最終話 逢いみての

 秀元に身を委ねることにしたあの日から数日後。秀元に付き添われて橘はようやく、ぬらりひょんと面会した。彼に殺して貰おうなどと浅はかなことを考えた己が、彼に会おうなどと考えられなかった。彼に顔向けができなかった。だが、秀元に全てを打ち明けたことで気持ちがまとまり、江戸に帰るぬらりひょんに会おうと決心が付いたのだ。

「大丈夫や、橘ちゃん。ぬらちゃんはようやく君に会えるって喜んどるよ」

 秀元がそう言うから、彼女は会うと決めた。その時が来た。



 待ち合わせた部屋は、先に秀元と橘が向かった。その後、対面する位置にぬらりひょんがやってきて座った。

 久々に会った彼は、前と変わらずにいた。声も見た目も、全部あのときのままで。ただ、着物に隠れて見えないお互いの胸元の大きな傷跡が、紛れもない事実を突きつける。ぬらりひょんは羽衣狐に、橘はぬらりひょんに貫かれた。

「橘、無事で良かった、本当に心からそう思うとるよ」
「こちらこそ、そなたにあのような真似をさせたこと、申し訳ないと思わぬ時がない。誠にすまなかった」

 橘は深々と頭を下げる。その動作の一つ一つ、洗練されて美しいものだ。

「ぬらりひょん、そなたには本当に、様々な事で世話になった。感謝の念が尽きぬ。それだというのに、こちらが何もお礼できることがなくて申し訳が立たぬ。許せ等と言わぬが、この身の上、わかってほしい」
「いやいや、そんなこと言うな。ワシは橘と会えて嬉しかったし、一緒に過ごすことができて良かったと思うておる」
「妾も同じ事を思うとる。ありがとう、ぬらりひょん」

 二人がお互いに心の内を話し終わるのを見て、秀元が口を開いた。

「さて、とりあえず言いたいことが済んだようやから、少しボクから話させて貰うで」

 真面目な面持ちで、二人は秀元に身を向けた。

「まず、橘ちゃんのこれからのことや。彼女はボクの妻として、花開院家に身を置くことになった」
「まて、それは本当なのか!?」

 ぬらりひょんは信じられないとばかりに声を荒げ、身を乗り出す。

「そうや。それに、橘ちゃんも承諾したからな。決定事項や」

 ぬらりひょんは秀元と橘を交互に見やる。無言で頷く彼女に、彼は諦めて身を下ろした。一度目を閉じ、橘に問いかけた。

「橘、それでいいんだな。お前が、お前自身が決めたんだな?」

 橘は一呼吸置いて口を開く。静かに、淡々と語る。

「……そう、妾が決めた。あい、すまぬな、ぬらりひょん。じゃが、悔いはない。お主とのことは、良き思い出として心に留め置く」

 ぬらりひょんはそうか、と寂しげに笑った。

「ワシも、良き思い出にしよう。橘、ありがとうな」

 彼の返事に橘も笑みを浮かべて返す。

「さて、と。一段落したなら次の話や……」



 そうして、二人は別れを告げ、新たな関係を造りあげた。江戸に帰る前日、奴良組総員で花開院本家にて宴会を開いた。その場に橘も居た。橘が秀元の妻、珱姫がぬらりひょんの妻となることもお互いに知れ渡り、祝賀会のようになっていた。

「お蓮は奴良組に留まるのじゃな、そろそろ牛鬼と良い仲になっておるかと思えば……」
「うっ……面目ございません」

 お蓮は奴良組一の参謀役、牛鬼に惚れていたのだ。だが、ただの片思いに留まっていた。

「しかし、牛鬼か。堅物な所を見ると、酒に弱そうじゃな。のう、雪麗」
「そうねぇ。お蓮、酒はたんまり蔵にあったから、強そうなのを彼に飲ませてきなさいよ」

 ほらほら、と雪麗に背中を押され、お蓮は顔を赤くして廊下に出た。

「ああ、そんな……」
「あ、ついでだから妖命酒も持ってきてね」

 わかりました、とお蓮はしぶしぶ酒蔵へ向かった。残った二人はちびちびと盃を傾けていた。

「それにしても、橘があの陰陽師とねぇ」

 何があるかわかったもんじゃないよ、と雪麗は盃をあおる。

「それで、ぬらりひょんにはあの小娘で、私だけ独り身かい」

 雪麗はぬらりひょんと彼に抱きつく珱姫を見て、ふんと鼻で笑う。

「雪麗……」
「あー、いいのいいの。辛気くさい顔をしない。いいかい?あたしゃね、あんたが心から笑える、幸せになれる日を待ち望んでたんだ!橘、何か花開院家で困ったことがあったらあたしかお蓮に手紙を寄越しなよ。もし、あの陰陽師があんたを不幸にしたら、氷漬けにして海に放り込んでやるからね!」

 そう笑顔で言う彼女に、橘は心が温かくなった。妾にも、心から心配してくれる妖が居るのだと。

「橘ちゃん、ここに居ったんか。探したで」

 ひょこっと後ろから現れた影。振り向くと案の定彼が居る。

「秀元か」
「雪麗ちゃん、ちょっと借りるで〜」

 そうして、宴会場から少し離れた縁側へ連れてこられた。そこへ二人は腰を下ろすと、秀元が彼女の背後から手を回し、引き寄せる。

「どうしたのじゃ、秀元」
「んー、橘ちゃんを独り占めしたくなっただけ」

 そう言って、橘を後ろからぎゅっと抱きしめ、右肩に顎を乗せる。いきなりのことに、橘は硬直してしまった。

「秀元、お主酔っているな?」
「酔ってないで」
「そういうときは大概酔っていると相場が決まっておろう」

 そう言ってため息をつく橘。秀元はしめた、といたずらっ子の笑みを浮かべると、彼女の耳にふうと息を吹きかける。案の定油断していた橘はヒッと悲鳴をあげた。彼女は人の形をしているが狐の妖、耳は弱いのである。

「悪戯成功〜」

 振り向いて見ると、にやにやと笑う顔が直ぐ近くにあった。驚いて距離をとろうとするが、彼の両腕が腰に巻き付いており、身動きが取れなかった。

「秀元ッ!いきなり何をするんじゃ!?」
「ふふ、可愛いねぇ橘ちゃんは」

 そう甘い声を出しながら、彼はすりすりとほおずりをしてきた。その様子があまりにも幸せそうに見えて、橘はうっと喉を詰まらせた。

「ほどほどにしておくれ……」
「ん−、それは難しい要求やな」

 そう言って秀元は首筋に口付けを振らせた。抗議の声を上げても、彼は止めない。最後に項にジュっと強く吸い付くとようやく顔を上げた。

「うん、これぐらいにしといたるわ」
「ひでもと、お前は……っ!」

 声が出ないよう我慢していた橘が顔を赤く染めてこちらを睨んでいる。月明かりに照らされていて、尚のこと扇情的だ。

「怒らない怒らない、悪い子は狼に食べられちゃうで?」
「誰が悪い子じゃ、お主の方がそうであろう?」
「はい、口答えしないの」

 秀元、と名を呼ぼうとしたその口は彼のもので塞がれる。それはすぐに離れていった。

「続きは後で、な」
「お主は本当に……。突然仕掛けるのはやめよ」
「それじゃあつまらないやろ、君の表情コロコロ変わるんが可愛いんやもん」

 そう告げる彼の顔が満面の笑みを湛えていて、橘は抗議するのも忘れて見惚れてしまった。

「橘ちゃん?」
「あ、ああ。なんでもない」
「うそ〜、今ボクに見とれてたんじゃない?」
「よく言うわ、お主こそ妾に見とれておろう」
「当たり前やん、橘ちゃんはボクのお嫁さんやし」

 ポッと顔を赤く染めて、はくはくと口を開け閉めする橘に、秀元はフッと微笑む。

「そういうとこやで。さっ、冷える前に中に戻ろうか」
「ああ、そうじゃの」

 颯爽と踵を返す彼女に近付くと、左の耳元でそっと囁いた。

「好きやで、橘ちゃん」
「……ッ!!妾も……好き、ぞ。秀元」

 彼の右袖を掴んで呟いた。こんな思いをするなど、今までの彼女は思いもしなかった。

「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」



玉の緒 終

ALICE+