エキゾーストノート


「ふんふーん♪」

今日はとっても気分が良い、メンテナンスに出していた鎌が手元に戻って来たのだから。
鎌のメンテナンス、と言うと刃を研ぐ、傷を直す、あたりが思い浮かぶのだろうけど、私の場合はそれだけじゃない。
それだけじゃないからわざわざメンテナンスに出さなければいけないのだ。
さて、せっかく戻ってきたのだし、さっそく試運転をしてみよう。
鎌を持ち、手元に備え付けられたスターターに手を掛け、それを勢い良く引きあげる。
その瞬間黒煙を吐き出し、けたたましい唸りを上げるエンジン。トリガーを引くと周囲にまで伝わる荒々しい刃の振動。
そう、私の鎌は――。

「おかえりなさい、私のチェーンソー」

久しぶりにたくさん遊ぼうね。

この鎌の性質上、まともに戦える場所は限られる。他の人間の耳に駆動音が入るような場所では起動することができない。
つまり住宅街から離れていたり、防音能力があるような施設内での戦闘に向いている。
何より、私自身そのようなところでの戦闘を好んでいる。人目が多いと後片付けが大変なのだ。

「あ、ちょうどいいお仕事みーっけた、場所は港の巨大空倉庫か、なんだか秘密基地みたい」

ふと、羊皮紙に目を通していると条件にぴったりな依頼が目に止まった。
どうやら最近動きが活発になっている過激派組織のひとつが今夜そこで見世物のようなものを開くらしい、よくもまあこんなベタなところで。
依頼内容を端的に述べると『相手の生死は問わないからそれを止めろ』と書かれている。
生死を問わず、だなんてそれこそ過激に見えるかもしれないが、死神の手元に届く依頼だ。このくらいは日常茶飯事である。
そしてこの場合、恐らく相手は普通ではない。
しかし、そのほうが相手にまわしやすいだろう、手加減をする必要が無いのだ。

「特に禁止事項は書かれてないし、見世物さえ成功させなければ何をしても怒られないんだよね!」

今日は楽しい夜になりそう、と、胸を躍らせつつ依頼場所へと足を向けた。

「おい、準備はできてんのか?」

夜の海風が冷たく頬を撫で、目の前では大きく無骨な鉄の扉がこちらを見下ろしている。
こんな外れにある港に外灯なんてものは無く、薄暗い月明かりだけが周囲を弱く照らし出す中、倉庫の周囲には多くの組織メンバーが集まっていた。
数十人はいるだろうか、その中で一際目立つ、黒いハットとスーツを身に着けた、一人の男がいた。

「はい、既に内部では準備が整っているものと思われます」
「そうか」
「それにしてもよろしいのでしょうか、貴重な戦力と成り得る人材を殺し合わせるなんて」
「良いんだよ、たった十数人の人間が殺し合う映像を生で見せるだけで金持ち共が大金を落としてくれるんだ。それに生き残りに払う報酬はその十分の一の額だがそれでも個人が命を掛けるに値する、どのみち大幅に儲かるのはこっちだけだ」

金持ちによる高貴な遊び、人間の命を玩具にした単純なヒトゴロシゲーム、下らな過ぎて反吐が出る。
だが知ったことではない、金さえ手に入れば自分以外の命なんて軽いものだ。

「ボスがそう言うのであれば、構いません」
「それでいい、放送の準備を始めるぞ。カメラを付けろ」
「承知致しました」

合図により、倉庫内に設置されている全てのカメラからの映像が画面に出力される。
楽しい金集めの始まりだ。

「っ?これは……?」
「どうした?」
「そんな、既に内部の人間が死んでいます!」
「なんだと!?合図を待たずに殺し合いを始めた場合報酬は無いと言ったはずだ!」
「違うんです!全員が、参加者全員が死んでいます!」
「そんなことがあるわけ……お前ら、扉を開けろ、カメラは回したままでいい、銃も構えておけよ」

想定外の自体だった。自分たちを見下ろしていた鉄の扉は慌しく、ギィギィと錆びた音を立てながら開かれて行く。
参加者全員が死ぬ?何をふざけたことを、自殺志願者でも混ざっていたと言うのか。
俺の金はどうなる、金持ち共との契約はどうなる。
自分の身と、大金の心配ばかりが頭に浮かぶ、そして扉が開ききったとき。

――あれえ?まだ居たんだ?

幼い少女の声が倉庫内に、そして、頭の中に鳴り響いた。
だが視界には入らない、どこにいるのだろうか?

「おじさんたちどこ見てるの?上だよ、うーえー!」

声が導くままに天井を見上げると、なるほど、カメラに映らないわけだ、天井の鉄骨の上に乗っている。
高さのせいで確かな容姿までは確認することができないが、声からして恐らく少女だろう。
どうやって登ったのか、そしてこの少女が何故ここにいるのか、この死体の山を作ったのは彼女なのか。

「やっと気づいたねー?よっと」

そう疑問に思っているうちに、ぴょんっと、軽く、ふわりと浮くかのように、何の躊躇いもなく20メートルはあろう高さから飛び降りる。
目の前、と言う程では無いが、こちらが少女の姿をはっきりと捉えられる程度の距離に音も無く着地していた。
顔を見るとこちらが向けるライトを反射する承和色の瞳と、光が届き切らず薄い闇の中で小さく揺れる、肩程までの長さのクリーム色の髪が確認でき、頭にはヘッドドレスを付けている。
さらに目を凝らすと、その少女は声に違わず小柄で華奢な、幼い姿をしていた。小学生だと言われても高学年であれば納得できそうだ。
ただ奇妙だったのは、その身に纏った黄色のロリータ調の洋服と相まって仏蘭西人形のような格好と小さな身体には大凡似つかわしくない、大人の身長すらも超えているのでは無いかと思われる程に巨大で禍々しい、あまりにも攻撃的な姿の武器を背負っていることくらいか。

「貴方たちがこの倉庫で何かするらしいから止めろって依頼受けてからずっとここで待ってたんだよ。そしたら何人か武器を持った人が入ってきていかにも怪しいから様子見してたの、さっき飽きて殺しちゃったけどね」

ほら、この子で!と少女はその見た目から予測しても相当な重量があるであろう、背中に背負っていた“それ”を軽々と振りかざした。
その刃には先ほどの殺害の痕跡だろうか、とろりと生々しさが残る赤黒い液体がこびりついていた。

「そうか、お前がやったのか」
「そうだよ、私が」
「撃て」

その一言で、少女に向けられていた数十の銃口が一斉に火を吹いた。
何発も何十発も、隙間無く、間髪入れず、少女に穴を開けることを目的として。

「当てれるだけ当てろよ、つーか殺せ、カメラは回ってるんだろう?変わった女のガキが死ぬところなんざそうそう見れるものじゃねぇ。生で見てる金持ち共だけじゃなくこの録画映像を売り捌けば予定よりも金が入るかもしれねぇぞ」

結果が違えど金さえ入ればそれでいい、と、笑みを浮かべる男を再度合図にしたかのように、銃声は一斉に止んだ。
正しくはさらに大きな音に掻き消された。
ギャリギャリと振動と共に響き渡る不気味な駆動音、コンクリートが金属に抉られる鈍い音。
ほぼ同時だっただろうか、少女に向けられていた銃口が、一斉に地に落ちたのは。

「ねえ、最後まで喋らせてよ、今日はせっかく気分が良かったのに今ので台無しだよ」
「なんだ?一体何が、おい、撃てよ、何して……」
「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「どうして!なんで!痛い!痛い!!」
「腕が、足が、返せ、返せ、かえせええええええ!!!!!!」

突然周囲で上がる悲痛な悲鳴、叫び声、狂ったかのように繰り返される呻き声の数々。

「ちっ、使えねぇ、お前何をした?」
「何もおかしなことはしてないよ、攻撃されたから、その手段を文字通り断った。それだけ。貴方だってそうでしょう?攻撃をされたら反撃する、殺されそうになったら殺す。それを餌にお金を集めようとしてたのも、貴方だよね?何よりも自分の仲間の手足を切断されてるって言うのにその態度、私気に入らないなあ。あ、あとカメラは今ついでに壊しといたからね」
「仲間ねぇ、そいつらはただの駒だ、金を集めるための。俺が無事ならこいつらが死のうが関係無い」

びちゃびちゃとそれぞれの四肢から血液を撒き散らしながら暴れ狂う仲間を横目に、依然として態度を変えないどころか強気であり続ける男のことを、少女は心から気に入らなかった。

「貴方、自分の立場わかってる?死ぬんだよ。ここで、私とこの子に殺されるの」
「あぁ?死ぬのはてめぇだよ、クソガキ」

男はおもむろに内ポケットから注射器を取り出す。
不気味な程に濁りの無い、それでいて一切の光を通さない紅い液体が入っているそれを自らの腕に突き刺すと。
一瞬、逆流した血液と混ざり変色した後にもろとも身体に吸収された。

「ふーん、そんな隠し物してたんだ、いけないんだあ」

少女は一目でそれが何か理解した、死神の、他の同業者の血液だ。

「人間がこれを直接体内に摂取するとどうなるかくらい、お前ならわかるんだろう?死神さんよ」

既に先程までの男とは雰囲気が変わっていた。
目は紅く、鋭くなり、爪も長く鋭利になっている。
身体能力も大幅に上昇しているはずだ。

「知ってるよ、人間が劣化死神程度の能力にはなる」
「劣化だと?舐めやがって!」

勢い良く地面を蹴り付け、一瞬で少女の背中を取り首を落とそうとしたそのとき。
グリュッと、鈍く、重く、痛々しい音が男を襲った。

「私言ったよ、劣化死神程度だって。本物に勝てるわけが無いじゃない」

少女は、背中に回った男の腹にチェーンソーと化している鎌の先を突き刺していた。
トリガーから指を離し、刃の回転を止めているとは言え、いや、止めているからこそ。
突き刺されたその腹は歪に引き裂かれ、止め処なくとろみのある血液が溢れ出していた。

「良いこと、教えてあげるね」

そんなことは気にも留めず、少女は淡々と続ける。

「死神の血を人間が摂取すると、確かに身体能力が一時的に上がる。さっき言った通り劣化死神程度にね。だけれど、生命力は死神と変わりないくらいに強化される。これも一時的なものではあるんだけど。それでも、さっき摂取した量なら数時間は持つんじゃないかな。どの死神の血かは知らないけど」
「か、は、何が言いたいんだ、てめぇ、は」

息も絶え絶えに問いかける男を見て、少女はにやりと、不気味な笑みを浮かべた。

「仲間が傷つけられても駒だって言って見捨てた貴方のこと、簡単には死なせてあげないよ。あー、でもさっきの人たちのほうが今は貴方に見捨てられちゃって、気持ち的にも苦しいかな?こんなことなら最初からトドメ刺してあげれば良かったね。可愛そうなことしちゃった。まあいっか、後であの人たちは優遇してもらえるよう連絡入れておこう」

――どうせ殺す予定ではあったし。

「ごちゃ、ご、ちゃ、言ってんじゃ、ねぇぞ……!」

生命力が上がっているせいでそう簡単に死ぬことは無い。
それならばせめてこの少女を殺してからゆっくり死んでしまおう。
鈍い痛みを堪え、鋭く伸びた爪で再び首を落とそうと振りかざす。

「無理だってば」

ヒュンッと刃を翻し、そのままの勢いでそれを投げ飛ばす。
鋭く壁に叩きつけられ地面に倒れこんだ男に、少女の追撃が始まる。

「痛い?死ねないもんね、真人間なら死んでるよ、それ。あんなもの使わなければもっと楽に死ねたのに」

トリガーを引き、刃をギャリギャリと回転させる、コンクリートすら抉るほどの威力を持つチェーンソー。
人間を切断することなど造作も無い、言葉を発することすら辛くなっているであろう男の左腕にその刃をゆっくりと降ろして行く。

「ぎっ……あがっ……!」

高速回転する刃は力を入れずとも確実に、着実に、肉を抉り裂いて行く。
そういえば昔、軽く力を入れただけで棚ごと茶坊主を圧し切った刀があったんだっけ。
それも、こんな感じだったのかもしれない、なんてことを思いつつ飛び散る肉片と痙攣する男を見つめる。
しばらくすると、一瞬ガリッと硬いものに当たる感触が手に伝わった。
続けてガリガリと硬いものを削る音がする、骨に当たっているようだ。
この間も男は苦痛の表情を浮かべたまま痙攣している、気絶すらできないなんて、自業自得なのだけれど。
骨を削っていた音もやがてしなくなり、残りの肉が裂かれ、やがて重さに耐えられずにぐちゃり、と穢れた音を立てその左腕は真紅に染まった地面に落ちた。

「気分はどう?」

答えは無い、意識はある。痛覚もより研ぎ澄まされ、嫌と言う程鮮明に生きている。

「それじゃあ、あと右腕、右足、左足の3本、がんばろうね。首が落ちるまでは死ねないはずだから」

死神の血により無理矢理生命力を得た男は、それに答える気力は残っていなかった。
ただその表情は、これから行われる処刑への絶望と恐怖に染まり、己が行為を呪い、早期の死を願っていることは確かである。

「早く死にたいんだ、生きたがろうとしないのは良い子」

一切の感情が籠もっていないその言葉とともに、鎌は再び叫びを上げた。

――それから、どのくらいの時間がたったのだろうか。
身体が胴体のみとなった男は息絶え、直前に四肢を切断された人間の中にも、生き残っている者はいなかった。
良く考えると途中から呻き声が聞こえなくなっていたことを思い出す。
血と死の臭いが充満し、紅い海と化した倉庫で少女はただ一人、つまらなそうな表情を浮かべていた。

「あーあ、後味わるいな」

死を直接纏う存在である死神、だからこそ、人が人の生を蔑ろにするのが許せない者も多い。
少女も、そのうちの一人である。

「せめて仲間くらい大切にしてるなら、ここまではしないのに」

ぽつりとつぶやいたその言葉は、誰の耳にも入ることは無い。
それよりも、この現場をどうしようか。想定以上に汚してしまった。
魔力が弱く、ここまでの現場を夜明けまでに掃除することができない彼女は、死体や戦闘の後片付けを生業としている死神の集まり、掃除屋に頼むことになってしまいそうだ。
清掃代は今回の報酬から引き落としてもらおう。

「今は早く帰って、お風呂入ってスッキリして、明日はお休みにしよっと、他の子誘ってお買い物でもいいな」

少女は赤黒く染まった洋服を隠すように、どこからか現れたフード付の黒いロングコートを羽織り、ゆっくりとその場を後にした。

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