少女よ理想を抱け

 現実を往く理想主義者にして、理想を追う現実主義者――それが、国木田独歩という人だった。


「ん?この手帳は何なのかだと?これはただの手帳ではない――俺の理想だ」

 国木田さんがいつも持ち歩いているその手帳が気になって、質問した答えがそれだった。

 手帳の表紙に、でかでかと書かれた言葉でもある。

「理想、ですか」
「ああ。理想とは未来であり、この手帳にはそれを現実化する方法が書いてある」
「えっ、現実化する方法?」

 国木田さんの"個性"は、手帳に書いた言葉の物体が具現化する"個性"だ。
 もしかしたら物体だけでなく、言葉の意味も現実化させられるのだろうか。
 
 驚いていると、国木田さんはフッと得意気に笑って答える。

「例えば、今日のやるべき仕事はもちろん。書類の締切日、エアコンのフィルターの買い換え適切日、明日の予定からスーパーの特売品に、夕飯の献立……」

 ……なんでもリスト?

「この手帳には事細かく全て書かれており、俺はこの通り計画に従うだけで、理想の未来を歩めるのだ」

 確実かつ現実的だ……!

「国木田くんの本体は手帳だからねえ。その手帳には揺りかごから墓場まで、国木田独歩という一人の人間の一生が書かれているから見てみるといいよ」
「こら、太宰!適当なことを抜かすな。せいぜい俺の初代手帳は三歳からだ」
(三歳からなのもすごい……)
「……生涯の終え方は書いてあるがな」

 壮大な手帳だ……!

 ……そんな感じに、国木田さんの手帳にはありとあらゆる事柄が書いてあるらしい。

「理世。おまえの師は太宰かも知れんが、決して奴を見習うな。反面教師にしろ」
「あ、それは安吾さんからも人間性を見習うのはよくないと言われて、重々承知です」
「失礼だなぁ。皆が私のようになれば世界が平和になると思わないかい?」
「思わん」
「思いません」

 むしろ人類滅亡するんじゃ……だって太宰さんの趣味は自殺だし。

「話が脱線したが……この手帳に理想を書いただけでは現実化せん」
「実行しないと、ですよね」
「ああ、だから……俺は手帳を開いた第一のページには、理想へと至る最短の心得が書かれている」

 国木田さんは手帳を開いて、見せてくれた。

『すべきことをすべきだ』

 とめ、はね、はらいがしっかりしている達筆な字で書かれている。
 理想を見上げながらも、地に足をつけて生きるのが俺の生き方だ――国木田さんはそう言った。

 そして、私に問う。

「おまえはヒーローを目指すと言ったな。どんなヒーローになりたいんだ?」

 その言葉に、私はすぐに答えられなかった。
 私がヒーローを目指すのは、特別ヒーローになりたいからではないから。

「俺はヒーローではないが、なりたい理想像は大事だぞ。道中迷ったとしても、目的地が決まっていれば、最後にはおのずとたどり着けるものだ」


 それと同じだ、と国木田さんは言った。その言葉を考えたものの、自分の中で定まらないまま……月日は流れた。


「雄英の制服!」

 似合うかなぁと姿見で簡単に服を合わせる。無事に入試には合格して、あとは高校生になるのを待つだけだ。

「……ん、太宰さんだ。もしもし」
『やあ、理世。新しい制服、きっと君に似合うと思うよ』

 ……………………。

 隠しカメラ!?思わず部屋を見回すと、くすり、と太宰さん特有のイケボが耳をくすぐる。

『隠しカメラなんて仕掛けてないよ。今ごろ理世はそんな風にしてるかなぁって思ってね』
「……太宰さん。エスパーはやめてください……」
『ごめんごめん。本題だけどね、暇な時に探偵社へ遊びにおいで。皆で入学祝いを用意したんだ』
「えっ本当ですか!?嬉しいっじゃあ今から飛んで行きます!」

 言葉通り、ここから探偵社までひとっ飛び……で、テレポートはできないけど。
 何度か繰り返して探偵社に着くと、皆からお祝いの言葉をもらった。

「……ゴホン。ンン」

 何故か国木田さんが、わざとらしく咳払いをした。

「入学祝いのプレゼントを選んだのは、国木田くんなのだよ」
「自分で選んだくせに、国木田、渡すのを恥ずかしがってねェ」

 太宰さんに続いて与謝野先生が言うと「与謝野先生……!」と、国木田さんは慌てている。

「……俺たちからの入学祝いだ」
「わあ!皆さん、ありがとうございます!」

 ちゃんと可愛くラッピングされたそれを表彰式のように受け取った。

「ラッピングはナオミがしたんだよ」
「ありがとう、ナオミちゃん!」
「さっそく開けて見てくださいな!」

 手提げ袋から取り出して、ラッピングを丁寧に外していき、箱を開けると――

「手帳……!」

 中から出てきたのは、国木田さんと同じ「理想」と、書かれている色違いの手帳だった。(私の好きな色だ!)

「でもこれ……有名なその筋の巨匠が作ってて高価なものなんじゃ……」
「大丈夫だ。皆の中には社長も含まれている」

 社長にもお礼を言わないと!

「これから、おまえの将来に関わる大事な時期だからな。その手帳に今後の人生の指針を書き込むといい。しかし、書き込むだけじゃ駄目だぞ」
「『すべきことをすべきだ』ですね」

 答えると、国木田さんは満足そうに頷く。

「国木田さん、私の手帳の最初の一ページにも、同じように書いてください!」

 お願いすると、仕方ないな……と、言いながらも国木田さんはスラスラと書いてくれる。

「サイン会みたいだね」

 潤くんがその様子を見て笑う。

「僕の座右の銘も書いてあげよっか?」

 それ、乱歩さんしか適用しないからなぁ。
 
「大事にします!」
「ああ」
「まずは明日の夕飯の献立を書いてみます!」
「記念すべき書き込みがそれでいいの!?」
「何を言っている谷崎。夕飯の献立は大事な予定の一つだぞ」


 ……――私の理想手帳には、まだ理想のヒーロー像は書かれていないけど……。
 いつか書き込める日が来たら、それは間違いなく私の人生の指針になるだろう。



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