ごみ捨て場の花火
須波郁という女が、いた。
天真爛漫で、いつでも他の人間を引っ張るような、笑顔の良く似合う女だ。郁、と俺が名前を呼ぶだけで、何かいつもとは違う、嬉しそうなはにかみを見せる女だ。
「郁」
「……!鏡夜くん、鏡夜くんだ!どうしたの?」
「、そこを、通りかかったから」
嘘が吐けなくなる。別段嘘が苦手だとかそういう訳ではない。むしろ得意な方だと思っている。思っている、ではなく、事実だ。けれど郁を前にすると、普段ぺらぺらと詭弁を乗せる舌が回らなくなる。黒い髪が、青にも紫にも見える瞳が、幼いながらも明るく微笑むその顔が、幼馴染という観点から身内と考え、身内の欲目からだとしても、愛らしいもので。
「鏡夜くん、いつもありがとう」
「好きでやっている事だ、気にするな」
柔らかな温度で、手を繋ぐ。しっかりしていると言われがちだがその実ふわふわとしていて天然な一つ下の幼馴染。
俺が守るべき幼馴染。俺の大切な幼馴染。ただひとりの、俺の、唯一無二。
「――……あや」
「なあに、鏡夜くん」
それが、須波郁という女だった。いつの間にか、この桜蘭からは居なくなっていたけれど。
須波郁という男がいる。
アンニュイな雰囲気と共存する天然の可愛さで女子生徒を魅力する、桜蘭高校生徒会役員の、ホスト部員だ。
「あなたは今日も綺麗だね。……オレは、どうかな」
「まあ、まあ……!郁くんもとっても素敵……いいえ、とても綺麗ですわ」
短く揺れる黒い髪と、伏せられた瞼の奥にある青にも紫にも見える瞳。男にしては高めで、女にしては低い声。違和感なんて全く感じさせないそれのはずなのに、正体を知っている人間からすれば、きっちりと違いが分かる。
――すなみいく。この桜蘭高校に在籍する男子生徒である彼。
「なーに見てんの。そんなに『オレ』が心配なワケ、鏡夜?」
その実態は、女子生徒の、須波郁。にっ、と悪戯気に笑う郁は「あや」には見えず、だからといって「いく」に見えるわけでもない。演技の上手い郁のことを心配こそしていないものの、それでもやはり幼い頃に誓った守るという契約まがいの約束を忘れることなぞ出来なくて。
「……いや?お前は良くやっているよ」
「ふーん、そ。鏡夜にそう言われると自信出るなあ。もっと頑張るよ」
光と馨を、もしくはモリ先輩とハニー先輩を見ている時のような視線を感じる。女性は麗しい男たちが恋愛をしているのが好きだし、それを見るのはもっと好きだ。俺と郁に白羽の矢が立ったのはその所為だろう。郁はノリノリだし、俺も金が入れば万々歳といった所で――とはいえ郁は女なので自重するが。
「ね、鏡夜」
「『先輩』を付けろと言っているだろう。何だ?」
「良いじゃん、オレと鏡夜の仲なんだし。……鏡夜は、綺麗だね いつだって」
「――お前の方が綺麗だよ、郁」
まあ、これくらいなら許容範囲だ。お嬢様方も湧いているし、光馨の見本にもなるだろうし。する、と目を滑らせれば目を見開いている環と口を抑えている双子の姿があって溜息を吐く。郁はどこに行ったかと思い立って視界を回せば、そこには先程の妖艶さはなくただ儚げな笑顔で以てお客様に接している男がいる。
(――……。もう少し、気にしてくれても良かったんだがな)
ティーカップに紅茶を注ぐ郁を横目に会計作業を進める。本当に、いつになったらあいつは陥落してくれるのだろうか。
思わず、そんなことを考えた。