遠くから眺める限り、セニカの彫像は崩れた形跡などなく、変わらず里を見守る姿がそこにあった。
だから、皆は少し安堵してしまう。
もしかしたら、里も奇跡的に無事なのではないか、と――。
「……なんて、ひどい。あんなに美しい場所だったのに」
だが、目の前には想像以上の悲惨な光景が待ち受けていた。
ゼーランダ山と同様、数多の岩石が落ちたことにより里の建物は崩壊し、白い美しい石畳の床も、大樹の落下の衝撃で亀裂が走っている。
草木は枯れ、火種は残り、小さな里にとっては壊滅的な状況だった。
「…………」
変わり果てた故郷の光景を目の当たりにしたセーニャの横顔は……。
ユリは焼き払われた故郷を目にした際の、エルシスの顔を思い出した。そしてその痛みを、ユリもよく知っている。
悲しみに目を伏せるセーニャから、ユリはそっと視線を外した。すると、広場に人の姿があるのに気づく。
あれは……
「セーニャ。あそこにいるのはファナードさんじゃない?それに……」
「!」
ユリの言葉に、セーニャははっと顔を上げる。ファナードと共にいるのは……
「おぉっ、おぉっ……ベロニカ、セーニャ……私の天使たちよ。今頃、いったいどこに……」
「お父さまに、お母さま……」
セーニャの父と母だった。
「おふたりとも、気を落とさんでくだされ。ベロニカとセーニャは、双賢の姉妹。ふたりが一緒なら、きっと大丈……」
二人を慰めるファナードの方も、一行の姿に気づいたようだ。その彼の様子に不思議に思った夫婦も、ゆっくりこちらに振り返る。
「……セーニャ?もしかして、セーニャなの?」
「お父さまっ!お母さまっ!ご無事だったんですねっ……!」
弾かれるようにセーニャは、両親の元へ一直線に駆け寄った。
「あぁ、セーニャ!無事だったのね!怪我はしてないかしら?」
「セーニャ……おぉ、私の天使よ。よく、カオを見せておくれ……!」
セーニャの母は娘に優しく触れて無事を確かめ、父は涙をにじませながら、最愛の娘との再会を喜んだ。親子の感動の再会に居合わせた仲間たちは、その様子を安堵した笑みで見守る。
「セーニャのご両親が無事でよかったわね」
「町の様子で不安だったけど、セーニャのお父さまとお母さまと再会できてよかった……。あとはベロニカ……師匠だけど……」
マルティナの言葉に答えるユリが、ベロニカの存在を口に直後だった。
「セーニャ!ベロニカ……ベロニカは……どうした?一緒ではなかったのか!?」
ファナードからもベロニカの名前が飛び出し、セーニャは一転して驚きの表情になる。
「えっ……!そんな……。てっきり、お姉さまは先にこちらに戻っているのだとばかり……」
「それに、勇者であるエルシスさまの姿も見当たらないが……」
そう口にしながらファナードは、偶然か、なにかを感じ取ったのか、迷わずユリを見た。
ユリはこれまでの経緯と、勇者の紋章が今は自分にあることをファナードに話す――。
「なんと、そのようなことが……。命の大樹が落ちたあの日……。エルシスさまの身にただならぬことが起きたことは察しておりました。あの時から、ベロニカの姿は見ておりません」
ファナードの言葉に、ユリは仲間たちと困惑の表情で顔を見合わせた。セーニャの父と母も、もう一人の娘は行方不明とわかり、おろおろしている。
――そんな中。
セーニャは一人、両手を胸の前で組み、精神を研ぎ澄ます。
「……いえ、やはりお姉さまはこの近くにいるはずですわ。北の方から、なつかしい気配を感じます」
そう言ってセーニャは北の方角に足を向け、里から続く道の先をじっと見つめた。
「双子のカン……ってヤツか?」
カミュの問いに、セーニャは静かに頷く。
「この感じ……お姉さまのものです。ユリさま、行ってみましょう」
「うん!師匠を迎えにいこう」
確信を持ったセーニャの言葉に、ユリは信頼を込めて賛成した。
「セーニャの導きにしたがい、北の方にいるはずの双賢の片葉を探してやってくださいませ」
ファナードに見送られ、一行はセーニャの案内のもと、北の方角へと足を進める。
「おぉ……セーニャが見つかったのですね。双賢の姉妹は賢者セニカさまの名を継ぐ、我ら聖地ラムダの民の誇り……。あの子たちはふたりでひとつの存在。セーニャがいれば、ベロニカの居場所もたちどころにわかりましょう」
すれ違ったそんな里の民の言葉を聞き「双賢の姉妹か……。賢者セニカの生まれ変わりとは、なんとも不思議な話だ……」と、ホメロスは独り言のように呟いた。
「この辺りもひどいありさまね……。セニカちゃんの像が無事だったのがせめてもの救いだわ」
里の中を歩くのにも、瓦礫や火種を避けるなど、足元に気をつけて歩かなければならない。シルビアは最後に、セニカの彫像を見上げながら言った。
「……あら?今、セニカちゃんの像が泣いたように見えたけど、アタシ、目がつかれちゃったのかしら……」
「雨ではないか?」
大樹が落ちてから空はどんよりとした曇天だが、今の空を覆っているのは雨雲だと、グレイグは彼に言った。
ユリも二人の会話を耳にし、つられて空を見上げる。
灰色の厚い雲に、今にも雨が降りそうだ――。
「村から下って、この先にあるのは静寂の森といいます。きっと、お姉さまはそこにいると思うのです」
「静寂の森……あっ」
「はい、ユリさま。私たち姉妹が、ユリさまと初めてお会いした場所です」
その名を聞いて思い出したユリに、セーニャは「懐かしいですわね」と、微笑んだ。
「ん?セーニャたちとユリが初めて会ったってどういうことだ?」
不思議そうに疑問を口にしたカミュに、ユリはくすりと笑って「みんなにはちゃんと話したことがなかったね」そう思い出を語るように話した。
最初にこの話をしたのは、ユリが記憶を取り戻し、クレイモラン王国に向かう船の中で、ベロニカとセーニャとロウと四人での談話中にだった。
ユリがまだ天使だった頃、師のイザヤールに連れられ、賢者セニカさまの生まれ変わりとされる双賢の姉妹に会いにいったことがきっかけだ。
その日、幼いベロニカとセーニャは森で遊んでいるうちにはぐれてしまい、迷子になったセーニャを助けたのがユリだった。
光輪の効力により人間には姿の見えない天使だが、地上の人間たちをこっそり助けることも仕事のうちである。
思えば、その出来事が、ユリにとっての初仕事だったかもしれない。
「なんだか素敵な話ね。天使だったユリちゃんと幼いベロニカちゃんとセーニャちゃんがじつは会ったことがあって……でも、その時には姿は見えなくて、再会したときには大切な仲間ですもの!」
ユリの話を聞いたシルビアはうっとりした声で言った。
「ええ、本当に。そう考えると……もしかしたら、私たちも天使のユリとどこかですれ違ってたかもしれないわね」
「ほっほ。それはまたロマンがある話じゃな」
「ちなみに、どうやって迷子になったセーニャとベロニカを引き会わせたんだ?」
マルティナとロウの言葉のあとに、さらなる疑問が生まれて、カミュはユリに聞いた。
「セーニャが違う方向に行こうとしたら、手を引いて「こっちだよー」って導いたの」
思ったより物理的な方法だった。
「その時は、てっきり妖精さんに導かれたものだと私は思いましたの。それで、お姉さまに話したら『この森に妖精なんているわけないじゃない!』って言い合いになりましたわ」
「ははっ、いたのは天使だったというオチか」
話を聞いていたグレイグは、微笑ましい昔話に笑い声をこぼした。
「どうやら、ここがその森の入り口のようじゃな」
幼い姉妹が遊びに行ける距離だ。ラムダから少し歩くと……そこには青々とした木々の景色が広がっていた。
「ここは比較的、被害が少ないみたいだな」
ホメロスは辺りを観察しながら言った。落ちてきた岩石も少なければ、草木は枯れておらず、生きている森だ。
「小さい頃は迷子になったぐらいですし、深い森だと思ってましたが、そこまで広くはありません。すぐにお姉さまは見つかると思いますわ」
そう言うセーニャは、静寂の森へと慣れた足取りで入っていった。
「ほっほっほ。さすがはセーニャじゃ。双子のカンでベロニカの居場所がわかるとはのう。さあ、おなごを待たせるものではない。ひとりで心細い思いをしているだろうから、はよう迎えにいってあげよう」
ロウの言葉に、皆もセーニャを追いかけるように森へと足を踏み入れた。
静寂の森という名だけあり、どこか神秘的な空気を漂わせている。
「姫さまから話は聞いた。セーニャの姉、ベロニカとは赤い三角帽をかぶった魔法使いの少女だと。セーニャの姉と言いつつ、少女というのが少々引っかかるが、戦力になるなら大歓迎だ。とにかく、今はベロニカを探すとしよう」
そう皆に話すグレイグは、森の中をきょろきょろと視線を動かし、真剣に少女の姿を探した。
「雨が降りそうだから、その前に師匠に会えるといいね」
「そうだな。ずぶ濡れになったらベロニカに「もっと早く迎えに来い」って怒られそうだ」
皆も同様に、ベロニカの姿を探しながら歩く。
「セーニャ……。自分の故郷がこんな風になってしまって、さぞつらいでしょう……。でも、あの子は弱音もはかず、気丈にふるまっている。本当に強い子だわ……」
前を歩くセーニャの背中を見つめていたマルティナが、ぽつりと呟いた。ユリも同じように思っていたと、マルティナの言葉に同意する。
セーニャはベロニカと離れて不安だったと言っていたが、それを表には見せず、いつだって周りを気遣い、助けてくれていた。
セーニャは優しいだけでなく、芯の強い女性だ。
「……それはあなたもね、ユリ」
「?」
ユリはマルティナの言葉の意味を聞こうとしたが、その前にカミュに話しかけられる。
「なあ、ユリ。ベロニカのヤツに会うのもひさしぶりだけど、アイツ、あれからどうしてたのかな。オレは記憶喪失になってて、マルティナは魔物になってたくらいだから……もしかすると、大人に戻ってるかもな。ははっ!」
「大人の師匠には会ったことがないから会ってみたいなぁ」
カミュの想像に、ユリも楽しそうに返した。初めて会ったときはもっと幼いベロニカだったし、再会した際はもう子供の姿だ。
「……んだよ、ホメロス」
ユリと楽しく会話をしていると、物言わぬホメロスのじぃーという視線にカミュは気づいた。
「一つ、訂正したい。貴様は記憶喪失だけでなく、魔物にもなったと」
「あー、はいはい。オレは魔物にもなったよな。これでいいかよ」
ねちっこいところは相変わらずじゃねえか――カミュはそう不満を募りつつ、魔物になったときの自分のことが気になり、ユリに聞いてみる。
「なあ、ユリ。魔物になったオレってどんな感じだったんだ?」
「…………」
「……?」
「…………わ」
わ?
「私の口からは……とても……」
……。なんだその反応は!?
顔を赤くし、意味深な言葉と共に動揺しているユリを見て、カミュも動揺する。
(おいおい、魔物になったオレはなにかしでかしたのか……?)
不安になってきたカミュは、ことの発端であるホメロスに視線を送る。
「あんな不埒なことを……私の口から言わす気か?」
「なんなんだよッ!?」
こちらも意味深に、しかも絶妙に腹立つ言い方をされ、カミュは頭を抱えた。
「…………」
ベロニカを探して静寂の森を歩き回っていたセーニャだったが、その足が不意に止まった。
「なあ、ここにベロニカがいるのか?どこにも見当たらないぜ」
そんなセーニャに、カミュが声をかけると、彼女も同じように思っていたのか、不思議そうな声で答える。
「ここは子供の時から、私とお姉さまがよく一緒に遊んでいた場所なんです。ここにいると思ったのですが……」
セーニャいわく、ベロニカの気配は感じるらしい。
「お姉さまっ!お姉さまーっ!どこにいるのですか!?」
セーニャは森の奥へ呼びかけるが、静まり返ったそこから返事はない。
「手分けして、もう一度探すか?」
グレイグがそう提案した直後「あら……」セーニャは大木の後ろから、特徴的な赤い三角帽子が覗いているのに気づいた。
「お姉さま。こんな所にいらしたのですね」
「師匠!」
セーニャは小走りにベロニカの元へ向かい、そのあとをユリも続く。
どうやら、ベロニカは大木に身体を預けて眠っていたらしい。
「こんなところで昼寝して、相変わらずお子ちゃまだな」
「ここまでの旅路に疲れているのかもしれないわ」
「なにはともあれ、ベロニカちゃんが見つかってよかったわ!」
「さよう。これで、残る仲間はエルシスのみじゃな」
「起きたら師匠、驚くかな?」
カミュ、マルティナ、シルビア、ロウ。そして、ユリ。誰もがベロニカとの再会を喜び、グレイグとホメロスはほぼ初対面になるので、話通りの少女の姿に少し驚いていた。
「起きてください、お姉さま。カゼを引いてしまいますわ」
地面に膝をついたセーニャはベロニカに声をかけるが、ベロニカから反応はなく、起きる気配もない。
木々の間をそよ風が吹き、彼女の前髪をさらさらと撫でていくだけだ。
「……お姉さま、どうしてしまったの?」
立ち上がったセーニャは不思議そうに首を傾げる。
深い眠りに落ちているのだろうか?
誰もが不思議に思い、小さな違和感が皆の胸に生まれたとき――ぽぅと光るものがそこにあった。
地面に突き刺してある、ベロニカの杖だ。
「お姉さまの杖が光っている……。それから、ユリさまの手も……」
「なんだろう?大樹の根のときみたい……」
不思議なことに自身の手の甲は、ベロニカの杖と呼応するように光っている。
「ユリさま、お願いです。こちらの杖に触れてみてください。もしかしたら……」
セーニャの言葉にユリは無言で頷き、そっとベロニカの杖に触れた。
あの時の情景がよみがえる……――
「そんな、命の大樹が……」
記憶が呼び起こるように皆の目に見えたのは、ウルノーガによって、命の大樹の力を奪われ、魔王復活となった光景だった。
「このままだと、世界が……」
――そうだ。ユリの薄れていた記憶がよみがえる。
このままでは、魔王になったウルノーガによって、世界は滅ぼされてしまう。
ウルノーガは命の大樹の力をすべてを吸いとり、そして、大樹は枯木と化し――……
そして、ここからは、"意識を失った皆の記憶にない情景"だ。
凄まじい力になすすべもなく倒れたエルシスたちだったが、結界に守られ、宙にとどまっていた。彼らだけでなく、同様に意識のないグレイグとデルカダール王も……。
小さな手が、必死に魔力を送る。
「このサイズが、役に立ったわ……」
軽い身体だからこそ、ベロニカは先に風圧に吹き飛ばされ、衝撃波の中心から免れた。
「くっ……」
だからといって全くの無傷とはいかず、余波を食らってベロニカも満身創痍だ。
肩で息をし、痛みに堪えながら、愛用の魔法の杖を媒介とした結界魔法を展開させる。
仲間一人一人に作用させるのは相当な技術だ。
ベロニカは気力だけで意識を繋ぎ、立ち上がると、両手からも魔力を紡ぎ維持していた。
「早く、なんとかしないと、みんな、やられてしまうわ……」
仲間越しに、おぞましい闇の魔力が空に渦巻いているのが、ベロニカの片目に見える。
きっと、あれは繭だ。
蛹が蝶になるように、あの中で、命の大樹の力を吸いとったウルノーガが魔王になろうとしている。
魔王となったとき――あの魔力も爆ぜ、命の大樹は地に落ちるだろう。
魔力も集中力も、もう長くは持たない。
ベロニカは考える。どうしたら皆を守れるか。どうしたらこの状況から救えるか……。
そのとき、ベロニカの脳裏に一つの呪文が思い浮かんだ。
"ルーラ"と同じ、古代の呪文。
詠唱は覚えているが、今まで一度も唱えたことはない。
「あたしはどうなってもいい……」
覚悟と仲間たちへの願いは、声となって、言葉となってベロニカの口からこぼれた。
――ベロニカっ……!!
その誰にも聞こえることのない声を拾ったのは、
「……だめだ……君も……一緒に……っ!」
他でもない、息も絶え絶えのエルシスだった。
意識も朦朧としているはずなのに、なんとか思いを伝えようとする。
「エルシス……」
――あたしたちの勇者さまが……アンタでよかった。
「……ありがとう」
――みんなと仲間になれて、よかった。
ベロニカは、その目に焼きつけるようにエルシスを見つめた。
次にユリ、カミュ、シルビア、ロウ、マルティナ……そして、セーニャ。
皆に聞こえるように彼女は叫ぶ。
「みんな、絶対に生きのびて、アイツから世界を救ってちょうだい!」
「待ってっ……――」
エルシスの声はその名前を呼ぶことさえできず、かき消された。
最後の力を振り絞るように、ベロニカは全魔力を使って呪文を唱える。
"バシルーラ!!!"
光の玉となった彼らは円を描くように回り、ベロニカの合図と共に光の粒となって消えた。
それを見たベロニカの表情は、安堵したものになる。
「セーニャ……。またいつか、同じ葉のもとに生まれましょう。みんなのこと……頼んだわよ」
息を切らしながら、ベロニカは自分の片割れの、最愛の妹へ言葉を残した。
空に浮かぶ闇の魔力は、今まさに爆ぜようとしている。
轟音のなか、力尽きたようにその場に膝をついたベロニカの――その唇がゆっくり動く。
「さよなら」