
遥かな
ぞわ。
「……っ、?」
もぞり、とスカートの上から撫でるように何かがお尻を掠めた。満員電車に乗っているから安易に動けるわけもなく、それに今日は先輩と出掛けるからと、気合を入れた格好をして来ている。わたしの顔は悪いと言い切れるほど悪くはないし、学年にわたしより可愛い子はいるけれど、それでも学校全体を見て上の方にいるんじゃないかな、とは思っている。だって先輩はアイドルだし、そこに並べるくらい、ううん、並べなくてもいいけど、せめて少しは可愛くなれるように努力したから。
いつもはポニーテールにしている黒髪も、今日は後ろで三つ編みだ。あとホワイトのカラーパウダーでメッシュも入れてきた。先輩に可愛いって言われたいな、とか。目を細めた先輩の顔が好きだから、柔らかく目じりを緩めた先輩を見たいな、とか。
だから、勘違いかもしれないけれど、痴漢をされたくてこんな格好をしている訳じゃないのだ。感触はまだ続いていて、その手つきにそわそわして、背中に冷や汗がつたう。
――気持ち悪い。思わず強く目を瞑った、その時。
「何をしてるのかなー?」
わたしの感情に似合わないひどく間延びした声と、わたしを守るように腰に回された手と、それから、鮮明に映る黒と白のコントラスト。
「せん、ぱ……」
いつの間にか、電車の扉は開いていた。間延びしているのに、その声はとても鋭くて。ざわざわとした喧騒が、遠のく。
「迎えに来たよー」
伊勢、とわたしの名を呼ぶ声が、先のそれよりずっと暖かくて、優しくて。わたしを連れ出してくれた手が、懐かしくて。昔、不承不承という感じながらも繋いでくれた手を思い出した。
「あっあの、先輩、その、……ご迷惑をかけてしまって」
「んー? ……迷惑とか思ってないからねー。無事……じゃ、ないかー」
しどろもどろになりながら言葉を口に出せば、先輩の眉はじりじりと下がっていく。ぽつりぽつりと小さく物騒な声は聞こえるし、そりゃあ怖かったし、気持ち悪かったけれど。
「でも、先輩がかっこよかったので……大丈夫です」
駅の階段を登って、改札口を抜ける。靡く自分の髪を視界の裾に認めて、それから、横にいる先輩を見た。むすりとしている先輩は、先程の凛々しさを少し残しつつも、なんだか子供のようで。
「せんぱ」
「――想楽」
「……先輩?」
多少の不機嫌さが滲む表情のまま、静かに先輩はそう言った。
「今日はデートなんでしょー。じゃあほら、僕の名前、呼んでよねー」
普段わたしは先輩のことを先輩と呼ぶから、時折先輩は――想楽さんはそのことを気にしている。「はい、想楽さん」と返事を返せば、想楽さんは満足気に頷いた。
「あ、伊勢」
「はい?」
ふわり、と名を呼ばれた方向に振り向くと、想楽さんは柔らかな視線でわたしを射抜いていた。
「今日の服、可愛いねー。似合ってるよー」
緩められた目じりに、頬が熱くなる。本当にこれはいつも思っているのだけれど、可愛いのか、かっこいいのか、凛々しいのか、どれかにして欲しい。想楽さんはわたしの右手を取って自分の左手と絡ませる。思わず息を呑んだわたしをそのままに、想楽さんは機嫌良く歩き出した。