「――紺野さん!」
廊下をひたすら走っていると、名前を呼ばれて腕を掴まれる。
ビクッとして振り向くと、昨日会ったばかりの緒川先輩が訝しげな表情で私を見ていた。
「そんなに慌ててどうかしたの?」
「あ…いえ」
周りを見ると、生徒がちらほらいてこちらを見ていた。どうやら午前の授業はもう終わっているらしい。
後ろを振り返っても、彼が追ってきてる様子もない。ほっと胸を撫で下ろして、緒川先輩に向き直った。
「大丈夫?」
「はい。すみません…」
「何があったの?って聞きたいとこだけど…とりあえず着替えたら?」
緒川先輩の目が胸元にいく。それにハッとして隠すようにはだけた胸元を手で覆った。
緒川先輩は苦笑して、「更衣室行こっか」と私の手を引いた。
*
「汚れちゃってるね…。これコーヒー?」
「はい…」
制服を脱いで、下着姿になる。彼につけられた引っ掻き傷が胸にできていた。
緒川先輩が目を細めて胸元に目を向ける。
「……見かけによらずでかいね」
「え?」
「あ、ううんなんでもない」
慌てたように首を振る彼女を見返して、私も彼女の胸を見た。
胸の大きさなら、私より緒川先輩の方が大きいと思うけどな…。
「紺野さん、着替えとか持ってる?」
「いえ…」
「じゃあ私家の人に予備の制服持ってこさせるよ」
「え、でも…」
「そのまま校内歩けないでしょ? 待ってて」
言葉を返す暇もなく、緒川先輩はスマホを耳に当てながら更衣室を出ていってしまう。
一人になって、胸のかすり傷に手を当てた。
……やってしまった。
普通にするどころか、ついカッとなってとんでもないことをしてしまった。
上谷先輩、あの人のこと「翔」って呼んでいた。おそらくあの人が二年金バッジの佐久田翔。佐久田の家もかなりの富裕層だ。もし激怒して紺野の家に乗り込んできたらどうしよう。
紺野は架空の家だけど、探られれば雅紀様に迷惑がかかる。
そこまで考えて「はぁ」とため息を吐く。後悔に溺れていると、すぐにドアが開いて緒川先輩が戻ってきた。
「これ。サイズMで良かった?」
「あ、はい…ありがとうございます」
沈んだ気持ちのまま緒川先輩から制服を受け取ろうと手を伸ばす。するとなぜかその腕をぐっと引かれた。
「わっ」
バランスを崩して前に倒れ込んでしまって、緒川先輩に支えられる。
彼女の整った顔が至近距離に迫ってきて慌てて身を引こうとするのに、肩を掴まれているせいで動けない。
「緒川先輩…?」
「似てる」
「え…?」
ハスキーな声で囁かれたそれに、ゾクッと鳥肌がたった。
似てる…?
状況がわからなずあたふたとしていると、彼女の視線が私の首筋に落ちた。あっと思う間もなく顔がそこに埋められ、傷のある場所をぺろりと舐められた。
「きゃっ」
傷のピリッとした痛みと生々しい感触に驚いて、思わず小さな悲鳴を上げる。
な、なに…?
「可愛い反応するじゃん」
顔を上げた彼女ににやりと笑われて、顔が真っ赤になった。
「か、からかわないでください…っ」
緒川先輩を押しのけ、体を抱くように隠す。実際の年齢は下の女の子のはずなのに変にドギマギしてしまった。
緒川先輩は「ごめんごめん」と笑うと、今度こそ制服を渡してくる。
「紺野さんが可愛くてつい」
「……もう。それ、緒川先輩に言われると嫌味に聞こえますよ」
「そう?」
じとっと睨みながらも、すっかり前の感じに戻った彼女にほっとする。
着替え終えてから、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。この制服はちゃんとクリーニング出してから返します」
「大丈夫よ。まだ予備あるし」
「でも…」
「あ、じゃあ今度一緒にお出かけしない?」
「…? お出かけ、ですか…?」
「うん。私紺野さんと仲良くなりたいのよね」
「はあ…」
まあ、それくらいなら全然いいけど…。
「じゃあ決まりだね!」
困惑する私にニコッと笑った彼女は、ヒラヒラと手を振って更衣室を出ていった。
ぽかんと、そのドアを呆然と眺める。
なんというか、昨日初めて喋った時から思ってたけど、緒川先輩ってかなりマイペースな人なのかも…。
TOP目次しおり