11

 幾度と見てしまう熱を孕む夢に、彼への違和感が募っていった。初めこそ、夢のようにふわふわとした意識の中、覚醒しきれていない頭だったが、最近でははっきりと感じる体温と息遣いに、現実と見紛うことが増えた。
 流石に違和感を覚え、何か知っているかもしれないという僅かな希望をあてに、試しに彼に聞いてみた。

「あのね、凪砂くん」
「……なに?」

 本を読んでいる中で申し訳ないが、聞くなら早い方がいいと思った。どちらにせよ彼は知らない可能性の方が高いのだから、私の杞憂であってほしいと願うばかりだった。
 私の呼びかけに、頭にハテナマークが浮かぶほど首を傾げる彼。仕方のないことだと思ってはいても、何も知らない、わからないという表情をする彼が恨めしい。彼のことで悩んでいるというのに。

「その……最近、何か変わったことはない? 主に、私のことで、なんだけど」
「……変わったこと」

 神妙な顔つきで深く考える彼に必死で問いかける。しばらくして彼が思いついたかのようにハッとした表情で口を開く。

「……最近。君のことを見ていると、胸が苦しくなるんだ。君の香りを、体温を感じると、私が私ではないよう」

 知らないと言われてしまうだろうという予想は一瞬にして崩れた。真っすぐと私の瞳を捉え、淡々と話す彼と反対に、私は動揺を隠せない。彼が何事もないように語るので、しばらく何も言葉を返せずに頭を思い巡らせることしかできなかった。

「そ、それは、どういうこと……?」
「……わからない」

 わからない。今の彼には、その感情がどんなものなのかを表現できない。
 彼が一人でする行為は、何を意味しているのか考えなくともわかる。
 薄々と気づいていた違和感が現実味を帯び始める。しかし、あくまでも私に対する気持ちの変化であって、決定的なことを聞けていない。が、彼が自らそれを教えてくれる。

「……ただ、夜になると喉が渇く。その渇きを満たしたいと思って、君に助けを求める」
「助け?」
「……うん。君を想いながら、空虚な気持ちを満たすんだ」

 その言葉を耳にした途端、頭に衝撃が走った。あれは夢ではなかった。はっきりとこの肌で感じた現実だったんだ。
 嬉しいという愉悦に浸ると同時に、悔恨の情に駆られた。胸の内の感情がどろどろと入り混じる。
 彼の恍惚とした表情を目の当たりにした瞬間、彼の感情を止めることができないと察した。
 長く深い夢を見ていると思っていたそれは実際に起こっていたことだったのだ。

「……どうしてそんなことを聞くの?」

 その時目が覚めていたからと言ったらどうなってしまうのだろうか。彼に言わない方がいいのだろうか。
 いや、私は彼にとって保護者も同然だ。彼との距離をとるためにも、むしろはっきりとした線引きが必要だろう。

「凪砂くん。黙っててごめんね。ずっと目が覚めてたの。正確には夢かなって思ってたんだけど。今凪砂くんに確認して現実だってわかったから」
 彼が目を見開いた。
「……起きていたんだね」
「うん。でもそれは良くないことだよ。自分の性欲を満たすためにひとを利用しているも同然だから」
「……『性欲』?」
「凪砂くんがしていることは自分の欲に従ってひとに縋ってることなの」
「……君にそんな酷いことをしていたなんて……」

 彼はまるでこの世の終わりみのような表情でし自らを責めていた。そんな表情に良心が痛む。
 みるみる青ざめていく顔を見ていられなくなった私は動揺して変なことを口走る。

「でも、でもね。私は嫌じゃなかったよ」

 この言葉を口にした途端、むしろ彼で良かったと思っている自分に驚いた。
 彼を慰めるために先走った言葉は私の心にも響いた。私は彼だから嫌じゃなかったんだ。
 しかし、彼の曇っていく瞳が少しだけ揺れていた。それを目の当たりにして、彼に期待させるようなことを言ってしまったことに後悔する、彼の知的好奇心を触発してしまったのではないか。

「私は凪砂くんのことを弟みたいに思っているから、大丈夫。ただ、びっくりしただけ」

 しかし、私の慰めも叶わず、彼は頭を抱えていた。

「……ひととは愚かな存在だ。禁断の果実を口にしてしまった瞬間からずっと」

 自分を責めるような言葉に、胸がちくりと痛んだ。
 彼は人類は憎しみ合い、生を受けた時点で罪深いと信じて疑わない。この俗世に絶望を抱いているから。彼の冷たい心を温めてくれるひとはきっと現れるはず。そう願うが、今の彼を温めてくれるひとは果たしているのだろうか。

「……欲というものを持ち合わせてしまうからいけないんだ。自らの欲を満たすためにひとを傷つけてしまう」
「凪砂くんはひとを傷つけたくない?」
「……うん」

 寂しそうな雰囲気で視線を落とした。彼は優しい。だからこそ簡単に壊れてしまいそうなほど脆い。

「ねえ。もし私が、凪砂くんと離れなくてはいけないってなったら、どうする?」

 目を見開いた。彼にとっては目が覚めても眠るときも私がいることが当たり前になっていて、考えたこともなかったようだった。私のせいで、彼をこんなに堕落した人間にしてしまったのではないか。私は彼を依存させたかったわけではないのに。己の中で膨れ上がる彼への独占欲が確かにあることが分かった。『ひとの欲』を嫌う彼に言ったら嫌われてしまうのではないか。

「……わからない。でも、君を失いたくないと思うんだ」
「それは醜い感情だと思う?」
「……君に迷惑をかけるから」
「私が嬉しいって言ったら?」

 その一言に彼の瞳に光が宿った。

「……もし君が許すのなら、君のそばから離れたくない。そして、私の全てをあげるから、君の愛がほしい」
「そっか……」

 この『愛』は偽りだ。彼にとって私への『愛』は単なる親愛でしかない。私に、彼を本当の意味で愛してほしいと言ってるわけではない。
 愛を欲しいだなんて、彼は本当の意味をわかっていない。

「……君は私を愛してる?」
「愛してるよ。でも、私の愛と凪砂くんの愛は違うでしょう?」

 浮かない表情。やはり、彼にはまだ理解ができない感情なんだ。

「凪砂くんは、私が今いなくなったらどう思う?」
「いなくなってしまうの?」
「例えば、だよ」
「……君がいない日常生活を思い浮かべることができない。寂しいから」

 彼の持つ愛は自覚させてはいけない感情。ヒントを与えても彼にはピンときていないようだった。

 『寂しい』

 それは彼にとって孤独が寂しいということで、私がいなくとも、その寂しさは他のひとが埋めてくれる。恋愛感情を無理に持つというのも難しい。彼にとって、今いる友人がいればそれで十分だろう。
 私である必要もないのだから。