視線

 八月も終わる頃。マグル界からダイアゴン横丁への唯一の入り口とも言える小さなパブに、マーガレットは一人泊まっていた。正確には、同級生の友人エドマンド・アヴァロン、そして弟のハリー・ポッターもいるので、店にたった一人というわけではないが。

 さて、そんなマーガレットだが、今日は久々に親友のマルティナとの再会を約束した日だった。部屋で本ばかり読んでいるエドマンドを連れて、一階の暖炉の前で金の髪の少女を待ちわびた。暫く紅茶を飲みながら待っていると、ボンッと音をたてて暖炉の炎が燃え上がったと思うと、煤で少し汚れた金髪の少女が現れた。レースがあしらわれた薄桃色のブラウス、折り目の付いたスラックスについた煤をはたきながら暖炉から出た。

「もう!サミュエルったらしつこいのだから……、まあ!もうここにいたのね、マッジ!エドマンド!」

 ぶつぶつと弟に対する文句を言いながら、金髪の少女、マルティナはマーガレットとの抱擁を交わす。

「久しぶり、マルティナ!元気にしていた?」
「もちろんよ!エドマンドも、また背が伸びたのね?少し視線高くしなきゃいけないのだけど?」

 マルティナは、わざと彼の顔を覗きこむようにして、クスクスと笑った。

「そうかもなあ。……さ、早く買いに行こう。そこまで混まない内に済ましたかったのだろう?」

 そう呆れたように言って、彼は赤毛の娘へと目線をやる。マーガレットは、そうだったと呟き、早足で入り口へと向かう。

「ええ、人目につかない内に早く行きましょう」

 生き残っていたポッターの娘として、顔と名が魔法界に知れ渡った彼女は、ただそこらを行き来しただけで噂話の対象となる。姿を変える薬はあれども、やたらとそれを乱用しては身体に悪いため、諦めて本来の姿でいるのだ。少しでも静かに過ごしたい。

「じゃあ本屋から済ませましょう。エドマンドも早く!」

 マルティナはマーガレットを追って小走りでドアへと向かった。エドマンドも心なしか早く歩いて彼女らの後を追いかけた。

 まさか、魔法生物飼育学の教授が変わり、とんでもない本を買う羽目になるとは、誰も想像していなかった。



 無事に学用品の買い物が終わると、女子組だけで買い物に行きたいと二人が言いだした。しかし脱獄犯がマーガレットを狙っているかもしれないため、エドマンドはハリーとともに、二人が行く先々の店の入り口で待機することとなった。お互い二人きりになることも無かったため、無言の時間が続く。実際大した時間では無いのだが、気まずく感じるためか長い時間経っているかのようだった。エドはふと疑問に思っていたことを聞いてみることにした。

「ハリー、ちょっと聞いても良いか?」
「え、ああ、うん」

 どもりのクィレルのようだ、とエドマンドは二年前に居なくなった人物を思い浮かべる。

「お前の姉さん、見つかっただろう。まさかラヴィニアだったとは思わなかっただろう」
「ああ、そりゃあまさか、本当に?と思ったよ」
「だろうな。それで、一緒に住むことができなくて、寂しくないか?」

 一緒に住む、つまりマーガレットがダーズリー家に引き取られることを意味する。姉が見つかって嬉しいが、彼女にあんな嫌な人たちと暮らして欲しいと思わなかった。部屋割りが、などとは建前で、実際はダーズリー家がこれ以上魔法使いを受け入れたくないと拒否したのだ。もちろん、そんなことをマーガレットに、アルフォード院長に伝えるわけにはいかない。今まで他人だった娘を、実の親で無い人――その上待遇が良くないのは目に見えてわかる――が引き取るのも如何なものか。

「ダーズリー家、つまり僕の育ての親は、僕たち魔法使いをよく思ってないんだ。だから、姉さんが引き取られたら姉さんが傷つくことになる。寂しいけど、生きていることがわかったし、手紙もやりとりできるから、これでいいんだ。大人になって、ダーズリー家から出られたら、そのとき一緒に暮らせば良い」
「そうか……魔法使いの純血主義の逆で、魔法差別の人たちも居るのか」

 エドマンドは、ゴリゴリに固まった思考回路を持つ女を思い出した。純血主義こそ至高のもの、それ以外は塵芥。マグルを徹底的に毛嫌いし、兄をヒステリックに怒鳴りつけていた母親。己が死した後、どうなったのか全く知らないが、できたらお目見えしたくないものだ。

「うん、だから、本当は僕が姉さんの居る孤児院に行きたいぐらいさ」
「それは、そうなるな。俺も同じ状況ならそう思うだろうよ」

 凝り固まった思想を持つ連中に育てられたのにハリーは拗くれていない。良かったと、心から思う。もし反発していたら……、闇に染まってしまっていたのだろうか、などと有りもしないことを考える。

「ねえ、エドマンドは兄弟居るの?」
「いや、居ない。一人っ子、てやつさ」
「そうなんだ、兄弟居るのかと思ったよ」
「兄弟のことで何か知りたいなら、フレッドとジョージの弟、ロンに聞いた方が良い。あそこは七人も居るからな」

 よくあそこまでの大所帯になれたものだ、と半目になりながら投げやりに言う。あのシリウスだけで兄弟は十分事足りる、寧ろ大問題にしかならない、と過去のことに思いを馳せる。最近昔のことを思い出してばかりだ、とエドマンドは頭を抱えた。

「エドマンド、体調悪いの?」

頭一つ分低いところから声をかけられたエドマンドは、ハッとして意識を現実に向けた。

「いや、すまん。大丈夫、考え事していただけだから」
「……そう?」
「ああ、近頃考え事に耽ることが多くてね。ちょっとばかし気になることがあるんだよ」

 そう言って難しい顔をする彼に、ハリーは何も言えなくなった。こんな顔するときの彼は、姉もその友人も話しかけない。彼の考え事を邪魔してはならない、と暗黙の了解のようなものだ。

 そのときだ。

「お待たせ、もう良いわよって……ハリー、エドマンド?」
「おかえり、姉さん、マルティナ。エドマンドが考え事しちゃって、それで……」
「なるほどね−」

 マルティナは呆れた様子で彼を見やると、その背中をバシバシと叩いた。

「うおッ!?」
「ほら、エドマンド!帰るわよ」

 マルティナの呼びかけに、ようやくエドが振り返る。

「何だ、マルティナか。もう少し加減してくれよ」
「そう言うけど、このぐらいしないとエドは気付かないでしょうが」
「はは、悪い」

 そうして、女子の買い物が終わり、四人は帰途についたのだった。



 じゃあね、と手を振ってマルティナは、暖炉の中でエメラルドの炎に包まれて消えた。次に会うのは新学期だ。漏れ鍋に残る三人は少し早めの夕飯をとると、各自室に戻った。

 新学期に持って行く物の整理をし終えると、マーガレットは脱力してベッドに横たわった。ぼふんと沈むと、何を考えることも無くぼんやり空中を見つめる。まだ七時過ぎで、寝るのにも早い。しかしシャワーを浴びるのも何だか億劫で、ごろりと寝返りを打つ。久々に友人とはしゃいだせいか、心地よい疲れ具合だ。最近は買い物をするものも特になく、漏れ鍋に引きこもりがちだった。宿題も終わってしまい、本を読むにも読み終えた物ばかりで新鮮さがない。エドと会話するのも良いが、どこか居心地の悪さをたまに感じる。

 その原因は、彼の目つきだ。何故か、全てを見透かされたような。それでいて、甘いのだ。蕩けてなくなってしまいそうになる。ふと柔らかい目をする。他の人から向けられたことの無い、熱い視線を感じる。そんな気がするだけなのかもしれないが。

 今日の買い物は、マルティナに相談して計画した物なのだ。事の初めは彼が漏れ鍋に宿泊し始めた後だ。マーガレットは、生き別れていた弟のハリーとの距離感を上手く掴めていなかった。最初こそ、お互い仲良くしようと距離を縮めようとしたのだが。同じ女性同士であれば、トークを弾ませることができただろうし、スイーツを食べに行く、他にもマルティナも交えてあれこれ考えられただろう。しかし、ハリーの趣味、嗜好をそれとなく聞いても、マーガレットが精通しているものでない。かといって、マーガレットの趣味を押しつけるなど言語道断、ハリーの嫌いな物だったらとんでもないことだ。そんな事ゆえに、ほとほと困り果てていたのだ。ハリー自身に直接聞くのも考えたが、できるだけ最終手段にしたかった。

 マルティナにはサミュエルという弟がいる。第一に彼女に相談したが、サミュエルとハリーの育った環境があまりにも違いすぎて参考にならなかったのだ。そこで、ハリーと似たようなマグルの家で育ったエドマンドに白羽の矢が立った。そうして、泊まりに来た彼に相談を持ちかけたのだ。

 エドマンドは去年度末に、ハリーと秘密の部屋を暴き、全ての元凶となったリドルと対峙したという。だが、彼は弱さを自覚した。そして、私に彼の秘密を明かした。それは彼に前世があること。気付いたら、エドマンドという人間として生きていた、というのだ。その前世、レギュラスの生きている年齢を今と合わせれば、三〇歳近いのだ。だからか、彼は他の男子と違った雰囲気を纏っていた。他の子が騒ぐようなことでも大人しければ、さらには達観した視点で物事を見極めている。そしてなにより、魔法の扱いが格段に違う。慣れた手つきで滑らかに呪文を唱える彼は、同学年以外からも見本にされてもおかしくない程、上手かった。

 そんな一枚も二枚以上も上手の彼に相談するのは気が引けたが、どうやら彼は前世で兄が居たらしく、驚くほど簡単に相談は上手くいった。話をしにくそうな顔をしていた時もあったが、真面目に受け答えしてくれたのだ。おかげでハリーとの仲は拗れることも無く、普通の姉弟として会話できるようにはなった。

 解決してめでたし、めでたしで終わらなかったのだ。先述の通り、彼からの視線が原因だ。相談しているときはそうでも無かったが、ただ会話しているとき、食事をしているとき、それだけではないときも、時たまじっと感じる。気付いて目線を合わせると、ふいとどこかそっぽ向くときもあれば、ふわりと微笑まれるときもある。いずれにしろ、その目が我慢ならない。深い海の底のように青い瞳。吸い込まれそうに感じるときもあれば、甘い果実から滴る蜜のように、とろけそうになる。

 とにもかくにも、居ても経ってもいられない。だが、嫌ではないのも事実。こんなこと、本人に言えるはずも無ければ、弟に溢すわけにもいかない。相談できるのはマルティナ一人だった。

 そうして、今日の買い物に至る。結果、エドマンドの様子を観察していたマルティナから言われたのは。

「そうねぇ、教えてあげたいけど、これは彼の口から本心言われるまで待った方が良いわ。私が口挟んで良いことじゃない、そんな気がする」

 思いの外マルティナは真剣な顔をしていた。

「エドマンドったら、何を考えているのかしら?」
「マッジ、私から言えるのは、あなたの感情を大切にして、ってことだけよ」

 でも、彼の重い腰を上げる手伝いくらいはしてあげる。と、ニンマリ笑ってマルティナは言った。何か発破をかけたのだろう、と予想は付く。帰り際に、覚悟しておきなさい、と念を押されたのだ。エドマンドが動く可能性は大いにある。

 そんなとき、コンコンコンと戸を叩かれる。

「マーガレット、いるか?」

 エドマンドの声だ。重だるい体を起こして立ち上がり、のろのろとドアを開ける。

「どうしたの、エド」
「すまない、どうにも暇でね。少し話し相手してもらえるか?」

 こうして話をするのも何度目か。暇をもてあましていたのは同じだ。

「構わないわ。下に降りる?」
「いや、上が良いな」
「じゃあ私の部屋で良い?」
「ああ、お邪魔するよ」

 そうして、エドマンドは静かに部屋へ入った。今は彼の視線を感じなかった。

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