喪失


――これは、私が死神見習いから卒業したばかりの頃のお話。

日はゆっくりと傾き始め、辺りは闇に沈んでいこうとしている。
私はいつも通り受注していた依頼を終え、家路につこうとしていたそんなとき。
シュルリと目の前に2枚の羊皮紙が降りてきた。
死神同士が連絡を取り合う時に使われる手段のひとつだ。

「また規約違反者が出たのね、しかも処分依頼は私に……帰ろうとしていたのだけれど」

送られてきた羊皮紙には規約違反者の違反内容が書かれているものと、処分依頼、やけに高額な成功報酬、ならびに対象の現在位置が記されているものがあった。
どうやらヒトゴロシを犯したようである、対象の現在位置は今自分がいる場所にかなり近い。

「仕方ない、行くしかないわね。拒否して別の死神さんに迷惑をかけるわけにはいかないもの」

抹消依頼を受諾するか、拒否するかは強制されていない限り自由である。
しかし自分が拒否した場合別の死神にまた依頼が送られることになる。
それはそれでなんだか落ち着かない、何よりこれほど近いのなら拒否する理由も見つからなかった。
今いる場所から歩いて数分、街中から少し離れたところにある小さな民家、そこが対象の現在位置だったのだから。
早く終わらせて自宅に帰るため、その現場へと向かう。

「ここね、何も無いみたいだけれど……あっ」

窓から民家の中を覗いてみると小さな男の子と血塗れで倒れている数人の人間の姿が見えた。

「……おねえちゃん、だあれ?」

こちらの気配に気付いたらしい、ゆっくりと顔を上げ、こちらを見つめてきた目には涙の跡が
その震える手には鎌――ではなく、真紅に染まったナイフが握られていた。

「御機嫌よう、規約違反者くん。貴方死神よね?どうしてそんなもので人を殺しちゃったのかしら」

何があったのか、開いたままの扉へゆっくりと足を踏み入れる。
見た目が子供とはいえ、死神である、それも規約違反を犯すような、気を抜くことはできない――はずだった。

「きやくいはん?しにがみ?なんのこと?」

――え?

「僕ね、怖かったの、知らないひとがおうちにいきなり入ってきて、僕のことどこかに連れて行こうとしたの、だから、だから……」

だから殺した、と言いたいのだろう、しかし問題はそこではない、確かにこの子は魔力を持っている死神である、それなのにそのことを本人は一切理解していないように見える。

「ねえ、君、パパとママは?」
「パパは今少しの間遠くでお仕事、ママのことはパパがぜんぜん教えてくれなくて良く知らないの、でもね、とっても強いんだってパパが言ってた」
「とっても強いって?」
「あのね、ママはすごいんだよ、お化けもやっつけちゃうの!えいっ!て!」
「パパは強くないのかしら?」
「パパはお化けは怖くてだめなんだって、ママのほうが強いの」

――ああ、そっか。

混血だ、私と同じ、人間と死神の間に生まれた混血の死神だ。
母親が死神であり、父親がそのことを隠しているのなら、この子が死神だと自覚していないことに説明がつく。
人間と死神による配偶は数千年前のずっと昔にはタブーであるとされていたらしいが、とある死神が産まれてから上層部に動きがあり、今では多少制限は付けられているものの許可されている。
人間でいうところのハーフのような認識だ。
そして、混血の死神は自らに流れている人間の血を使い、所謂禁術と呼ばれるものを難なく発動することができる。
下手をすると純粋な死神よりも強い、敵に回すと厄介な存在なのだ。そのため報酬も相応に高額となる。

「おねえちゃん、怖い人?」
「いえ、怖くないわ、大丈夫、怖がらせてごめんなさい」

床に座り、そっと抱きしめる、身体はひどく震えている。この子を殺す必要は無いと、そう判断する。
自身の身を護るためにヒトゴロシを犯しただけであって、明確な殺意があったわけでもない。
何より死神だという自覚すらも無かったのだから、後でこの子の父親にでも話をつけて、次の罪を犯してしまう前に死神であるという自覚だけは持つようにしてもらおう。

「よしよし、怖かったわね、もう大丈夫よ」
「えへへ、おねえちゃん、あったかい、ぼく、つかれ……」

優しく声を掛けるとすぐに寝息を立てて眠ってしまった、当前だろう、理由は不明とはいえ大人数人に連れ出されかけ、しかも殺してしまったのだから。
そのままベッドへ連れて行ってあげよう、死体の片付けはあとだ。

「あったかいな、この子、なんだか、私も眠たく……保護通知だけ送ってしまえば安全、よね」

男の子をベッドへと寝かせ、自分もそのまま倒れ込む。
直前に依頼を済ませてきたばかりなのだ、疲労の溜まった身体は既に言う事を聞いてくれない。

「ん、報告書完成、これを本部宛に送って……」

――そこで、私の意識は眠りに落ちてしまった。

「あっ!?がっ……」

唐突に悲痛なうめき声が耳に入り、私は目を覚ました。そこには背中に鎌が食い込んでいる男の子と、もう一人の死神の姿があった。

「おや、お目覚めかいお嬢さん」
「あんた誰!何してるの!!その子はもう既に保護してるのよ!!保護した死神を殺すことは規約違反……」
「あ?てめぇの手元見てみろよ」

言葉に従い手元に目線を落とすと、そこにはまだ通知していない保護報告書があった。

「そんな……でも、その子は……それにこれを見たならどうして殺すのよ!その子を殺すなら私がお前を殺す、依頼遂行のためなら違反にはならないわ!」

鎌を取ろうとしたそのときだった、体が上手く動かない。

「動けねぇだろ?金縛りだ、この程度の魔力も弾けねぇなら黙って見てろよ、俺は金が欲しいんだ。知ってるだろう?規約違反者が現れ、処分依頼を受けていない死神が先に対象を処分した場合報酬は全額処分者に回ってくるんだよ。このガキには高額の報酬がついてる。殺さない手はねぇだろうが」
「おね、ちゃ、た、け……」

目の前で鎌が深く深く刺さって行く、それなのに止めることができない、動けない。

「お願いやめて、その子はまだ何も知らないの、自分が死神だってこともしらな」
「あっそ」

ズシャッっと、荒々しく鎌が振り下ろされた、目の前でドス黒い紅が吐き出されて行く。

「あ……」

叫びにすらならない音を上げて、男の子はそのまま息絶えた。

「お前……っ!お前!!殺してやる、私が絶対殺してやる!!」

真っ白になった頭で絶叫する。
一瞬でも自分に心を許してくれた小さな子が目の前で殺された、それもこんな奴に、私のミスのせいで。
後悔と憎悪が、私の中で大きく複雑に渦巻く。

「うるせぇってんだよ。あぁ、いいこと教えてやる、こいつの家にそこで転がってる人間を送り込んだのは俺だ。そのガキ連れてきたら大量の金をやるってな。だけどこのガキの本質は死神、思い通り簡単に殺してくれた。規約違反を犯させたかったんだよ。混血の死神に規約違反が入ればその性質上報酬金も大きくなるしな。先にてめぇが来たのには冷や冷やしたぜ、まあ、保護報告送らなかったおかげで見事俺に金が入ることになったがな。父親もそいつらに殺させたから俺は違反にならねぇなぁ。母親か?今頃どうなってんだろうなあ?あっはっ」

私はもう声も出せなかった、絶望しすぎていた。
次元が違いすぎる、この死神は何もかもが狂っている。

「なんだ、だんまりか?さっきまでの威勢はどこ行ったよ、どうでもいいか、んじゃ俺は帰る。俺のことを上に話たって無駄だぜ、裏に根回ししてるからな、そうそう手は出せねぇ、じゃあな」

何もできずに、何も言い返せずに、その狂った死神がいなくなったあと、縛りの解けた身体で泣き崩れていた。
自分じゃなくてもいい、誰かがそいつを殺してくれることを願いながら。

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