今日は動きたくないんだー」 「…」 廊下の窓から身を乗り出し、190センチの身長、三分の一を外に投げ出した状態で、鶯はこちらに顔を向ける。 落ちてしまえばいいのにと思う心は端へと寄せて、「なんで」と問いかけてあげる。 まともな答えが返ってくることは一ミクロも期待してはいないが、まさか「勉強疲れたから」という答えが返ってくるとは思わなんだ。 「…いいよ、」 「ありがとールナ。よかった。断られたら今日のカツサンド食べ損ねるとこだった」 「…」 うん、知ってた。 昼休憩。 授業終わりの終鈴を聞き終え、約束どおりカツサンドの包みを二つ持っていく。 自分の教室から二つ先にある鶯の教室に行くのは初めてだ。 こんなことで緊張する性質ではないが、如何せんアイツは目立つ。 自分の教室は、ほとんどが一年の時と同じクラスメイトだからいいものの、一般的に見て女子が他クラスの男子を昼ごはんに誘うってどうなんだろうか、と思わなくもないのだ。 だが、仕事仲間だし、面倒だが互いが唯一の友人だし。 気にすることでもないのか。 そんなことをつらつらと考えながら廊下を進んでいくと、目的地付近で昨日昇降口で会った二人と日野さん三人が男子生徒二人に挟まれているのが見えた。 理由はわからないが、上履きを両手で握っている日野さんを中心に男子生徒二人が睨み合っているようだ。 なにやら剣呑な雰囲気を醸し出している。 「少し失礼します」 「え…?あ、黄瀬さん?あ、ごめんね、邪魔だよね」 「っと、悪いな」 「…」 だがしかし。約束をしている私には、腹を空かせているであろう彼奴を迎えに行くことの方が先決だ。 体操服姿の日野さんと緑頭の男子生徒の間を潜り抜けると、「大丈夫です」と振り返る。 同時に、その場にいる全員の視線が突き刺さるが、気に止めることなく微笑を浮かべ教室に向かって行った。 中に入る際、青色の髪をした男の子に鋭い視線を向けられたが、それに気づかないふりをして、私は鶯を探しに扉の向こうへと消えていった。 「あ〜さっきの騒がしかったんだよね」 「喧嘩でもしてたの?」 「知らない、それよりこれもっと欲しいんだけど」 「私の分食べる?」 「うん」 今日も今日とて針葉樹の元にてランチを広げる鶯と私。 カツサンドを相当気に入ってくれたのか、一心不乱に口を動かす鶯の様子がリスに見える。 鶯は、ぽろぽろとパン屑をこぼすのも気にせず、一気に二人分のカツサンドを食べ終えると、「あー満足した」と芝生の上に寝転がった。 「あーそうそう、ルナさ。音楽棟って行ったことある」 「?ないけど」 芝の草花に身長分の跡を残し、ごろりと転がった姿勢で身体ごとこちらに向き直った鶯。 下から上目で見上げてくる鶯の表情に、なんとも言えない予感を感じ、思わず顔をそらしたくなる。 それを理解したように口角を上げ、鶯は逃がさないとばかりに言葉を続けた。 「今度の仕事、そこがいいんだって」 「…」 「それだけが条件らしいよ」 「…規約違反だよ」 「ねー」 「…」 「でも依頼主もまさかプロの殺し屋が条件先の生徒だと知ってるわけじゃないよ」 「それはわかってるけど…、こんな偶然…」 「あるんだねー」 「…」 お前も当事者だぞ、と言ってやりたくなるが、相手は鶯だ。 言ってもどうこうなるものでもない。 私は、予想ではなく、確実にくるであろう騒がしくなる学校を思い浮かべると、嫌々ながらも「仕事だ」と自分を説得した。 「今日の放課後、下見してくるよ」 「んー、そう。気をつけてね〜」 「…」 初めて来た星奏学院音楽棟。 この学院の中でも、音楽科に所属している生徒しか利用しない施設。 彼らのためにだけに作られた教育棟と言っていいだろう。 そんなところに一人で、普通科の制服を着た自分が乗り込むとは、無謀だっただろうか。 「ねえちょっと…あれ」 「どうして普通科の生徒が…」 「いえ、違うわ、あの子は確か…」 犇と感じる熱い視線。周囲から漏れ聞こえる声と声。 それは決して好意的な意味ではなく、悪意のあるもの。 同じ学校ではあるものの、なぜか学科間において高い壁ができてしまっている。 予想してはいたが、足を踏み入れるだけでこの状態とは…。 さっさと仕事を終えて、とっとと帰ろう。 私は、対学校用の表情を浮かべると、集まり始めた白制服集団の合間を縫って行った。 ずらりと並ぶ全く同じ造りの扉。 細々と漏れ聞こえてくる音は様々な音色をしている。 弦楽器、管楽器、木管楽器、打楽器。 聞こえてこないものと言ったら、現代音楽の楽器だろうか。 高校と言ったら、軽音部なんてものが定番のようにも思えるが、この学校では違うらしい。 寧ろ、そんな部があったら軽蔑視されることだろう。 狭い世界だな。 「防音室…」 施錠ができる密閉された空間。窓がある部屋が大多数だが、完全防音の空間もあるようだ。 音が遮断でき、それぞれが個室で中が見え難い。プラス、防音という付加価値。 仕事場にはうってつけじゃないか。 自分のテリトリーで仕事をすることはこれまで避けてきていたが、これはこれでもしかしたら楽なのかもしれない。 始末処理だけ綺麗にすれば、最高の環境だ。 ただ、閉鎖された後の人間の出入りが気になるところだが。 まあ、情操を身に備えた人間ばかりが在籍する音楽科さんのことだ。 閉校後に学生が隠れ入ったりなど、普通の学校でありえそうなことなど起きないだろう。 それに、もしもの場合に備えて自分で完全にこの建物を封鎖すればいいだけのことだ。 鍵からセキュリティまで何もかも、把握すればいい。 もしくは、そんな面倒なことしなくても、バレずに一瞬でやればいいだけの話だ。 廊下の最奥、個人レッスン室の扉が続く廊下の端までたどり着く。 不意に、近くのレッスン室の扉が開いていることに気づく。 そこから聞こえる話し声。口論にも聞こえなくないそれは、男女の会話だ。 気にとめる必要はないと思ったが、ちょうど件のレッスン室の前を通り過ぎる際、会話を終えたらしい利用者が扉を閉めようとドアノブに手を伸ばした。 自ずと、扉の隙間とガラスから私と相手の双眸がかち合う。 私は、気にせずそのまま通り過ぎようとするが、なぜか隙間から伸びてきた手に腕を捕らえられた。 予期しない出来事に、思わず背後にバランスを崩す。 持ち前の運動神経は、学校では絶対に発揮しない決まりだ。 普通の身体能力の持ち主らしく、そのまま重力に身体を任せると、私は棒読みながら「うわー」と驚きの声をあげた。 「…っ、大丈夫か」 廊下に倒れ込む直前、背中と臀部に感じた鈍い感触。 伝った痛みは、座り込んでしまう前に走った少しの振動だけで、身体に負担を掛けるものは一切なかった。 腹囲が生暖かい。掴まれた右腕はそのままで、自由がきかない。 一緒に倒れ込んでしまった人の膝上に座り込んでしまっているらしく、背中と尻が気持ち悪い。 私は、動きたくても動けない姿勢のままで、己の背後にいる人物に顔を向けると、訴えるように相手を見上げた。 腹と腕を解放しろ。 「す、…すまない」 鶯にはよくからかわれるが、懸命な睨みが功を奏したのか、慌てて腕を解放した男子生徒はパッと視線を逸らす。 動けるようになった私は、一度床に膝をついてから立ち上がると、続いて立ち上がった生徒に振り返った。 「急にすまなかった…」 「こちらこそ、すみません。怪我してないですか」 「ああ、幸いどこにも怪我はしていない」 「…そう、ですか」 よかった。本当に良かった。 音楽科の生徒に尻で怪我させたなんてことになったら、それこそ学校中大騒ぎになる。 翻っていたスカートの裾を払って直すと、思い返したように「そういえばなぜこの生徒は人の腕をいきなり引っ掴んだのだろうか」と首を折った。 プオープオーとどこからかトランペットの音が聞こえてくる。 他にも、ヴァイオリンやオーボエ、ティンパニーの振動までもが伝ってくる。 あ…放課後に知り合いでもない男子生徒と他学科の校舎で向かい合ってるなんて、なんかおかしな状況に陥ってる気がする。 視界に映る青色の髪の毛は何処と無く見覚えのある気がするが、見るからにその顔は初見だ。 「そうですか」という発言以来、なんの言葉を発してこないし、これは去っても良い状況なのだろうか。 無言の応酬を続ける中、それとなく帰りたいオーラを醸し出してみる。 右足をじりりと退け、視線を相手に残しつつ、身体の向きを背後に傾けていく。 すると、それとなく私の態度に気づいた相手がようやくこちらに視線を向けた。 今だ。 私は視線が合わさった次の一瞬、チャンスとばかりに「あの、これで失礼します」と告げた。 一気に身体の向きを背後に替え、扉出口に向けて歩き出す。 幸い、今度は何も腕を拘束することなく、そのまま用済みのフロアを後にすることができた。 「…」 一体、あれは何だったんだろう。 真っ青な髪色とは正反対の顔色をして。 調子が悪いなら、保健室なり帰るなりすれば良いのに。 私は階上へと続く階段を見つけると、今度は絶対に足止めを食らわないよう警戒をしながら、この後も引き続き音楽棟の下調べを進めていったのだった。 あー…帰るのが遅くなったわ